勇者が壊れてしまったワケ Ⅱ
謁見の間に続く大きな廊下をエストは、導かれる様に歩いていた。
廊下では至る所で魔族の死体に出会い、おびただしい血の跡が至る所に点在していた。
謁見の間から聞こえる叫び声は、今や廊下に響く様にハッキリとしていて、サウムの声で無い事は明らかだった。
エストは、やや安堵しつつもサウムに合わせる顔が無い事を思い出して、歩みの速度が遅くなっていく。
それに何となく聞き覚えのある叫び声に、どうしても拭えない嫌な予感がしていた。
今や叫び声は、何と言っているのかさえもハッキリと聞こえる。
…助けてくれ、助けてくれ…と、その声の主は懇願している様に聞こえた。
やがて開き放しの扉を抜けて謁見の間に入ったエストに、自分の目を疑う様な光景が飛び込んで来る。
「ああ、エストか…丁度良かった。頼みがあるんだ。」
謁見の間は爬虫類型魔族の緑色をした血の海だった。
至る所に魔族の遺体が転がっている。
ある者は潰れ、ある者は首を失い、また、ある者は首を斬られて出血多量で藻掻き苦しんだ表情のまま絶命していた。
自分の理解が追いつかないエストにサウムが、にこやかに話し掛ける。
「こいつは結構面白いな…。斬っても斬っても生えて来る…。」
ほぼ原型を留めていないがエストは、その細切れになった残骸に見覚えがあった。
魔帝である。
恐ろしい事に、魔帝は未だに生きていて、身体が勝手に再生を試みていた。
サウムは再生しようとしている魔帝の身体を的確に斬り刻んでいく。
だが、再生にも限界はある様で…エストが牢獄塔で見た速度と違って緩やかになっていた。
「悪いが、こいつに治癒魔法を掛けてくれないか?」
サウムの言葉に、エストは納得した。
…そうだ、魔帝を殺してしまっては神帝に掛けられた呪いが進行してしまい、神帝は一定期間後に死んでしまうだろう。
そうなれば、次の帝が羅刹を自由にして休戦協定を破棄し教国へ進軍して、さらに共和国やエストの故郷にも攻め込んでくるかもしれない。
ミスリル製の義手義足は、今の所は安定している様だが…完成に至ったのかどうかの確認は未だに取れていない筈だ。
魔帝は殺したい程に憎い相手だが…今は、まだ生きていて貰わなければならない…。
エストは、このような事態においても冷静なサウムに違和感を感じていたが、素直に魔帝に向けて言われた通りに治癒魔法を唱え始める。
そして疑問に思った。
…何故サウムは、魔帝を今すぐにでも封印しないのだろう?…と。
その答えは直ぐに分かった。
「いいぞ…再生力が復活したな。まだまだ、こいつには苦しんで貰わないと…ストネの分までは、まだ…まるで足りない…。」
そう言って、サウムは微笑みながら魔帝を斬り刻む行為を再開した。
魔帝の悲鳴が謁見の間に再び響く。
「サ…サウム?」
エストは驚いて回復魔法の為に魔帝に向けて伸ばしていた手を引っ込めてしまった。
「…どうした、エスト?手が休んでいるぞ?続けるんだ…。」
サウムはエストの顔も見ずに命じた。
「で、でも…これは…。」
エストは引きつった声で答える。
…幾ら何でも変だ…と言いたかったが、言えなかった。
「…続けろ。」
今度はエストの方を向いて、サウムは命じる。
その声には普段エストに向けているものとは全く違う…有り得ない位の憤りが感じられた。
冷たく睨む様な視線を受けながらエストは、その瞳に見覚えがある気がする。
幼い頃に時折、父親が返り血を浴びて帰って来た時に見せる瞳に似ている気がした。
エストは恐怖で震えながら、サウムに命じられるままに再び魔帝に手をかざして治癒魔法を唱え続ける。
瞼を閉じて、顔を背けながら…。
魔帝の懇願が丁度助けてくれから、殺してくれに変わった瞬間だった…。
あれから小一時間くらい経っただろうか?
