第3話 お前にサンが守れるかッ!

 週明けの月曜日。

 朝教室に入るなり、山岸が声をかけてきた。


「おっす、オラ山岸。いっちょやってみっかー」


 俺はシカトする。自分の席である窓際最後尾に向かう。そして座った。


「各務くーん、無視しないでー。パンパンしていいからー」


 アホがいる。とんでもないアホがいる。誰がお前の玉が付いてるか確認するか!

 こういったノリはいつも通りなんだけどな。


「それより、先週のアレ、見たか?」


 山岸は唐突に話題を変えた。


「アレって?」

「金曜ロードショーだ」


 目を輝かせて山岸は言う。


「ああ、もののけ姫か」

「スッゲー感動したなー。俺、ちょっとビクッてなっちゃったぜ」


 くねくねと気持ち悪く身悶えた後、山岸は急に真面目な顔をする。


「――お前にサンが守れるかッ!」

「ビクついたのはそこかよっ!」


 山岸はあろうことか、股間に両手を重ねながら言った。


「てかおいやめろ。いくらなんでもそれは酷すぎる、ディスりすぎだろ! それに守る守らない以前に、誰がお前の股間を守りたいんだよ」

「黙れ小僧!」


 そもそもそれ、セリフが前後逆だからな……。


「つうかお前のサンは股間なのか?」

「マイサンだ」

「………………」


 誰が上手いこと言えと。

 それに感動したって言う割には、セリフ間違えてるし。『救えるか』だろ、たしか。


「どちらにせよ、お前の股間がヒロインとか、俺は絶対に認めないからな!」


 ノリがいいというか、もうおふざけだ。いや、紙一重な部分もあるだろう。にしても酷い。

 やりきった感のにじみ出る山岸のドヤ顔に、妙に腹が立った。



 ――昼休み。

 中庭のベンチに座り、俺は一人、弁当箱を開けた。

 一面真っ黒。焦げ臭いにおいが鼻をつく。俺はそっと、弁当箱を閉じた。

 昨夜のハンバーグの残り物だ。なぜか俺のハンバーグだけが焦げていた。残したら、それを弁当箱に入れられてしまった。

 にしても、白飯ぐらい入れてくれてもいいものを、なぜにそれを拒絶するかのようにハンバーグがみっちり詰め込まれているんだ? タネを箱に敷き詰めて、そのまんま片面焦げるまで焼きましたなぐらい隙間がない。

 白飯部分も黒こげハンバーグ、おかず部分も黒こげハンバーグ。彩りを添える緑もない。

 泣きたくなってきた。落胆に肩を落とす。


「先輩」


 毎度のように、背後から声をかけられた。若葉の声だ。


「どうしたんですか、元気なさそうですね」


 いつものように抑揚なく、大して心配してなさそうに若葉は言う。

 俺はおもむろに、弁当箱のふたを開けた。


「うわぁ……。こ、これは酷い、ですね」


 若葉の顔が引きつっている。同情してくれているのだろうか。

 呆然とする俺の肩に、若葉は手を置いてきた。少しその手が震えているのは気のせいだろうか。


「よかったら私のお弁当、食べますか?」

「いいのか?」

「はい。作りすぎてしまったので」

「自分で作ってるのか? すごいなお前」

「いえ、今日はたまたまです、たまたま」


 言いながら隣りに腰掛け、若葉は少し大きめの包みを解いた。中から出てきたのは、二段の重箱だ。

 蓋を開ける。色彩豊かで豪華な弁当が、そこに広がっていた。これは自然というものの縮図だ。楽園だった。決して自然は黒一色なんていう殺風景ではない。

 箸でふっくらとした玉子焼きをつまむと、若葉はこちらへと差し出してきた。


「は、はい、あーん」

「ってええっ!? 」


 いいのか、これは本当にいいのか? 若葉の悪ノリに乗っかってもいいのか?

 周囲に目をやると、ひそひそ話をしているのが見えた。どうせ「勇者があんなことしてるぞ」とか、「早く魔王倒しに行けよ」とかそんなことだろう。

 有象無象のモブなんてどうでもいい。今は目の前にある幸せに身を浸していたい!


「あーん」


 俺は口を全力で開けて玉子焼きにパクついた。素直に美味かった。若葉の好みなのか、少し塩気の利いた味。甘すぎる玉子よりは、ぜんぜん俺の好みだ。


「美味いよ……」


 なぜか涙がこぼれた。


「せ、先輩、なんで泣いてるんですか?」


 突然の男泣きに、若葉は動揺している様子。珍しいこともあるもんだ。

 俺は若葉に打ち明けた。家で受けている数々の仕打ち。塩辛い晩飯にこげたハンバーグ。会話の少なくなった冷たい家。


「――そうですか。呪いの反作用とかかもしれませんね」

「そんなことが?」

「私の前の勇者さんもそんなこと言ってましたよ。家族が冷たかった、妻と娘が乱暴してきた、けどそれが気持ちよかっただとか」


 ドMか……。


「でも、早く魔王を倒さなくちゃいけませんね」


 そう言って、若葉は俺の頭を労わるように撫でてきた。

 その優しさが心に沁みる。

 しかし、なぜここまで若葉は俺に良くしてくれるんだろう?


