勇者が壊れてしまったワケ Ⅲ
「案外あっさりと見つかるもんだな…。」
肩を寄せて抱き合いながら恐怖に震える母子を前に、サウムは独り言を呟いた。
辺りには瓦礫と死体が散乱している。
「まったく、こんな時にまで律儀なもんだな俺も…。」
サウムが探し当てたのは人型の魔族の家族。
その妻と娘である。
母親の方は人間で、娘の方は混血だった。
「他の奴から聞いた話だと一人足りない様だが?まぁ、いいか…。」
そう言うとサウムは、横向に薙ぎ払うつもりで剣を構えて母娘を斬ろうとした。
母娘は目を閉じて神に祈る。
しかし彼等の前に降り立ったのは、神でも天使でも無く魔王だった。
「…エストか?しつこいな…何のつもりだ?」
魔神と魔族の間に立つ魔王は、母子を庇う様に両手を拡げる。
「サウム…お願い…。正気に戻って…?」
エストは涙を滲ませつつも毅然とした表情で、しかし悲痛な想いを込めて魔神に願った。
だが、そんな願いも魔神…そして神には届かない様だ。
「…俺は正気だ。どいてくれ…纏めて斬られたいのか…?」
エストは両手を拡げたまま目を瞑った。
こんな行為に意味や効果が、あるかどうかは分からない。
だが、もうエストには…これでサウムが正気に戻ってくれれば…という一縷の望みに縋るしかなかった。
「成る程…覚悟は出来ていると?」
サウムは剣を深く構え直す。
殺気を感じたエストだったが、それでも退く訳にはいかなかった。
…自分は殺されるのだろうか?…。
ふと、ミイトの顔を思い浮かべると、途端に怖くて、辛くて、悲しくなった。
サウムが剣を真横に振るう。
そして剣を鞘に収めた。
「だが、お前の思い通りにしてやるのも面白くは無いな…。」
エストは確かに斬られたと思った。
しかし、彼女の身体には何の変化も見られない。
後ろで何かが落ちた様なドサリという音を、エストは聞いた。
恐る恐る後ろを振り返ると、先程の母娘が纏めて真っ二つに斬られたのか、それぞれの上半身が瓦礫に囲まれた地面の上に落ちているのが見える。
エストは驚くと同時に彼女が帝国に捕まった時に、サウムが壁と彼女と更にはミイト越しに羅刹を斬る事が出来ていたのを思い出した。
「…ここら辺の全てを片付けたら、改めて殺しに来てやる。それまで自分の無力を呪って、大人しく待っているんだな…。」
サウムはエストに、それだけを告げると何処かに去って行く。
エストの心は完全に折られてしまった。
至る所が瓦礫と化した街の中。
その瓦礫に埋もれかけた誰かの家にある部屋の中で、エストは膝を抱えて蹲っていた。
強化された聴覚の為に何処かでの悲鳴が、ひっきりなしに彼女の耳に届いてくる。
エストは眉間に皺を寄せて瞼を閉じて耳を塞いだ。
もう何も聞きたくは無かった。
いったい自分は、何故こんな所にいるのだろう?
誰に憧れていたのだろう?
何をしたかったのだろう?
何故、上手くいかなかったのだろう?
何故?
何故?!
何故っ?!
エストは子供の様に泣きじゃくった。
全てを忘れて、あの頃に戻りたかった。
しばらくするとエストは、涙も枯れてしまい、ぼーっと放心した状態のままになってしまっている。
彼女の耳には、悲鳴も何も聞こえては来なくなっていた。
強化魔法の効果が切れたのだろうか?
それともサウムの言う全てが、終わってしまったのだろうか?
