魔王の心が折れそうになったワケ Ⅲ

 ミイトをわきかかえエストを手で引きながらサウムは、もうスピードで教国の国境線に向けて飛んでいた。

 エストにミイトと荷物を持たせて飛んで貰うよりも速いからだ。

 大丈夫だと思ってはいるが、なにせ相手は羅刹である。

 ねんには念を入れておいてそんはない、との判断だった。

 "ミイト…。"

 サウムと手を繋いで空を飛ぶのは、エストにとっては本当はとても嬉しい事の筈だった。

 それが戦った後での撤退中てったいちゅうの事だったとしてもだ。

 だが、彼女の視線は気絶しているミイトの左腕が失われた肩口に向けられたままである。

 …彼が気が付いたら、なんと言えば良いのだろう?…そう考えると彼女の心は、くらおもくなってゆくのだった。

「国境線を超えて幾らか経ったな…。追撃ついげきは、もう無いだろう。エスト…ちょっと、そこに降りてくれないか?」

 サウムが眼下がんか地面じめんあごしめす。

 エストはサウムと一緒に着陸ちゃくりくする為に自分に浮遊術を唱える。

 多少、名残惜なごりおしそうに手を離すエストだった。

「そういえば、ミスリルの義手義足が完成して力が戻ったのね?おめでとう、サウム。」

 エストが降りながらサウムに、そう言葉をかけ祝福しゅくふくする。

「ん?んー…まぁなぁ…ちょっと、その事で相談があるんだが…。」

 着陸したサウムは、荷物とミイトを地面に降ろすと汗をかきながら言いよどむ。

「本来の片手と片足を失った状態で魔力を最大限に行使こうしする事はできない。今までのバランスを失って残った肉体を破壊する恐れがあるからね。」

 エストは何を今更と、彼女も既に知っている常識じょうしきを説明するサウムの事を不思議に思った。

「そこで義手義足を付けて魔力で操りつつバランスのざらとして使うわけなんだが…。俺の力は強過ぎる為に並みの義手義足だと全力を出す前に受け皿の方を破壊してしまう。」

 サウムは義手を外しながら説明を続ける。

「このミスリル製の義手義足なら俺の全力ぜんりょくを受け止めてくれるんだが…いまだに調整中ちょうせいちゅう問題点もんだいてんが一つあってね…。」

 今度は座って義足を外しながら言う。

 エストは嫌な予感がし始めていた。

「全力に近づくと今度は、このミスリル製の義手義足が一転いってんして俺の魔力をくそうとするんだ。勿論もちろんそう簡単には枯渇こかつしないが一度でも無くなってしまえば回復もせずに、俺は力を今度こそ全て失って二度と取り戻す事は出来ないだろう…。」

 サウムは微笑んでエストに言う。

「だからこうして、そうなる前に外しているんだが…この義手義足を使うのは、非常に疲れもするんでね。俺もこの後で意識いしきうしなうと思うから…悪いけど後の事はよろしく頼むよ…。」

 サウムは片手でエストをおがむと、そのまま気絶して倒れた。

「え?…えええええええええぇーっ?!」

 エストは驚きのあまり絶望的ぜつぼうてきな悲鳴をあげた。


 その後、覚えたての強化魔法で筋力きんりょくを強化しつつ男二人と荷物を抱えて、共和国行きの乗り合い馬車の出る停留所ていりゅうじょまで教国の上空じょうくうをフラフラと飛ぶエストの姿があった。

 道中どうちゅうでは眼下がんかに見える教国の一般市民達いっぱんしみんたちから…あれはなんだ?…と指をさされる。

「…こころれそう…。」

 彼女は項垂うなだれながら、そう呟いた。


 王宮で羅刹ことインの報告を受けていた神帝が、驚愕の表情を浮かべている。

「にわかには信じがたい事だ…。あのストネ殿が?」

 彼女の優しさに触れて、国内の西の魔神に対する怨嗟えんさの声を抑えてまで決めた休戦協定だったが、今回のインの報告で教国と共和国にふくところがあると知って神帝は、それなりに心を痛めていた。

「神帝が最初に見た彼女に対する評価が、間違っているとは申しません。しかし国政こくせいと外交とは彼女ですら、そうせざるを得ないものなのですよ。特に抑止力としての西の魔神の弱体化という要因よういんが含まれる場合は…。」

 インは神帝の疑問に、そう答えた。

「しかし、彼は既に弱体化を克服こくふくして元通もとどおりになったのだろう?」

御意ぎょい。故に今回の様な内偵が、今後も続く可能性は低いのかもしれません。内偵の結果次第でしょうが…。」

 インの言葉に神帝は、さらに疑問をはさんだ。

「こちらには教国に対する脅威きょういになり得るものは、お前以外には何もないはずだ?報告されると不味まずい事になるようなものは何も…。」

「我々が相手をしなければならないのは、休戦中きゅうせんちゅうの教国だけではありません。摂政殿せっしょうどのの元で軍備ぐんびの強化は、日々進行ひびしんこうしております。それらは我らにとっては日常にちじょうに過ぎませんが、敵国にとっては脅威の増大ぞうだいほかなりません。教国が持つ我が国の古い軍事規模ぐんじきぼの情報と内偵によってもたらされる新たな軍事規模の情報の比較ひかくは、彼等かれらにとって無視できない事態となるでしょう。もっとも復活ふっかつした西の魔神にとっては、それほどの変化でもないでしょうが…。」

