勇者見習いの魔王の物語を閉じるワケ Ⅲ
時は少しだけ戻る。
エストが敏捷力を上げる為に高位強化魔法を唱え始めたのを大きな鏡で見物していたイーロスは呟く。
「あの馬鹿…。」
ナメクジも大体の状況は把握してしまったので、イーロスに質問をする。
「良いんですか?若?…このままだとエストさん達は負けちゃいますよ?」
イーロスは黙っていた。
ナメクジは尚も尋ねる。
「一度は好きになった女性ですよ?殺されちゃって良いんですか?」
イーロスは黙ったまま目を瞑った。
そして両手の掌を上に向けて持ち上げては、そのまま下ろすという動作を繰り返す。
賢いナメクジは、その所作の意味を瞬時に理解した。
…ああ、つまり、もっと俺を持ち上げたら気が変わってやらん事もないから、もっと俺を褒めて、その気にさせろって事か…。
ナメクジの眉間らしき所に皺が寄った。
…面倒くせぇなぁ、こいつ…。
ナメクジはそうは思ったが、きっと若はそうして欲しいのだろうと理解出来たので、そうする事にした。
「あー、エストさんが大ピンチだー。こんな時に颯爽と助けてくれるイケメンが、何処かにいないかなぁ?おや?こんな所に強大な魔力を縦横無尽に操るハンサムボーイがいるぞ?どうか華麗で美しい、そこの貴方。僕が大好きな彼女を助けてやって下さい、お願いします。」
とても棒演技だった。
「…六十点。」
イーロスは、そう言うと片方の拳を前に差し出す様に上げる。
「この技は気持ち悪いから、あまり使いたくは無いんだよなぁ…。」
差し出した手の人差し指を一本だけ真っすぐにすると、指先の爪が持ち上がる様に割れて爪と肉の隙間から細い蔦の様な物が伸びてきた。
蔦が延びて行く先には紫色に光り輝く小さな次元の扉が発生している。
イーロスがナメクジの頭に、もう片方の手を乗せると、ナメクジの頭は青白く光り輝き始めた。
そして、イーロスは次元の扉に自分の指から伸びる蔦を挿し込んだ。
エストは急激に意識と魔力が回復していくのを感じていた。
詠唱は途切れる事なく、なんとか続けられている状態だ。
首筋に違和感を感じるとイーロスの声が、そこから聞こえる様な気がした。
「これで負けたら承知しないからな…。」
そう言われるのと同時に、首筋から何かが抜けた様な感触を残して違和感が消え去った。
エストは首筋を、そっと撫でて微笑んで呟く。
「ありがとう…イーロス…。」
詠唱が完了し、呪文が完成した。
身体が、とても軽くなる様に感じたミイトは、上から己に剣を突き立てんとするインを横向きに転がって回避すると同時に、剣を地面に突き立てた反動で飛び起きた。
起き上がった彼は、肩で息をしながら呼吸を整える。
インも呼吸を整えつつ身体をミイトに向けたまま、視線を斜め上方へと移して何事かを呟いた。
大きな鏡に映る向こう側からインに睨まれて、イーロス達は驚いた。
「何で、こっちが覗いているのが分かったんだ?何も見つからない筈なんだが?」
「あの方、本当に人間なんですか?若?」
見れば鏡の中のインの口が動いている。
「…なんか言ってそうだな…なんて言ってるのか分かるか?」
「ええと?待ってて下さいね、若…。」
ナメクジは読唇術を使ってインの言葉を再現する。
「ヨ・ケ・イ・ナ・コ・ト・ヲ・シ・タ・ナ…タ・ト・エ…イ・カ・イ・ニ…イ・ヨ・ウ・ト・モ…キ・サ・マ・ラ・ハ…コ・ロ・ス…。」
イーロスの額から厭な汗が噴き出してきた。
「あ、あいつ…ま、まさか、異界にまで攻め込むつもりじゃないだろうな?…って言うか、あいつ異界に来れるのかよよ…?」
「若、あの人…ほ、本当に人間なんですかかか?」
震えながら抱き合ってエスト達の勝利を願う二人だった。
インは再び視線を北の魔人に戻す。
ミイトも羅刹を見ていた。
二人とも既に呼吸は整っている。
北の魔人と羅刹は、同時に屈んで突進した。
羅刹は肩を入れながら身体全体を伸ばして渾身の突きを放つ。
避け切れなかった北の魔人の脇腹から血が溢れた。
すれ違い様に北の魔人の魔剣の刃先が、羅刹の首の真横をすれすれで掠めようとする。
羅刹は北の魔人が振るう魔剣の疾さの為に、その刃先を、ぎりぎりで躱そうとせざるを得なかった…。
エストは砂埃を巻き上げて自分を襲う突風から身を守る為に、両腕を交差させて顔を覆う。
砂が少しだけ目に入ったのを拭って、突風が来た方向を見つめた。
ミイトが脇腹を抑えて蹲っている。
その脇腹からは血が滲んでいた。
エストは声もあげられずに両手で口を抑えて涙ぐむ。
インが悠然とミイトの方に向き直った。
