魔王の心が折れそうになったワケ Ⅱ

「こっちを見ないで!」

 部屋の片隅かたすみで男に切り裂かれたシャツの端同士はしどうしを結んでから、床に置いてあった鎧を着ける為に腰を曲げたエストは、彼女の丸い尻を眺めていたミイトに向けて怒って言った。

 先程ミイトが彼女に着替える様にうながした時には、しおらしく黙って頷いていたとは思えない程の変わり様である。

 ミイトは慌てて後ろを向くと…エストの地が出て来たのは安心して落ち着いて来た為だろう…と納得する事にした。

「事の次第しだい把握はあくしたが…神器ってのは本当に厄介やっかい代物しろものだな…。依頼主って奴が誰なのかも気になる所だが…。」

 ミイトに言われてエストは、元婚約者の魔族の顔を思い出すが、すぐに頭を振って自分の考えを否定する。

 彼が得意なのは薬品やくひん調合ちょうごうではなく空間の操作で、魔法封じの神器を持っているなどと聞いたことも無いし、彼の性格せいかくから言って持っていたら自分に黙っている筈がない。

 必ず自慢じまんしてくるはずだ…と思った。

「それで?これから、どうするんだ?腕輪は外したし羽根を使って帰るのか?」

「やむを得なかったら、そうするつもりだったんだけど…。こうなったら盗賊のアジトに行って連れ去られた隊商のみんなを助けるつもり…。」

「ここら辺の盗賊のアジトなら情報は掴んでるから教えられるけど…一人でも大丈夫か?」

 ミイトは、それなりに心配して尋ねてくれていた。

 …過保護かほごだな…とエストは心の中で苦笑した。

「大丈夫よ。魔法封じの神器である腕輪は、もう私の物だし魔法が使えるなら盗賊如とうぞくごときに遅れは取らないわ。」

油断ゆだんはするなよ…。でもまぁそういう事なら、俺は自分の仕事に戻るわ。帝国の内偵ないていの続きをしなきゃならんのでね。」

 内偵と聞いてエストは、ミイトに質問をした。

「私が、この砦にらわれているのを知ったのも、その内偵のおかげなの?」

「直接は内偵に関係してたわけじゃないが…帝国の商会にバドシに恩がある奴がいてな。内偵の協力をしてくれてたんだが…共和国の商会の仕事を受けた隊商が、一つ行方不明ゆくえふめいになったって話が今朝けさになってバドシから彼を経由して俺の耳に入ってきてな…。その護衛についていた魔族の女が、一人だけ砦に連れて来られたって話を聞いて…まさかな?と思って様子ようすうかがいに来たんだが…当たりだったとはね。」

