4章 因果共鳴

ステージ 世界と道行

 黒い光を放つ巨大な球体が、異界の空を翔ける。球体は高速回転しながらビルをぶち抜き、空へと消えていった。ビルに空いた大穴の縁は奇妙な具合にねじ曲がっていた。穴の上部がぐらりと傾ぎ、隣のビルに激突。もたれ合うようにして、ビルは崩落していった。

「ポルポポンの逆さ胃袋……」

 頭痛とともに頭に浮かんだ呪文の名前を絵里はつぶやく。

「このデータは……空間そのものをねじ曲げて破壊する魔術のようですね。強力です」

 遠くで上がる土煙を見ながらのべるの解説。

 第三の試練の翌日、絵里は魔道書ネクロノミコンの解読を進め、アイデアがまとまってから異界へ渡り、べると調整を繰り返した。

「せっかく解読したけど、これは強すぎるね。下手したらこっちが巻き込まれそう」

「見事に破壊したものだ。君たちは異世界の住人への敬意はないのかね」

 声の出どころは、チョウだった。チョウの全身は虚無めいた黒一色だが、羽の模様は銀河のように渦を巻く光だ。

「ニャルラトホテプ!」

「試練突破おめでとう。今回はあまりに当然の結末で、つまらない趣向だった」

「つまらない……? 私の友達を巻き込んでおいて、つまらない!?」

 怒りのあまり視界が白む。絵里の憤怒の眼光を、チョウはひらひら羽ばたいて流している。

「言ったはずだが、地球の全ては君に奉じる舞台装置だ。巻き込んだと言うならこの試練が始まった時点で星ごと巻き込まれている」

「それはっ……あなたが勝手に始めたんでしょ!」

「だが終わらせられるのは君だ。さて、次の試練のことだが、」

「もういい。べるちゃん、ここでニャルラトホテプ倒すよ」

 吊り上がった目のまま、絵里はべるを見る。パートナーのアンドロイドは冷静な顔で首を横に振った。

「落ち着いてください」

「べるちゃん!」

「友人を思う絵里の心はとても尊いものです。ですが、仮にここで神の使者を倒しても解決にはならないでしょう」

「くっくく、君のパートナーは賢明だな」

 嘲笑とともに吐かれたニャルラトホテプの言葉は、意外なほどすとんと胸に落ちた。

「あー……っとそうだね。うん。ちゃんと私のこと見ててくれる、いいパートナーなんだ。ごめんね、ありがと」

なんとか微笑みを作ると、べるもほっとした顔でうなずいた。

「では改めて、着いてきたまえ」

 不可思議な模様の羽を動かし先導するチョウを追いかける。

「今回は案内つきなの?」

「道すがら、少し解説をしよう。なぜこの星がこうなったのか、知りたいだろう」

「親切すぎる。絶対なにか企んでるんでしょ」

 体を引いて不信感を表す絵里に、べるは耳打ちする。

「ここは情報収集に徹するべきです」

「うぅ……」

 後方でのやりとりに気づいているはずだが、ニャルラトホテプは気にした風もない。

「かつて、クーハー・サイがこの星を飲み込んだ」

「待って待って! 飲み込んだってどういうこと? いやまずクーハー・サイってなに?」

「君は静かに話を聞けないのかね」

「絵里……」

 そろって呆れた声を浴びせられると、さすがに絵里も小さくなって黙る。

「いいかね、クーハー・サイは生物だ。大きさはこの星の十倍程度。自律行動する惑星と言っていいだろう。彼は、魂あるものは全て喰らうが、それ以外の一切を通過させる口を持っている。彼の獲物になったこの星の文明は滅びてしまったというわけだ」

「スケールが大きすぎる……」

「平凡なことだ。君の体内にもさまざまな菌がいる。彼らからすれば、君は極めて巨大に見えるだろう。一方、クーハー・サイが塵芥のようにしか見えない大きさの生物もいる。気にすることはない。皆等しく、世界という舞台の役者だ」