彼はミイトに言葉をかける。
「そんな手を隠し持っていたとはな…。大きく躱せば避けられたか?…いや、あの疾さでは、どのみち避け切れんか…。」
インは、そう言うとニヤリと笑って続ける。
「見事だ…北の魔人よ…。」
インの首が胴体から滑り落ちる様に地面に落下した。
ミイトは立ちあがると一つだけ深呼吸をしてから、魔剣を振ってインの血を落とす。
そして、インの首に届く分だけ伸ばした魔剣の刃を元の長さに戻すと、ゆっくりと鞘に収めるのだった。
エストが走ってミイトに近付いて行く。
側に駆け寄って脇腹に手をかざすと治癒魔法を唱えた。
味方からは歓声が、敵からはどよめきが聞こえたが、今のエストの耳には入らない。
ミイトは地面に足を伸ばして座りながらエストの髪を優しく撫でた。
エストは泣きながら脇腹に向かって手をかざし続けている。
ミイトの出血は既に止まりかけていた。
「イン様の敵討ちだ!」
帝国軍から声が上がると、彼等は進軍を開始し始める。
インの命令を無視した形になるが、将軍自身も仇は討ちたいからこそ悩み躊躇してしまって撤退の号令を掛けられずにいた。
「全機、起動!」
魔軍の後方で並んでいたゴーレム達の中央にいる一際大きなゴーレム…。
その肩に乗っていたロクが号令を出した。
他のゴーレムの肩に乗った国境守備隊の隊員達の復唱する声が、横一線に拡がってゆく。
跪いていたゴーレム達が、一斉に立ちあがり始めた。
その異様な光景に思わず行進を止めて、息を呑む帝国の兵士達。
冷静さを取り戻した将軍が撤退の合図を送ると、彼等は静かに退却を始めた。
インの顔に紋様を描いた女性が、インの遺体に近付いて首だけを持って退却する帝国軍へと戻って行く。
帝国軍が遥か遠くに去って行くのを確認したロクは、ゴーレムの肩の上でへたり込んだ。
「ここまで歩くので魔力を使い切ったからなぁ…。立ち上がったら、もう動かすだけの魔力が残ってないや…。」
下の方を見ると、ミイトの首に抱きついたエストを右腕だけで器用に振り回すミイトがいた。
「こんなに心臓に悪いハッタリは、二度とゴメンですよ?女王陛下…。」
ロクは微笑んで呟いた。
そんなロクに気が付いたかどうかは分らないまま、エストとミイトは帝国軍の去った東と反対の方向を…ゴーレム達が立ったまま並んでいる方を見る。
沈みゆく夕日が、とても綺麗で眩しかった。
自分達は、この光景を絶対に忘れないだろうと二人は思った。
インは白い靄の中を歩いていた。
やがて、向こうから楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
見れば白くて、お洒落な丸いテーブルを囲んで…亡くなった筈の神帝、それにサウムとストネが、やはり白くて洒落た椅子に座って紅茶を飲みながら談笑をしていた。
神帝はインに気が付くと、椅子を引いて手招きをしてインを座らせる。
ストネが紅茶をインの目の前のカップに注いでくれた。
サウムはインに向かって微笑むと、こう告げる。
「人を育てる能力は、どうやら俺の方が上だったみたいだな?」
インは目の前の紅茶の香りを楽しみながら答える。
「あれは…人では無かろう?」
インは紅茶を一口だけ啜って理解した。
ここは死者が集う場所だと…。
…死ねば皆、天国か…。
それも悪くないと、インは思った。
夕日が沈んで星が瞬き始める頃…エスト達も撤退を開始していた。
ロクはゴーレムを置いたまま教国の宿に守備隊の仲間達と共に泊まるつもりだ。
ゴーレムには自然界の魔力を吸収する札を貼ってある。
一晩も経てば取り敢えず国に戻れるだけの魔力が回復するだろう。
エストとミイトは神器の羽根で直に城に帰還せずに跳躍の魔法を使って寄り道をしていた。
サウムの家である。
エストはキチンと戸締りをしていたかを確認して、最後に玄関の扉を閉めて鍵を掛けた。
一ヶ月後くらいには、また掃除をしに訪れるつもりである。
待たせているミイトに飛びつくと、手を握りしめて神器の羽根を使った。
二人がいなくなった後…サウムの家の周りは梟の鳴く声以外には、何も聞こえなくなってしまった…。
私達の世界とは別の世界。
今とは別の時間。
その別世界のある所に、一人の魔王がいた。
彼女は、かつて勇者に仕え、勇者の仕事を手伝う事を生業とし、勇者の見習いとして生きた。
やがて、彼女は父親の国を継いで、臣民から慕われ、愛され、見習われる女王となった。
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