エストの顔に光が当たった。
瓦礫がどかされて、陽の光が彼女に射し込んで来る。
その光の向こう側に人影が見えた。
…ああ、サウムが、とうとう私を殺しに来てくれた…と彼女は思った。
不思議と恐怖は感じていない。
「こんな所で何をやってんだ?」
だが、その影の主はミイトだった。
枯れたはずの涙が、エストに溢れてくる。
「…ミイト?」
「…あいよ?」
「ミイト!」
彼女は彼に飛びついて抱き締めた。
「ミイト!ミイト!ミイト!」
エストは、また子供の様にわんわんと泣いた。
ミイトの名を、これでもかと連呼しながら泣いた。
ミイトは彼女を受け止めると、優しく片手で背中を叩いて落ち着かせるのだった…。
「落ち着いたら状況を報告してくれるか?この有様は一体…。」
ミイトは疑問をエストにぶつけた。
どうやら今来たばかりで何も知らないらしい。
「これが魔帝の力なのか?サウムは無事なのか?それとも二人の闘いに巻き込まれた結果が、これなのか?ストネ姫は生きてるのか?」
ミイトも、かなり焦って興奮している為か、質問が矢継ぎ早に飛んでくる。
多少は冷静さを取り戻したエストは、一つずつ丁寧に説明する事にした。
「ストネ姫は…到着した時には既に魔帝に処刑されていたわ。国王も一緒に…。」
それだけを聞いたミイトは、怒りの形相でエストに尋ねる。
「魔帝の野郎は何処だ?!俺がサウムより先に、ぶっ殺してやる!」
当然の反応だった。
だがミイトは、逆に妙に静かな反応のエストに違和感を感じていた。
「どうした?」
ミイトは口籠るエストに続きを促した。
「…魔帝は既に死んでいるわ。サウムが殺したの…。」
「どういう事だ?」
エストのこれまでの説明からだけでは、ミイトは状況を把握出来ずに混乱していた。
その時、大きな爆発音が遠くで響く。
教国の港のある辺りだった。
「この破壊と殺戮は、全てサウムの仕業なの…。ストネ姫を殺された彼は、怒りと哀しみのあまりに正気を失ってしまって…。魔帝を殺した後にも手当たり次第に虐殺を…。」
信じるとか信じない以前に有り得ない事を告げられたミイトは、思わずエストに尋ね返す。
「…嘘だろ?何の冗談なんだ?それは…。」
だが、エストは黙ったまま答えられない。
そしてまた、爆発音が響いた。
「…とにかく、音のした方に向かうぞ?話は飛びながら聞く。」
「…待って!?相手は、あのサウムなのよ!?」
エストの焦り様に異様なものを感じたミイトだったが、きっぱりと彼女に向かって答える。
「俺は戦士だ。相手が誰であろうとも困っている人達を見捨てて逃げられるかっ!…例え、その相手がサウムだとしてもだ…。」
ミイトの言葉にエストは、忘れていた想いを取り戻す。
心の中の恐怖が、使命で塗り込まれていった。
…私は何だ?私が成りたかった者は?…。
その答えは、彼女の心の中で明らかだった。
ミイトは爆発音がした港の方を向きながら、エストに話し掛ける。
「エストはここで待っていてくれ。危険を感じたら逃げてもいい。街道を通って共和国の軍隊が、こちらに向かっている筈だから…いざとなったら、彼らに助けを求めるんだ。」
ミイトは爆発音のした方へと向かって浮遊術を使って飛ぼうとするが、袖をエストに引っ張られる。
ミイトは彼女を振り返って見た。
エストは顔を上げてミイトを見てハッキリと伝える。
「…私も連れて行って!ううん…私も行く!私は…私は勇者の見習いなのだから!」
爆発音のした港は、エストとミイトが再会した場所から丁度、王宮の反対側にある。
飛行しながらエスト達は、途中で王宮の近くを通りかかった。
謁見の間にある窓から部屋の中の様子が、バルコニーの横を飛んでいるミイトにも確認できた。
「黒焦げの固まりが、玉座の近くに見えるでしょう?…それがサウムの殺した魔帝の遺体なの…。」
確かに部屋の中には出来損ないの巨大なハンバーグの様な焦げた挽肉の固まりが、無造作に転がっていた。
…あれが魔帝?…ミイトは我が目を疑う。
これを作ったサウムの精神状態を考えると暗澹たる気持ちにならざるを得ない。
エストに、ああは言ったものの実は未だに覚悟を決めかねていた。
そうこう思案している内に港が、二人の視界に入って来る。
「酷い…。」
そこは、まさに地獄絵図だった。
岸側では至る所に死体があり、海側でも脱出して外海に出ようとしている船の何隻かが激しく燃えている。
