第6話 ハルドゥーンからシャルルへ
ハルドゥーンの言葉は続く。
「神はヨブを信頼していた」
「しかし、神は試しとして、サタンの指摘を受け入れて財産を奪うことを認めた」
「ただし、命に手を出すことはサタンに禁じた」
「サタンにより、ヨブは最愛の者や財産を失うことになる」
「しかし、ヨブは信仰を変えず、罪を犯さなかった」
「次に、サタンはヨブの肉体自身に苦しみを与える」
「ヨブはひどい皮膚病に冒されてしまう」
「皮膚病は社会的に死を宣告されたことと同じであるので、ヨブの妻まで神を呪って死ぬ方がましだと主張する」
「しかし、ヨブは神に対する信仰を変えない、『神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか』と、貫く」
ハルドゥーンは、ここで、大きくその眼を見開いた。
清冽な気合いを感じさせる眼光。
宴席の全員が、自然に姿勢を正した。
しかし、ハルドゥーンの眼は、宴席の全員と言うよりは、シャルルを強く見つめている。
「ふふっ・・・第一の問題かな・・ハルドゥーンが謎かけをしてきた」
「ハルドゥーンは、シャルル相手にヨブ記を詠んだ」
「もともと、フィレンツェの世俗の人達が理解している話ではない」
シャルルは、頭をかきながら立ち上がった。
「シャルル?何をするの?」
ハルドゥーンに向かって歩き出すシャルルを、メリエムは心配になり、声をかける。
司教も、驚いたような顔でシャルルを見つめる。
「メリエム・・・心配はいらない、これも神のお導きさ」
シャルルは、うれしそうに笑っている。
シャルルはハルドゥーンの隣に立った。
ジプシーの集団を背にして、宴席の「ステージ」の中心に立っている。
ハルドゥーンは、苦笑いをして、シャルルの肩をポンとたたき、横の椅子に座った。
「さて・・・みなさん・・・」
シャルルは、宴席全体をゆっくりと見渡すと、柔らかな声で語りだした。
「ハルドゥーンの最初の言葉は、理解できなかったと思われます」
宴席のほとんどが、うなずいた。
「最初はアラム語・・・つまり主イエスが使っていた言葉です」
「古代のオリエントの共通語と言って良い」
「最初の聖書は・・ヘブライ語とアラム語で書かれていたそうです」
「しかし、このフィレンツェには、その歴史においては、ほとんど関係がない言葉ですから」
「まあ・・ハルドゥーンの話は、いつもこんな風で、最初は驚きます」
シャルルは、そういって肩をすくめた。
シャルルの柔らかな話し方と、緊張をほぐすような、しぐさで、宴席全員の顔が、少しなごむ。
ハルドゥーンも、肩をシャルルと同じようにすくめている。
「そして、その後のヨブ記は、ラテン語なので、聞き取ることは出来たと思いますが・・・内容が、はじめて耳にするには、かなり・・・難解です」
「神に対する信仰が真摯このうえないヨブが、神の試しにあう」
「人に褒め称えられるような豊かで幸福な生活から、人に蔑まれるよう貧しい惨めな境遇に陥る・・・」
「しかし、ヨブはそれでも神を信じる・・・」
「信仰を曲げない」
シャルルの表情は、少しずつ変わっていく。
眼を閉じ、星の光を受けた顔は、最初の柔らかな表情とは異なり、何か神秘の力を帯びているような、中には、うっとりと見つめる者さえも出てきた。
「ミラノから、ここフィレンツェまでの道中のことをお話したいと思います」
「ヨブ記の話にも少し、共通する部分もありますので」
シャルルは、眼を閉じ、語りだした。
「私は、ミラノの修道院から、遍歴の旅に出ました」
「周囲では、街道に出没する野盗の群れや、疫病の流行を心配する声も多く聞きました。しかし、私は、命を既に神に捧げた人間です」
「途中で、どうなろうと・・それは神のご意志」
「ある意味で、ヨブの決心と同じです。確かにヨブを意識していましたし」
「私は、全てを神に任せ、歩き始めたのです」
全員の眼は、シャルルに向けられている。
「途中で、実際に役に立ったのは、修道院で身につけた薬の知識と、実家から渡されたお金でした」
「道端で体調を崩し倒れている人には薬を渡しました」
「お金に苦しんでいる人には、当座のお金を渡しました」
「そこで、神がどうのこうの・・・と言うよりは、まず眼の前の問題解決が必要と考えたのです」
「幸いなことに、皆、喜んでいただいて・・それは神が微笑んでいるかのような・・・」
「私にとっても、幸せな体験であったのです」
「私に主イエスのような奇跡を起こす力はありません」
「ただ、自分に持ちあわせている薬草の知識や、お金の力で、弱っている人を救う以外には、なかったのです」
「全くその通りだ」
ハルドゥーンは、必死に語るシャルルの横顔を見つめる。
「宗教の力は・・同じ宗教を信じる人以外には、通用しない」
「信じていない神の言葉では、効果が無い」
「誰にでも通じる救いは、現状の改善が、一番わかりやすい」
ハルドゥーンは、ゆっくりと立ち上がった。
「私たちの集団が、シャルル様をお護りしたくなった理由をお話しよう」
今度は、ハルドゥーンが話し出す。
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