第6話 指導者

 師走とはよく言ったものだと東櫻高校野球部監督の薬師寺隼人は思う。

 名将と呼ばれた父、辰馬の残した東櫻野球部伝統の冬合宿。その準備に追われ、奔走する隼人は現在、ライバル校の帝都大学附属高校の野球部監督を務めている自分の父親を恨んでいる真最中である。

 事の発端は、東櫻高校の冬合宿にある。

 東櫻高校野球部の冬合宿は他校と合同で行うのが習わしである。

 高校野球の底上げという名目で全国区の強豪校が一堂に会し、『互いを認め、互いに力を高め合おう』をスローガンに掲げて行われて二十三回を数える。

 合宿の最後に行われる練習試合は巷では冬の甲子園などと綽名されている。

 実際には甲子園の方が遙かに楽だということはこの合宿の経験者にしかわからない身内ネタである。

 隼人自身もこの合宿に参加し、二十年前に見た地獄を、今でも瞳を閉じれば鮮明に思い出すことができる。

 最早トラウマでしかないが、二十年後、自らが指導者となって同じトラウマを教え子に植え付けるのかと思うと隼人の胸は高鳴った。

 第一回の合同合宿から東京開催であったため、各校を迎える準備を進めていた隼人であったが、父の茂が「今年は関西圏の学校が多いから大阪義塾さんの方にお願いしたからよろしく」と告げられてしまい、慌てて迎える準備から向かう準備への変更を余儀なくされたのである。


 今回の合同合宿への参加校は十二校。その振り分けは、九州から一校、関西から七校、関東から二校、東北から一校、北海道から一校。となっている。

 各校とも甲子園の常連校ばかりで、各校の監督も高校野球界では名の通った人たちばかりであった。

 学校としては東櫻の名前は全国区ではあるが隼人自身は新米監督に過ぎず、今回の合宿参加校の中での発言権はかなり弱い。そのために、合宿場所の変更に従うしかなかった。

 主催校は東櫻とはなっているが、実情は元東櫻監督にして合同合宿の立案者である父、薬師寺辰馬が実権を握っていると隼人は下唇を噛みしめた。



    ***


 

 薬師寺辰馬が初めて甲子園の土を踏んだのは三五歳の時であった。

 選手としては鳴かず飛ばずで、高校三年生の夏にチームは甲子園出場を果たしたが辰馬がグラウンドに立つことは無かった。

 朝から晩まで練習に明け暮れた日々。

 それでも十六人の登録選手には選ばれなかった。


 高校通算打率十割。この成績がお情けで出場した練習試合の代打成績でなければ自慢することができただろう。

 それもイレギュラーバウンドしなければ楽々アウトの当たりの内野安打。

 楽しい思い出も、輝かしい実績も何一つ手にすることはできなかった。

 それでも辰馬は野球が嫌いにはなれなかった。

 大学進学後には懲りずに野球部に入った。

 相変わらずの補欠部員ではあったが、最後まで部に残り、チームの大学日本一の瞬間をアルプススタンドで見ていた。


 辰馬は大学卒業と同時に母校の教員となった。

 野球部に携わることはできないものかと幾度となく打診したが、上に聞き届けられることは無かった。

 甲子園出場を果たした野球部に当時のレギュラーが関わるならまだしも、ベンチにすら入れなかった選手がウチの野球部になにを教えるというような嘲りの声もあった。

 その様な声がある中でも辰馬は毎年、「野球部に携わりたい。力になりたい」と打診を繰り返した。


 辰馬に転機が訪れたのは教員生活十一年目に迎えた夏であった。

 当時の野球部の監督は辰馬も指導を受けたベテラン監督であった。

 しかし昔ながらの指導が取り沙汰され、『行き過ぎた指導』『高校野球の闇』などと各紙面を賑わせた。

 それらの報道を受けて監督が秋大直前に辞任。

 監督代理として前々から何かと野球部と話していた辰馬に白羽の矢が立った。

 要は、厄介ごとを押し付けられただけなのだが辰馬はそれでもよかった。

 ようやく自分はやりたいことができるのだと辰馬の心は躍っていた。


 迎えた秋大初戦。前評判は東櫻優勢であったが、終わってみれば十二対二というスコアで五回コールドゲームの大敗を喫した。


 秋、早々に敗退した東櫻高校。監督代理を務める茂はお飾りの監督でいるつもりは無かった。

 勝つために必要なこと。そして辰馬が導き出した答えは有望選手の獲得であった。

 スカウト活動を開始した辰馬であったが、辰馬は東櫻高校の教員でもあるためにスカウト活動は土日祝日に限られていた。加えて野球部の練習はほとんど毎日行われており、前監督の指導の賜物だなと辰馬は思った。


