第53話シャルルの質問とヨロゴス
「さて、ヨロゴス様」
シャルルはおもむろに口を開いた。
顔つきも柔らかく変わった。
「うん」
ヨロゴスの表情も、イエスやキリストの教会を攻撃していた時とは異なる。
皮肉な顔から、少し厳しい顔になった。
「ヨロゴス様は、そういうお話をして、聞かれた方の笑顔を見たことがありますか」
素朴でありながら、深みのある質問である。
その質問を受けて、ヨロゴスは少し考える。
「俺の話を聞いたものの笑顔だと?」
確かに笑顔を見せたものたちは、数多くいた。
それは、信者を集め、献金も集め、拡大の一途をたどる「イエスの教会への疑問や、問題点の指摘」を話した、イエスの教会に反感を持つ者たちだった。
それは、「溜飲が下る」と言う意味での笑顔だと、ヨロゴス自身がわかっていた。
笑顔の質としては、それほど高くない。
何故なら、必ず相手の犠牲を伴う。
仮に自らへの攻撃に対する反撃としても、それは報復の成功からくる勝利の感覚。
「喧嘩で相手に殴られ、殴り倒した後の笑い、肉食動物の勝利の雄たけび」なのである。
理性の高みを追求する哲学者ヨロゴスとしては、常々、「低レベルの笑い」と考えていた。
ヨロゴスとしてシャルルの質問の真意を考える。
シャルルの真意は、笑いの質まで含まれていると推測した。
「その笑顔とは・・・」
ようやくヨロゴスの頭が回転し始める。
「相手より優位な立場に立ち、相手をあざける笑い」
そうなると、相手からの笑顔はない。
相手からは憎しみまで、寄せられることもある。
「自分がそういうあざける笑いを受けたなら」
敵として倒せる相手なら、反感を持ち、すぐに報復し、あざける笑いで相手を見る。
となるとシャルルの質問の真意は、執拗にイエスの教会の矛盾を攻撃し、あざける笑いを心に秘めているのは、ヨロゴス自身ではないのかと・・・
確かに、シャルルからは笑顔はない。
たとえ、自らの考えが正論であり、シャルルが間違っていたとしても、シャルルの笑顔はない。
ヨロゴス自身は、学者であると自認している。
あくまでも、学問の範囲の中で、イエスの教会の矛盾を指摘したのである。
目の前に座るシャルルに対しては、何らあざけるべき理由はない。
「そうだな、イエスの教会以外の人間ならば、多少笑顔がある」
「ただ、その笑顔は理屈を納得したとか、自らの不満を代弁してくれたことへの、不満解消に過ぎない、それも一時的なもの」
「イエスの教会は、問題をはらみつつも、拡大の一途、それに抗うほどの効果は、我が理論にはない」
ヨロゴスは、真正直にシャルルに応えた。
何しろ、シャルルの質問や人間そのものが、真正直以外には見えない。
そうなると、誇り高いヨロゴスとしては、真正直に返すのである。
「そうですか、ヨロゴス様がイエスの教会に対して、おっしゃられたこと、本当のことだと私も考えています」
「私も、宝は心の中に積むもの」
「教会内部や、聖職者の衣服や財産に費やすものではないと、考えています」
「聖書につきましては、まだ、研究中であり、正確な応えは出来ません」
「おそらくビザンティンの図書館に行けば、詳しいことはわかると思います」
シャルルも柔らかに、考えている通りのことを言う。
そして、シャルルはもう一つの質問をヨロゴスに行った。
「ヨロゴス様は、子供を抱かれたことはありますか?」
特にヨロゴスにとって、想定外の質問である。
ヨロゴスは、目を見開いている。
確かにヨロゴスの個人的な家庭事情について、シャルルは何も知らない。
その意味で、シャルルに答えるには、ヨロゴス自身の個人的な家庭事情を話すべきなのか、あるいは一般的な意味で、自らの血縁関係に限らず、「子供を抱いたことの有無」を応えるべきか、少し戸惑った。
「・・・よその子は抱いたことがないな」
ヨロゴス自身、深遠なる真理を追求する哲学者として、いわゆる世間づきあいは、ほとんどやっていない。
家の前の道をはしゃぎまわる子供たちを、あからさまに叱責したこともある。
つまり、学問の邪魔になるという理由から。
「大人げない」と隣人から言われても、ヨロゴス自身は「高尚な哲学の探求」のためであり、その隣人自体をあざけり笑いで一瞥したこともある。
「自分の子・・・と言えば・・・」
ヨロゴスは少し肩を落とした。
ヨロゴス自身は娘が一人いた。
娘が子供のころは、本当に可愛かった。
抱いていると、娘は笑顔で自分の顔を見てきた。
その笑顔を見ると、学問の苦しみなど一瞬にして消え去った。
だから、幼い娘を抱くことは、ヨロゴスの楽しみだった。
「しかし・・・いない・・・」
ヨロゴスの娘は、妻と一緒に数年前、家を出て行った。
その原因は、ヨロゴス自身にある。
「高尚なる哲学」への没頭や、イエスの教会を含めた「他の存在」に対する歯に衣着せない非難。一度それが始まってしまえば、家族の食事も何も関係がない。
結局愛想を尽かされたのである。
「いや・・・あることは、あるんだが・・・」
ヨロゴスはここでも、真正直に答えた。
しかし、「恥」になると考え、シャルルに事情を話すことは出来ない。
「そうですか・・・」
シャルルは柔和な顔を変えない。
シャルルとヨロゴスの間に、しばしの沈黙の時間が流れた。
見守るハルドゥーンとメリエムも緊張して見ている他はない。
しかし、その状況に変化が訪れた。
「あ!猫!」
メリエムが、いきなり声をあげた。
突然、黒猫が部屋に入って来たのである。
そしてシャルルは、その猫を抱き上げた。
それを見たヨロゴスの顔が、動揺を見せている。
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