 若干じゃっかんおどけて呆れた様な声を出すミイト。

 エストは顔を真っ赤にして俯いて…ごめんなさい…とだけ呟いた。

「単独の仕事の時は、なるべく口にする物は自分で用意したものだけにしろって…俺はおしえなかったっけ?」

「…おそわりました。」

 自分の水筒に水があったのに相手の飲み物が、美味しそうだからといってすすめられるまま、ほいほい飲んでしまった軽率けいそつな自分にるエストだった。

「まぁ、そんな神妙しんみょうな顔すんなって。何にしろ無事で良かったよ。」

 エストの頭を今度は、ぐりぐりと撫でるミイト。

 少し強めに抑えられる感じの撫で方に片目を瞑ってミイトを睨むが、少しだけうれしさも込み上げてくる。

いずれは今回の協力者きょうりょくしゃにエストも御礼おれいを言える機会があると良いんだけどな。」

「ならば、その協力者とやらの名前と所在しょざいず教えて貰おうか?」

 唐突とうとつに扉から声が聞こえた。

 気配けはいまったく感じなかったのに一人の男が、扉の所に立っている。

 ミイトは即座そくざに男に向き直り剣のつかに手を掛けた。

 エストは声のする方から見てミイトの、やや後方に素早く下がる。

 目が慣れて男の顔が次第に明らかになって来た時に、ミイトは驚きの声をあげた。

羅刹らせつ?!」


「イン様!」

 指を切られて両手を後ろで縛られた男が、いつの間にか意識いしきもどして扉の方へといずって近付いていた。

「し、侵入者です!助けて下さい!」

 インと呼んだ羅刹に報告すると男は、しばられたまま起き上がって羅刹にすがり付いた。

 その瞬間…男の胸に剣が突き立てられる。

 彼は胸に刺さった剣を驚愕きょうがくの顔で見下みおろした。

 インと呼ばれた羅刹は、片手に待った風呂敷ふろしきゆかに放り投げて拡げる。

 その中からは大きな蜥蜴とかげの頭の様な物が出て来た。

 人型では無い魔族の首だ。

「貴様が本国から送った捕虜の死亡届しぼうとどけを出して奴隷どれいとして色々な連中に横流ししている件は、こいつから全て聞いた。残念だが、死罪しざいまぬがれないな。」

 エストは首の顔に見覚えがあった。

 魔貴族の一人である事は間違いなかったが、数回会っただけの人物で元恋人とは無関係だった。

「まぁかたきくらいは、とってやろうか…。」

 羅刹が、そう言った瞬間にエストの横を通り過ぎる物体があった。

 それはミイトの左腕だった。

 いつの間にか男の胸から剣を抜いた羅刹が、視線だけをミイトに向けて立っていた。

 何が起こったのかすら、エストには理解が出来なかったが、どうやら一瞬の内に羅刹が、ミイトの左腕を肩から斬り飛ばしたらしい。

 咆哮ほうこうようさけごえをあげるとミイトは、苦しそうに左腕の無くなった肩口かたぐちを抑える。

 エストはあわてて彼に治癒ちゆの魔法を掛け始めた。

 吹き飛ばされた左腕をつなげる事は無理でも、止血しけつはしなければと無我夢中むがむちゅうだった。

 その様子を横目で眺めていた指を斬り落とされた男は、最後に恍惚こうこつ微笑びしょうを浮かべながら崩れ落ち絶命ぜつめいする。

「ミイト!ミイト!しっかりして!」

 エストは必死に叫びながら回復魔法を掛け続ける。

 効果は徐々に現れてミイトの出血は止まって表情も落ち着いて来た。

「いいぞ…治療する事は認めてやろう。そいつには、まだ聞きたい事があるからな。言っておくが結界なぞ俺の前では無力だというのは先程で理解しただろう?無駄な事はしない事だ…。」