 地道なスカウト活動に加えて同時進行で行った勧誘活動が功を奏し、新入生は中々の粒揃いであった。

 中でも神谷輝の入部に辰馬は歓喜した。


 それから辰馬は練習の量を増やしつつ、質を高めていくために明確な区別をした。

 一軍(主力組)と二軍(控え・サポート組)

 この区別は見事に嵌まり、一年生中心のチームで甲子園の出場を果たす。

 辰馬は監督大理就任十ヶ月で西東京を制したのである。

 その後も続けて春の選抜も出場を決め、その翌年には正式に監督に就任した。


 常勝軍団、飛ぶ鳥を落とす勢い。などと周囲が騒ぎ立てる中、辰馬は考えていた。


 甲子園から戻ってすぐ、神谷輝は辰馬に進言した。

 「監督。このままでは何れ負けますよ。このチームは歪です」

 辰馬はこの言葉の意味を理解することができなかった。



   ***



 東櫻高校野球部監督の薬師寺隼人は苦悩していた。

 合宿も佳境となり、各校の監督たちの色というものが選手たちにも浸透している。

 それに対して東櫻ナインは個々の能力は高く、光るものがあるが、チームとしての纏まりに欠ける印象を受ける。

 どうしたものかと隼人は頭を抱える。

 肩を叩かれ、顔を上げると目の前には名称ではなく父親の辰馬の顔があった。

 「なんだ、隼人。お前若いくせに悩み事か、生意気だぞ」と頭をバシバシと叩く。

 「いてぇよ親父。俺だって悩みの一つや二つあるよ」と言いながら隼人は頭の上にある父親の手を払いのける。

 話してみろと息子を心配する辰馬。

 隼人は息子として、辰馬に指導者としての悩みを話し始めた。

 そして、辰馬も父として、また同じ指導者として隼人の話を聞いた。


 隼人の抱えた悩みは若い指導者のみならず、長年指導に携わったベテラン指導者でも解決が難しい問題であった。

 「親父はさ、ウチの四人どう思う?」

 辰馬は呆れた様子で「わしが決めてもいいのか? だったら補欠だな。今すぐ補欠にしてしまえ、わし等が楽に勝ち抜ける」と提案する。

 隼人は苦笑いを浮かべ頭を掻き抱く。

 「そんなことできる訳ないだろ。それにこれからの三年間、あの四人がチームの核になるし、そうしなくちゃいけない。あんな金の卵―黄金の卵たち俺には荷が重いよ」

 才能の有無で待遇を変えるべきではない。勿論、そのようなことは百も承知なのだが、実際に自分の下に集まった(実際は全国各地に勧誘に出向いて連れてきた)原石たちは想像以上に大きく美しく、そして果敢無い。

 少しでも扱いを誤れば砕け散ってしまうような才能の塊はとても繊細で、自分の手には余ると隼人の心は今にも押し潰されてしまう寸前だった。

 どれだけ虚勢を張ろうともその人物の器の大きさは変わらない。

 そんなことは隼人もわかっている。それでも弱みを見せる訳にはいかないと気張ってきたのだ。


 精々苦しめと辰馬が鼻で笑う。

 隼人は理解に苦しむ。

 何故、親父は笑っていられるのだろうか? 自分もかつてあの神谷輝を指導し、現在はその一人息子の神谷翔を指導していながら悩まないとでも言うのだろうか? 

 神谷翔は直接指導したわけではないため、正確なことはわからないが、あの神谷輝の息子であればその才能も想像が付く。

 何せ隼人自身、神谷輝と共に甲子園の舞台に立った高校球児であった。

 だからこそわかる。

 あのレベルの才能は一人の手でどうにかできる代物ではない。

 その才能をその肌で直に感じたからこそ躊躇してしまう。

 隼人は近い将来、日本を背負う天才たちを自分のような凡人が手を出してしまってもいいのかと思わずにはいられなかった。

 

 隼人がどれだけ悩みを打ち明けようとも辰馬から明答が返ってくることは無かった。

 「もっと適当に」とか「気楽に」といった発言を繰り返した挙句、「わからないならその四人は自由にやらせて残りの選手を育てろ」と、隼人には日本球界の宝となるかもしれない四人を見す見す捨ててしまえと言っているようにしか聞こえなかった。

 

 それからの親子二人の論争は平行線を辿った。

 隼人が苦悩を告白すれば、辰馬がいい加減な返答をして隼人が痺れを切らし、再び辰馬へと悩みを打ち明ける。そして辰馬は適当にあしらう、以降は堂々巡りであった。

 

