ボーンヘッド
小暮悠斗
第1話 集結
緩んでもいないスパイクの紐を結びなおす。
「三人で締めてこい」
そんなこといちいち言わなくてもいいのに監督は俺がマウンドに上がるとき毎回同じように声をかける。
俺にというより投手陣全員に同じように声をかけている。この監督はお飾りだ。それは監督に能力が有るだとか無いだとかそうゆう話ではない。監督の能力が有ろうが無かろうがこのチームは勝つ。歴代最強の呼び声高い野球日本代表(中学生)は世界大会四連覇までアウトカウント三つというところまで来ていた。
最終回を迎えて11対5。決勝戦だというのに随分と点差が付いたな。だがこれは仕方のないことだろう。相手が弱いのではない俺たちが強すぎるのだ。優勝が懸かった最終回でもこのチームは落ち着き払っている。
特に今の世代は史上最強の世代、黄金世代などと騒がれたりしている。勝つのは当たり前、負けることなど有り得ない。
マウンドに一歩一歩ゆっくりと近づき、ロジンを拾い上げ指先で軽く弾ませながら捕手がプロテクターを着け終わるのを待った。捕手が軽く右手を挙げて準備ができたことを知らせてくる。遅いんだよ。肩が冷えちまったらどうすんだと少しイラつき、ロジンを叩きつける。投球練習を始める。まだ球は走っている。
打順は確か三,四,五番の好打順だったか? ちょっと気合い入れれば、三人で締められるでしょ。
油断はしていない。ただし絶対の自信がある。実際にちょっと気合い入れただけで三番、四番は打ち取った。五番打者もストライクカウント二つと追い込んでいた。
捕手からのサインはスプリット。三振で締めるのがお望みらしい。
サインに頷きグラブの中でボールの縫い目を確認してから縫い目に指を添わせてボールを挟む。振りかぶって捕手のミットめがけて腕を振り抜く。やばい、湯部が上手く抜けない。見事にすっぽ抜けた棒球はこれまた見事にストライクゾーンど真ん中へと吸い込まれた。瞬間、鋭い打球音とともに強烈な打球がグラブを掠めた。アウトのコールに振り向くとショートの吉田がボールをグラブに収めていた。
マウンドに駆け寄る選手の足取りは皆穏やかで内野陣は歩きながらマウンドへとやってくる。外野陣はさすがに歩くということは無いが、駆け足する程度で談笑しながら合流する。この史上最強世代が野球界を震撼させたのは言うまでもない。
世界大会など勝つのは当然、最も難しいのは日本一の称号を勝ち取ることだ。
全日本に選ばれた選手の多くは推薦が決まっていた。もちろん世界大会優勝投手の俺も推薦での進学を決めている。本当は十期連続で春夏の甲子園出場を果たしている名門帝都大附属への進学を望んだのだが、推薦話が来ることは無かった。結局俺が選んだのはここ十年甲子園から遠ざかっている古豪東櫻高校だった。
東櫻を選んだのには二つ理由がある。
一つ目に東櫻は俺を名指しでスカウトしたということ。
二つ目に今年の東櫻は選手集めに力を入れていたということ。以上の点から俺は東櫻を選んだ。
***
四月上旬、無事に入学式を終えた新入生たちが帰路に就く中、一部の学生(俺を含めた推薦組)は各々指定された教室や部室へと向かう。スポーツ推薦で選手を集め、全国区となった東櫻は無駄に広い。野球部だけ見ても専用グラウンドに室内練習場も完備、トレーニング機器も充実している。専用グラウンドは一軍と二軍と分かれており、対外試合用のグラウンドまであり計三つのグラウンドを所有している。金の無駄遣いだ。そんなことを考えていると背後からエースと俺を呼ぶ声がする。
「おーい、エースさん。聞こえてないのかい? エースさーん」
「うるせぇよ! 聞こえとるから。つか、エースって呼ぶな。嫌味かよ」
