魔帝が神帝を呪えたワケ Ⅱ

 エストに与えられた任務は、潜入調査と可能であれば神器の羽根を使用したストネの奪還である。

 それも、なるべく敵に気付かれない様に…。

 サウムの作戦はストネの奪還に成功して彼女が呪われていなければ良し、呪われていた場合は彼が不完全でもミスリル製の義手義足を付けて教国を強襲し魔帝を封印するという強行策だった。

 翌日の早朝にエストは、先ず教国の王宮に向かって飛んだ。

 街は封鎖されていて、外壁の出入り口の至る所で検問を行っている様子だ。

 既に上空高く飛んでいるエストには、関係の無い話ではあるのだが…。

「いよいよ…ね。」

 眼下で監視している魔族の雑兵に上空を見られても見つからない様に、エストは呪文を唱える。

 彼女の姿は魔法の力によって透き通る様に見えなくなった。

 ”牢獄塔は…あそこに見えるのが、そうなのかしら?”

 王宮から繋がっている建物だが随分と離れた場所に飛び抜けて高い塔がある。

 彼女は、そこの近くにある人気のない中庭の草陰に向けて降下した。

 聴力、筋力、動体視力などの強化魔法を自身に掛けて、辺りに監視がいないかどうかを調べながら塔の裏口に近づいていく。

「ここの監視は一人か…。」

 まだ魔帝が復活して間もないせいか監視についている魔族も少数の様だ。

 精鋭というわけでも無いのだろう。

 感じる魔力は魔族では普通で、とりわけ高い魔力を持つ者では無かった。

 しかし、エストは慎重に眠りの精霊魔法を使い監視を眠らせ、ほぼ同時に静止の魔法をかけて相手を動けない状態にした。

 これで遠目には監視を続けている様に見えるし、近付いても立ったまま眠ってサボっている様に見えるので、他の警備兵が起こすまでは侵入者の存在が発覚する事は無い筈だ。

 エストは姿を隠したまま、ゆっくりと塔の裏口そばにまで来ると、なぜか例の魔法を封じる神器の腕輪を身に付けた。

 透明になっていた彼女が、姿を現わす。

「サウムの話だと…この牢獄塔の中には魔力を感知する警報が、張り巡らされているらしいけれど…。」

 牢獄塔には各牢屋の中以外で魔力を感知するアイテムが設置されている。

 そして、それらは鐘を鳴らして知らせる警報に繋がれていた。

 教国では主に魔族の犯罪者が多くて脱獄者や脱獄の手助けをする為に侵入する者達にも、魔族が多いというのが理由だった。

 比較的大掛かりな装置なので魔帝も未だ外してはいないだろうと、サウムは考えていた。

 魔族のエストは勿論のこと、サウムやミイトなど魔法が使える人間が、牢獄塔の中に踏み込むと鐘が鳴る仕組みになっている。

 逆に言えば仕掛けを切っていないとすると、この先に魔族の監視は殆どいないという事になる。

 …ストネを助けに来る者は、恐らくサウムかミイト、もしくは魔王エストであると、魔帝は予想している筈だ…とサウムは推測していた。

 ならば仕掛けを切って数少ない魔族の監視を置くよりは、あえて仕掛けを維持しておくのではないか?

