勇者が勇者見習いを諌めたワケ Ⅳ

 サウムは丘の上で大きな木が一本だけ生えている場所で、その大きな木に寄りかかる様に座らされていた。

 近くに魔族と人間の混血だと思われる青年が一人だけ立っている。

 年の頃はエストより、やや下という所だろうか?

 サウムの方を見ずに空の彼方を見つめていた。

 サウムは青年に問う。

「どうした?殺したいなら、さっさと殺せ…。」

「…もちろん、殺してやる。だが、あの女も一緒だ。」

「あの女?」

 サウムは、なんとなく見当は付いていたが尋ねてみた。

「おまえの家にいる、あの魔族の女だ。お前を人質にして女ともども殺してやる。」

「…俺を人質?」

 サウムは鼻で笑った。

 …何が可笑しい?…と青年は尋ねたが、サウムは答えない。

 青年もまた用心しているのか、それ以上サウムと言葉を交わすのは止めて再び空を見つめた。

 …自分がエストにとって人質としての価値があるのだろうか?…

 …あるかもしれないが、どちらでも良い事か…。

 サウムは、そう考えた後で思考を休めて青年が見ている空を自分も眺めてみた。

 浮遊術で飛んで来ているエストが、遥か遠くに見える。

 サウムは何の感慨も持たずに彼女が近づくのを見ていた。

「来たな…。」

 青年にはエストの姿が今頃になって見えたらしい。

 彼はサウムを立たせると喉元にナイフを押しあてた。

 エストは青年とは少し間合いを空けて着地した。

 そうする様に予め指示されていたのだろうか?

 エストは厳しい顔をしつつも困惑の色を隠せない。

 こんな青年が一人でサウムを誘拐するとは考えていなかった様だ。

「書かれてあった通りに一人で来たわ…。サウムを離して…。」

「一人で来たら人質を離してやるなんて書いた覚えはない。大人しくしてろ。」

 青年はサウムの喉に押し当てているナイフに力を込めて話す。

「このナイフは我が家に伝わる家宝の神器だ。このナイフで付けられた傷は、治癒魔法を含めた、あらゆる回復魔法が通用しない。このまま喉を突き刺せば出血多量で、こいつの命は無いぞ?…動くなよ?」

 サウムは、こんな状況にも関わらず特に焦りもせずに…また神器か…と辟易した。

 …よくよく自分は、神器に縁がある…。

 …それも悪い意味で…。

 …神が作った物が神器だと言うなら、きっとそいつは邪神に違いない…。

 …神話で古代竜が神と戦った気持ちも分かる…。

 …俺も、こんな運命を自分に背負わせたのが神なら殺してやりたい…とサウムは思った。

 青年は手をエストに向けると氷の槍の呪文を唱えて彼女に向けて撃った。

 それはエストの放つ物に比べると、とても小さな槍だったが彼女を傷つけるのには十分だった。

 エストの太腿から血が流れる。

「おっと、回復魔法は自分にも使うなよ…。そのまま、立っていろ…。膝を地面に着けたら、こいつを殺すぞ?」

 次々と小さな氷の槍が放たれてエストの肌を傷つけていく。

 サウムは冷めた目で小さ過ぎる氷の槍を見た。

 青年は多分手加減しているのでは無く、あれが精一杯なのだろう。

 そう考えると、エストが如何に高位の魔族なのかが分かる。

 次にエストを見ると、彼女は流石に辛そうな表情だった。

 鈍い痛みに耐えて、汗が噴き出ている。

 だが、毅然とした表情で決して膝を屈しようとはしなかった。

 そんな彼女を見てサウムは、少しだけイラつく。

 青年は狂気の笑みを浮かべて幼稚な拷問めいた事を続けていた。

 しかし突然、憤怒の表情に切り替わるとエストを罵る。

「お前!嘘を付いたな?!仲間を呼びやがって!」

 エストは慌てて後ろを振り返ると、ミイトが走って近づいて来るのが遠くに見えた。

「駄目!ミイト!それ以上は近づかないで!」

 ミイトはサウムの喉元にあてられたナイフを目で確認すると、その場で止まった。

 だが、その口から真剣な決意を三人に向けて叫ぶ。

「エスト!サウム!そして、そこの貴様!聞け!俺は、ここから一歩も動かん!だがエストを、これ以上傷つけるならサウムを無視して、お前を殺す!そしてサウムを殺したとしても、お前を殺す!」

