第2話 call
春季大会第四回戦。東櫻高校は圧倒的強さを見せた。11対0の五回コールドゲームついでに俺は五回を完璧に抑えて完封した。五回完封では何とも言えないが今日の調子なら九回まで行っても完封できただろう。
速球は130キロ台で、変化球主体のピッチングだったためか肘の消耗に対して肩の消耗が少ない気がする。
今日は天童にリード全般を丸投げにしてサインに首を振ることをしなかった。天童には試合中、素直すぎて気持ち悪いと言われたが俺は基本的に捕手天童を信頼している。
天童はおそらく俺たちの世代では三番目の実力者だ。進藤、神谷がやたらメディアに取り上げられているが、天童はこの二人に割って入る人間だと俺は思っている。
決して速くない球速とキレもそこそこの変化球で五回を完封できたのは天童のリードというより直感が冴えていたおかげだろう。
試合後、春大は今日のオーダーで戦うと監督から話がなされた。
六日後に予定されている春季大会準々決勝にも先発できそうだ。これから学校に戻ってミーティングと言う名の反省会が行われる。
「早く仕度しろ。バス出すぞ」
監督が急ぐように促してくる。
「三年から乗れよ。次に二年、最後に一年だ」
キャプテンの坪井が選手に声をかける。
ちなみに、バスで学校に戻るのはベンチ入りしている選手だけでベンチ外の選手は学校までランニングをしなくてはならないらしい。
ベンチ入りしていてよかった。
「にしても今日は取材少なかったよな」
吉田の素朴な問いに鷹宮は取材を受けなくて済んだからよかったと相変わらずな反応だったが、個人的には不満しかない。
今日行われる試合は二試合。第一試合は我らが東櫻高校の試合、そして第二試合は王者、帝都大学附属高校と昨年甲子園で四強まで残った国星館高校との試合が組まれていた。
「どうせ皆甲子園出場校同士の試合が見たいんだよ」
僻みっぽくてとことん自分のことが嫌いになりそうだ。
「まあ、それでもいいさ。俺が甲子園の舞台で全員完膚無きまでに叩き潰してやるからよ」
「おっ、かっこいいね、エース」
「なんかいかすべエース」
「よう聞こえんかったからもういっぺん言うてみ」
鷹宮は天然系だからいいとして残り二人は完全に馬鹿にしている。よくよく考えてみたら恥ずかしいことこの上ない。
羞恥に頬が紅く染まる。
「ウブやのエースはん」
「舐めとんのかお前」
そんなやり取りをしばらく続けていると周囲の空気が凍りついた。
「帰ろうかガキ共」
仁王立ちした薬師寺監督は毘沙門天(見たことないけど)くらいの迫力があり正直ちびりそうになった。
言うまでもなく学校に戻り次第制裁を受けた。
***
準々決勝。俺たちが強いのか相手の調子が悪かったのか八対一の八回コールドゲームで準決勝進出を決めた。
正直、決勝の帝都大附属戦以外眼中にない。
早く潰してやりたい。天才って奴を。
そんな考えが伝わったらしく薬師寺監督にめちゃくちゃ睨まれた。
「準決勝進出おめでとうございます薬師寺監督」
学校に戻ると新聞記者やら雑誌のスポーツ記者が取材に来ていた。
退屈そうに吉田は愚痴り始める。
「薬師寺監督よりも俺らの方が、華があるよな」
「監督に聞こえたら殺されるぞ」
「大丈夫だよ。事実だし」
言い切りやがった!? 間違いなく同世代一のビックマウスは吉田だ。
ランニングでの調整ほどつまらない練習はない。
自然と視線は取材陣へと向けられる。
監督がグラウンドを見ている。
吉田と並走して走る。その少し後方を走っていた天童が横に並ぶ。
「おい。監督俺らのこと呼んでないか?」
吉田と同時に取材陣の中にいる監督を探す。
「あっ、ホンマや」
「いや、呼んでるっていうより睨まれてないか」
三人は顔を見合わせてから一瞬の空白の後、全力疾走を開始した。
肩で大きく息をしながら両の手を腰に当て天を見上げる。
苦しい……ほぼ同時に到着した天童は肩で大きく息をしながら両の手を膝に乗せて項垂れるようにして息を整えようとしていた。
「何か御用ですか監督」
息切れ一つなく会話をしている吉田は俺らとは別次元の足を持っていた。