 それならば魔帝の予想に反して魔力のない者を、ストネの救援に寄越せば気付かれ無いかもしれない。

 サウムは、そう結論付けた。

 だが最後に神器の羽根を使って脱出しなければならない点や、魔帝と戦闘になった場合において、バドシは適任ではない。

 それに彼は今ミイトを迎えに行って貰っている為にミイトともども不在だ。

 そこでサウムは、エストの持つ魔法を封じる事の出来る神器の腕輪を使って、魔力を外に放出させずに侵入する方法を彼女に取らせる事にした。

「塔の入り口付近だと中から誰の気配も感じられないわね。それでいて外側に警備を配置していたという事は、仕掛けは外されていない可能性が高いわ…。」

 裏口から塔の内部に侵入したエストは、強化された聴力を駆使して注意深く周辺を調べてみたが、辺りは静寂に包まれていた。

 強化魔法の効果自体は腕輪を付けていても持続するので、魔力が漏れ出す様な事も無いからこそ出来る芸当だった。

 長い階段を静かに、ゆっくりと昇って行く。

 途中で魔力を持たない人間の監視に出くわす可能性も考えたが杞憂だった。

 順調に上がっていくと女性の息遣いの様なものが聞こえてくる。

 聴き覚えのある声音に、はやる気持ちを抑えつつ最上階へと近付いていくエスト。

 最上階に位置する一際広い牢屋にストネが捕らえられていた。

 エストの接近に気付いたストネは、顔を綻ばせる。

 そんなストネにエストは、人差し指を唇にあててウィンクをしながら更に近付いていった。

 バドシに教わったピッキング能力で牢屋の檻の鍵を開けて、石造りの床の隙間から生えて扉に絡まっている蔦を引き千切りながら、静かに扉を開ける。

「お待たせ、ストネ。」

「エスト…ああ…。」

 エストはストネの手枷と足枷を扉の鍵と同様にピッキング能力を用いて外した。

 ストネはエストに倒れ込む様に抱き付いてきた。

 エストはストネをギュッと抱き締める。

「一緒に帰ろ。今すぐにサウムの所に連れて行ってあげる。」

「…お爺様は?」

 エストは表情を曇らせると首を横に振った。

 ストネは、それだけで国王が殺されたのだと理解した。

 悲しみに胸が締め付けられるが、今は…。

「教えてエスト…私は、どうすれば良いの?」

「簡単、簡単。」

 エストは慎重に腕輪を外すと強化された聴力で耳を澄ましてみる。

 何処かで鐘が鳴る様な音は、聞こえてこない。

 続けて腰に着けた荷物袋に腕輪をしまうと、代わりに神器の羽根を取り出しつつストネに説明をする。

「私の手を、しっかりと握って放さないでね。こんな牢屋からでも、あっと言う間に逃げ出せるから…。」

 羽根に魔力を込めながらストネの手を握ろうとした時に、声が聞こえてくる。

「それは困るな。」

 エストは殺気を感じて振り返ると緑色の矢の様なものが飛んできた。

 咄嗟に掌に小さな結界を瞬時に作り出し防御する。

 床に落ちた弓矢の様なもの…それは堅く尖った蔦だった。

「どうして?」

 エストは蔦を弓矢にして撃ち出してきた影に向かって険しい表情で尋ねた。

「…侵入がバレたんだ…か?この蔦は私の身体の一部でね…。特に魔法というわけでもないから魔力を込める必要も無く、踏みつけられたり、斬られたり、千切られたりしたら私に教えてくれるのさ…。」

