ゴーレムマスターが困るワケ Ⅱ
教国の謁見の間でイーロスは、上の部分に八畳位の広さで畳を敷いている大きな台の上で、座椅子に座りながら掘り炬燵に入って蜜柑を食べていた。
「今頃、エスト達は何をしているのかなぁ…?」
「なんでも、温泉に行っているらしいですよ…?」
ナメクジが答えた。
「温泉かあ…お前ちょっと行ってきて、エストが入浴中の浴室を覗いて、その目に飛び込んで来た映像を俺の網膜に魔法で転送してくんない?」
「そんな魔法は知りませんから無理ですよ…。そんなにエストさんの裸が見たいなら、もっと手軽な方法がありますけど?」
その話を聞いてイーロスは、身を乗り出して懇願する。
「なんだと?!是非やってみてくれ!」
ナメクジは…しょうがないなぁ…という感じで緩慢に動いた。
うねうねと動きながら徐々に人の形に変わってゆく。
「元々、我々は異界でも稀な不定形の生命体なので、こういう芸当も可能なのです…。まぁ、細部は異なるでしょうが…外側から見た容姿と魔族に関する知識があれば…この通り、それなりに…。」
解説しつつナメクジの変身が終了すると、イーロスの目の前に全裸のエストが現れていた。
「いかがなもんでしょう?」
「今宵の伽を命じる!」
「…お断りします。」
命令を拒否られたイーロスは、天井を仰ぎ見て叫ぶ。
「なぜだっ?!」
「私にも雌としてのプライドが…。」
声がナメクジのままで姿だけがエストそっくりな全裸の女性は、ブツブツと呟きながら答えた。
「それなら、もう少しだけ身長と胸を小さくして、おっぱいを上向きにしてくれないか?そう、そんな感じで…。」
「…これは、なんのリクエストなんですか?」
いきなり容姿の微妙な変更を要求してきたイーロスに対して不思議そうに、エストもどきは尋ねた。
イーロスは注文を続けつつ答える。
「いや…想い出の中の十六歳くらいのエストを全裸で再現しようかと思って…。」
「ふぇっ…くしょん!くしょん!!」
旅館の貸し切り露天風呂の中で湯船に浸かっていたエストは、くしゃみを二回した。
一緒に浸かっていたミイトが心配そうに尋ねる。
「おいおい…風邪か?大丈夫なのか?」
「うーん…なんか悪寒がするけど…風邪じゃない様な?誰かが私の噂でもしているのかしら?」
エストは、きょろきょろと辺りを見渡したが人影は無く、綺麗な夜景が目に飛び込んできた。
ここは初めてエストがミイトに(事故で全)裸を見られた(ので本人は余り)思い出(にしたくない筈)の露天風呂だ。
こうして、夫婦になって気兼ねなく生まれたままの姿で改めて一緒に入り直すと…貸し切りの混浴も悪くないサービスだな…とエストは思った。
「じゃあ、先ずは女王陛下に…。」
ミイトは湯船に浮かべた盆の上の御猪口をエストに渡すと、そこに徳利の中に入っている酒を注いだ。
「ご返杯、ご返杯…。」
今度はエストがミイトの持つ御猪口に向かい徳利を傾けて酒を注いだ。
ミイトはエストの顔を見つめて尋ねる。
「何に乾杯しようか?」
エストは少し考えてから答える。
「子供達と、友人達と、この国と、全ての国民と、この世界に…。」
二人は御猪口を同時に上に挙げて乾杯をすると、そのまま一気に煽った。
「美味しい~。」
エストは赤く染めた頬に手をあてて、うっとりとした表情をする。
「子供達といえば…うちの娘とフィレンの息子は、もう眠ったのか?」
「うん…フィレンが一緒にいて寝かしつけてくれている。バドシが所用で一足先に帰ったのは残念だったけれど…一緒の大部屋に宿泊できて、一杯お喋りできて…楽しい休暇だったわ。」
ミイトは、にやにやしながらエストを見て言う。
「まぁ部屋で二人きりになれなかったから、こうして貸し切りの混浴露天風呂を予約させて貰った訳ではあるんだがな…。」
エストは、これからの事を考えると赤くした頬を更に紅潮させた。
「…スケベ。」
エストは俯いて軽く非難の上目遣いをミイトに浴びせる。
「まぁ、今しばらくは温泉と景色を楽しもうぜ…。」
ミイトは、そう言うと顔を外に向けた。
先ほども目に入った美しい夜景が、二人を出迎える様に瞬いている。
「凄いなエスト…この目の前に拡がっている全てが、お前の国なんだぜ?」
「違うわミイト…二人…ううん、みんなの国よ…。」
二人は吸い込まれる様に夜の街を眺めていた。
「ミイト…あの光の中にも今まさに困っている人達って…いるのかな?」
「エスト…サウムの遺言を忘れた訳じゃないよな?」