加速してからは勿論手が付けられないことは知っている。しかし一番恐ろしいのはトップピードに到達する速度だ。
五メートルほど歩数的には二、三歩だったと思うがその時にはすでに絶望的な差があり、俺と天童は卑怯だのと喚きながら吉田の後を追った。
「お前ら四人に取材がしたいそうだ。嫌なら断るがどうする」
「取材受けます。なあ、エースも天童も受けるよな」
身内以外の前でエースって呼ぶな! 声が出ない。代わりに必死に酸素を欲する生命維持を体現したような荒々しい呼吸しか返せない。
天童も同様に言葉は発することなく、代わりに右手でOKサインを作る。
「OKだそうです」
完全に吉田のペースで進みつつある。
「なまら凄い人だなどしたぁ~」
出た! ミスターど天然。
「取材だそうだよ。鷹宮も受けるだろ」
「受ける受ける。面白そうだべ」
取材陣が一様に困惑の表情を浮かべる。
だべ? おそらく取材陣の困惑はこの部分だろう。
ようやく息も整い会話に参加できそうだ。
「鷹宮、普通に話せ」
しばらく鷹宮との間に沈黙が訪れた後……。
「質問をどうぞ」
至極まっとうな人間に見える。
普通に話せるじゃん……俺たちだけでなく取材陣も同じように思ってことだろう。
その後取材は一人ずつ行われた。
「帝都スポーツの葛木です。今回は取材を受けていただきありがとうございます」
どこか聞き覚えのある声に思わず記者の顔を凝視する。
おそらく20代後半といったところの容姿に身体も縦横ともに大きくまさしく体育会系といった様子だ。
さすがに無言で見つめられて落ち着かないのか視線が泳ぎ始めた。
「すみません。誰かに似ている気がしてつい……帝都スポーツの葛木さんですよね。よろしくお願いします」
慌てたように葛木さんは両の手を小刻みに左右に振る。
「いえいえ、他人の空似なんてことよくありますよ」
さわやかな笑顔はまさに好青年といった様子でこちらも気分よく話せそうだ。
それから五分程簡単な質問に答えて正直こんなこと話しても記事にならないんじゃないのかとこちらが心配してしまうような質問内容だった。
思わず口を挿む。
「大丈夫ですか?」
「何がですか?」
首を傾げる葛木さん。
「いや、あまり面白い話とかしていないので……こんなんでいいのかなと」
「ありがとう。でも心配しなくてもいいよこれからいろいろ聞くから」
「お手柔らかにお願いします」
そう言うと、葛木さんが両の手で口元を覆い隠して笑った。
何事かと目を丸くすると。
葛木さんは両の手を合わせて。
「ごめんなさい。でも皆同じなんだなって……」
「同じ?」
此方の疑問符に対し葛木さんは。
「いや、僕は直接聞いた訳ではないんだけど、僕の先輩が大阪義塾の天明君と帝都大附属の神谷君に取材に行ったら二人も澤村君みたいに取材内容を気にした後、これからもっと踏み込んだ質問をするって言ったらお手柔らかにって返したそうだよ。君らの世代は礼儀正しいね」
葛木さんの浮かべる満面の笑みは素直に褒めてくれているようだ。
「葛木さんは神谷と天明のとこには行かなかったんですか?」
「あぁ、僕は新人だから本命のところには行かせてもらえないよ」
本命……すなわち東櫻は二番手三番手ということなのだろう。
世代を代表する選手が四人居ても二大スターよりも評価が下というのが気に食わない。
「そうなんですか」
無機質な返答。
少し気を悪くさせてしまったかもしれないがそれはお互い様だ。
「ごめんね、気分悪くしたよね。でも僕は今回東櫻の取材に来られてラッキーだと思っているよ」
小さく息を吐いて葛木さんは続ける。
「だって吉田君に鷹宮君、天童君に澤村君。天才と称される選手が四人も揃っているんだよ。本来なら東櫻の一強でしょ!」
興奮を抑えることができていないがそれがむしろ嬉しくもあった。
神谷、天明ではなく、東櫻に―俺たちに期待を寄せる人もいるのだと。
「ありがとうございます」
自然に出た言葉だった。
「まあ俺が個人的に気にかけているのもあるけど東櫻は二番目に応援しているよ」
