第12話(最終話)

勇者見習いの魔王の物語を閉じるワケ Ⅰ

 帝国地下の洞窟には大きな古代竜が生かされ続けている。

 エスト達が戦った古代竜の数倍はあろうかという大きさの者が…。

 一体いつの頃から閉じ込められ生かされ続けているのかは、誰も知らなかった。

 ロクの先祖が作ったゴーレムよりも巨大な、釘の様なもの数本で固い岩盤に打ち付けられている。

 古代竜の身体に釘が刺さっている辺りから、血が流れ続けていた。

 だが、地下の洞窟全体から強力な治癒魔法が掛けられ続けているので、古代竜が死ぬ事は無い。

 その治癒魔法の魔力の源が、何処から得られているのかも誰も知らなかった。


 インは神帝の側に仕える一族の村の子供として生まれた。

 村は嫁いで来た者以外では、一族の者しか住むことが許されていない。

 村の一族は数世帯の家族に分かれて暮らしていた。

 最初に生まれた男子が家督を継いで、女子は一定の年齢に達すると縁談を決められて嫁がされる。

 次男以降は特殊な兵士として、とある選別の儀式を受けていた。

 強大な呪力を持った古代竜の生き血を使って、身体に紋様を描き肉体を強化する儀式。

 多くの子供は、その強大な呪力の持つ影響に耐え切れずに死に至る事が多かった。

 生き残れたとしても耐え切れる紋様の面積は、僅かなもので…肉体強化は、それなりの能力向上で留まる事の方が少なくない。

 それでも、普通の兵士よりは十分に強いのであるが、インは極めて古代竜の生き血に対する適合性が高かった様で、ほぼ全身に紋様を描かれているにも関わらず死ぬ事は無かった。

 インの首から下には、紋様が隙間無く描かれており、筋力、敏捷性、防御、耐魔法、治癒力などが呪力によって強化された状態にある。

 その状態で普通でいられるインだったから、その紋様は決して消えぬ様に刺青の様に身体に刻み込まれている。

 その紋様がもたらす力と本人の修練の賜物によってインは、帝国でも無敵を誇り、その武勲は数知れずない。

 世界でも並ぶ者のいない強者として知られている。


 帝国と教国との国境線に存在する巨大な次元障壁結界の前に立ち、インは剣を構えた。

 深く息を吐くと、インの身体に刻まれた黒い紋様の縁が白く輝きを放ち始める。

 インは気合いのこもった掛け声と共に結界に向かって突きを入れた。

 結界に亀裂が入り、インが突いた所を中心にして壁が左右に割れる様に崩れてゆく。

 背後に控える帝国軍の間から、大きな歓声が湧き起こった。

 インは馬に跨ると悠々と国境線を越え、それに呼応する様に帝国軍の将軍が合図をすると、帝国軍の全軍が整然と進軍を開始し始めた。


「いやぁ、やっぱり来ましたね…。若?」

 ナメクジは大きな鏡に映された帝国軍の行進を見ながら少しだけ興奮気味に言った。

「そんな事より、我が愚民の避難状況は、どうなっているんだ?」

 イーロスは教国の王宮とは別の玉座に座っている。

 彼は今、異界の自分の私有地にいた。

「希望者を募って移動させていますけれど…案外少なかったので割と早くに彼等を異界に避難させる事が出来そうですよ?」

 イーロスはミイトに斬られた両手を瞬時に再生させると、肘をついて頬に拳をあてながら呟く。

「ふーん…確かに異界は厳しい世界だと、連中には具体的かつ詳細に説明はしたが…。羅刹に殺されるよりはマシだと思っていたのだがなぁ…。」

「以前の帝国領内での戦いで、エスト様達は羅刹を退けていますからね。今回も期待している人達が多いのでしょう。やっぱり住み慣れた土地を離れて難民になるのは、誰しも嫌でしょうからねぇ…。」

 そこまで話すとナメクジは、イーロスを見て溜息をつく。

「それにしても、現国王が自ら真っ先に逃げ出すとは…。」

「人聞きの悪い事を言うな!…民草の命を大事にして名誉ある撤退を選んだだけだ。大体、残留を志願した教国軍の兵士達に、許可は出しただろうが?何かあったら彼らに殿を務めて貰って、教国に残る選択をした民を異界に避難させればいい。」

