第17話:偶然
吹き抜ける夜風は冷たくなってきた。肌寒さを感じ、イオリは両手で自分の体を抱きしめた。タイツを履かないと生足では鳥肌が立つ程である。
隣に立つ丸山ジュンは、学生服からダサいスウェットに着替えてきていた。夜に紛れ込むような真っ黒な上下で、ワンポイントもないシンプルな服装だった。スマホを取り出して、何か操作しているが、イオリの目線の高さでは何をしているのか見て取れない。
「本当に、ユキヤくんが澁谷にくるの?」
ジュンは、僅かに首を縦に振って、その質問を肯定した。
「ったく、急に寒くなるんだもんな……」
イオリはブツブツ言いながら、青になった交差点を進んだ。
人波を縫うように前進しながら、108の前を過ぎて横断歩道を渡った。そこから先は、順に前を行くように促して、ジュンの後ろを静かに進んでいく。
荒木ユキヤが、澁谷の外れにある基布公園で決闘を申し込まれたと聞いたのは、ユキヤが学校に出てくるようになって3日後だった。学校に来たユキヤが、その日完全にイオリを避けるような行動を取ったのである。不審に感じたイオリは、例によって、2組の情報通――ネットストーカー丸山ジュンに情報を調べるように指示を出した。
その翌日、ジュンはどこから仕入れた情報か、ユキヤが他校の生徒から決闘を申し込まれたことを調べてきた。決闘を申し込んできた生徒は、7月にユキヤが喧嘩してボコボコにしたその人、本人だった。リベンジマッチを申し込んできたのである。
週3日しか学校に来てないユキヤは、木金と休みになり、そのまま土日を迎えることになる。ジュンの話が正しいなら、金曜の夜に基布公園で決闘が行われるらしい。
基布公園は駅からかなり離れた区営公園で、夜になると酔っぱらいや、不審者がどこからともなくやって来るといういわくつきの公園である。警察の方でも、巡回しているらしいが、一般的な感覚を持った人であれば、夜その公園に近づくことは絶対に避けるところである。
「これで、何もなかったら承知しないからね……」
「な、何もなく帰ってこれたら、ぎ、逆に幸せだと思う」
「ちょっと、怖いこと言うのやめて!」
ジュンの背に脅すようにいうと、彼は不吉な言葉を返してイオリを怖がらせた。
「いざとなったら、警察に電話。スマホの画面はすぐ警察に電話できるようにセットしておこうね!」
「わ、わかったと言いたいところだけど、さ、先に警察に連絡しておいたほうが良いんじゃ……」
「それは、そうだけど……。もし本当に決闘なんてしちゃってたら、全員逮捕されて、人生おしまいだよ。なんかちょっと可愛そうじゃん。せめてユキヤくんくらいは止めたほうが良くない?」
「……よ、世の中には、じ、自己責任という言葉があって。やっぱ、全部の責任は本人の、せ、責任だと思う。ぼ、僕らが首を突っ込んで被害を被るよりは、自分で責任取ってもらうほうが良いんじゃない?」
「自己責任か……。自分で正しい判断できるなら、それに任せても良いんだけどね」
ユキヤの場合は、妹や母親がいるため、ふたりに迷惑をかける事はしないと思う。その基準さえ忘れなければ、決闘の呼び出しを無視して基布公園に来ることはないはすだ。
「こ、ここからは要注意で……」
公園の入口手前でジュンは立ち止まり、スマホをウェストポーチにしまいこんだ。真っ黒いスウェットに、ウェストポーチという身軽な格好で手には何も持たず準備万端と言った様子である。そして彼は、イオリの隣に並んだ。
「なに、先に行きなさいよ。男子でしょ」
「……」
ジュンは、嫌そうな顔をしたが、渋々先頭を切って公園の中に進んだ。
◆◆◆
まだ19時を回ったばかりだと言うのに、公園は静かだった。人がいないわけではない。何人も影は見かけるが、みんな気配を殺すように暗がりの中に身を潜めていた。街灯の下は避け、人目を避けているようであった。
公道から中に入ると、生い茂った木々が夜空を塞ぎ、車が走る音も届かなかった。
「決闘の場所わかる?」
「こ、この先の広場を抜けた、アスレチックの遊具が置いてあるところ」
「隠れるところは?」
「ネットで、画像を見ただけだけど、そのさらに奥にある遊歩道の茂みが……たぶん」
「OK」
ふたりは並木を抜け、芝生が植えられた広場についた。そしてそのまま広場を直進して、アスレチック遊具が置かれたスペースにたどり着いた。
まだユキヤも決闘相手もきていない。
イオリとジュンは、隠れる場所を探してさらに前進した。
周囲を見回しながら、近づいてくる人影がないか注意を払う。イオリが左手に視線を向けると、数人の人影がこちらに向かってくるのが見えた。
「誰か来た」
「ひぇっ!」
イオリの言葉に、ジュンは突然走り出し、ひとりだけ茂みに飛び込んだ。
遅れを取ったイオリも慌ててそれを追う。
人影に視線を向けながら、ジュンの飛び込んだ茂みをジャンプする。人影はイオリたちに気づいていないのか、歩みのスピードを変えなかった。
(気づかれてない……)
茂みの端からこっそり頭を出して覗き見る。こちらに来る人影の数は4つ。そのどれもが先程と同じような動きをしていて、何かに気づいたような様子はなかった。
「お、重い……」
その時はじめてイオリはジュンを踏みつけていたことに気づいた。
◆◆◆
イオリたちが身を隠して、15分が過ぎた。
その4つの人影は、イオリたちが隠れている茂みのところまで来ており、物音を一切立てられない状況が続いた。しかし、その接近のお陰で、その4人がやはりユキヤを呼び出した決闘相手だということがわかった。
(あとは、ユキヤが来なければ……)
息を潜める緊張感が続く中、幸運なことに4人がバカ話を初めて盛り上がり始めた。それをチャンスと捉えたジュンがポーチからそっとスマホを取り出す。そして、イオリに画面を向けてメッセージアプリを立ち上げるように支持を出してきた。
(なるほど、それを使えば声を出さずに密談できるってわけね)
イオリも同じようにスマホを取り出して、画面を立ち上げた。明るさをめいいっぱい暗くして、光でバレないようにする。
“古金衣高校の学生服”
ジュンから届いた最初のメッセージに、イオリは眉をひそめた。
“古金衣高校って、モエの行ってる私立じゃん”
“何か関係が?”