「二番目ですか?」
喰い気味に聞き返す。
「一番目はやっぱり母校を応援するよね」
「ああ、なるほど。確かに母校が一番ですよね。ちなみに葛木さんはどこ出身ですか?」
「ん? 高校? 俺は成神実業の出身だよ」
成神実業。確か甲子園で準優勝などしていてよく甲子園の特番なんかに登場する高校だ。最近は名前を聞かないがそれは東櫻も似たり寄ったりだ。
「あっ、もしかして葛木さん野球部でしたか?」
ふと頭を過った考えになぜか確信を持っていた。
「よくわかったね。そうだよ。一応高校球児だったよ。まあ、全国の頂の壁は厚くて俺にはどうしようもなかったけど、澤村君たちの代の東櫻なら全国の頂にも立てるかもね」
そう話す葛木さんはどこか懐かしむようにグラウンドに目をやった。
グラウンドでは上級生が調整メニューを坦々とこなしている。
「取材を申し込んでおいてこんなこと言える立場じゃないけど、戻りなよ。後悔したくないだろ?」
葛木さんは笑みを浮かべながらグラウンドへ行くように仕向ける。
一礼してからグラウンドの輪の中に戻った。
地元の新聞記者や役所の人間と様々なところからの取材に応じた。
そんな中ふと視線を外した先に監督と親しげに話す葛木さんの姿を見つけ二人の会話を想像してみたがまったくもって見当もつかなかった。
その翌日、東櫻高校は順当に勝ち進み決勝の組み合わせはこちらも順当に勝ち上がってきた帝都大附属となった。
まずは天明の前にお前から潰してやるよ。怪物神谷翔。
***
春季大会決勝には四万人を超える観客が集まった。
結果は散々たるもので、神谷に対しては四打席全て三振に打ち取ったが神谷以外の打者に滅多打ちを喰らい、八回を投げて九失点。五回に一挙五点を奪われ試合の流れは完全に帝都大附属に持って行かれた。
東櫻も追いすがり、着実に点差を縮めて最終九回の攻防を残して九対六と三点差までに迫っていた。
九回表東櫻の攻撃は一番から始まる好打順で吉田、鷹宮とヒットが続きキャプテンが凡退して迎えた天童の打席。その初球。
ゴンと言う鈍い金属音と一塁側のアルプスは悲鳴にも似た声が上がり―瞬間、神宮は歓喜の渦に包まれた。
ライトのポールへの直撃弾。
歓喜の一塁側アルプスと悲鳴に近い声と落胆する声とが混ざり合った三塁側アルプス。
バックスクリーンの掲示板に三点が追加され同点となり試合は振り出しに戻る。
後続の打者は打ち取られ九回裏の守備へと東櫻ナインが散る。
そこで俺は監督から交代を告げられクールダウンのキャッチボールをするためにベンチを出た。
天童の放った本塁打の興奮冷めやらぬ中、投じられた初球―甲高い金属音と共に放たれた打球は弾丸ライナーでセンターバックスクリーンへと放り込まれた。
どよめきの中、徐々に湧き上がる歓声。
轟音のような歓声に応えてダイヤモンドを回りながら右の拳を高々と突き上げる男。
その光景を茫然と見つめる東櫻ナイン。
忽ち神宮球場に鳴り響く神谷コールに俺は踵を返してベンチ絵と戻り帰り支度に取りかかった。
***
翌日の新聞には〝神谷劇的サヨナラ弾〟などと言う文字が躍り、テレビのスポーツニュースでも〝注目の高校生スラッガーが躍動〟などと騒がれていた。4三振もしている人間が躍動と言うのはおかしな話だ。
それでも神谷翔と言う選手は何かしら持っている人間なのだろう。
そして神宮で聞いた神谷コールが頭から離れず、俺は頭の中で反芻する神谷コールを掻き消すために一心不乱にブルペンで投げ込んだ。
それでも高々と挙げられた神谷の拳に呼応するかのように勢いを増していったあの瞬間の光景が焼き付いてしまっている。
甲子園への壁は帝都大附属―そして、神谷翔。
夏は必ず俺たちが勝つ。
打倒帝都大府属、打倒神谷と自らに誓いを立て、気合いを入れ直す。
昨日より今日の方が球の走りがいい。
「もう一丁!」
天童の掛け声とともに軽快に響くミットの音がブルペンに響き渡っていた。
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