 ミイトの突き付けた条件のせいで青年は、エストへの攻撃を躊躇してしまっている。

 彼は何とかして、この状況を打破する策を見つけようと思案し始めた。

 サウムは静かに事の成り行きを見守ることにする。

 エストは青年に尋ねる。

「どうして、こんな事をするの?」

「何故そんな事を聞く?」

 青年の問い返しに、エストは答える。

「だって貴方…本当は困っているんじゃないの?!私を殺したいのに急所を外してる。いいえ…外れてしまっている。どうしてなの?」

 青年はエストの問いに答えなかったが、表情からは動揺が感じられた。

 エストは続けて話す。

「理由があるのなら教えて…。私は困っている人を放ってはおけないのよ…。」

 サウムはエストのその言葉にハッとした表情をする。

 何かに思い当たる様に微かに自嘲した。

「…いいさ、教えてやる。俺は、お前達二人を嬲り殺しにしてやりたくて、わざと急所を外して攻撃してやってるんだ…。母さんと妹の仇である、お前達二人を、いたぶりながら殺してやる…。」

 青年は怒気をはらんだ口調で、そう答えると話を続ける。

「…勇者が魔帝を倒したらしいと父さんから聞いた時は、俺は嬉しかったんだ…。昔、父さんは魔帝を封じる事に協力していたという理由で、復活した奴に良い様に使われていた…。既に呪われていた母さんを人質に取られていたせいで…。」

 サウムは段々と心当たりを思い出してきた。

「でも、魔帝が倒されたと分かった時に母さんは、自分の運命よりも妹の無事を喜んでくれたんだ…。妹も俺もまだ呪われていなかったから…助かった…と三人で安堵したよ。」

 青年の表情が更に怒りに満ちてくる。

「だが、王宮に確認しに行った父さんは戻って来ない上に、王宮から人々が逃げてきて口々に叫んだんだ…。西の魔神が虐殺を始めていて、こちらに向かって来ていると…。俺は、もう訳が分からなかったよ…。」

 青年はサウムを横目で睨んで続けた。

「脱出する方法を近所の人に聞いて、港に向かえと教わった。母さんと妹を迎えに家に戻ろうとした時に、こいつとあんたがいたんだ…。」

 今度はエストの方を指差して言った。

 エストは…まさか?…と思い当たった。

「俺の家族に剣を向けていたこいつとの間に、あんたは最初は割って入ってきた…。だから俺は、あんたが狂った西の魔神から母さんと妹を庇ってくれていると思っていたよ。」

 睨んでいる筈の青年の目から、涙が溢れてきた。

 彼は何故この様な事をしているのか?

 その答えを彼自身の口からエスト達三人に伝えられる。

「だが、あんたは自分の命惜しさに退いた!俺の目の前で二人は、こいつに真っ二つにされて殺されたんだ!」

 ミイトは驚いてエストの方を見る。

 エストは事情を飲み込んだが同時に叫んだ。

「違う!私はっ…!」

 その言い訳はサウムの高笑いによって遮られる。

 また正気では無くなったかの様なサウムの笑い方に、他の三人は呆然とした。

「…いや悪いな。こんなに笑える事が、あって良いのかと思ってね。」

「…何が可笑しいんだ!?貴様!」

 青年はサウムの襟を掴んでナイフの刃を喉元にあてたまま詰問する。

「…彼女は命惜しさに退いたわけじゃない。というか君から、そう見えたという事は、随分と遠くから事の成り行きを見ていた様だな。よほど俺が怖かったのかな?家族を見捨ててしまう程に…。」