エストの疑問に、ミイトは釘を刺した。
「…分かっている。私の両手は女王になっても小さなまま…全ての困っている人々を救うなんて無理な話だって…。」
エストは地平線まで続く街の煌めきを見つめて想う。
「でも…でもね。せめて、この灯りの中で困っている人達は、一人もいない…。そんな国であって欲しいと願うわ…。」
エストは飽きることなく、その無数の灯りを見つめていた。
ミイトは彼女の肩に手を掛けるとそっと抱き寄せて、同じ風景をいつまでも見ていたいと願う。
それから、また数年の時が流れた。
バドシは、とある様子を眺めていた。
彼の目の前ではフィレンが短剣を両手で持って構えている。
彼女の目の前には、後ろ手に縛られ足を枷で固定されて猿ぐつわを噛まされた一人の男が、涙を流しながら言葉にならない声で何事かを哀願していた。
フィレンの息は荒い。
彼女は躊躇っていた。
かなりの時が流れたが…フィレンは、ようやく顔を上げると決心した様に目の前の男の心臓に短剣を突き刺してゆく。
男は、くぐもった声のままで絶叫をあげた。
胸の辺りから血が溢れだして、男の服に滲んでゆく。
フィレンの息は更に荒くなった。
暴れる男を、ねじ伏せる様に短剣を胸に沈めてゆく。
やがて、男は動かなくなり絶命した。
一人の魔族の少女が、初めて人の命を奪った瞬間である。
バドシは拍手をしながら近付いて、震えるフィレンの手に、そっと自分の手を重ねて耳元で囁いた。
「…よく出来ましたね、フィレン。それでこそ私の花嫁となるに相応しい…。」
「…ありがとうごさいます…御主人様。」
フィレンは震える手で、ゆっくりと男の胸から短剣を引き抜く。
短剣が彼女の手から力なく床へと落ちた。
しかし、彼女の手に付いた血までは落ちなかった。
そこでバドシは目を覚ます。
どうやら疲れてしまって軽く、うたた寝していたみたいだった。
夢の中で昔の出来事を見ていた様な気がする。
霊園の管理所の長椅子に座りながら目を覚ます為に、バドシは煙草に火を点けた。
喪服姿で座ったまま煙草をふかして、バドシは独り言を呟く。
「失敗したなぁ…。」
彼女には今回の裏の仕事を最後に引退して貰って子供の教育の他、商会の経理や人員管理などに集中して手伝って貰うつもりだった。
後進も育って来ているので、彼女に任せる様な案件が減ってきていた矢先だった。
彼女にとっての最後の案件は、彼女にしか任せられず…彼女なら大丈夫だろう…と、バドシは高を括っていた。
後方からの支援を怠った訳でも無かったが…結果は、このザマだ。
彼女…フィレンは捕らえられた挙げ句に秘密裏に処刑されてしまった。
かろうじてエストにフィレンの遺体だけは、回収して貰えた。
だから、その時点で案件自体は成功を収めたも同然なのだが、代償は高くついてしまった。
バドシはフィレンの遺体から回収した魔石をポケットから取り出す。
ここに記録されている会話の内容だけで、彼の勝利は確定しているし対応に関しても既に指示を済ませていた。
フィレンが生きて帰って来てさえくれていれば最高の仕事ぶりだ。
魔石は彼女の歯に仕込まれていたので相手にとっても発見は困難だった。
だから…この魔石には彼女が捕らえられる瞬間と、その後どの様な目に遭わされたのかも克明に音声で記録されている。
バドシには聞く義務があった。
だが酷い内容だ。
数多の経験から相応の覚悟をしていた彼でも、久し振りに胸糞が悪くなる内容だった。
仇を討つとか、そんな生温い感覚で彼の暗く燃える復讐の焔を消す事は出来ないだろう…。
対象には思いつく限りの責め苦で生き地獄に会わせてやるつもりのバドシだったが、多分それでも足りないだろうとも思った。
…ストネを喪ったサウムも、こんな気持ちだったのだろうか?…と、バドシは思う。
昔の事を思い出したら少しだけ、バドシは冷静になれた気がした。
そう…昔の事。
彼が夢の中で見た出来事も昔の事だった。
バドシとフィレンが初めて出会ったのは、温泉地にある旅館だった。
彼女は、そこで女中として働き始めたばかりの魔族だ。
オーナーとして従業員達に纏めて挨拶したのが最初の出会いだった。
不慣れながら丁寧な挨拶で印象的な、あどけない少女だった事をバドシは憶えている。
その後、痴話喧嘩が激しくなる一方のエストとミイトから逃げる様に部屋を抜け出したバドシは、所在なげに廊下を彷徨いていた所に、ばったりとフィレンと出くわした。