“なわけ無いじゃん、見間違えでしょ”
モエを疑われて苛ついたイオリは、4人の格好を見ようと顔を覗かせた。その動作は思った以上に大きく、制服が芝生をこすった。
「なんだ?」
話をしていた4人のひとりがその音に気づき、会話を止める。
(やばい)
足音が近づいてきた。
その時、ジュンからメッセージが届く。
“僕が走って10秒後に反対側に逃げろ”
(ジュン?)
イオリが振り返ると同時に、ジュンは茂みから飛び出し、4人を突き飛ばすように走り出した。4人は一瞬怯んで散り散りになる。その間をジュンは黒い塊となってダッシュした。
「何だアイツ! 捕まえろ!」
怒鳴り声が響き、4人がジュンを追う。そして、全員がジュンの方に走り出したのを見届けると、イオリは言われた通り反対側に駆け出した。
「おい、もう一人いたぞ! 女だ!」
振り返ると、ひとりが反転したところだった。他の3人もイオリの方を見ているが、ジュンをそのままおっている。
イオリはこれ以上早く走れないほどに疾走した。しかし、女子と男子の脚力では差がある。子供ならまだしも、高校生同士では、すぐに差が縮まってしまう。
後ろから聞こえてくる喚き声が次第に大きくなる。
焦る気持ちを抑えながら、どっちに逃げればいいかを考えるが、思考がまとまらなかった。細い曲がりくねった道を突っ切ると、池が見えた。誰か助けを求められる人がいないか視線を走らせるが、こんな時に限ってひと気がない。
橋をわたるところで、ついにイオリは捕まった。手首を締め上げられ、地面に引きずり倒される。
「はぁ、なんだよ。やってたのか?」
男はいやらしい笑みを浮かべて、イオリに馬乗りになった。
そしてそのままイオリの胸元に手をかけようとしたとき、横から側頭部を強襲される。
サッカーボールを蹴りつけるような鋭い曲線が、男の頭を捉えた。容赦ない一撃に、男は吹き飛び、地面に突っ伏したまま動かなくなってしまった。
仰向けになったままのイオリは、突然のことに混乱するが、助けられるとわかるとすぐに身を起こして倒れた男から後ずさるように離れた。
「なんでお前がここにいんだ」
そう言って、荒木ユキヤは倒れている男が息をしているかを確認した。
「ユキヤ」
「女子がひとりで夜の基布公園に来たらどうなるか、知らなかったのか?」
「その人、死んだの?」
「まさか、気失ってるだけ。俺の質問聞いてた? なんでここにいんだよ」
「そ、それはあなたが決闘するって聞いて」
「なんでそんなこと知ってんだ? 誰にも言ってないぞ」
「ジュンが、言ってたのよ」
「ジュン? アイツなんで知ってんだ?」
ユキヤが首をかしげるが、イオリがどうやって情報を入手したかは聞いてない。イオリが答えられずに首を横に振ると、彼は肩をすくめてため息をついた。
「まぁ、良いや。ちょうどコイツをボコボコにしに来たんだけど。それも終わったし帰るぞ」
ユキヤは親指を立てて、伸びている男を指差した。
そこでようやくイオリはジュンの話が本当だということに気づいた。
「本当に古金衣高校の制服だ」
「古金衣高校? 知ってんのか?」
「私立の良いところ、だけど……」
「お坊ちゃんかよ。どおりで口だけなわけだ」
ユキヤは軽口を叩くが、古金衣高校はイオリの中学の親友である美南モエが通っている学校である。ただの偶然だと思うが、あまりいい印象は受けなかった。ユキヤのことを不良だと否定しながら、自分の通っている学校にいる不良を粛清してないのである。ユキヤを弾劾する前に、自分の通っている学校の心配をしたほうが良いのではないか。
イオリは釈然としない目で、倒れている男の背中を見下ろした。
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