第5話

魔王の国が儲かるワケ Ⅰ

 早朝そうちょうのサウムの家。

 少し広めの庭のような鍛錬場たんれんじょうでサウムとミイトは、互いに剣を合わせていた。

 サウムは通常の義手と義足で、ミイトは隻腕せきわんのままだった。

「お互いに、こうなる前に一度あんたとは全力でやってみたかったんだけどな…。」

「以前の自分の状態だったなら、何年経なんねんたってもミイトに負ける気はしないよ。」

 ミイトの言葉に対してサウムは、特に悪気わるぎも無く答えた。

「この普通の義手と義足じゃ、隻腕になったミイト相手でも本気の試合で勝てる気はしないけどな…。」

「ミスリル製の義手と義足の調子はいいのか?」

 サウムは微妙な表情をしてミイトの質問に答える。

「…悪くはないな。全力に近い魔力を流し込むと一転して、こちらの魔力をしぼくそうとする欠点けってんだけは致命的ちめいてきだが…調整は難航なんこうしているけれど、欠点が克服こくふくされれば疲労ひろうを感じることも無くなるだろう。」

 最後に剣同士けんどうし刃先はさきを合わせて、今朝の鍛錬は終了した。

 ミイトは風呂へと向かうが、サウムはバドシに呼び止められる。

「…エストを暫く貸して欲しい?」

 バドシのお願いの真意しんいが、分からないので怪訝けげんな表情をするサウムだった。


 エストは風呂から上がって脱衣所だついじょれた身体をいていた。

 裸の上にバスタオルを巻いて鏡を見ながら別のタオルで髪を拭こうとしている。

 彼女の表情はかげっていて元気のない様子である。

 そこへ原因の男が、上半身裸で入って来た。

「おっと、悪いな。先客せんきゃくがいたか…。」

 エストは一瞬ひきつって悲鳴を上げかけたが、ミイトの左腕のない肩口を見ると引き返そうとした彼を呼び止めた。

 ミイトは彼女に背中を向けたままで用件を尋ねるが何も答えが返ってこない。

 やがて、腕の無くなった左肩付近にエストが、そっと触れてくるのを感じた。

 彼女は優しくいつくしむ様に撫でてくる。

 そして後ろからグスグスと、すすり泣く声が聞こえてきた。

 ミイトは…またか?…と思って半ば呆れている。

「いちいち人の肩を見て反芻はんすうするみたいに泣き出すのは、もうめてくれ。俺はもう気にしてないし、第一斬ったのは羅刹で、斬られたのは俺が未熟みじゅくなせいで、お前が責任せきにんを感じる事は何もないだろうが?」

「でも…だって…。」

 ぶっきらぼうだがいたわる様なミイトの言葉が、尚更なおさらエストをつらくさせる。

「義手は着けないの?」

「ほぼ肩口から先が無いから俺の低い魔力じゃあ着けられても、大きめの義手は制御せいぎょが難しいんだよ。逆に魔力が低いからサウムみたいに大きな魔力を持った奴の様な魔力バランスの崩壊による身体への悪影響あくえいきょうは、殆ど無いから返って義手を着けない方が良いんだ。」

 エストの質問にミイトは答えた。

 目に涙を浮かべてエストは、ミイトの肩甲骨けんこうこつの辺りを俯いて撫で続けている。

 くすぐったいのでミイトは、ざまにエストを残った右腕で胸元むなもとに引き寄せ肘を曲げて頭を撫でてやる。

 エストは戸惑とまどいつつも目を瞑りミイトに身体を預けて彼の胸元に耳をあてた。

 ミイトの鼓動こどうの音を聞いて少しだけ安心を得る。

「今、サウムに改めて片手剣かたてけん訓練くんれんを受けている所だ。れていた両手剣りょうてけんから切り換えるのも大変だけど、あいつからはすじいってめられたよ。片手剣を手足てあしようあやつれるまでになるには、そりゃ時間は掛かるだろうが…元通もとどおりの戦力せんりょくに、きっとなってみせるからさ…。」

