魔王が勇者の見習いになったワケ Ⅲ

 元の時間に戻って、魔王の居城の謁見の間。


 普段は重々しく開く筈の扉が、戦士にいきなり蹴破けやぶられた。

 蹴破った張本人は玉座を見据えるが、そこには誰もいない。

「おやぁ?…逃げられたかな?」

 戦士は玉座の周囲をうかがいながら言う。

「…いや、上だな。」

 勇者が謁見の間の入り口で天井を見上げながら答えた。

 勇者の視線の先に浮遊ふゆうする女性がいた。

 現魔王のエストである。

 戦士が勇者の指摘してきした方向にいる彼女を見て口笛を鳴らして感想を漏らす。

「…魔王の娘って言うから、どんな奴かと思ったら結構スタイルのいい女じゃないか?!しかも巨乳!いいねぇ、あれは揉んでみたいわー。」

 魔王エストは何も答えずに片手を前に出す。

 氷の槍が彼女の片手を囲むように複数あらわれて三人に向かって降り注いで来た。

 盗賊が降り注ぐ氷の槍を避けながら戦士に罵声ばせいびせる。

「ミイト!何をあおるような事を言っているんですか?!我々は取り敢えず話し合いに来たのですよ?!」

 エストは憤怒ふんぬ形相ぎょうそうで叫ぶ。

「話し合いだと?!貴様ら!余を愚弄ぐろうするかっ?!」

 しかし内心は、かなり焦っていた。

 ”あービックリした。何あいつ?!いきなり扉を蹴破って入って来るんじゃないわよ!驚いて飛び上がっちゃったじゃないの!しかも開口一番かいこういちばんにオッパイを揉みたいとか…変態じゃないの?!…キモい…キモい!キモい!!”

 つい今しがた去って行った婚約者の言葉を思い出す。


 (知らねぇぞ俺は?お前が犯されても…。)


 ”いぃーっ、やあぁーっ!犯されるうぅーっ!”

 エストは心の中で絶叫した。

 魔王エストは両手で大きな火球をりあげると、それを戦士ミイトに向けて物凄い速さで投げつける。

 ミイトはギリギリの所を屈んだままで走り抜けて避けると脚を使って飛び上りエストに斬りかかった。

 エストは空中にも関わらずミイトに一瞬で間合いを詰められた事に驚く。

 ”…速いっ?!”

 エストが避けきれずにミイトの剣は、彼女の身体を傷付けるかと思われた。

 しかし直前に緑色に輝く半透明の光球が、彼女の周りを包み込みミイトの剣を弾いた。

 "結界を二枚…剣撃けんげきで消し飛ばされちゃった。でも張り直せばいいし、なんとか攻撃は凌げそう…。"

 エストは呪文を唱えて薄くなった光球の輝きを元に戻しながら次の一手を考え始めた。

 はじかれた勢いのまま着地したミイトは、舌打ちをして呟く。

厄介やっかいだな…あの多重結界は…。」

「厄介?あぁ…まぁ、お前にとってはそうだろうな。」

 悪気は無いのだろうが勇者は、自分なら余裕だと言わんばかりにミイトを煽った。

「ああ、あんたはそうでしょうとも…よっと!」

 ミイトは苦虫を噛み潰したような顔をしつつ再びエストに斬りかかる。

 今度はジャンプではなく空中を自由に飛ぶ為の魔法である浮遊術ふゆうじゅつを使って、彼女の方へと飛びながら間合いを詰めて連続で斬りつけた。

 しかし、魔法である浮遊術を使いつつ剣で斬りつけるのは、戦士である彼にとっては今ひとつ安定しない方法である。

 そのためか一撃一撃が弱いのでエストの結界を削るのみで消し去るには至らず、彼女が結界を再生する能力の方がわずかに上回った。

 一方のエストも攻めあぐねていた。

 彼女は無数の氷の槍をミイトに向かって放つも全て剣で弾かれている。

 また、彼女が再び先程の火球の様な大技を繰り出す隙を、ミイトは二度と与えなかった。

 "でも渡り合えない訳では無さそうね…。今は取り敢えず少しでも敵の人数を削る事を考えた方がいいのかも…?"

