断片


少し昔話をしようと思う。

中部地方にあるとある山間の小さな町で僕は生まれた。山々に囲まれ多摩川につながる上流によって東西に分断されているその町は星空がとても綺麗な所だった。小学生の頃には夏休みになると夜更かしをして秘密基地と称した家の裏にある山に登りブルーシートの上で夜空に広がる太古の物語に思いを馳せたものだった。

そんな美しい景色や星空とは裏腹にそこに暮らす人々は閉鎖的で排他的であった。確立された田舎町のヒエラルキーは絶対であり、そこには腐敗した金の臭いと嘘の旋律が深く絡みついていた。

そのことに気づいたのはいつだったのだろうか、おそらくちょうど両親を亡くした高校一年生の初夏の頃だったと思う。原因は父の飲酒運転によるものだった。車から放り出された僕だけが運よく生き残ってしまったのだ。

その事故から僕から見える、僕の暮らす町は変わっていった、端的に言ってしまえば冷酷な同情のみが僕に対して向けられる感情であり、暫く経てば腫れもののように、異形のもののように僕は扱われるようになった。何よりも僕を異形たるものにさせしめた原因は葬儀だったと思う。祖父や祖母が泣きわめく中、僕は一粒たりとも涙を流すことはなかった。娯楽のない人々にとってそれは格好の特ダネだったのだろう。

そんな話が町を巡り巡る頃にはとっくに僕は孤独になっていた。

人が怖い

心から僕はそう思った。僅かながらにいた友人たちでさえも日に日に僕に向ける目が変わっていくことに耐えられなかった。

人は何かしらのコミュニティを形成する生き物だ、それこそ人間の進化の産物であり、コミュニケーションという人間の人間たる意義をなす特徴でもある。しかし、コミュニティが形成された後、それはどうなっていくものだろうか。

少なくともこの地では町が人を作っていた。

ヒエラルキーや、様々なコミュニティを含めて、この場所で生きていくためにここに住む人たちは町に造られていくのだ。それはまるでベルトコンベアに乗せられたモノのように流れるままに流れ、やがてそれぞれの烙印を貼られていく。その流れから少しでもはみ出たものに対しては然るべき処理がされる。それが町を町として機能させるもっともな方法だったのだ。

僕は紛れもなく流れから外れたものであり、友人やその他の人々はそれにあくまで従った。そして然るべき処理をしたのだ。

幸い両親は多少の遺産を残してくれた。生命保険も降り、生活をする上で、この町を出ていく上で困ることはなかった。それから暫くして僕は大学への進学という言葉を添えて故郷を捨てた。

東京のとある四年制の大学へ進学した僕は何もかもを忘れて自由な地で生活していた。友人も新しくできたし恋人もいた。休日には映画館や喫茶店に行ったり居酒屋で朝まで飲むこともあった。全ての負を払拭し、新しい自分になれたと思った。しかし事はそううまく進み続けてはくれなかった。心にぽっかりと空いた穴は息をするたびに、朝起きるたびに小さな音をたてながら僅かな痛みと共に僕を静かに蝕む。でも僕には自信があった。嘘という鎧でその空隙を隠すことができていると思っていた。その言葉を言われるまでは。

「あなたが何を愛しているのかわからないの。」

「あなたの瞳の奥がいつもどこを向いているのか見えないまま私は一緒に生活してきた、それはその日の嫌なこととか、他の何かが原因だと思ってた。でも違う、楽しい時も悲しい時も、朝も夜も、あなたの瞳の奥がどこかの方向を指す事はなかった。」

「だからあなたとはもういられない。」

返す言葉がなかった。

盲目になるために盲目であり続けた結果がその言葉の中に詰め込まれている事は明白だった。

そうして僕は四年生の冬、久々に一人のまどろみを弄んだ、忘れていた傷口が開いていくのを感じながら。

それからは特に特筆することもないまま就活に追われながら最後の学生時代を謳歌して過ごした。

就活は特に問題なく内定をもらうことができた。それから僕は職場になるであろう町田の小さな商店街のはずれに1kの部屋を借りた。大して広くはなかったけど趣味も荷物も大してあるわけではない僕にとっては有り余る大きさの我が家だった。近くにコーヒーのうまい喫茶店もあったし居心地のいい飲み屋もあった。

