イヴィル 主役と犯人
「まずは第一の試練突破おめでとう。キーストーンタートルは種族最後の一匹だと言ったのに、容赦なく殺害するとは感動したよ」
「それはっ。あなたがそうさせたんでしょ!」
「あんな酷い殺し方をしろとは言っていない。責任転嫁は感心しないな」
ニャルラトホテプが、ネズミの喉で気味の悪い音を立てて笑う。
「……私は、人殺しだからね。とっくに理不尽を押し付ける側の人間なんだよ」
悔しげな声がこぼれる。
でも……と、神の使者を見る目は、烈しい光が灯っていた。
「理不尽を生み出す存在は許さない」
「そんな君にうってつけの試練を用意した。近頃、君の近くで人間が失踪する事件が連続しているだろう。あれの犯人を倒すんだ」
さっきリビングでこの事件を解決したいとは言ったけど、それを計ったようなタイミングでニャルラトホテプから持って来られると気味の悪さしかない。
「私達を監視してるの?」
「ただ君よりも知識と知恵を持つ身だ、結果的にそんなよう見える時もあるだろう」
「はぐらかすような言い方っ。答えになってない」
「世界の果てから果てまで無数の舞台を同時進行させているのだ。ひとつひとつ監視するほど暇ではないさ」
目の前の小さなネズミが、ひどく遠く巨大なものに思えた。こうして話している間にも、世界のどこかでは、ニャルラトホテプが破滅と理不尽を撒き散らしているのだろう。
「彼の居場所は、君のスマートフォンにポイントしておいた。確認したまえ」
絵里は、ニャルラトホテプから注意をそららずに、そっとポケットからスマホを引き抜く。マップアプリを起動すると、自宅周辺の地図が表示された。赤いポイントマーカーが指していたのは、自宅から歩いて十分くらいの大きな家だった。
「近っ」
「ハッキング? これも魔術なのですか……?」
「どんな物体であろうと、この宇宙の中にあるには違いない」
驚嘆の目をスマホに向けるべる。だが、ニャルラトホテプは道理を説く口調だ。
「では失礼する。次も期待しているよ」
「待って!」
駈け出しかけたネズミが止まり、人間だったら肩でもすくめていそうな雰囲気で振り返る。
「他ならぬ君の願いだ。わずかだけ時間を取ろう」
「上から腹立つっ……! じゃあ聞くけど、どうして悪人を倒させる試練を出したの。あなたの目的は、悪趣味な神を喜ばせること。事件は長引くほうがいいはず」
まともな悪人退治の話なんか持って来るはずがない。絶対に裏の意図があるはずだった。
「いい着眼点だが、大事な要素が抜け落ちているな。今、この星の中心は君だ。君のおもしろさを引き出すためなら、彼を使い潰して構わないと考えている」
「わた、し……?」
「この星の命運は君にかかっている。ならば、全ては君のための舞台装置だ」
「みんなそれぞれ思いを持って生きてる。そんな勝手は許されない!」
「それは君の口から出た時点で無効化される発言だな。もはや、君の存在自体が理不尽を押し付ける機能を持っていると理解したまえ」
まただ、と思った。知らない間に人殺しになっていた。今度は気づかない間に、この星を回す歯車、理不尽という名の巨大な歯車になっていた。過去は消せず、歯車は止まれない。
「それでも、諦めない。抗ってやる」
背負った重荷を思い知らされても、絵里の瞳の光は揺るぎない。
「それでこそだ。では、君の旅路が面白おかしいものであらんことを」
走り去るネズミを見届けもせずに、絵里は振り返る。
「行こう、べるちゃん」
「絵里……大丈夫ですか?」
戦意をみなぎらせる絵里に対して、べるは不安げだ。
「全然負ける気がしないよ」
それはべるが聞きたかった答えではないようで、宝石めいて美しい瞳が憂いに曇る。
「……改めて指摘させていただきます。今度の相手は生身の人間です」
すぅっと体温が下がる感覚。べるの冷静な指摘は続く。
「ニャルラトホテプの語り口からして、相手はほぼ確実に魔術師か、それに准する者でしょう。魔の力を向けていいのは、同等の力を持つ者のみ。それは異界の怪物や、魔術師のことです」
「……向こうにべるちゃんの同じタイプのアンドロイドがいるの?」
「HPLの組織の魔術師は厳密に管理されていますし、絵里の周辺にはいません。まれにですが、解明不能の技術で作られた道具を用いて魔術を行使する輩がいます。今回はそのパターンでしょう」
絵里が口を開くが、機先を制するようにべるが言葉をかぶせる。
「魔術師同士の戦いは過酷です。道具だけを奪って無力化しようという考えでは、生き残れません」
「それって……殺せってこと?」
「最も確実な手段です。また、超法規的措置により罪に問われることもありません」
「でもっ……! そうだ、今回みたいな場合、警察とか裁判はどうなるの?」
「警察は、HPLと合同で隠蔽工作を行うことになります。仮に犯人を生きたまま確保しても、心神喪失とされ法の裁きは望めません」
「じゃあ、精神病院に閉じ込めておくのは?」
べるは、ぎょっとした顔でパートナーを見つめる。
「え、ええ。可能ですが、絵里がそんなことを考えているとは思いませんでした」
「親の事故の時に、加害者の人があんまりにもフラフラだったから責任能力うんぬんって言われたの覚えててね」
ただ殺すよりも、武器を取り上げて捕まえるほうがはるかに危険で困難だ。それでも。