 羅刹は悠然ゆうぜんとエストに近付くと、そう言い切った。

 確かにミイトが男を羅刹と呼んだ時に用心ようじんの為に張ったエストの結界は、ミイトの左腕が飛んだのと同時に紙切れのごとく引きかれている。

 エストは相手のはかれない程に大きな実力に恐怖を感じつつも、現状げんじょう打開だかいする為に考えをめぐらせていた。

 そんな彼女の喉元に刃が、無慈悲むじひにも押しあてられる。

「女…そのままで良いから聞きたい事がある。お前達の主人の名前と内通者の名前を答えろ。」

「私は、そこで死んでいる男に連れられて、ここにやって来たのよ…。この人とは知り合いだけど詳しい事までは知らないわ。」

 嘘を付いたらバレる。

 そう思ったエストは最低限度さいていげんどの本当の事だけを話すと後は押し黙った。

「なるほど…では男の方に尋ねよう。もう既に話せる程度には回復しているのだろう?…言え、先ずは内通者の名前と居場所いばしょからだ。」

 ミイトは脂汗あぶらあせをかきながら、しかし意識いしきは、はっきりとしてきていた。

 だが彼は黙秘もくひして語らない。

「…女が死ぬ事になるが?」

 羅刹はエストの喉元にあてていた剣を僅かに引いた。

 から少しだけ鮮血せんけつが、滴り落ちる。

 ミイトは大きく目を見開いて羅刹を睨んだが、少しだけなや素振そぶりも見せた。

「駄目よ、ミイト…。話してしまえば結局は、二人とも殺されてしまう…。」

 エストの首に剣が、より強く押し当てられた。

 ミイトもエストの言う事を理解はしていたが、彼女が殺されるかもしれないという感情かんじょうが、理性りせいとびらひらこうとしていた。

 羅刹はミイトに改めて尋ねる。

「言え…お前は誰に頼まれて帝国にいる?」

「俺だよ。俺。」

 どこからともなく聞き覚えのある声がした。

 羅刹が横殴よこなぐりに壁に向かって吹き飛ばされる。

 青い光のすじが外側の壁に丸い大きなえんを描くと、その形の通りに分厚い石造りの壁が崩れ去った。

壁越かべごしからの攻撃…。やはり西の魔神か…。」

 一瞬で剣を縦に両手で構え衝撃しょうげきそなえていた羅刹だったが、ダメージは無かったものの反対の壁際かべぎわにまで飛ばされていた。

 エストは荷物とミイトを抱えると一目散いちもくさんに壁にいた穴から外へと逃げる。

 羅刹は彼らを斬り裂こうと間合まあいを詰め剣を振るったが、サウムに剣で止められた。

 そのまま二人とも外へ出た後に互いに離れて間合いを取る。

休戦条約違反きゅうせんじょうやくいはんではないかな?西の魔神…。」

 羅刹は、そう尋ねた。

「何の話かな?俺は、そちらの兵士が盗賊を使って誘拐ゆうかいした隊商を助けて欲しいと、共和国からの依頼で来ただけだが?」

 サウムは、そう切り返した。

「それこそ何の話だ?証拠しょうこは、あるのかね?」

 死罪云々しざいうんぬん建前たてまえ証拠隠滅しょうこいんめつの為に魔貴族と砦の兵士を殺したのだと、エストは気付いた。

 だがサウムはすずしげな表情で答える。

証人しょうにんなら捕まえた盗賊の中から幾らでも…。既に解放かいほうした隊商に拘束されて国境線を超えて教国に入る頃だ。証人が共和国に着くのも時間の問題だな。」

 良かった…隊商のみんなは、サウムに助けられて解放されたんだ。

 エストは、ほっと安堵して胸を撫で下ろした。

「なるほど…では女だけを連れて、とっとと帰りたまえ。男は、こちらに引き渡して貰おうか?」

「何故だ?彼には今回の仕事を手伝って貰うために先に帝国に行くように頼んだだけだが?」

「その男には我が帝国への内偵の疑いがある。」

ひどかりだな。証拠は?証人でもいいぞ?無いなられて帰る。」

 ややかなサウムの顔にはんして表情がけわしくなる羅刹。

「証拠はないが…神帝しんていには報告しておくぞ?大方あの痴呆老人ちほうろうじん女狐めぎつねがねだろうとな…。」

「女狐?」

 一転いってんサウムの表情がおにように険しくなった。

 会話かいわながれから女狐とは、ストネ王女の事をす事くらいはエストにも理解できる。

 サウムが右手の義手で握る剣からミシミシと音がした。

「どうぞ、御自由ごじゆうに…。ついでに俺の力が完全に回復して初老しょろうのあんたを上回っているから、協定を破ったら何時いつでも殺してやるぞ?と、あのもりにつたえといてくれ。」

「…引き篭もり?」

 …呪いを受けて病気がちな外出の難しい帝国の神帝の事だろうけれど、緊張きんちょうたかまっているのにあおいがていレベルになってきた気がするのは、気のせいかしら?…とエストは思った。

 羅刹もまた鬼の様な形相を見せると深く屈んで剣を構えた。

 サウムは自然体のまま剣を肩に軽くかついで動かずにいる。

 先に仕掛けたのは羅刹だった。

 エストが羅刹が動いたと思った瞬間には、彼はサウムのすぐ正面にいた。

 彼らの腕から先は、あまりの速さに消えている様に見え、激しくぶつかり合う音だけがエストの耳に届く。

 エストはミイトから覚えるようにと言われていた強化系きょうかけいの魔法を試してみる事にした。

 動体視力どうたいしりょく一時的いちじてき向上こうじょうする魔法を唱えるが、やっと太刀筋たちすじをボンヤリと追いかけられる程度にしか見えない。

 猛攻もうこうを続ける羅刹の剣をサウムは、右手の義手で握った剣を合わせてふせつづけた。

 義手は今までの物とはことなり、義足もあわせて何かの美しい模様もようられていて、くぼんでいる部分が青白く輝いている。

 "あれがミスリル製の義手と義足?完成していたのね…。"