にちゃにちゃ、くちゃくちゃと、嫌な音が謁見の間に響き渡る。
今、サウムが斬り刻んでいる物…それは緑色をした挽肉の様なものであった。
「…どうした、エスト?また、手が止まっているぞ?」
「だって…もう…死んで…。」
片手を口にあてて顔を背けながら目を瞑り、込み上げて来る吐き気を堪えながらエストは、サウムの問いに答えた。
眉間には皺が寄り、瞼には涙が滲んでいる。
魔帝への殺意や憎悪なぞ少し前から消え失せていた。
「…死んでる?…嘘だろ?」
サウムは今頃気付いたかの様に手を休めて、緑色の挽肉の固まりを茫然と見つめた。
「両親や国王から、俺は散々聞かされたんだぞ?魔帝は残忍で狡猾な上に強大な魔力と鎧を必要としない硬い皮膚を持ち、人間の大男よりも大きな身体からは信じられない様な俊敏さで動いて…そして無限とも思える肉体の再生能力を持っていて…。」
サウムは不機嫌極まりない口調でぶつぶつと不満を呟く。
「それが、こんな…あっけない程に弱い魔族だったって言うのか?こんな…こんな奴に俺は、何を怖れていたんだ…。」
魔帝は少なくとも弱くは無かった。
試作品の義手義足を着けたサウムやミイト、エストのそれぞれ単独との戦闘ならば、到底勝ち目が無かっただろう。
羅刹…そして今の復活したサウムが、強過ぎるのだ。
サウムは魔帝の細かく切り刻まれた身体を炎の魔法で燃やした。
青色に燃え上がる炎の勢いは、弱くて…やがて、そこには黒い焦げた固まりだけが残る。
サウムは剣を仕舞うと義手で顔を覆った。
エストは掛ける言葉が見つからないまま、そっと彼の肩に触れようとする。
だが、それを拒絶するかの様な恐ろしい一言がサウムから発せられた。
「…足りない…。」
その一言にエストは、背筋にゾクリとする悪寒を感じずにはいられなかった。
ここに至ってエストは、ようやく認めざるを得ない事になる。
サウムは…彼は正気を失っていた。
「サウム様!エスト様!」
扉から声が聞こえて来た。
人型の魔族の他にも数人の人々が、謁見の間に入って来る。
エストも見覚えのある教国の大臣やら要人達だった。
「皆さん!無事だったんですね!」
エストは嬉しさのあまり叫んでいたが、日頃の癖からか口調が余所行きのものになっている。
もちろん彼らにとっては、聞き慣れたエストの公での話し方なので、彼ら自身は違和感など感じていない。
サウムは冷たい目をして彼らを見ていたが、近付いて来たエストと握手を交わしている最中の誰もが、その事に気付かなかった。
「エスト様…魔帝は何処に?」
人型の魔族がエストに握手をしながら尋ねた。
エストは少しだけ表情を曇らせると、黒焦げになった挽肉の固まりを目線で示した。
人型の表情が凍りつき、ゴクリと喉を鳴らす。
人間の大臣が一人、サウムに近付いて握手を求めると、サウムは笑顔で答えた。
「ありがとうございます、サウム殿。これで教国は救われます。」
「それは良かった…何よりです。ところで貴方は今まで何方に居られたのですか?」
サウムの問いに彼は、悲痛な表情をして答えた。
「牢獄塔とは、また別な場所にある地下牢に囚われていました…。そこで…。」
「脱出する為の努力は、したんだろうな?」
大臣の話の途中を遮る様にサウムは、突然質問をしてきた。
大臣は戸惑いつつも正直に答える。
「…とんでもない!私めに鉄の鍵や柵を壊すような力は…。」
言い終わる前に彼の首は、胴体から離れて緑色の血溜まりに落ちた。
緑色に赤い血の色が混ざりながら拡がっていく。
エストも、人型の魔族も、他の者達も、何が起きたのか理解できなかった。
「…お前達が、そんなだから…主君が惨たらしく殺される目に遭うんだ…。」
血溜まりに落ちた大臣の頭を冷ややかに見つめながら、そうサウムは言った
「教国が助かる?王家の血を受け継ぐ他の者から自分達に都合の良い新王を選ぶつもりか?ストネと国王を見捨てたお前等に、そんな権利などあるものか…。」