絵里は胸に手を当て、自分の心を確かめるようにしながら少しずつ言葉にしていく。
「人を殺すのは、よくない。罪を犯したなら、裁かれて、罰を受けなきゃいけない。理不尽な世界だからこそ、正しさを通せるところは通したい。このこだわりが過去の経験から来てるのも、わかってる」
絵里は、パートナーへ決然と語る。
「べるちゃん、犯人は殺さずに捕まえたい。あっ、でも、べるちゃんも危なくなっちゃうよね」
一瞬前の態度は吹き飛び、あわあわする絵里にべるは微笑みかける。
「私はあなたの決定に従います。サポートはお任せください」
「べるちゃんに迷惑ばっかりかけてるよ……」
歩み寄ったべるに、ぎゅっと手を握られ、絵里は間近でパートナーと向かい合う。べるの顔は厳しさと優しさが同居したものだった。
「私の任務は、魔術師のサポートです。ですが、任務とは関係なく心の底から絵里を好ましく、支えたいと思っています。過酷と知りながらも、自らの信じる正しさを貫こうとする姿勢、とても尊く感じます。どうか、私のためにあなたの決断を曲げないでください」
「私はそんなに偉い人かな……」
今回の決断は確実にべるを巻き込む。
「じゃあ、武器だけ出してもらって、あとは私が、一人、で……」
最後まで言えなかった。続きを察したべるの顔が、みるみる変わっていったからだ。殴られそうなほど怒ってるようにも見えたし、泣きそうなほど傷ついてもいるようだった。
絵里は思い切り頭を下げた。
「ごめん! 私が間違ってた。一緒に行こう。絶対守るから、命かけてください!」
「顔を上げてください。私は元よりそのつもりです」
肩に手を置かれた。そっと上をうかがうと、天使の微笑みが待っていた。
その場の流れや勢いではなく、はっきりと自分のわがままにべるを巻き込む宣言し、受け入れてくれた。
絵里はぐっと力を込めてべるの細い体を抱きしめる。
「わがままで、ひどい奴だけど、嘘つきにはなりたくないんだ」
「信じます」
「ありがとっ」
ぱっと体を離し、昂ぶる気持ちのままくるくる回る。
「よーっし。行こう」
異界から戻り、自宅から徒歩で約十分。スマホのナビに従い、二人は目的地に差し掛かっていた。
「家っていうか、屋敷? でかっ、でかいよ」
「音が周辺に響きにくいでしょう。隠蔽が容易になります」
高く長い塀に沿って歩いていく。土台は石垣で瓦屋根がせり出している和風の造りだ。やっと見えてきた門も頑丈そうな木製だ。
「インターホン鳴らすのはおかしいよね?」
「適当なところで塀を飛び越えましょう」
挙動不審にならないよう、平静を装いつつ横目で表札を見る。『茂木 誠司』とフルネームで記してあった。
門を通り過ぎようとしたところで、インターホンから声が流れる。
「こんにちは、お嬢さん方」
深い響きを持つ初老の男性の声だ。
「出迎えもなく申し訳ないが、どうぞ入ってきてください。道なりに進めそこがば本邸なので。待っていますよ」
重そうな木製の門は、意外なほど滑らかに音もなくスライドして開いた。オートメーション化されているらしい。
「バレてたね」
「監視カメラでさっきの会話を聞いていたとしても、窃盗犯の類だと考えるのが普通でしょう。先方は、魔術師が戦闘に来ていると了承済みのはずです」
「……ニャルラトホテプ」
「はい。先回りして通達していたのでしょう」
「不意打ちじゃおもしろくならない、ってわけだ」
門の奥は見事な日本庭園が広がっていた。青々とした芝に打たれた飛び石は、正面の木々を迂回して奥へと消えている。庭の景観を楽しむコースのようでもあるけれど、一直線に本邸へ進ませないための防護策でもあるように思えた。
「べるちゃん、武器お願い」
召喚されたバルザイの偃月刀を受け取り、庭園へと踏み込む。トラップや奇襲などはなく、あるのは鮮やかな木々の緑。そして静寂を撫でるような梢のざわめきと、二人分の足音だけだった。
だが、飛び石の先に本邸が見えてきた時ふと、べるが足を止めた。アンドロイドの目は、本邸から離れたところに立つやや小振りな建物に向けられている。漆喰の壁の奥を見通そうとするかのように真剣な目だ。
「蔵まであるんだ。気になるの?」
「先ほど、魔術を行使する前に周囲をスキャンしました。確かな人間の気配がひとつ、これは茂木誠司と考えて構わないでしょう。同時に、複数の人間の気配も感知したのですが、あまりに微弱でノイズと判別できなかったのです」
表札に記された名前は一人だけだったから、家族はいないのだろう。これだけ大きい家なら使用人がいてもおかしくはないれけど、微弱というのが引っかかる。しかもあんなところに?
ぞわりと背筋が冷たくなる感覚とともに、絵里の脳裏で直感が閃く。
「失踪事件って、何回起こってたっけ?」
「六件です」
「……感じた気配って、具体的にいくつ?」
「……六つです」
聞き終えると同時、絵里の足は飛び石を外れて芝を踏みしめていた。早足で進む絵里の後ろから、べるの悔しげな声がかかる。
「ニャルラトホテプは、失踪事件の犯人と言っていました。考えてみれば奇妙な言い回しです」
「くっ……!」
駈け出していた。バルザイの偃月刀の力で強化された身体能力で、一気に庭園を突っ切る。扉を押し開け、蔵の内部へと転がり込んだ。
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