「狂った神を楽しませるための舞台でしょ」

「降りられない舞台なのだから、気にするなと言っている。もちろん私を含めて、な」

 絵里は顔をしかめるが、チョウはひらひらと嘲るように舞う。

「じゃあ……そもそもこの世界はなんなの?」

「世界は無数にある。その中でもここは、君たちが存在している世界に近いものだな」

 この辺りは家から近い。見知ったはずの景色が変わり果てているのは、居心地が悪かった。

「気味の悪い苔や調子外れな空の色は? 怪物たちはどこから来たの?」

「どれもクーハー・サイから落ちてきたものだな。彼の体表に生息している生物たちは星間を旅して繁殖地を求めているようだ。おや。来客のようだな」

 湿った足音が聞こえた。絵里たちの前方の交差点、その左右から、のそりのそりと現れたのは、二足歩行する、ツタの塊のような物体だった。

 その物体は、腹の辺りまでは人間に似ていなくもなかった。絡み合ったツタを脚のように構成して歩行している。ただし腹の辺りから上で、ツタはほどけて広がり不気味にのたくっていた。広がるツタには、目に痛いほど鮮やかな黄色い花が点在していて、ツタのくすんだ緑色とコントラストを成していた。

「うわぁ、気持ち悪っ」

「絵里、これを」

 召喚されたバルザイの偃月刀をべるから受け取り、構える。

「これもあなたの演出なの?」

「全くの偶然だ。世界という舞台の上で、偶然は何者にも勝る演出家だと感心している。私の試練と関わりのないところで厄介事を引き寄せるとは、やはり君の旅はおもしろい」

 ニャルラトホテプは皮肉もなく話す。本当に計算外なのだろう。

「彼らの名は、君の舌ならばザイトル・クァエと発音するのがいいだろう。優秀な捕食者だよ。まず間違いなく君のことを獲物と認識しているな。少し待つ。自らの力で道を拓きたまえ」

 舞い昇っていくニャルラトホテプを、絵里はジト目で睨む。

「文字通り高みの見物ってわけね……」

「相手は植物。炎の魔術で焼き尽くします」

「オッケー。さくっと片付けちゃおう!」

 交差点を埋めるほど集まったザイトル・クァエは、絵里たちのほうへ進軍し始める。流れだした音楽を背に、駆け出す。そこへ押し包むように殺到するツタの群れ。

 絵里は前進しながら回転斬りを放つ。剣光の銀月と切断されたツタを置き去りにし、一気に距離を詰める。横薙ぎ一閃。両断されたザイトル・クァエの上半身が地に落ちるより早く、反転した絵里の走らせるバルザイの偃月刀が別の一体を縦に裂いた。

 鋭い音を上げて迫るツタの束は姿勢を低くしてかわし、下半身に溜めたバネ力を解き放っての斬り上げでさらに一体を屠る。攻撃後のわずかの隙を狙い、多方向からツタが押し寄せる。絵里は、斬り上げの勢いのまま飛び上がり、朽ちた道路標識を蹴って後方宙返り。追いすがるツタを振り切り、着地と同時に三体を斬り伏せる。

 違和感があった。着地の隙にツタが攻めてこなかった。鮮やかな黄色い花をくゆらせ、絵里を取り囲むようにしてうごめいているだけだ。

 なにがあった、ということはない。ただ直感が告げる通り横に跳ねた。瞬間、絵里が直前まで立っていた道路が爆ぜた。

「なっ……!」

 止まったらやられる。確信に動かされる絵里の背後で、次々と道路が爆ぜていく。飛び散るコンクリの破片と赤紫色の苔を浴びながら絵里はザイトル・クァエを睨む。

 バルザイの偃月刀の力で強化された視力が、花から走る超高速の影をを捉えた。

「なにか発射されてる?」

 踵を返し、走り抜けざまに深く穿たれたクレーターを見やる。破壊跡の底にあったのは、茶色くかさついた質感の。楕円形の物体だった。

「種……?」

 自分がつぶやいた言葉に導かれるように、絵里はザイトル・クァエの花に目を向けた。花が膨らんでいる。

 急停止。絵里のすぐ前の道路が爆裂する。あと一歩踏み出していたら、もろともに打ち抜かれていた。クレーターの底には、やはりあの楕円形の物体がある。

「種で攻撃ってありなのっ?」

 叫ぶ絵里に答えたのではないだろうが、ザイトル・クァエはツタのあちこちに咲く花から、一斉に種を発射した。一発一発が砲弾並の威力を秘めた種子が横殴りの雨となって襲いかかる。