今のサウムには、助かった彼らの命がストネの屍の上に成り立っている様に思えて仕方が無かった。
「お前達は、ここで主君を見捨てた罪を詫びて苦しんで死ね。」
サウムは再び剣を抜くと今度は、ゆっくりと生き残った人々に迫っていった。
「待ってくれ!サウム殿!…仕方が無かったんだ。私は魔帝が封印される以前から、妻が呪いに掛けられていて…人質に取られたも同然で逆らえなかったんだ!」
人型の魔族がサウムに向かって叫んだ。
サウムは他の一人の胴体を二つにしながら、彼に話しかける。
「…ストネは日頃から言っていたよ。重要な国政を担う大臣を選ぶのに魔族も人間も関係ないとな。魔帝は、そこだけは良い制度を残してくれたとも…。一緒に国を支えてくれる彼等は、魔族も人間も関係のない家族も同然だとな…。お前は自分の家族だけを守る為に、自分の事を家族の様に大事にしてくれた恩人を裏切ったんだ…。」
サウムは恐怖で動けない人型の魔族に静かに近付いて行って、剣の切っ先を彼の喉元に向けて構えた。
「お願い、サウム…もう、やめて…。」
エストは震える声でサウムの行動を止めようとした。
彼女の言葉には耳を貸さずに、サウムは人型の魔族に尋ねる。
「…一つ質問がある。妻が呪いに掛けられていると言ったな?魔帝が死んだ今、長くは生きられないだろう…。貴方に子供はいるのか…?」
「…いる。子供達だけは助けてくれ…。」
人型の魔族には牢獄塔でストネを見捨てた負い目がある。
彼は何も出来なかった自分に激しい嫌悪を感じていて後悔の念も抱いていた。
自分の罪を死で償う事に対して諦めと共に覚悟を決める。
だが残された子供達にだけは、生き残って欲しかった。
「…安心しろ。」
そのサウムの一言に人型の魔族と、そしてエストも安堵したが…。
「親を失った子供の寂しさは、俺が一番よく知っている…。後で必ず送ってやるから先に地獄で待っているといい…。」
続くサウムの台詞に人型の魔族は、絶望して哀しみ、そして怒りが込み上げて来た。
「き、貴様あぁーっ!」
人型の魔族は大きな声を張り上げると、腰に帯びた剣を抜いてサウムを斬ろうとした。
「駄目っ!サウム、やめて!」
エストの制止も聞こえないかの様にサウムは、人型の魔族が剣の柄に手を掛けて抜き終わる前に彼の喉元を突き刺して、そのまま首を貫いた。
怒りの形相のまま人型の魔族が絶命する。
逃げ惑う他の人々をサウムは、横一線に剣を振るった波動で一度に纏めて真っ二つにした。
緑色に赤色の混じり合った血溜まりが、謁見の間の床を埋め尽くす様に拡がっていく。
「…弱すぎだな。歯応えが無さ過ぎる…。魔帝ってのは相対的に見ると案外強かったんだな…。」
サウムは冷静に分析をした。
エストは、もはや言葉を失っている。
謁見の間の窓の外から騒めきが聞こえた。
外はバルコニーになっていて、首が晒されていた場所とは別の広い中庭を一望できる。
騒めきに誘われる様にサウムは、バルコニーに出ようとした。
エストも慌てて彼の後を追う。
バルコニーから見下ろす中庭に数多くの民衆が集まっていた。
城の様子が余りにも静か過ぎるので様子を見に来た人々だ。
持ち場を離れて仕事を放棄した魔族の警備兵まで居る始末だった。
サウムがバルコニーに出ると人々は、その姿を見た途端に喝采を送って魔帝が再び封印されたであろう事を喜んだ。
魔族の警備兵の中には武器を捨てて隣の人間と抱き合い喜ぶ者までいた。
きっと、意にそぐわない任務だったのだろう。
誰かが勇者を讃えると、後から続く者が次々と出て来た。
サウムは、そんな彼等を冷めた瞳で見ていた。
いや、目線が向いているだけで何も見えていないのかもしれない。
まるで興味が無さそうだった。
誰かが…流石は西の魔神だ!…と言った。
その言葉を聞いたサウムの形相が一変する。
エストが止める間も無く彼は、義手ではない左手の掌から光球を出して群衆の中央に向け撃ち込んだ。
数人の群衆を吹き飛ばし地面に潜り込んだ光球は、地面の中で爆発して巨大な火球となる。