寝る場所を確保して欲しいことを伝えるとフィレンは、彼女に与えられた従業員用個室へと案内してくれる。
女性の部屋に招かれたので、つい、いつもの癖で口説いたバドシは、その夜のうちに彼女と男女の仲になってしまった。
後から聞いた話では彼女自身は後で同僚の部屋に、お邪魔して寝るつもりだったらしい。
バドシは寝物語に彼女の身の上話を聞いた。
父親が浮気性で母親と喧嘩の絶えなかった事…。
父親が前魔王の死去とともに財産を全て持ち出して帝国に亡命した事…。
母親が愛人を作って自分達を捨てて行方不明な事…。
兄が一人いて自分達の為に身を粉にして働いてくれている事…。
弟妹が下に沢山いる事や、母親が異なる子もいるのだが皆とても仲良しだという事…。
バドシは表面上では優しく笑顔で彼女の話を聞いていたのだが…実は当時は、さほど興味の無い話ばかりだった。
ただ一つを除いては…。
後日にバドシはフィレンをある施設へと招待していた。
そこは色々な薬に頼り過ぎて廃人になった者達を収容して、建前上は更生させる為の施設だ。
そこで彼女は行方不明だった筈の母親と再会する事になる。
母親は酷い有り様だった。
かなり長期間に渡って一部の薬品に頼っていたせいで目は虚ろになって顔も身体も痩せこけ、呆けていたかと思えば突然半狂乱になって暴れ始める。
愛人には騙された挙句に捨てられたとの話だった。
バドシはフィレンに彼女の母親が持っていた所持金は尽きてしまったので、このままでは施設から出て行って貰う他は無い…と伝える。
フィレンは自分の母親に掛かる施設の費用をバドシに尋ねたが、回答された金額はロクと彼女の給金を合わせても到底足りる様な数字ではなかった。
バドシは脅すつもりではなかったが、フィレンは悩んで震えていた…。
彼は事実をありのまま彼女に伝えて、母親とキチンとお別れをする機会を設けてあげたかったに過ぎない。
しかし、フィレンには母親を見捨てる事も出来なかったばかりか、今の状態の母親を引き取る決心もつかなかった。
考えた挙げ句にバドシは、フィレンに一つの提案をする。
彼女が自分の花嫁になって内助の功で仕事を手伝ってくれるのなら、夫となる自分は彼女の母親に掛かる費用を全て負担しようと言った。
バドシにはフィレンに対する興味と目的が一つずつあった。
興味とは自分の家系に新たな血筋として魔族の血が入ると、どの様な実子の跡継ぎを得られるのかを知りたかった。
目的は北の魔王の国に新しく建てた商会支部の裏の仕事を地元の魔族に任せられるのかどうかを試験したかったのだ。
フィレンはバドシの隠れた意図を本能的に怖れていたが、初めてを捧げた男性でもあり、そう悪い人にも見えなかったので、少し考えながらも最終的には承諾してしまった。
しかしバドシから更に、もう一つだけ条件を付け加えられる事になる。
その追加された条件に関しては、場所を移してから話すという事で、二人は施設を出て目的の場所へと移動をした。
行先はバドシの建てた商会支部だ。
その地下牢に別件で捕らえられた一人の男がいた。
バドシは、その男をフィレンに紹介する。
その男は母親をあの状態にしてしまった、その原因の愛人だった。
バドシは別件で、その男を偶然に捕まえていたのだが、フィレンの寝物語を聞いて…まさか?…と思って軽く調べ直しをしていた。
フィレンは、その男に見覚えがある。
父親がいなくなってから直ぐに、今は失った自宅に頻繁に出入りしていた男だった。
男もフィレンの事は覚えていた様で色々な言葉を掛け始める。
その殆どが助けを請う内容だったが、呆然とする彼女の耳には入って来なかった。
そこへ更に追い討ちをかける様な条件が、バドシから彼女に提示される。
…自分の花嫁となり裏の仕事を手伝うのなら、この程度の男は殺せなければならない…。
…だから殺してみて欲しい…。
それがバドシの出した条件だった。
後は、先程バドシが見た夢の通りの出来事が過去に起こったのである。
男を刺し殺した後にフィレンは、吹っ切れた様な恍惚とした表情を浮かべて笑った。
その姿を見てバドシは、彼女こそ自分と同じ世界に住んでくれる伴侶になれると確信して歓喜した。
そして、フィレンは旅館から商会へと転職する。
妊娠中の僅かな期間を除いて裏の仕事の訓練と実務に従事させられていた。
バドシは可能な限り付きっ切りで彼女の面倒を見て、一人前に育て上げようとする。
彼は彼女の吸収力の高さに驚いた。
魔族だからなのか?
