第22話:キスの影響

 登校して1組の教室に入るには、3組、2組の教室の前を通るルートか、ぐるっと校舎を一周りして向かうルートの大きく分けて2種類があった。その日イオリは、一番遠回りのルートを使って、ホームルームの予鈴ギリギリに登校した。

 それもこれも、モエの家から帰る途中でユキヤにホームでキスをされたことが原因だった。キスをされた側もした側も言葉を失って、同じ車両に乗って帰宅したにも関わらず――もっと正確に言えば、ユキヤがイオリの家までちゃんと送り届けたにも関わらず、ふたりは一切口を聞かずに分かれてしまったのだ。その時イオリは、キスをしてきた側がまず釈明なり、愛の告白して、キスの意味を話すべきだと思っていた。しかし、イオリの意図はまったく雪屋には伝わらず、彼は自分からそのことについて触れることもせず、ただただ口を閉ざしてしまったのである。

 彼は、彼なりに何か考えがあったのかもしれない。しかし、言葉によって伝えてくれなければ、意図を汲み取ることはできないのだ。

 そんなわけで、気まずさからイオリは2組の教室を避けるように登校したのである。

 ただ、問題を引き伸ばせば引き伸ばすほど、頭の中でぐるぐると渦巻いていった。ホームルームも、1限目の授業を受けながらも、意識はフラッシュバックする。ユキヤがホームで突然振り、そよ風のようにイオリの唇を奪っていく。唇が触れる感触がないのに、触れ合ったことは唇の先に残っていた。キスを終えた後にキスしたことに気づいたのである。


(今日は、教室から出にくいなぁ……)


 1限目が終わっても、イオリは席を立てなかった。教室の外に出て、もしユキヤと合ってしまったら……。彼女は自分の赤面を止めることはできないだろう。

 ユキヤの性格から考えると、彼女が教室に引きこもっていても、用があれば呼び出しに来るだろう。初めてあった翌日も、彼は何事もなくイオリを呼び出してきた。


(あの頃のユキヤは、この学校の不良の代名詞になってたな。今は、あまり悪い噂もたってないけど……)


 思い返せば、ユキヤの悪評は少しずつ薄れているように見えた。登校日数が少ないため、忘れられているのかもしれないが、彼のパブリックイメージは改善されつつある。チャーリーの話した3つの恋の秘訣――、


 (1)余計な物を捨てる

 (2)素直に生きて、自分の魅力を引き出す

 (3)パブリッシュの法則


 このうち、2以外はユキヤにとって良い方向に動いている。つまり、余計な不良といういレッテルで行動しないことと、パブリッシュイメージの改善――改善対策によって改善されたわけではなく、水に流されていったと言う意味で改善された――した。あと2番の素直に生きて彼らしい魅力が出てくれば、イオリより先に恋を成功させる秘訣を手に入れてしまう。

 そして……。


(アタシがユキヤに恋に落ちる……?)


 そのイメージになれず、イオリは首を振った。

 ユキヤのキスで、イオリが恋に落ちたわけではない。しかし、もしユキヤが3つ完成させたとき、その魔力でイオリの心が動く可能性は否定できなかった。


(もしも、もしも……、ユキヤが素直に生きて、その判断がアタシにとって魅力的に思えたとしたら……、アタシはユキヤを好きになってしまうかもしれない)


 理屈の上では、何度考えても、イオリが恋に落ちるという結末が見えていた。もちろん、イオリがユキヤの素直な姿を魅力的に思わない可能性もある。絶対に好きになるという保証はないが、自分の心をシミュレーションした結果に鳥肌が立ってしまう。教科書どおりだからこそ、避けられない結末のように思えた。

 可能性の話しでしかないのに、自分の心を予言しているようで頭が痛くなった。

 イオリは、2限目の開始と同時に、頭痛を訴えて保健室に逃げ込んだ。


「アンタまた来たの?」


 保険医は怪訝な表情をしたが、イオリの顔色の悪さに気づくと何も言わずにベッドの使用許可を出してくれた。

 そのままイオリは昼休みまで熟睡した。

 保険医がカーテンを開ける音で、イオリはうっすら覚醒した。


「昼休みだけど、もしまだ調子悪いなら帰宅した方がいいんじゃないか?」


 保険医はそう言って、イオリに体温計を渡した。イオリは、それを脇にはさみながら、小さく頷いた。

 

「5限が始まる前に帰ります」

「親御さん呼ぶ?」

「大丈夫です。横になったらだいぶ良くなりましたから」

「そう。担任には連絡入れておくからね」


 電子音がして、イオリは体温計を保険医に返した。


「平熱、所見だと問題なさそうだね。自分のタイミングで、帰れるときに帰りなよ。無理せずに」

「ありがとうございます」


 イオリは言いながら身体を起こした。帰れるなら、帰ったほうが正直気分は楽なような気がした。ユキヤに告白されたことが彼女の負担となっているなら、学校から出ることが何よりの治療法である。イオリは、昼休みの騒々しい空気に紛れて、しれっと帰ってしまおうと考えた。

 廊下には人が溢れ、楽しげな会話や、元気のいい声が聞こえてきた。イオリはうつむき気味に――まるで気配を殺すように――教室に戻った。

 教室では北原シズカや長谷川ナオキらが休み時間を利用して何か打ち合わせしていた。熱中しているらしく、イオリが戻ってきたことにも気づいていない。イオリはできるだけ音を立てないようにカバンを取って教室を出た。

 外履きに履き替えて校舎を出ると、ようやく深呼吸が出来るようになった。なんだか、学校をサボっているようで気持ちは落ち着かないが、このまま授業を受けても身が入らないため、これでよかったと自分を納得させた。

 校門を出ると、何となく心が軽くなったように思えた。

 そして、突然横から声をかけられた。


「学校をサボりすぎると、キミのパブリックイメージが悪くなっちゃうよ」


 振り返ると、真っ黒い天狗面をかぶった黒尽くめの怪しい人影が、校門に寄りかかって立っていた。

 変質者と通報したいところであったが、イオリはため息をついた。


「チャーリー……、ほんといつも突然あらわれるのね」

「私は恋の配達人♪ 恋が生まれる場所に出没するのさ♪」

「妙な歌は良いから……、とりあえず『普通の』格好をしてくれない? ここで立ち話もしてられないし、その天狗のお面も怪しいしさ」

「では15分後駅前の喫茶店で、第4、第5、第6の秘訣を教えよう♪」


 チャーリーはそれだけ言うと、ぐっと踏み込んで、人間離れした跳躍力で校門の上に飛び乗り、そのまま走り去っていってしまった。

 イオリはその後姿を見送りながら、思わず呟いてしまった。


「4、5、6? いきなり多くない」

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