 床から這う様に伸びていた蔦や牢屋の檻や扉に絡まった蔦が、影に向かって集まってゆく。

「だから侵入者が魔力を持たなくて、警報が鳴らなくとも、私には侵入者の存在が手に取る様に分かるのだよ…。」

 ゆっくりと影が檻の柵をすり抜けて近づいてきた。

 まるで、元から無かったかの様に…。

「次元操作系…。」

 かつての婚約者が得意とした魔法体系。

 間違いない…こいつは魔族だ。

 魔力検知の警報が鳴らなかったのも、自分の強化された聴覚に反応しないのも、エストには理解できた。

 この魔族は蔦が切られたと知った時に、魔力検知の設置されていない、この牢屋付近にまで次元操作系の高位魔法である跳躍を使って直接飛んで来たのだ。

 想像以上に厄介な相手かもしれない。

 相手から伝わって来る、おびただしい魔力にエストは、危険を感じずにはいられなかった。

「女…お前は何者だ?ストネ姫の婚約者である勇者は、どうした?」

「貴様は何者だ?」

 魔帝からの問いには答えずに、質問で返して自分の正体を隠そうとするエスト。

「…彼は魔帝よ。」

 ストネが代わりにエストの疑問に答えた。

「いかにも…。さて今度は、こちらにお前が何者なのかを教えて欲しい所だが…。その顔…似ていると思ったが、もしや北の魔王の娘か?」

 ずばり言い当てられて絶句するエスト。

 黙ってしまった時点で取り繕って違うと言っても無駄だろう。

 ならば相手から情報を引き出す事に切り換える。

「…何故、父を知っている?!」

「そうか…勇者に与していると聞いた時は信じられなかったが、まさか本当だったとはな…。父親を含めて忌々しい事この上ない…。」

 …パパを知っている?…

 …忌々しいって、どういう意味?…

 今度は魔帝が質問には応じずにいたが、幾つかの断片的な情報は、エストの思考を混乱へと導く。

「まぁいい…北の魔王が亡き今となっても何かの役には立つだろう…。丁度、新しい種が出来た所だ…。二人まとめて面倒を見てやろう…。」

 そう言って魔帝は、片手を出して手の甲を見せた。

 丁度、人差し指と中指と薬指の様な物の間に、それぞれ丸い深緑色の粒が一つずつ、合計二つ挟まれている。

 …あれは不味い物だ…。

 エストの直感が心の中で警告を発する。

 強化された動体視力ですら捉えられない速度で、その二つの種が消えた。

 何か得体の知れない恐怖が、近づいてくるのをエストの本能が感じ取り、彼女の思考が高速で回転する。

 …考えろ、魔帝は何をするつもり?…

 …奴のしようとしている事を防ぐには、どうしたら良い?…

 その時エストは、再び父親とのやり取りを思い出す。

 それはエストが、魔法の修得に躓いていた時の事だった。


「…良いんだよ?エストの得意とする魔法から勉強すれば…。好きな事から始めて得意な分野を伸ばした方が、最終的な上達も早いもんさ。」

 ミイトに過保護な父親だと言われた憶えのあるパパとの想い出…。

「まぁでも、いつかはこのくらいは覚えて欲しいけどね…。パパより悪い奴から、お前と母さんを守った時の想い出の魔法さ…。」


 エストの身体が自然に動いた。

 エストは魔帝に背後を見せるのも構わずに後ろを振り返ると、素早くストネを抱きかかえ立たせた。

 続いてストネを抱きかかえたまま、両手を合わせて速攻で呪文を唱える。

 そして、その両手を左右に勢い良く拡げた。

 魔法で作られた殻の様な炎が、エストを中心にして大きく球形に拡がる。

 その球形の炎に焼かれてゆく二本の細い何かが、エストとストネの首の後ろから現れた。

 あと一歩で二人の首筋に到達していた筈の物。

 それは蔦で作られた極細の注射針の様だった。

 魔力も気配も感じさせずに近づいて来た注射針を、エストは一瞬にして中にある種子ごと燃やし尽くす。

「あの種子が呪いの正体だったのね…。」

 殺したい相手に種子を植え付けて内部で発芽させて、養分として死に至らしめる魔族の話を爺やから聞いた憶えがある。

 一度、植え付けられると肉体と完全に融合して分離する事が不可能になるとも…。

 植え付ける手段と植え付けた種子の効果まで同じかは知らないけれど、これが魔帝の呪いの正体だった。

 羅刹が気付かない内に神帝に呪いを植え付けられたのも、条件次第では納得できる。

「…なんだと?」

 驚愕した魔帝に隙が生まれた。

 エストは、それを見逃さずに光の槍を撃ち放つ。

 魔帝の頭部と両腕が、胸ごと吹き飛んで崩れ落ちた。

 光の槍は扉を溶かして通路の壁に着弾して爆発する。

 途端に警報の鐘が、何処かで鳴る音が聞こえてきた。

 もうすぐ他の魔族の警備兵が、ここへ集まって来るだろう。

 長居は無用だった。

「…なんですって?!」

 今度はエストが驚く番だった。

 魔帝の身体が再生を始めている。

 急所が頭部や胸部では無かったのかトドメを刺せなかった。

 彼女は慌てて光の槍を更に撃ち込むが、今度は強固な結界に阻まれる。

 再生と同時に魔法防御結界を、魔帝が唱えているせいだ。

 もうすぐ相手側の応援が、到着してしまう。

 倒し方を考えている、時間的余裕は無かった。

「ストネ!私の手を握って!絶対に放しちゃ駄目よ!」

 エストの叫びに答えてストネは、慌てて彼女の手を両手で握る。

 エストは神器の羽根に魔力を込め始めた。

 二人の身体が淡く白く輝く。

 魔帝の右腕が再生を終えて彼は、ゆっくりと右手を挙げた。

 エストが消えたのと、魔帝が右手を振り下ろしたのは殆ど同時だった。

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