 エストはミイトとは別の二人の注意を自分とミイトの戦闘にきつけつつ追い詰められてる様に見せ掛けて、ゆっくりと盗賊に近づいて行った。

 そして、彼女は小さな氷の槍を超高速で盗賊の喉元のどもとに向かって放つ。

 吸い込まれる様に盗賊の喉元に向かった氷の槍は、直前で勇者の剣に弾かれた。

 盗賊は事態に気が付いて背中に冷たい汗をかく。

 "そんなっ?!気付かれていないと思っていたのにっ?!"

 その直後エストは一瞬にして誰かの殺気が大きくふくれ上がるのを感じた。

 その殺気は目の前の戦士からでは無く盗賊の隣にいた勇者から送られている。

 そして気が付いた時には勇者が、自分と戦士の間に入って来ていた。

 次の瞬間にエストは背中に鈍痛どんつうを感じ勇者が遠くに見える様になる。

 エストの完全に張り直した筈の結界は、いつの間にか全て消し飛ばされていた。

 どうやら彼女は勇者に斬られて壁に叩きつけられたらしい。

 あばらが折れたかもしれない…胸から感じる痛みと整えられない呼吸の中で彼女は、自身の身体と壁の衝突しょうとつによって出来たくぼみに背を預けて、そんな事をぼんやりと考えていた。

 勇者からは怒気どきあふれていたが、彼はややかな瞳と丁寧ていねいな口調でエストに尋ねる。

「こちらの従者じゅうしゃ不躾ぶしつけな失言は謝ろう。だが王を名乗る者にしては少し姑息こそく過ぎやしないか?」

「誰が従者じゃ?」

 ミイトが不満を口にした。

 エストの目から涙がこぼれる。

 姑息?そんな事は彼女も十分に理解していた。

 どうしても勝たなければならない相手に手段なんか選んでいられなかったのだ。

 そもそも女一人に男三人の方が卑怯ひきょうでは無いのか?

 同時に襲いかかって来た訳では無いけれど…。

 自分は一番弱そうなのから何とかしようと思っただけ…。

 そうすれば二対一になって少しでも勝てる確率が上がると思った。

 …でも無理だ。

 実力がけた違い過ぎる。

 なんだ、あの化け物は?父親の強さの比では無い…。

 エストは仮に勇者一人を相手にした一対一の勝負でも、まるで勝てる気がしなかった。

 "…それでも…そうだとしてもっ!"

 エストは気力をふるい立たせる。

 回復魔法と結界魔法を同時に使って自分自身の全てを修復し始める。

 勇者は手を出さずに彼女の回復が終わるまで待っていた。

 その間に彼は彼女に話を持ちかける。

「魔王よ…頼みがあるんだ。共和国へのこれ以上の侵攻や略奪行為をやめさせて欲しい。今はまだ怪我人程度で済んでいるが、これから先は死人が出てしまうかも知れないんだ。」

 勇者は言葉を一旦区切った後で説得を続ける。

「共和国の人々から、これ以上の被害が出るとなると自分は君達…この国の王族や重鎮じゅうちん討滅とうめつしなければならなくなる。既に共和国大統領府から討滅依頼は出ているんだが、そこを曲げて貰って交渉という形で今回はこの魔王城まで来たんだ…。」

 エストは心身しんしんを回復させて結界を強化させた。

 今度は半透明の紫色のあわのような結界で自分の周りを囲む。

 泡の表面には魔族に古くから伝わる文字で呪文の様な文章が黒く浮かび上がって来た。

 勇者は、ほうっと感心した様に息を吐くと少しだけ表情をやわらげる。

積層せきそうがた多種たしゅ呪術じゅじゅつ変遷へんせん結界けっかいか…君の父親の得意な防御結界魔法だったね。…なつかしいな、かなり手こずったおぼえがあるよ。」

 勇者の表情は何故なぜか嬉しそうだ。

「魔術体系の異なる結界を幾重いくえにも重ねて時の流れにあわせて結界を切り替えてゆく…。一つの結界に対応して破壊しても既に別の結界に切り替わっているから全てを同時に破るのは難しい…。」