「若葉、なんでそんなに親切なんだ? やっぱりあれか、サポーターだから?」


 尋ねると、急に若葉は黙りこくった。


「あ、悪い。親身になってくれる子に、そんなこと聞くのは失礼だな」


 俺は失言を謝った。


「言えません――」


 と、俯いたままの若葉がそう漏らす。

 ふと顔を上げた若葉の頬は、なぜか少しだけ赤い。


「あなたとお近づきになりたかったなんて、言えるわけないじゃないですか」


 …………って、えぇえええ!?


「お近づきって、えっ?」

「あっ……。今のはそういう設定ですから」


 取り繕うように咳払いする若葉。


「いや、いま『あっ』って言ったよな? 失敗したって顔したよな?」

「しつこい先輩は嫌いです……きですけど」

「え、なに?」

「なんでもありません!」


 今日はやけに感情の起伏が激しいな。なにかいいことでもあったんだろうか?

 なおも俺は視線を送る。ついには、若葉も観念したようにうな垂れた。


「分かりました、白状しますよ。しつこい先輩ですね。そんな人だとは思いませんでした」


 箸を置くと、若葉はつらつらと語りだす。


「初めて会った時のことを覚えていますか?」

「公園のことか?」

「覚えてるんですか!? 」

「いや、覚えてるも何も、一週間経ってないし」

「やっぱり忘れてるんですね」


 若葉は残念そうにため息をつく。


「それ以前の話か?」

「あれはそう、私が小学生の頃でした――」

「うおっ、いきなり回想入りやがった」


 聞けばどうやら、小学生の頃にあの公園であったことがあるらしい。


「まったく同じシチュエーションで出会ってあげたのに、先輩はぜんぜん思い出すこともなかったんですか?」

「すみません」


 後輩に頭を下げる勇者、こと俺。


「犬におしっこかけられるところも同じだったのに?」

「そこからすでに織り込み済みだったのか!? 」


 若葉、恐ろしい子ッ!


「まあいいです。それで、その時に私ケガしちゃって。先輩が家までおんぶしてくれたんですよ。覚えてませんか?」

「すまん、ぜんぜん覚えてない」

「まあ、あの頃からどこか頭悪そうな顔してましたもんね」

「失礼な後輩だな」

「いえ、褒めてるんですよ。親しみやすい顔だと」


 そんな風には聞こえなかったけどな。


「帰り際に私、聞いたんです。また一緒に遊んでくれる? って」

「うん」

「そしたら、『君が大人になったらまた遊ぼうって』どういう意味で言ったんですか? イヤらしい」


 あれ? いつの間にか回想が俺非難になってるぞ?


「いやー、どういう意味で言ったんだろうなー」


 小学生の俺、しっかりしてくれ!


「それからしばらくして、私引っ越しちゃったんです。それから中学生の頃にまた戻ることが出来て。道を歩いている先輩を偶然見つけて。浜ノ木学園の制服を着てて――」

「もしかして、追いかけてきたのか?」


 こくりと、若葉は小さくあごを引く。


「先輩とお近づきになるにはどうしたらいいか。私は考えに考え抜いて、中学三年生の頃に拾った勇者の剣を、先輩がよく行くコンビニに先回りして置くことを決意したんです」


 惜しい! 中二だったらよかったのに。


「それでサポーターとしてってわけか」


 再度、若葉はうなずいた。

 なんだか照れるな。こんなに見た目は可愛い子が、俺の追っかけだなんて。


「しかし、かなり遠回りなやり方だな。そのまま話しかけてくれてもよかったのに」

「く、喰われると思って」

「喰わねえわ!」


 若葉の中でどんなキャラしてるんだよ、俺は。


「性的な意味で」

「補足せんでも察したわ!」


 まったく。


「冗談として。私、引っ込み思案な性格なんで、あんまり自分から話しかけられないタチなんです」

「ああ、なんとなく分かるよ」


 雰囲気じゃっかん暗いもんな。それに、自分から進んで話しかけるタイプなら、間違いなく俺が犬におしっこかけられる前に話しかけてくれただろうし。

 なんだかそう思うと、こいつが無性に可愛く思えてきた。


「よし、決めた」

「何をですか?」

「俺にとってはお前がサンだ」

「意味が分かりません」

「もののけ姫見てないのか?」

「見ましたけど……」

「俺がそなたを守ってやるよ」

「ぽっ」


 いや、口に出して言う効果音じゃないから。

 こういうところも、いつの間にか癖になっている自分がいた――。

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