 エストは羅刹と互角以上ごかくいじょうに渡り合ってるサウムを見て、心の底から良かったと思った。

 羅刹の下からすくい上げる様な剣とサウムの剣がぶつかり合うが、サウムの剣の方が弾かれる。

 羅刹は、その流れのままにサウムの喉に向かって突きを入れて来た。

 サウムは右手の義手で持ったまま弾かれた剣の柄に左手をえて両手を使っていきおいよく縦に剣を振り下ろす。

 羅刹は、その攻撃を後方へとかわしながらサウムとの間合いをとる為に引き下がった。

 軽装けいそうだった羅刹の胸が、皮一枚分かわいちまいぶんほど斬られて肉から血が流れる。

 斬られた服のいた隙間から刺青いれずみの様な黒い紋様もんようが見えた。

 紋様はふちが白く光り輝いている。

準備不足じゅんびぶそくいなめんか…。」

 羅刹は胸の斬られた傷を手で抑えててのひらにうつった赤い血を見て呟いた。

 サウムは首に一筋の傷を負い少しだけ血が流れている。

 慌てて、しかし十分に注意しながら、エストが近付いて回復魔法を掛けた。

 サウムの受けた傷が、ほぼ瞬時に塞がっていく。

「エスト…羽根を使ってミイトと一緒に先に帰れそうか?」

駄目だめ…ミイトが気絶きぜつしている…。」

 神器の羽根を使って他の者達と共に飛ぶ為には、使用者以外も意識をしっかりたもつ必要があり、かつ使用者の手を握っていなければならない。

 使用者が気絶した者の手を握っても、跳躍ちょうやくできるのは使用者だけになる。

覚醒かくせいなりの状態回復魔法は、まだ使えないか?」

御免ごめん…ミイトから先に強化系を覚える様に言われてたから…。」

「俺も覚醒は使えないし気付きつぐすり生憎あいにくと持って来ていないしなぁ…。」

 サウムは少し考えるとエストに言う。

「エスト…悪いが頼みがある。」


 エストは浮遊術ふゆうじゅつを使い上空に高く飛んだ。

 サウムに注意しつつも羅刹は、視線だけを彼女に向ける。

 彼女は両手を天に向けて呪文を唱える。

 氷が彼女の両手の先から作られ、それは段々だんだんと大きくなっていった。

 みるみる内に大きな岩の様な氷が、彼女の頭上に出来上がってゆく。

「あの程度の氷塊ひょうかいで俺を潰せる気か?」

 羅刹はサウムと睨み合いつつ尋ねるが、サウムは何も答えない。

 …俺が避けた所を狙うつもりだろうか?あの程度の氷塊如きを破壊するのは容易たやすいが…。

 羅刹の思考が纏まる前にエストが、氷塊を投げてきた。

 しかし、それは羅刹のいる場所とは、まるで違う方向へと飛んで行く。

「何処を狙って…?」

 羅刹は疑問に感じたまま氷塊の行方を追うと、氷塊はぐ砦へと向かっている所だった。

 羅刹は舌打したうちをするとサウムにも構わずに砦へと走る。

 砦の中には先程殺した男以外にも、ミイトが気絶させて縛り上げた兵士達がいる。

 あのような巨大な氷塊が、砦に衝突しょうとつしたら多少の崩落ほうらくけられない。

 中にいる者達は無事では済まないだろう。

 羅刹は砦へと落下してくる氷塊に向かって跳ぶと、それを思いっ切りり上げた。

 氷塊は上空に向かって粉々こなごなに吹き飛ぶ。

「よくも!」

 砦の屋上に着地した羅刹は、エストに向き直ると、彼女は既に第二射だいにしゃを放った直後だった。

 高速で飛来ひらいする数多あまた火球かきゅうが、砕けた氷塊の破片はへんにぶつかってあた一面いちめんが巨大な高温こうおん水蒸気すいじょうきに覆われていく。

 羅刹は高温をものともせずに剣圧けんあつで風を巻き起こして水蒸気をはらった。

 だが、視界がひらけた時にはサウムもエストも何処かに消え去り、いなくなっている。

「…姑息な手をっ!」

 羅刹は苛立いらだちながら剣を砦の屋上の石造りの床に突き立てた。

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