 勇者は先程さきほどとは違い、ゆっくりと静かにエストとの間合いを詰めてゆく。

 勇者の斬撃ざんげきは全てエストの結界によって弾かれていた。

 そして、エストの攻撃も勇者に全てかわされている。

 少し前の戦士と彼女の戦いに似たような構図の戦闘に見える。

 ただ一つ違う事は、勇者は隙だらけの様に見えるのでエストは、自分の知り得る限りの攻撃魔法の全てを相手にぶつけられている事だった。

 だが勇者は、それらの彼女の攻撃をあらゆる手段で全て無効にしていく。

「…話の続きだ。君には、この国の民がこれ以上の無茶をするのをやめさせて欲しい。我々も強力な対抗措置たいこうそちを取らざるを得なくなる。」

 上から目線でさとすような説得の仕方が逆にエストのかんさわった。

「…たとえ私を殺しても、彼らを止めるのは無理よ…だって…だって…。」

 エストは涙ぐむ。

「私がだらしないから!この国が資源もなくせ細っているから!貴方が討滅すべき相手なんか、もう私一人しか残っていない!貴族なんて名ばかりで誰も国の行く末を案じて留まってくれたりしなかった!」

 激しさを増すエストの攻撃。

「…仮初かりそめの恋人にすら…婚約者にすら私は見放されて…。」

 エストは泣いていた。

「それでも、みんな生きていたくて必死だから…。私には彼等を止める権利なんかない…。私だって本当はイヤよ!すべもなく…みんなが飢えて死んでゆくなんて!」

 エストは唇を噛み締め嗚咽おえつを飲み込んであふれる涙を必死で止めようとする。

 彼女の話を黙って聞いていた勇者が、初めて何事なにごとかを呟いた。

 しかし、それは彼女への返事では無く何かの呪文の詠唱えいしょうだった。

 彼の持つ剣の刀身とうしんが、青白く輝き始める。

 そして、勇者のたった一振りで魔王エストの父親譲りの結界は、呆気あっけなく全て破壊されてしまった。

「…たった三層ではね。父親の様にせめて十五層くらいは張れないと俺の剣技けんぎの前では紙切れ同然だ。」

 勇者はエストの喉元に剣の切っ先を向けた。

 彼女は、あっさりと自分の持つ最強の結界魔法を破られた事実に驚愕きょうがくして、大きく開いてしまったまぶたを静かに閉じて覚悟を決めた。

「…つまり、君は今現在とても困っている…という事なのかな?」

 勇者は、その場の雰囲気にそぐわない事を尋ねてきた。

「…そうよ。それが、どうしたのよ?」

 エストは薄眼うすめを開けて肯定した。

 てっきり殺されるとばかりに思っていたが何やら様子がおかしい。

 勇者は、むんずとエストをつかむと戦士に向かって放り投げた。

 彼女は何が起こったのか理解できないまま呆気に取られた状態で、お姫様抱っこみたいな格好でミイトに受け止められる。

「…ちょっと、タイム。」

 そう言うと勇者はあごに片手をあてて目をつむり考え事をしながら謁見の間の中空ちゅうくうから静かに床へと降りてきて、そのまま更に深く考え事に入った。

「あちゃー、こりゃ長そうだな。」

 ミイトがエストを抱き抱えた態勢から静かに降ろしながら顔をしかめた。

「どうやら、そうなりそうですねぇ…。あの?現魔王さん?」

 盗賊がエストに相談を持ちかけてきた。

「長くなりそうなので、ここら辺を勝手に探索たんさくさせて貰っても良いですか?」

 エストは驚いて大きく見開かれた目と閉じた唇のままの表情で反射的にコクコクとうなずいて許可を出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る