「なんだよ。世界一を決めたときマウンドにいたのはお前だろうが、背番号も1だったし」
「俺らの世代のエースは天明だろうが。同じ世代の奴にエースとか言われたらそりゃ嫌味でしかねぇよ」
史上最強、黄金世代などと騒がれている俺らの世代は二人の神格化された二大スターによって成り立っていた。過去には怪物と呼ばれたエースやスラッガーを中心とした◯◯世代と呼ばれるものがあった。今はまさに怪物が二人同じ世代に出現してしまっている状態なのだ。
「そういえばさアイツ、帝都大附属に行ったらしいぜ」
「アイツって?」
「神谷だよ。かーみーや」
神谷翔。世代を牽引する二大スターの一人だ。あの野郎、帝都大行きやがったのか。野球部の新入部員の集合場所に指定されている室内練習場に向かう途中で吉田に神谷を獲得するために帝都大は他の選手は二の次だったらしいと聞いた。舐めやがって……。
「あんまり俺らには関係ないけどさ、天明は大阪義塾らしいぜ」
神谷とともに世代を牽引する二大スターの一人進藤努は本来ならば世界一を決めたあのマウンドに立っていたはずの男だ。
肘が痛いとか肩が重いとか要は疲れているから休みたいということだったらしいのだが、それで代表を辞退しても進藤への評価が下がることは無かった。なぜなら進藤は神谷と渡り合える唯一の存在なのだから。
それ故に西の横綱。大阪義塾へ入学することができているのだ。
つくづく嫌になる。関西の高校は視野に入れてはいなかったが、大阪義塾から声がかかれば間違いなく俺は関西行きを即決していただろう。
「ここじゃないか?」
吉田に言われ立ち止まるとそこには馬鹿でかい白塗りで統一された建物が建っていた。
「最近は低迷しているとか言われていても、さすがは甲子園常連校って感じだな」
東櫻は最後に出場した甲子園大会において見事優勝を果たしていた。
「早く入ろうぜ、集合時間過ぎてるし……」
「マジかよ……」
一気に陰鬱な気分へと誘われた。
でかい建物なのでもしかしたら自動ドアだったりするんじゃないのか? などと現実逃避気味にそんなことを考えていたのだが目の前に取っ手の付いたドアが俺と吉田を迎えた。 ですよねー。取っ手を握り、手前に引くと隣にいた吉田が「寒ッ!?」と驚いたように声を上げる。
「冷房入れてんのか? 東櫻の選手は皆多汗症なのか?」
「多汗症って」
思わず吹き出しそうになるが、何とか堪える。
「内地は暑いべ~」
間の抜けた声に振り返ると、透き通るような白い肌を持つその男は笑みを浮かべながら近づいてくる。
「エース君に吉田君だべ」
「北海の鷹宮か、つかさ、だべってなんだよ、お前そんな話し方じゃなかったろ」
「ずっと向こうに居たら少し方言が移るんだべ」
「お前のだべは違うだろ。ようわからんけど何か違う気がするぞ」
「でも、エース君も東京人とはイントネーションとか言い回しが違うからすこっち変だよ」
お前に変とか言われたくねぇよ。確かに俺は地元の言い回しが染みついているから標準語は話せていないだろう。しかし地元と親の都合だとかで数年過ごした北海道と標準語を混ぜ合わせた奴よりかは幾分マシな筈だ。
吉田と鷹宮とは全日本での試合以来に逢ったが、こんなにムカつく奴らだったかと疑問符を浮かべる。
「にしても、全日本メンバー三人もよく集めたよな」
感心するように吉田が言う。
確かに吉田も鷹宮も全日本でスタメンを張っていたし、俺も進藤の代役とはいえエースを張っていた。二大スターの陰に隠れがちだが、俺たちも世が世なら◯◯世代の◯◯の部分に自分の名前が入っていてもおかしくない選手なのだ。