 インの西の魔神に対する高い評価に神帝の顔は、やや青ざめる。

「…とはいえ西の魔神の復活も、私にとっては些細ささいな事です。」

 神帝の顔が喜びに綻ぶ。

 インも神帝に微笑みを返すと一礼いちれいして、報告は終わった。


 謁見の間から出た所ですれ違い様にインは、神帝そっくりの男に声を掛けられる。

「引き篭もりの兄上の面倒めんどうを見るのも大変だな。」

「摂政殿…。」

 神帝との謁見にも名前の挙がった摂政は、神帝の実の弟にあたる。

 病気がちの神帝の代わりに帝国の政務せいむの殆どをおこなまとげる手腕しゅわんを持っていた。

 その彼の兄への言い様が西の魔神と同じだったので、インはまゆをひそめる。

「聞いたぞ?西の魔神を取りのがしたそうだな?」

面目次第めんもくしだい御座ございません。相手の目的はさっせられるとはいえ証人を取り逃がしたのは痛手いたででした。」

 インは配下はいかとして素直にびた。

 その件に関して神帝からは、不問ふもんされているので摂政から新たにばつあたえられる様な事はない。

 そういう無能むのうの兄より優先順位ゆうせんじゅんいは下である自分の立場たちばが、摂政には特に気に入らなかった。

「俺が神帝ならば兄の様な臆病おくびょうな外交はしないものを…。き父は何故にのろわれているのが分かっていた兄上を神帝にえたのか…。」

「…兄上殿の方が年齢ねんれいが上で御座ございますから…。」

 インは、それ以上の事は付け加えない。

 摂政はハンっ!と、せせらわらった。

年功序列ねんこうじょれつという奴か?下らん…。」

 摂政は途端に少し邪悪じゃあくに微笑むとインに尋ねる。

「西の魔神に斬られた胸の傷は痛むか?神帝には報告したのだろうな?」

 服の下がけて見えるかの様に、摂政は微笑んだ。

「かすり傷ですので…。神帝には準備不足じゅんびぶそくであったむねを伝えて心配なさらぬ様に配慮はいりょいたしました。」

「西の魔神と教国の姫…双方の両親の仇という立場も大変なものだな。」

 元々は見せしめに彼らの首をねて教国に送りつける様に前神帝である父親に強く進言したのは摂政である。

 だが、捕まえたのもインなら最終的に首を撥ねる役だったのもインには違いない。

 しかし摂政には、かまをかけてもイン自身が、どう思っているのか…インの変わらない表情からははかれなかった。

 自分の事は棚上たなあげした摂政のイヤミもインには何処吹どこふく風の様である。

「摂政殿、あまり間者に頼るのは感心しませんな…。私に引っ付いているはえの事では御座いませんが…。」

 摂政がインに何が起きたのかを間者を使って逐一報告ちくいちほうこくさせているのは、イン自身も承知しょうちの事だった。

 そして、インは摂政が教国を含めた他国に間者をつかわせて内偵をしている事も知っている。

「目に手の代わりは出来ませぬ。行き過ぎた間者の使い方は、一つあやまればこちら側に不利益ふりえきをもたらす場合も御座います。どうか情報収集以外じょうほうしゅうしゅういがいでの他国への派遣はけんは、ご自重下じちょうくださいませ…。」

 インは深々ふかぶかと頭を下げる。

 摂政は苦虫を噛みつぶした様な顔をすると、元の進行方向に向き直って手をひらひらさせながらぎわに答える。

「お前の忠告ちゅうこくは覚えておこう…。」


 教国の宮殿の地下には、大きな扉が一つある。

 封印ふういんされた魔帝が存在している部屋の扉だ。

 ある老人が一人で、そこにおとずれていた。

 国王、その人である。

 彼は扉に手をかけると語りかける様に呟いた。

「勇者が羅刹と闘って引き分けたらしい…。一時は、どうなる事かと思ったが…魔王の助力じょりょくもあって今はしのぐ事が出来そうだ…。」

 国王は最初こそ笑顔で扉に話し掛けていたが次第に落胆らくたんの表情に変わっていった。

「だが、その魔王に抱えられて勇者が帰ってきたらしいとの直属ちょくぞくの配下からの報告もある…。勇者に何があったのかは分からんが…あるいは負けて這々ほうほうていで逃げ帰って来ただけかもしれん…。」

 国王は胸を苦しそうに押さえながら続けて呟く。

「また…お前に頼らざるを得ない日々が、来てしまうのだろうか?…ふるともよ…。」

 国王はつめが食い込むかの様に扉をむし仕草しぐさをした。

 扉は今はもくして何も語らない。

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