 最終的には相談という名目で行われる親子喧嘩へと発展した。

 

 隼人が「親父には俺のこの心痛を理解することができない」と言えば、辰馬が「そんなことは無い。わしもお前くらいの年の頃には気を揉まされたものじゃ」と懐かしむ様子を見せる。

そしてボソッと「お前にも手を焼かされたわ」と余計なひと言を付け加えるものだから、二人の口論は激化の一途を辿った。

 

 隼人は腕時計に目をやる。

 するとすでに時計の短針は文字盤の二を通過していた。

 「もう寝るわ」

 隼人が宛がわれた部屋へと向かうために席を立つ。

 (何にも解決してねぇじゃねぇか! 親父に相談したのは早計だったか……)

 隼人は自らの判断の過ちを悔いていた。

 背中にぶつかる父親の声に隼人は振り返る。

 辰馬は一言「身命を賭して指導に励め。儂たちにできることなどたかが知れておる」とため息交じりに呟くと、辰馬も席を立ち、精々励みたまえとにんまりと頬を釣り上げたものだから隼人の口からは深いため息が零れた。

 (何で親父は余計なひと言を言うのだろうか? それでも最後の最後にそれらしいことを言ってくれたことには感謝しないと……)

 感謝の気持ちとは裏腹に隼人の口から飛び出した言葉に辰馬は顔に刻んだ皺を深くして鋭い眼光で隼人を睨み付けた。

 

 第二次指導者論争(薬師寺親子による親子喧嘩)の火蓋が切って落とされた。



    ***



 秋大初戦。昨年はここで負けた。

 そんな思いが辰馬の心を占拠する。

 勝つことはすべてではない。しかし負けていいわけではない。勝利から学ぶこともあれば、敗北から学ぶこともある。試合の勝ち負け以前に練習を始めとする様々なことを通して成長していくのだ。

 我が校の校長がことあるごとに話すことだ。

 それなのに負ければ、「今年はもう終わりですか? 早いですねぇ~」などとねちねち五月蠅い。

 結局のところ、私立のスポーツ強豪校の看板を掲げる東櫻高校の部活動には莫大な投資の内に成り立っている。

 そのような背景があることは百も承知なのだが嫌でも勝つことが義務付けられていき、そしていつしかその義務に凝り固まってしまう。

 今年は大丈夫、主力の殆どが残るこのチームは春の選抜出場も十分に狙える―出場する。

 

 「監督。このままでは何れ負けますよ。このチームは歪です」

 

 ―へっ!? 


 何? 負ける? 歪? 

 何を言っているのだ。

 確かに、甲子園では三回戦で敗退はしたものの、主軸が一年生であったことを鑑みればこのチームはこれからもっと強くなる。辰馬は確信していた。

 それだと言うのに辰馬の確信の核たる神谷は今のままではいけないと言う。

 指導者として若い辰馬には喜怒哀楽の表情に乏しい神谷の心の内を理解するには至らなかった。


 甲子園に四季連続で出場するも優勝どころか決勝という舞台にすら立てなかった。

 

 甲子園優勝を目指す辰馬は練習量を増やしに増やした。

 その練習量は日本一とまで綽名された。

 それでもその成果は表れない。それどころか荒削りではあったが驚異の爆発力で強敵を撃破し、大逆転劇を演じてきた神谷輝を筆頭とした東櫻高校。

 しかしその翌年、夏の甲子園二回戦敗退。春の選抜、初戦敗退。それも接戦のハラハラする心臓に悪い試合が続き、夏、春ともに最後は張り詰めた糸が切れてしまったかのように見るも無残な大敗を喫した。

 