必死だったからなのか?
それは、今となっては分からなかった…。
潜入調査、盗み、拷問や尋問、そして暗殺。
フィレンには、ありとあらゆる仕事を任せられる様になり、時には魔法を用いてバドシ以上の成果を挙げる事すらあった。
毒を飲み物に混ぜる暗殺を含めた女性としての接待の仕事も任せたが、流石に妻だったので最終的な身体を使った仕事だけはやらせなかった。
世間体や体裁もあったが…その頃にはバドシは、すっかり彼女に惚れ込んでしまっていたので、彼は自分が嫉妬してしまう事を怖れたのかもしれない。
ミイトとエストが婚約を発表したのと時を同じくして、二人は少し遅くなったが結婚式を挙げた。
既にフィレンは子供を産んでいたので、気心の知れた出席者からは、出来ちゃった婚とからかわれた。
式にはミイトとエストも出席して祝福をしてくれた。
とうとう告白は出来ず終いのエストと彼女を見事に攫っていったミイトだが、もうバドシの中にわだかまりは無かった。
元々こうなるだろう事は、三人で温泉に行った時から何となく分かっていたのだ。
その日の夜にフィレンは、ベッドの中でバドシに尋ねる。
「エスト様のことは、もう宜しいのですか?」
「…誰から聞いたの?」
バドシは驚いた。
自分の想いはエストは知らない筈だし、ミイトが言いふらす様な性格とも思えない。
「…やっぱり、そうだったんですね。」
フィレンは、そう言うと微笑んだ。
カマをかけられた事に、バドシは気が付いた。
間抜けな自分に溜息が出る。
「どうして分かったの?」
「…エスト様の事を目で追う時の御主人様の表情が柔らかいからですわ。」
バドシは自分の顎や頬を撫りながら尋ねる。
「そんなに顔に出ていた?」
「ええ…。」
フィレンは、にこにこしながら答えた。
バドシは、なんとなく気障な言い回しで言い訳をしたくなる。
「彼女は…エストさんは私にとっては太陽みたいな女性なんだ。眩しい位に輝いていて近づくと、とても熱くて…。離れて見守る位が丁度いいのさ。」
バドシは最初はエストが魔王という事もあって自分と同じ夜の闇に潜む住人だと思っていた。
だが、彼女は自分の知る誰よりも優しく、誰よりも純粋で、真っ白で無垢だった。
「魔王なのにね…。」
バドシは呟いて笑った。
フィレンの方を向いて彼女の頬を愛おしそうに撫でる。
自分には今は君がいる。
そう言いたげな所作だった。
フィレンは自分の頬に置かれたバドシの手に自分の手を重ねて伝える。
「それなら、私は貴方の月になります。夜を共に過ごして御主人様の行き先を程良く照らす月になります。」
バドシは吹いてしまった。
フィレンは突然恥ずかしくなって、反対の方を向いて両手で顔を覆ってしまう。
バドシが彼女の背中越しに顔を覗くと、耳まで真っ赤になっていた。
バドシは、そんな彼女の片手を、ゆっくりと引き剥がすと、片方の耳を甘噛みしてやるのだった。
翌朝。
バドシがベッドの上で目を醒ますと、フィレンが同じベッドの上で壁にもたれかかりながら、両脚だけを掛け布団の中に入れて上半身は何も着けずに座っていた。
窓から漏れてくる朝日が、彼女の裸身を照らす。
白く輝く彼女は、太陽の光を反射してバドシを照らす、本物の月の様だった。
「…おはようごさいます。朝食の準備をしますね。」
フィレンは微笑んで、そう言った。
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