熱さに耐えかねて燃える船から人々が、次々と海に飛び降りて行くのだが、鮫と蛇を足した様な化け物が、海に入った彼らを次々と捕食していった。
ミイトは、あんな化け物を教国の海で見掛けるのは初めてだった。
「サウムが召喚しているんだわ…。」
見れば化け物どもは、地上から来ている様だった。
それらは頭が鮫の様な形をしているくせにヒレが無く、蛇の様に胴体をうねらせて岸から海中へと次々に飛び込んでいく。
その発生源には一人の人間が立っていた。
ミイトが見間違う筈もなくサウム本人その人だ。
彼は地面に現れた魔方陣に手をかざして何やら呪文を唱えていた。
その魔方陣から例の化け物達が、次々と這い出て来ている。
やがて、サウムが呪文を唱えるのを止めると魔方陣も消えたが、化け物達はそのまま海の中で人々の捕食を続けていた。
次にサウムは、義手でない方の左手を、まだ火の手の上がってない大型船に向けて呪文を唱える。
彼の手からバルコニーで出したものと同じ光球が、船に向かって撃ち出された。
「サウム!」
ミイトは叫ぶと魔剣を遙か遠くにある光球に向けて振るった。
光球は船に届く直前に伸びてきた魔剣の刃に吸い込まれる。
エストが何やら呪文を唱えると、海水が巻き上げられて化け物達は宙に舞った。
ミイトは一匹残らず、それらを魔剣で斬って屠る。
巻き上げられた海水は、そのまま船の上で燃える炎に降り注いで火災を消すことに成功した。
「鮮やかな連携だな…。」
サウムは邪魔をされたのにも関わらず他人事の様に呟いた。
ミイトとエストが、サウムの前に降り立つ。
「サウム!お願いだから、これ以上はもう止めて!」
「…エスト、もう手遅れだ。」
エストの懇願を遮ったのは、当のサウムではなくミイトだった。
「サウム…無関係な人々を殺し過ぎた。お前は、ここで討滅するっ!」
ミイトは今こそ覚悟を決めた。
サウムを倒す覚悟を…。
魔剣をサウムに向かって構え直す。
「待って!ミイト!サウムは正常な状態じゃない!貴方にも分かる筈よ?!」
「…例え正気じゃないとしても…こんな事が到底、赦される行為の筈が無い…。」
サウムは、そんな二人のやり取りを暗い双眸で見据えて笑う。
「無関係?討滅?正気じゃない?赦されない?随分と偉そうな物言いをしてくれるな?二人とも…。」
サウムは火災が消えても、尚も人々を巻き込んで沈み行く船を見ている。
「あの沈みゆく船が、何の船だか分かるか?ミイト?…学のないお前じゃ分からないだろうな。あの一つだけ豪華絢爛で丈夫そうな船…。あれは王族専用の脱出船だ。」
ミイトはサウムから視線を外せないので、確認は出来ない。
エストは後ろを振り向いて、その沈みゆく船を見つけたが、既に手遅れで海中に没してしまった。
「ストネ以外の王族は、身の危険が迫ると平気で民を見捨てて逃げ出す様な連中ばかりさ…。しかも逃走手段を前以て準備しておく。そんな連中が無関係だと?」
サウムは沈んだ船が作る渦に巻き込まれて溺れてゆく王族達を、憐れんだ瞳で見つめながら話を続ける。
サウムの殺気に縫い止められたかの様に、ミイトとエストは動けないでいた。
「民衆もそうだ…。魔帝という自分達を虐げる暴君に変わろうというのに痛みを嫌い反乱の一つも起こしやしない…。自分達には耐えられない脅威が襲って来て、やっと重い腰を上げても…それは我先にと逃げる為にだけだ。」
サウムは、そう言うと二人に顔を向けた。
エストは、その暗い瞳が何故か寂しそうに感じる。
「多かれ少なかれ…誰しも罪を抱えている滅ぼされるべき狂った罪人達なんだよ…。」
「…屁理屈は済んだか?俺は、あんたの言う通り学が無くて頭が悪いんでね。御託は地獄で冥王にでも言うんだな。」
サウムの演説に対してミイトは、そう感想を伝えるとエストに小声で指示を出す。
「エスト…俺に覚えてるだけの強化魔法を掛けてくれ。…自分にもだ。」
エストは言われた通りにした。
サウムは義手で握った剣を肩に担ぐとミイトに向かって微笑む。
「そういえば何時だったか?本気の俺とやり合いたいとか言っていた事があったな…?喜べミイト…今の俺なら、お前相手でも本気が出せそうだ。頑張って引き出してみる事だな!」
サウムが二人に向かって突進してきた。
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