火球は人々を飲み込んで容赦無く燃やし尽くした。
外側にいて助かった人々が、悲鳴をあげて逃げ出し始める。
「…弱い者でも数が多いと纏めて吹き飛ばすのは痛快なもんだな…なぁ?エスト…。」
そう言ってサウムは、ゆっくりと振り返って背後にいるエストを見た。
エストは、いつになく厳しい顔をしてサウムを睨むと、両手を上にあげて巨大な光の槍を構える。
「サウム…お願いだから、もうやめて…。こんなの貴方じゃない…。」
エストの目には涙が滲んでいたが、表情には激しい怒りが露わになっていた。
「エスト…勘違いをするな。俺は本心では、あいつら衆愚の事なんて…どうでも良かったんだ。ただ、愚民でも彼等が死ぬとストネが困って悲しむから助けていただけだ。そうでなければ、誰が失いたくない手足を失ってまで助けてやるものか…。」
エストの目から涙が零れ落ちる。
決してサウムの口からだけは、聞きたく無かった台詞だった。
サウムは、そんな彼女を憐れんだ瞳で見つめる。
見つめられた瞬間からエストは、自分の身体が動かせなくなっている事に気が付いた。
恐怖で固まっているのでは無く、本当に動かせないのだ。
「そういえば…君も魔族だったな…。」
サウムは、ゆっくりと義手では無い左手を挙げてエストに向ける。
そして、静かに手を握ってゆく動作をした。
エストの掲げた巨大な光の槍が、折れ曲がり消えて無くなる。
光の槍を携えていたエストの指は、全てがあらぬ方向に曲がってそのまま折れた。
エストは悲痛な叫び声をあげる。
聞くに耐えないとばかりにサウムは、一度だけ手を引いて緩める動作をするが、続けて手首を縦にして何かを握る動作に切り替えた。
今度はエストの喉に手で締められている様な跡が付く。
喉元に浮かんだ手の指の様な跡は、深く彫られる様に食い込んでいった。
エストの身体が浮遊術を使ってもいないのに、吊り上げられた様に宙に浮かんでゆく。
足をばたつかせながら息苦しさに藻掻くエストは、次第に意識も遠のいて来た。
サウムが遠くから魔法を使ってエストの首を絞めるのをやめると、彼女は地面に落ちて倒れた。
「…その程度で俺の邪魔をするな。」
瞼が閉じる瞬間に見えたのは、サウムの侮蔑の表情。
そして彼は、外へ振り向き直すと呪文を唱えた。
剣が青白く輝く。
サウムが剣を一振りすると、青白い波動が逃げる群衆を襲った。
先程よりも巨大な爆発が、広範囲で起こる。
爆発の中心で生きていた頃の形を保っている死体は、皆無だった。
黒く焦げた肉の嫌な匂いが、辺りに充満してゆく。
「結局、俺には西の魔神という呼び名が一番相応しかった、という事か?!…いいだろう!お前らが、そう呼ぶならなってやる!まず、主のいなくなったこの国を貴様等ごと滅ぼしてやる!次は羅刹のいる帝国だ!今度こそ俺とストネの両親の仇を討ってやるぞ!」
高笑いするサウムの声を遠くに感じながら、エストは気絶してしまった。
あれから…どれくらいの時間が過ぎてしまったのだろう?
指の痛みに耐え兼ねて、エストの意識が引き戻される。
エストは奇妙な明るさを瞼の裏で感じて目を開けた。
バルコニーから外を見ると街が、遙か遠くまで燃えている。
「サウム…どうして…?」
それはストネが死んだから…。
ストネが死んだのは、魔帝に殺されたから…。
魔帝がストネを殺せたのは、自分が失敗したから…。
全てが分かっていても彼女は、その疑問を口にせずにはいられなかった。
新たな火の手が遠くで上がる。
悲鳴が聞こえた様な気がした。
エストは押し潰されそうな恐怖を歯を食いしばって押さえ込む。
治癒魔法で指を完全に治して、覚えている全ての強化魔法を自分に掛けた。
今度は、はっきりとした悲鳴が強化された聴力によって聞き取られる。
サウムは、そこにいる!
彼女はバルコニーから踊り出し浮遊術を使って向かった。
目指すのは西の魔神の今の居場所…。
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