 イーロスは、ふてくされて呟く。

「あの時だって…俺は基本的に差し伸べた手を握って来る奴なら振り解いたりしない。」

 そんな会話を交わした後で二人は、再び大きな鏡を注視して、事の成り行きを見守ることにした。


 前方にてエストとミイトが待ち構えているのは、インにも少し前から見えていた。

 その向こうに僅かな人数の教国の軍隊や、元共和国軍とエスト配下の魔軍で構成された連合軍、そして大きな何かの構造物の様な物が幾つか見えた。

 ある程度まで近づいたインは馬を止める。

 それと同時に将軍から合図が出て、帝国軍の歩みが一斉に止まった。

 インは馬に乗ったまま二人を見ると、エストの方から話しかけてきた。

「随分と堂々と休戦条約を破ってくれたものね…。」

「貴様達の国には関係の無い話の筈だが?国主はどうした?」

 エストはある書面をインに見せつける様に拡げる。

 それは教国のイーロスに頼んで発行して貰った、自国の軍隊を教国に配置して戦闘をする事を可能にする許可証だった。

 エストは帝国が教国を攻め滅して自分の国に侵攻される前に、前線を教国に置いて迎え撃つ選択をした。

 僅かながら教国の軍隊もイーロスから借り受けている。

 しかし、それらの犠牲を、なるべくなら払わない様にする為に、エストにはある思惑があった。

「なるほど…。」

 インは遠目に許可証を確認すると納得した。

 エストはインに尋ねる。

「なぜ結界を破壊してまで教国に攻め込む事にしたの?」

「異教徒共は、やはり捨て置けんという新たな我が君の意向でね…。悪いが現時点で休戦条約は破棄させて貰う。」

 エストはインを睨んで言う。

「帝国の周囲の他の国々が、どう思うかしら?」

「だから?」

 表情ひとつ変えずに言ったインの答えにエストは、一回だけ深呼吸をすると話を変えてくる。

「取り引きではないけれど…一方的に休戦条約を破られた側から提案があるわ。」

「…聞こうか?」

 エストはインを見据えて続ける。

「いたずらに人が死ぬのは、私の好みではないの…。お互いの軍の代表戦で決着を付けたいのだけれど?」

「…一騎打ちでは、ないのかね?」

 インの質問に、ミイトが答える。

「そちらの代表は…どうせ、あんただろうが…あんたの相手は俺がする。彼女にはサポートに回って貰う。」

 帝国側から野次と罵声、そして嘲笑がミイトに向かって飛んだ。

 …女の手を借りないと闘えないのか?…などである。

 ミイトは一通り聞き終わった後で答えた。

「今なにか言ってた奴等は、遠慮なく前に出てきて良いぞ?前哨戦として、お前ら相手なら特別に一騎打ちをしてやる。…どうした?早くしろ。」

 帝国軍の側からは誰も出て来なかった。

 先の戦いで羅刹を退けた魔人の話は、彼等も十分に知っている。

 彼等の勇猛さが恐怖に打ち勝つ事は無かった。

「安い挑発には乗らんか…。」

 インは微笑むと手を挙げて人差し指を前後に振る。

 将軍が彼の元に近づいてきた。

 将軍は彼に尋ねる。

「号令をかけて全軍を突入させますか?」

「…奥の方を良く見てみろ。攻められる側が攻城兵器を用意しているのも妙な事だと思ったら…。」

 インに言われて将軍は、目を凝らして後方にある巨大な構造物を確認した。

 それらは良く見ると、人が片膝を立てて跪いている様な姿をして佇んでいる。

 その人型の様な物の肩の上に人影が見えた。

「ゴーレム?!それも、あんな巨大な物が複数も…それに、あの肩に乗っている人影は…もしやゴーレムマスター?」

「教国軍や共和国軍など物の数では無いが、魔軍だけでも厄介この上ないのに、あれがいる…。数では、こちらが上とはいえ、今後の他国相手の戦の事を考えれば余分な犠牲は、俺も望む所では無い。」

 インは将軍に更に顔を寄せて続ける。

「万が一にも完全な俺が敗北する場合なぞ有り得ないだろうが、勝ったとしても身体が保ってくれるかどうかは正直分からん…。状況次第では退く必要もあるだろう。俺が判断出来ない状態だった場合は、貴様に任せる。」

 そう言ってインは将軍の肩を叩いて退がらせた。

 ミイトは様子を眺めていたが二人の相談が、終わった事を確認するとインに向かって尋ねる。

「どうした?やらないのか?何なら、そっちもサポートに女一人くらい付けてもいいぞ?出来れば美人で巨乳がいいな。」

 エストはミイトの尻を、こっそりとつねる。

 痛かったが、この状況で大声をあげる訳にもいかないので、ミイトは我慢した。

「そうさせて貰おう…。」

 インは、そう言うと再び手を挙げて合図を送った。

 後ろから一人の女性が歩み出る。

 実際に美しく胸が豊かな女性だったので、ミイトだけでなくエストも驚いた。

 インは馬から降りる。

「いいだろう…。お前達の言う代表戦の条件を呑もう…。互いに準備を終えたら早速、殺し合いと行こうではないか?」

 インは、そう言うと不敵に笑った。

 女性はインの前に回ると何事か呪文を唱えながら小刀で彼の額を斬る。

「なんだ…あれは…?」

 ミイトは呟いた。

 エストも驚きを隠せない。

 インの額から人の物とは思えない黒い血が流れてきた。

 まるで古代竜の様に真っ黒い雫。

 かつての戦いの最中に見せた赤い色とは違う、インの血の色に驚きを隠せない。

 女性は、その黒い血を使ってインの顔に紋様を描き始めた。

 膨れ上がるインの闘気を感じてミイトの表情が真剣な物へと変わってゆく。

「エスト…こちらにも強化魔法と防御結界を頼む。」

「分かったわ…。」

 エストも頷くと呪文を唱え始めた。

 女性がインの顔に紋様を書き終えると、インは彼女に御礼を言う。

「お前の描く紋様は、最高だ…。常に俺の力を最大限に引き出してくれる…。ありがとう…退がっていてくれ。」

 女性はインに向かって一礼すると後方に退がった。

 インはミイト達に向かって言う。

「この姿の俺と戦って生き残れたのは、貴様らも良く知っているあの男…ただ一人だけだったが…。貴様らは、どうかな?」

 インは邪悪に微笑んだ。

 インは身体に染み付いてしまった古代竜の呪力を秘めた自分の血液を活性化させて、顔に紋様を施す事によって更に眼球周りの強化による動体視力や、脳神経強化による判断能力を上げる事が出来た。

 その状態では流石に本人も長時間は保たないので、強敵相手に一時的に戦闘力を上げたい時にだけ用いられる。

 故にインの頭部は、身体と違って紋様が消えない様に刻み込まれてはいなかった。

 そして、エストによるミイトの準備も完了する。

 エストは後方に退がるが、いつでも治癒魔法などを唱えられる様な位置に待機した。

 ミイトが右手で魔剣を腰に着けた鞘から抜いたと同時に、インも剣を構える。


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