室内練習場にはすでに新入部員が整列しており、皆練習着に着替えている。
「お前ら何やってんだ!」
先輩部員と思しき小柄な男が声を張り上げている。
監督は腕を組み仁王立ちしている。この監督がテレビで注目の若手監督などと取り上げられていたのを見たことがある。元高校野球界の頂点に君臨したスター選手。十年前、東櫻高校を甲子園優勝へと導いた立役者が現在東櫻高校野球部監督を務める薬師寺真哉その人である。
早く着替えてこい。先輩部員に促されてロッカールームを目指す。
吉田が監督若くない? と聞いてくるのが面倒臭いのでそうだなと心ここに有らずと言った返答を返していると会話を諦めたのか吉田は鷹宮に同じ話を振る。
マネージャーどこやろ? などと吉田の話を完全スルーする鷹宮。このまったく噛み合っていない感じは全日本の頃から変わらない。
ロッカールームに着くと新品の練習着が積み上げてあった。上から練習着を取って着替える。俺は投手だから筋肉を必要以上つけていないが、野手の吉田と鷹宮の身体は筋肉の鎧を纏っていた。それにしても、鷹宮の肌は白すぎる。此奴ほんとに野球してんのか? と疑いたくなるほど綺麗な白を誇っていた。
ロッカールームの奥で、んがッ!? と一瞬聞こえた声らしきもの確かめるために部屋の奥を覗き込むと練習着を上だけ着て下はパンツ一丁で床に転がっている男がいた。
見知った顔だった。
「どうしたー」
二人が何事かと問う。馬鹿が一人いたとだけほうこくする。
「馬鹿ちゃうよ」
「おはよう天童さん」
「おはようエース君」
無邪気な笑顔で答える此奴もまた全日本メンバーだった男だ。
新たな仲間を見つけはしゃぐ黄金世代の面々。もちろん俺以外。
早くいくぞ。ただでさえ遅刻してるんだからな。此奴らは社会不適合者なのかもしれない。傍から見れば俺も同じなのかもしれない。はぁ、やってられねぇ。
「遅いぞ一年」
ほら、やっぱり怒鳴られた。
「お前ら四人この列入れ」
先輩部員の指示に従い列の最後尾に加わる。
どうやら順番一人ずつ名前と出身県、希望のポジションを宣べていくらしい。
高橋大樹。希望のポジションは……順番が近づいてきた。
吉田貴志。希望のポジションはショートです。お願いします。
名前は鷹宮隼人と申します。えーとポジションは……セカンドでお願いします。
天童翼です。ポジションは捕手希望です。
最後は俺だ。
澤村一樹です。ポジションは投手を希望します。よろしくお願いします。
俺の高校野球が今スタートした。
***
初日は挨拶をして解散した。
「お前の挨拶、なんだったんだよあれ」
「えっ、俺?」
「お前しかいねぇよ」
見事な三重奏だ。何の事だかまったくわからないといった様子の鷹宮を尻目に俺は一足早く帰路に就いた。
翌日から基礎練習という名の地獄が待っていた。
「こんなん高校生がやる練習ちゃうやろ」
悪態を吐きたいが言葉が出てこない。
外周に出ていた新入部員全六十一名の確認を取り、薬師寺監督が告げる。
「吉田、鷹宮、天童に澤村。以上の四人には明日から一軍の試合にも出てもらう。いいな」
ここで嫌だと言う選手がいるのだろうか? まあこれは他の一年生に対するカンフル剤となるのだろう。
俺を含めた四人は「ハイ」と怒鳴るように返事を返した。
***
すでに春季大会は始まっており、一軍に上がったその日に試合を迎えた。怪物神谷や神童進藤ほどではないが俺たち四人もそれなりに顔が知られている。
観客席からは今年の東櫻は一味違うだの、東櫻黄金期だのと騒いでいるオッサン(おそらくOB)がちらほら窺える。
東櫻の初戦は乱打戦の末、一二対九というお粗末な試合だった。それ故に俺たち一年生四人がスタメンに名を連ねたことに驚きはなかった。