 幾重もの発射音が空気を轟かせた直後には、絵里の研ぎ澄まされた直感が完全な回避ルートを導き出していた。が、絵里は即座にそれを破棄した。

 絵里が体を滑り込ませたのは、べるの前方の空間だった。

「りゃああああああ!」

 欠片の一つも触れさせないと気迫を込めて偃月刀を振り下ろす。刀身から走った衝撃波が、道路をえぐりながら爆進。種子の砲弾を吹き散らし、ザイトル・クァエを薙ぎ倒す。

 武器を振り切った絵里の右腕に、ツタが巻き付いていた。衝撃波を迂回し、急降下したツタは獲物に生まれた隙を見逃さなかった。

 浮遊感に包まれたかと思うと、一瞬意識が飛ぶほどの勢いで振り回されていた。あまりの速度に血の流れがおかしくなったらしい。貧血のため狭まった視界でべるを見る。べるもこちらを見ていた。情熱的な歌を一心に響かせ、べるはその場から動こうとしない。怪物と自分の間に、絵里という前衛がいなくなっているのに守ってくれると確信している。

「もう少しだけ時間をください。それまでは、お任せします」

 頭の中で、べるの声がした。パートナーの歌姫は歌い続けているのだから幻聴には違いないのだけれど、勇気づけられる。

「もちろん。任せてよ!」

 心の中で答えた絵里は、縛られていない左手だけで偃月刀を操りツタを切断した。空高く舞う絵里目掛けて、地上のザイトル・クァエたちが次々と種を打ち出す。

 回復した視界の中、迫る砲弾の微細に違う弾着予想時を絵里は瞬時に判断。身体を回転させて力を溜める間に最適な剣筋を組み立て、衝撃波で迎撃した。打ち返された砲弾は、ザイトル・クァエを貫き道路まで爆砕する。偃月刀を旋舞させ、続けての種子砲撃を叩き落とす絵里は凶悪な爆撃機と化する。ちぎれたツタが宙を舞い、埃を上げて大地が鳴動した。

 着地した絵里は、数体をまとめてなぎ払って後方を見る。歌のテンションはかなり高まっているようだ。荒れ狂うツタの隙間を縫い絵里とべるの視線が交錯、意思を確認し合った。

 胴を狙ってくるツタをくぐり抜け、上と左から同時に放たれた種子は体をひねってかわし、絵里は大地を強く蹴って進む。その先には、両手を掲げ神々しいほどのオーラを放つ歌姫。

 微笑みをかわし、絵里はべるの後方へ駆け込んだ。瞬間、雨が降ってきた。

「さむっ……」

 静かに降る雨は、絵里が思わず腕をさするほど冷気をともなっていた。雨はザイトル・クァエの上にだけ降り注ぎ、怪物たちを燃やす。

「寒いのに燃えて……って、なんか違う」

 雨粒が触れた途端に怪物の全身が炎上、だが次の瞬間には炎は消え、そしてまた炎上する。高速でスイッチを切り替えるように炎上と鎮火を繰り返すザイトル・クァエは徐々に燃え崩れていく。荒廃した世界に降る雨の中、もだえながら怪物たちが倒れていく光景は、前衛芸術めいていた。

「シィホー・カの嘆きは、周囲の熱を奪う魔術です。急激な熱の転移は、冷気と自然発火を同時に発生させます」

「炎って言うから、学校で使ったみたいな大爆発! なのかなって思ってたよ」

 べるは、ひらひらと降りてくるニャルラトホテプをちらと見る。

「ン・ガイの炎獄ですか? あれは彼の方の領地を焼いた炎を呼び出す魔術です。関与を確かめるための賭けで、無闇に不興を買うつもりはありません」

「賢明な判断だ。それよりも、随分と魔の扱いが上達したな」

 ニャルラトホテプは、もし人間の姿だったら意味深にほくそ笑んでいたであろう声音で言う。絵里とべるは、顔を見合わせ首をかしげた。

「普通だと思うけど。私が引っかき回して、べるちゃんがとどめ刺す、ってパターンだよね」

「これまで相対してきたのはいずれも強敵でした。この程度の障害では、力を測り切れないかと」

「そうか? まあいい。すぐにも答えは出るだろう」

「また思わせぶりなこと言って」

 追求しても、はぐらかされるだけだ。ふたたび、絵里たちはチョウの後ろをついて歩く。しばらく行くと、周りの風景が馴染みのないものに変わっていくのを感じた。

「家の近所だったはずなんだけど……似てるけど違う世界ってこういうことなんだね」 

「……奇妙な繋がり方をしているようですね」

 べるが驚嘆の目で辺りを見回す。

「べるちゃん、知ってるの?」

「ここはHPLのラボラトリーがある街のようです」

「それって、べるちゃんが昨日メンテ受けに行ってたところ?」

「はい。見えてきました」

 べるが指差した先には、広大な敷地を持つ三階建ての建物があった。塀の向こうにそびえる真っ白な壁は、いかにも研究所然としたものだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る