 新入生の中には野球部を志願する者がいる。

 日本という国においては野球というスポーツは極めてポピュラーな存在で、広く親しまれている。

 東櫻高校の野球部は全国的知名度を有するために時として掘り出し物的存在が一般入部してくることがある。

 その最たる年が神谷輝の高校野球最後の年であった。


 五期連続での甲子園出場を目指す東櫻高校は神谷を中心とした打撃陣が売りの超攻撃型チームである。

 乱打戦にはめっぽう強かったが、接戦になると投手陣に不安を残した。

 辰馬は投手力強化のために特待生枠で中学一の豪腕と謳われていた澤村誠を九州は大分県から越境入学させた。

 同時にこの年代には一般入学からの投手志望者が後を絶たなかった。


 新入部員の挨拶で存在感を示した人間が四人。

 スポーツ特待生として招いた澤村誠。一般入部の吉田茂、鷹宮孝之、そして東櫻に深紅の優勝旗を齎す進藤健人。彼らの入部が齎したのは東櫻高校野球部の繁栄と―。


 「なんですかこのチーム。纏まりないし、何目指しているのかも不確かで、よくこんなチームに神谷さん呼べましたね。ビックリですよ! まさしく奇跡!」

 酷い言われようだが神谷自身がそれを否定しなという事実が一番心を抉った。

 加えて特待生として迎えた誠は怪我を抱えていることが判明した。

 前途多難にも思えた新チームの始動は思いのほか順調なスタートを切った。


 自らの感覚を口にすることを憚らない進藤健人の影響か、それとも自らの高校最後の夏に悔いを残さぬためか、神谷輝は監督である辰馬へと神妙な面持ちで進言した。


 ベンチの前には一つの円陣。

 1から20までの背番号を背負った選手たちが互いの背番号を握りしめ、互いを抱き寄せる。

 ベンチに入ることの叶わなかった選手たちはアルプススタンドで肩を抱き合う。


 背番号3をその背に背負った主将の神谷輝は円陣の中心で大きく二度肺に空気を一杯に取り込み、吐き出した。


 神谷は一息吐くと声を張り上げチームを鼓舞する。

 神谷以外の選手は神谷に答える形でチームを鼓舞する。


 「我らが示すは」

 『力』

 「我らが欲するは」

 『勝利』

 「我らが辿り着くは」

 『頂』

 「行くぞ!」

 『ウオォォォォ!』


 轟轟と雄叫びを上げる東櫻ナイン。

 その雄叫びは球場の歓声諸共飲み込み、東櫻は圧倒的強さを持って西東京大会を制した。


 甲子園へと乗り込む前日。薬師寺辰馬は神谷輝を呼びつけていた。

 張り詰めた空気は流れる時間をも錯覚させる。

 監督室に置かれた置時計の秒針がカチカチと時を刻む音さえも驚くほどゆっくりと耳に届く。

 空気感に耐え兼ね、先に切り出したのは神谷であった。

 「監督。俺何かしましたかね? この空気勘弁してください。俺、耐え切れないです。こう見えても俺、チキン野郎なので」

 謙遜を通り越して自虐的な告白をする神谷。

 辰馬は安心しろと前置きしてから、ありのままの気持ちを解き放った。


 「ありがとう」

 

 指導者たる者、いつなんどきも感謝の気持ちを忘れてはならぬ。

 そして、人の上に立つものは常に謙虚でなくてはならない。たとえ相手が自分より目下の人間であろうとも思い上がった態度を取ってはならない。

 もしそのような態度を取れば、「あの人は人によって態度を変える」はたまた「目下の人が何を行おうとも感謝の意を示すことも無い人」などというレッテルが貼られてしまう。

 もしそのような事があればそれはレッテルなどではなく、紛れもなくその人の資質の問題であろうと薬師寺辰馬は思う。

 そして、辰馬の中に芽生えた指導者像か形になるにつれ、チームは強くなった。……気がする。

 それでも甲子園の―頂には僅かに手が届かなかった。



     ***



 「何もわかりやしねぇ」

 長きにわたる指導者論争(親子喧嘩)は選手の起床をもって幕引きとなった。

 薬師寺辰馬。尊敬する指導者であり、それと同時に隼人にとっては唯一無二の存在―父親である。

 隼人は自信が無くなっていた。自らも父の辰馬の下、甲子園出場―そして深紅の大優勝旗を手にしたが、その時の父は監督就任五年目とかだったはずである。名将と呼ぶに相応しい戦績でありながら辰馬は秋大直前東櫻野球部監督の座を退いた。

 その後すぐに帝都大学附属高校の野球部に監督として招かれた。

 実質五年での就任期間で東櫻の監督=薬師寺辰馬の印象を根付かせるほどに辰馬の指導者としての才覚をいかんなく示した。

 隼人はそのような父親の後を追い母校の―東櫻のコーチを経て監督に就任した。

 そんな父の背中を選手として息子として間近で見てきた隼人は、昨夜辰馬が口にした「身命を賭して」という言葉を頭の中で反芻していた。

 その言葉を体現した父だからこそ臆することなく口にすることができ、気取っているような印象を受けることなく聞くことが出来るのだろうと思い、自分にはそのような覚悟はあるのか? と自問自答する日々が隼人を待ち受けているのであった。

 

 合同合宿最終日に組まれた夏の覇者、大阪義塾を相手に東櫻は相手の一年生エース進藤を捉えて、7対0の八回コールドゲームの快勝を見せた。


 上機嫌の隼人に投げかけられる疑問。

 「あら? もう試合は終わってしまったのですか?」

 その声の主を隼人は知っている。

 「ええ、すみません。息子さん相手に打ち込ませていただきましたよ。雲雀さん―進藤先生」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る