一番ショート吉田
二番セカンド鷹宮
三番キャッチャー坪井(主将)
四番ファースト天童
五番レフト澤村……。
レフトってなんだよ。苦虫を噛み潰したような顔になっているらしく、吉田にそんな顔しなくてもと優しく指摘され、天童に至ってはウケるの一言を残してグラウンドへと出ていった。
整列して主審の声がかかるのを待つ。
「礼っ!」
お願いします(おそらくシャース程度にしか聞き取れない挨拶)と挨拶を終えてベンチへと戻る。
「ヒットとホームランどっちがいい?」
吉田の問いに残りの一年生三人がこれまた見事な三重奏でヒットと言う。打点がほしい俺たち三人は自分の打席で塁が埋まっていることを一番に考えていた。
実にあっけない幕切れだった一五対四となった試合は五回裏二死ながらも相手が粘り二、三塁のチャンスを迎えていた。東櫻からすればピンチなのだが五回コールドがなくなればもう一回打席が回ってくると期待していたのだが、牽制球タッチアウトにより試合終了となった。
俺だけ打ててない。元々投手の俺に監督がどれだけ期待していたのかは知らないが、四打数一安打に三振が三つ。三振三つは酷い。結果的には一本打ってはいるが、相手守備のお見合いによるポテンヒットだった。他の野手一年は皆猛打賞を達成。天童に至っては三打数三安打三本塁打九打点に四球が一つ(敬遠)の大活躍だった。
高笑いしながら今日は大当たりやとはしゃぐ天童のケツに蹴りを入れて素知らぬふりをしてベンチから引き上げる。
ベンチ裏の通路には報道陣が待ち構えており、キャプテンと天童が囲み取材を受ける。俺と吉田は新人と思しき記者からの取材を受け、会場を後にする。鷹宮はいつの間にか姿を消していた。
翌日、鷹宮が監督に絞られたのは言うまでもない。
***
「死ぬ」
酸素を吸い込む量が極端に少なく、吐き出す二酸化炭素の量が異常に多い。陸上に居ながら溺れそうな勢いで酸素を消費し続けているのは前日、試合後のインタビューを放り出して都会探索に繰り出していたという鷹宮だ。
探索中のゲーセンで先輩部員に見つかり連行させたのだという。
東櫻高校野球部は代々、寮生活が義務付けられている。理由はいくつかあるらしいのだがあまり覚えていない。覚えているのは朝練に遅刻しないようにというものと夜間ギリギリまで練習できるようにということ。簡潔に言えばこの寮は練習地獄を作り出す場所なのだという認識だけは簡単にすることができた。
そんな練習地獄に居ながら理由はともあれサボれる鷹宮はある意味すごい奴なのだろう。
前日、試合に出た選手は軽いトレーニング(鷹宮以外)で汗を流す。
練習後、三日後に行われる春季大会四回戦のスターティングメンバ―の発表が行われた。
「お前ら今年は春大勝って夏に繋げる。勝つのが当たり前だと思え、東櫻が強かったのは過去のこと? 舐められるな! 蹂躙しろ」
『ハイ!』
「んじゃあ、四回戦のスタメン発表するぞ」
薬師寺監督はどうも喜怒哀楽が激しい。と言うよりも会話の緩急が激しい。
一番ショート吉田
二番セカンド鷹宮
三番ファースト坪井
四番キャッチャー天童
五番サード高田
どこかで試合に出られると安心していた俺は愕然とした。選ばれない? 前の試合で結果が残せなかったから……。
「最後に九番ピッチャー澤村」
「あっ、はい」
「澤村! ちゃんと返事せんかッ!!」
「ハイ!」
よかった。マジでスタメン落ちかと思った。
でもこれでついに俺も本当の意味での高校デビューができる。
投手澤村一樹のお披露目だ。
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