「…うん。」

 エストは胸に耳をあてたまま頷いた。

 上からその様子を眺めていたミイトは、不意ふいにエストの顎を持ち上げて口づけをする。

 エストは驚いて目を見開みひらくが、ゆっくりと瞼を閉じた。

 ほんの僅かな時間でミイトが、一旦は唇を離してエストに尋ねる。

「…こばまないんだな?」

「…キスなんて挨拶みたいなものなんでしょ?」

「…どうかな?」

 二人は再び瞼を閉じて改めて口づけを交わした。

 今度は、もっと深く長く…。

 ミイトが優しくエストの肩に右手をかけて、そのまま引き寄せた。

 エストは、なすがままに誘われてバスタオル越しに肌を密着させる。

 ゆっくりと唇を離したミイトは…じゃあな…と一言だけ残すと、風呂には入らずに上着うわぎ着直きなおしてサウムの家を出ようとした。

 エストは、ぼーっとして脱衣所の扉を開けたまま彼を見送っている。

 ミイトが玄関げんかんの扉をめる音がするとエストは、脱衣所の鏡を見て自分の唇に人差し指で触れてみた。

 段々と意識がはっきりしてきた彼女は、とある重大な事実に気が付く。

「私のファーストキス?!」

 脱衣所に大きな声が響き渡った。

 雰囲気に流された結果による喪失そうしつかなしみに脱力だつりょくしたままエストは、着替えを終えて台所だいどころの椅子に座りテーブルにしてなみだした。

 そこへバドシが入って来る。

「すみません、エストに頼みが…って、どうかしたんですか?」

「…挨拶だからノーカンだよね?」

「…何がです?」

 エストの意味不明な質問に対して質問で返すバドシだった。

 エストは気を取り直すとバドシを元気良く迎えて用件を尋ねる。

「なんでもない!…私に頼みって?」

「実は…貴方に故郷に帰っていただきたいのです…。サウムの許可は頂いてますので…。」

「…へ?」

 エストの頭の中で解雇かいこ二文字にもじおどった。


 エストが国に帰ってしまうという話を聞いたミイトが、慌ててサウムの家を訪ねたのはエスト達の夕食の後だった。

 人づてに話を聞いた直後にミイトは、自分の内偵と彼女の護衛任務は失敗に近かった事を思い出し、その瞬間から彼の頭の中では解雇の二文字が躍っている。

 …まさかとは思うが任務失敗が原因で責任を感じたエストは、勇者見習いの仕事をめて故郷に戻ってしまうのではないか?…と少しだけ不安になったミイトは、確認をしに来たのだった。

「なんで、そんな考えになったんだよ…?」

 ミイトを出迎でむかえたサウムは、開口一番に呆れ顔でそう言った。

 そして、彼をエストの部屋に案内する。

 サウムの家でエストにてられた彼女の個室こしつに案内されたミイトは、荷造にづくりをしていた彼女を見て内心焦ないしんあせったが、かたわらで同様に荷造りをしているバドシの姿を見つけてホッとした。

 それと同時に、疑問がいたので彼等に尋ねてみる。

「一体、二人で何をしてるんだ?」

「あ、ミイト…ゴメンね、私ちょっと自分の国に帰るから…。」

 ミイトは頭をなぐられた様な衝撃を受けたが続くバドシの言葉に助けられる。

「実は以前にエストさんの国で温泉おんせんりあてた人がいましてね。私の商会支部で周辺を観光地かんこうちとして整備せいびしたので、オープン直前の最後の視察しさつとテープカットを、魔王であり国の最高責任者さいこうせきにんしゃである彼女にしていただこうかと思いまして…。」

「爺やも…たまには帰って来て下さい…って五月蝿うるさかったから…丁度いいかな?…って思ったの。サウムの話だと暫くは大きな仕事も無いみたいだしね。」

 楽しそうに荷造りをする二人を見てミイトは、うらやましそうに呟いた。

「いいなぁ…俺も行きたいなぁ…。」

「別に構わないぞ?エストも言った通り大きな仕事は、暫くは無いから俺一人でも大丈夫だ。何かあったら連絡はするから、状況に合わせてエストの羽根で戻って来てくれればいいさ。まぁエストが、お前を故郷に連れて行ってもいいって言うならの話だけどな。」

 ミイトの願望がんぼうへのサウムの回答かいとうに、バドシが慌てて口を挟む。

「いや、しかし…今さら関係者かんけいしゃ宿泊部屋しゅくはくべや追加ついか確保かくほするのも難しい状況ですし…。」

「お前と同じ部屋でいいだろ?」

 図々ずうずうしいミイトの提案ていあんにバドシは、露骨ろこついやそうな顔をした。

「ちょっと待って?」

 エストは、そう言うとミイトに近づいていった。

 なにやら呪文を唱えると、ミイトに向かって両手をかざして彼の頭から足の爪先つまさきまでの間を往復おうふくさせていく。

 ミイトは特に身体に悪影響は、感じなかったので行為自体こういじたいは受け入れていたが、彼女が何をしているのかは気になった。

「エスト?何をしてるんだ?」

「ちょっとした探知たんちの魔法を使っているの。…大丈夫かな?」

 探知が終わったらしい彼女は、微笑んで言った。

「うん、ミイトも良かったら一緒に来てよ。貴方に渡したい物があるの。」

 チッ!とかいう舌打ちの音が、後ろ姿で準備を続けているバドシの方から聞こえた様な気がしたミイトだった。

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