ジャンプ  世界と世界

 次の時空へ来た途端、絵里は踏み潰されそうになった。危うく逃げるが、足元の草原は大地震でも起きているかのように揺れていた。

 転移先は、巨大なムカデもどきの群れのただ中だった。ムカデもどきはおおまかにはムカデだったが、頭部だけが異形だった。その頭部には馬と豚が融合したようなものが接合されている。異形の顔面は口を大きく開いて、唾液と悲鳴を撒き散らしていた。

 巨大ムカデもどきの群れはパニックを起こして逃げ惑っていた。絵里とべるは、一軒家ほどもある長大な脚が振り下ろされる中をかいくぐり、空を見る。群れを襲っているのは、大きすぎて視界には足しか収まらない巨人だった。雲の向こうから来た腕が、ムカデもどきをまとめて鷲掴みにしてさらっていった。

「生命たちは相食み合う。それでも世界を肯定するか?」

 高空からの声。ニャルラトホテプは、ムカデもどきを両断しての急降下攻撃を仕掛けてくる。

「生命は続いていく。無駄に失われる生命なんてない!」

 絵里は走ってきた多足類の足を蹴って三角飛び。飛燕の速度での水平斬りが、ニャルラトホテプの垂直斬りと交錯した。

「相克の中で生まれるものには偉大な価値が宿ります」

 べるが腕を振り下ろすと、連動して天空から巨人の拳が落ちてくる。音速超過の鉄拳制裁がニャルラトホテプを砕く直前、またもその姿が消える。

 神の使者を追って絵里とべるは再び時空を転移する。

 次の時空では、穏やかな風が吹いていた。木漏れ日の差す静かな森の中だ。玉虫色にうっすら光る不定形の生物たちが木陰に寄り添っている。生物たちは触手を長く伸ばし、絡ませ合っていた。絡み合った触手は、パターンを変えて点滅を繰り返す。それに合わせて、テケリ・リと聞こえる奇妙なささやきが発せられていた。

 絵里にはその行為の意味はわからなかったけれど、ただ幸せな想いが伝わってきた。人間で例えるなら、だんらんのような印象だ。

「生命は愛し合う。それでも世界を憎むか?」

 ニャルラトホテプは大地が爆裂するほどの重い踏み込みからの上段斬りを放つ。

「どうしたって理不尽と隣合わせの世界だからっ」

 豪風巻く日本刀を、絵里は軽く切っ先を触れさせ力をそらすことで外させた。

「愛と憎しみは連理の枝です」

 べるが樹の幹に手を当てる。すると、枝がねじり合わされ長槍へと変貌。疾走した槍が貫いたのは、転移したニャルラトホテプが立っていた大地のみだった。

 追った絵里とべるが着いたのは、燃える街だった。石造りの家屋が並ぶ通りには、焦げた臭いだけでなく血と臓物の臭いまで漂っていた。あちらこちらから、雄叫びや断末魔の声が聞こえる。

 一人を囲んで、複数の剣士が戦っていた。囲まれているのはブタ人間、剣士はトカゲ人間とでもいうような風貌だ。ブタ人間は奇妙な光を操り抗戦したが、斬り刻まれて倒れていく。血まみれのブタ人間が宗教的な熱狂を思わせる声で叫ぶと、街角に閃光が走った。絵里がべるを抱えて伏せた直後、爆炎が噴き上がる。自爆に巻き込まれたトカゲ人間たちの手足が、街路に散らばっていた。

「生命は憎しみ合う。それでも世界を愛するか?」

 血と炎の赤を怪しく映した日本刀が、街影から躍り出る。。

「どっちも本当のことだよ!」

 立ち上がりざま、絵里はバルザイの偃月刀を掲げ、鋭い斬撃を受け止めた。

「憎しみは愛へ繋がり、あるいはその逆も真です」

 噛み合う刃の下をくぐり抜け、べるの体が伸び上がる。その手には、ホルスターから引き抜いたナイフが握られていた。

 神父服を翻し、ニャルラトホテプが後退する。浅黒い肌の頬から、赤い血が一筋したたった。

「おもしろい……」

 さらなる転移と追跡。

 どこからか聞こえてきたのは、狂ったように連打される太鼓と、か細く単調なフルートの音。覚えがあるようで絵里は耳を澄ます。

 辿り着いた先は、宇宙に似ているようで違う空間だった。漆黒の闇が無限に広がっているのは宇宙と同じだが、色とりどりの光の粒子が無数にたゆたっていた。

 何気なく手を伸ばしてみると、光の粒子は指先をすり抜けていった。その瞬間、悠久の時の流れの中、無数の生命が生まれては消え、文明は勃興し衰退し、星々もまた生成し消滅し、そして宇宙も有から無へ、無から有へと転じる果てしない輪廻が直覚された。この散らばる粒子の一つ一つが世界だった。

「ようこそ、神の玉座へ」

 ニャルラトホテプは微笑む。それは招待に足る者を見つけた嬉しさからの笑みだった。

「全世界の外側にして中心、白痴全能の神がおわす場だ。窮極の虚空とも呼ばれているここへ、君は以前迷い込んだことがあるな」

 ニャルラトホテプは、絵里を見ながら言う。

「やっぱりそうなんだ」

「元々ここへ楽師として招くつもりだったのだが、その思念が妙な具合に働いたのだろう。ここは最終幕の舞台にふさわしいと思わないかね」

 神の退屈を紛らわすため永劫に続く音楽は、曲として構成されていないけれども、破綻した音ゆえの美は否定できなかった。混沌がそのまま乗ったような音は、このめちゃくちゃな舞台のの結末にふさわしいとBGMと思えた。

「負けるとこ、神さまにばっちり見てもらってね」

 沸騰する闘志を笑みに変え、絵里はバルザイの偃月刀の剣先を突き出す構えを取る。

「この神楽が、世界への祝福となりますように」

 べるの周囲に、極彩色の光が集っていく。べるは、絵里と同様に直覚した世界の粒子の構成をコピーし、凝結させ、宇宙創生の数万倍の威力を秘めた光球を複数生み出していた。

「さあ……私の総力を超え、神に奇跡を献上したまえ!」

 絶叫するニャルラトホテプへ、絵里が突撃する。パートナーを援護するため、べるが放った光球たちは複雑に軌道を変化させて飛翔。極彩色の光の線を描く。

 待ち受ける神の使者は日本刀を右手だけで持ち、左手にはいつの間にか長大な藁の束が握られていた。藁の束は燃え盛り、束の中からはおぞましい悲鳴が聞こえる。ニャルラトホテプは藁の束を振り回し、べるの光球を次々と撃墜。まばゆく輝く極大の爆発が、神の玉座を揺るがす。

 爆発空域を超えた先へ転移した絵里へはすでに、燃え盛る藁の束が振り下ろされていた。半身になってかわした絵里へ、今度は日本刀が肉薄する。左斜め下から迫る刄を、背面跳びの動きでかわし、そのまま縦方向へ体をひねって回転速度の乗った強烈な斬撃を返す。だが、そこにはもう神の使者は存在せず、絵里もそんなことは知っていた。

 一呼吸置き、偃月刀をなにもない空間目掛けて薙ぎ払う。寸前までなにもなかった空間には、ニャルラトホテプが出現している。

 神の力を操る者たちの未来予知は、このタイミングで攻撃しても届かないと告げていた。同時に、ここで引いては斬られるイメージも生まれていた。全力をぶつけ合うしかない。絵里とニャルラトホテプの刄が激突し、発生した衝撃波に巻き込まれた光の粒子たちが超新星爆発のような光景を作り出した。

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