仕事が始まると学生時代には山ほどあった時間はなくなった。これは僕にとって最も幸運なことだった。何も思いを馳せず、ただ仕事を忙しくしていれば日々が過ぎていく。特別に仲の良い友人だとか近しい異性だとかそういうものもなくのらりくらりと所謂”普通”の生活を勤しんでいた。ある漫画の登場人物ではないが、静かな生活こそが僕にとって渇望されるべき事象だったのだ。僕には人の手を切ってコレクションする趣味も、自分の爪を切って保存しておくビンもなかったわけだからある程度安心して日々を謳歌していた。そうして数年の月日が経っていった。



『夜更けの鐘は嘘つきの記憶によく似ている、実体のない音がいつまでも頭の中に響き続ける。』




長いトンネルを抜けた先には雪国ではなく錆びついた看板のある古い駅が待っていた。

若干流れる風が冷たくなった気がする。草木と海の香りの入り混じる不思議な香りがその街を包み込んでいた。それは旧知の友と共に昨今知った何処かの誰かが肩を並べて話しかけてくるような不思議な感覚に僕を陥らせた。

気付くと駅のホームを出ていた、駅の方を見ると僕を連れてきた青い列車はもうそこにいた痕跡すら残してはいない。名前の読み方すらわからないこの街に何があるかはわからなかった、ただ誰も僕を知らないこの質素な場所が今僕が居るべきであろうところであると感じただけだった。人のいる気配はない。朽ちた土産物屋の看板を見る限り昔は観光地であったのだろう、メインストリートだったと思われるこの道は割れた路面と剥がれ落ちた塗装の店々がなんとも退廃的な空間をそこに作り出していた。ふと大学時代の友人と一緒下宿で深夜に遊んだテレビゲームを思いだす、霧が深くかかった町で様々なモンスターから逃げながら娘を探し出すホラーゲームだ。少しだけ背筋が伸びる、思い出さなければいいことを…よく考えたら携帯電話も持ってないし荷物もない、持ってるのは財布とライターと残りわずかなタバコだけだった、なんで心許ない手荷物だろうか。怪物が出たら一発でダメだろうな そんなことを思って少しだけ笑みがこぼれる。「ねぇ!」

心臓が止まるかと思った、安心させたところで虚をつくのはやめてくれ。振り返ってみるとそこには小学3、4年生くらいだろうか、腰の高さほどの身長の女の子がそこにちょこんと立っていた。

「お兄ちゃん何してるの?なんかいるの?」

「いや、そういうわけじゃないよ、ただ…」

「こらっ!なにしてんの!」

少女と同じ方向に視線がいく、そこには30代半ばほどだろうか、気立ての良さそうなロングヘアの女性がいた。

「すいません、ウチの子が…ご迷惑をお掛けして。」

「いえいえ、全然大丈夫ですよ。」

どちらかといえば僕の脳裏に浮かんだ不安は他の事だった、誰もいない駅前に荷物を持っていない20代半ば過ぎの無精髭の生えた男が娘と立っているわけだ。東京だったら即刻通報だろう、お世辞にも児童ボランティアに所属する好青年には見えない、むしろこれから満を持してこの少女を誘拐しようとしている怪しい男にしか見えないはずだ。

「ならよかった、ごめんなさいね。ところであなたここら辺の人じゃないでしょう?荷物も特にないみたいだけど。」

「まあいろいろありまして、旅行というかなんというか。」

しどろもどろな返答になる、こんな時に物語の主人公のような気の利いたことの1つや2つを言えたらもう少し楽に生きていけるのにな、なんて考えてしまう。とかく本格的に疑いの目を向けられる前にお暇するのが今は一番いい選択だろう、そう思っていた矢先だった。

「そういうことだったらちょっとお茶でもいかがですか?この辺りは昔と違ってなにもないですし、よければお話しましょう、この子も気になってるみたい。」

考えてもいない展開だった、断る理由はないし何よりも僕はこの辺りの地理を全く知らない。それこそ怪しい目で見られるのが関の山だろう。ここは甘んじて付いて行かせてもらおう。

「それじゃあすいません、お言葉に甘えさせていただきます。」

黒いワンボックスカーに乗り込む、車内には大麻の形の芳香剤がぶら下げてあり、その香りだろうかココナツのような甘い香りと少しのタバコの匂いがしていた。

車は駅前からメインストリートを抜け、ところどころ舗装のされていない山道を進んでいく。野焼きの煙がところどころに見えている、紅葉の隙間から日差しがこぼれる道では清涼な秋の風が遠く彼方にある冬の気配を連れながら僕の顔を撫ぜていった。金木犀が香る、後ろ髪を引かれるような気持ちが胸を刺す。ここは何処なんだろう、時刻は正午を半刻ほど過ぎた辺りだった。


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