 サウムの思ったよりも真剣な眼差しに、エストは驚いた。

 青年は何か図星を突かれたような表情をして狼狽えている。

「…どういう意味だ?…お前に何が分かる?!」

「…何が分かったかは、後で言うが…ミイト、安心しろ。エストは殺されそうな無関係な人々を見捨てられるような性格じゃない。魔王のくせにな…。」

 サウムは青年を無視するかの様にミイトに向けて語る。

 その顔は笑っていた。

「お前も知っているだろうが俺には、障害物に関係なく向こう側の敵を斬る技がある。エストは最後まで彼の家族を庇っていたよ…。ただ俺は、それが気に入らなかったから彼女を避けて二人を纏めて斬っただけだ…。」

 青年はサウムの説明に驚く。

「嘘だ…?そんな事、出来るわけがない…。」

 青年はミイトの方を見るが、彼は大きく頷いてサウムの言う事を肯定した。

 サウムは続けて青年に言う。

「信じる信じないは君の勝手だが…。随分と滑稽な話だな。もしかしたら、家族の命の恩人になっていたかもしれない女性を仇として殺そうとするなんて…。」

 サウムはそこまで言うと、くっくっくと、また笑った。

「その程度の状況も把握できないなんて…一体どのくらい遠くから離れて様子を眺めていたんだ?この臆病者め…。それに仇を討ちたいなら、二人が斬られた直後に俺の所まで走って来れば良かっただろう?…結局は恐ろしくなって家族を見捨てて一人だけで逃げ出したのだろうな…。」

 どうやら図星だったらしい青年は、大声でサウムの言うことを否定しようとした。

「うるさい!うるさい!この嘘吐きめ!ぶっ殺してやる!殺してやる!」

 ナイフを握った手を前に押して力を込める。

「やめて!」

 エストは叫ぶもサウムが、片手で制した。

「安心しろ、エスト。こいつには俺たちを殺す度胸なんて最初からない。この臆病者は俺を捕まえて君を呼び出したはいいが殺せなくて困っていたんだよ…。ある意味で君の言う通りだったな…。わざと急所を外してるだって?よく言う…。急所に当てる度胸が無いの間違いだろう?」

 サウムは、そう言って青年を嘲るように微笑んだ。

 青年は、どうやら三度も図星を突かれたらしく更に語気を強めて怒鳴り散らす。

「舐めるな!やってやる!お前を今すぐ殺してやるぞ?!」

「君は今までに人を殺した事がない様だな…。そういう目をしているよ…。俺の目をよく見てみろ。これが本当の人殺しの目だ…。何万人もの血を吸ってきた…罪深い魔神の目だ…。」

 サウムは、そういうと青年に向かって顔を近づけた。

 青年は彼の瞳を見て吸い込まれそうな気分になる。

 サウムの勢いに押されて青年が後ずさった。

 襟を掴んだままで…。

 慣れない普通の義足でバランスを崩したサウムは、青年に向かって倒れてしまう。

 そして、青年の持つ神器のナイフがサウムの喉へ刺さった。

 青年が驚いてナイフを握った手を離したので、動脈にまでは達してはいないが出血が止まらなかった。

 エストは倒れるサウムに慌てて近づくと治癒魔法を使ったが、青年の言った通りに神器のナイフで付けられた首の傷に効果は全く現れない。

 ミイトは激昂して青年を魔剣で斬ろうとする。

「やめろ!ミイト!」

 出血しながらもサウムの怒鳴り声が響く。

 ミイトの魔剣が青年の首を捉える直前で止まった。

 ミイトは剣を仕舞うと青年を睨んで言う。

「行け!二度と俺たちの前に姿を見せるな!」

 震えて逃げだそうとする青年をサウムが、少しの間だけ引き留める。

「…待ってくれ。…君には、本当に済まなかったな…。」

 サウムは、それだけを青年に伝えた。

「なんなんだよ…?なんなんだよ?!お前らはっ!」

 青年は、そう叫ぶと何処かへと走り去った。


「どうだ?エスト…。困っている俺は、とうとう救えなかっただろう?」

 横たわりながら息苦しそうなサウムは、それでもエストに微笑んで話しかけた。

 エストは持っていたタオルを彼の首に押し当てるが血が滲んでくるだけで、出血は止まらなかった。

 医者を呼ぶのも連れて行くのも、この出血の速度では間に合わないだろう。

 普段着のまま慌ててサウムの家から指定された場所に来た為にエストは、回復アイテムなども持ち合わせてはいなかった。

 エストはミイトを見るが、ミイトも同様に魔剣以外の待ち合わせが無かったので、目を閉じて済まなそうに首を横に振る。

「…エスト?」

「…聞いているよ。もう、何を言っているの?私は魔王なんだよ?こんな傷なんて魔法で…あっという間に治して…。」

 サウムの呼ぶ声に答えたエストは、そこまで言うと手を口にあてて涙ぐむ。

「…無理をするな。…本当にさ、無理をしないでくれ…。」

 サウムは苦しそうに呻いた。

「…もういい、喋るな。傷に障る…。」

 ミイトはサウムに語りかけるが、サウムはミイトを見て微笑むと、エストに向き直り話を続けた。

「そうさ、俺だけだ…。俺だけが全ての人々を救える勇者になれるんだ…。そう、ストネと約束したんだ…。だから、エスト…君が幾ら頑張っても決して勇者になんてなれないんだよ…。」

 エストは泣きながらサウムを見て、その言葉の真意を探ろうとする。

 サウムは尚も言葉を続ける。

「…だから、もう目の前にいる困っている人達を全て救おうなんて考えを捨てるんだ…。そんな考えに取り憑かれた男の末路が、結局はこれだ…。君は優しい…魔王のくせに…。その優しさは、いつか必ず…君自身の身を滅ぼすだろう…。もっと自分の事だけを考えて生きてみても良かったんだ…。」

 サウムは、まるで自分もそうすれば良かったと後悔している様にエストに話した。

「…もう勇者見習いは辞めるんだ。…君はクビだ。…もし、それでも君の性分が変わらないと言うなら、これからは救えそう人を救えそうな時にだけ…救う事にするんだ。…決して、無茶はするな。…誰に何と言われようと…誰に何と呼ばれようと…勇者じゃない…本当の自分に出来る事を…したい事を見極めるんだ…。」

 サウムは左手を伸ばす。

 エストは、しっかりと彼の左手を自分の両手で握って頷いた。

 サウムはミイトの方へと顔を向ける。

 サウムの瞳からは既に輝きが放たれる事は無くなっていた。

「ミイト?…エストの事を宜しく頼む…。」

「ああ…。」

 ミイトは、そう返事するのがやっとだった。

「…なんだ?…眩しい…。ストネ…?…ああ、待たせて…済まなかった。…今度こそ…ちゃん…と…式を…。」

 サウムの唇が震えるのを止めた。

 瞼は既に閉じている。

 息づかいも鼓動もエストに届かない…感じない。

 エストはサウムを抱えて泣いた。

 顔を天に向けて慟哭した。

 それは、知らぬ者が見れば神を呪う魔王の姿にも見て取れるだろう。

 だが、違う。

 それは天に召された、かけがえのない恩人に、ただ御礼と、お詫びを届けたいだけの…祈りの叫びだった。


 同じ頃、教国と帝国の国境線には緊張が走っていた。

 教国に駐留している僅かな共和国軍と生き残れた更に僅かな兵しかいない教国軍は、今…危機に瀕している。

 彼らの数倍はあろうかという帝国軍が、目前にまで迫っていた。

 帝国軍の将軍が号令を掛けると同時に帝国軍は、国境線を越えようと怒濤の進軍を開始した。

 しかし、そこに…丁度国境線に沿った形で、いきなり巨大な紫色に光る結界の壁が現れたのである。

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