第16話:チャーリー再び

 信じられないという表情をしていたイオリに、その青年は懐かしいものを見せてくれた。

 目以外が真っ黒に塗りつぶされた、天狗のお面。それは紛れもなくチャーリーが付けていたものだった。


「でも、顔がこの前と……?」


 イオリは状況が飲み込めず、目をぱちぱちさせる。その青年の顔は、どこかチャーリーの面影を残しながら、さらに若返らせたような顔立ちをしていた。


「ワタシが変装の名人だということを忘れたのかな?」


 そう言って、頬を指でつまんで引っ張ると、薄い皮膚が異状なほど伸びて、顔のパーツがそれに引き寄せられてズレていく。そしてパチンと話すと、全部が元の位置に戻ってきた。

 どんな原理なのかイオリには想像がつかなかったが、変装をしていることがわかり、イオリは気持ちを落ち着かせるように深呼吸をする。


「信じてもらえたかな?」

「ええ……、でも、どうして突然? なんで今までアタシの前に現れなかったの? それに恋の成功の秘訣を教えるって言って何も教えてくれてないじゃない」

「まぁ、まぁ、待ち給え」


 堰を切ったように話し始めるイオリを、チャーリーは穏やかに宥める。


「講義の途中でほったらかしにしてしまったことは謝罪しなければいけないね。すまない。ワタシにも少し事情があってね、身を隠さなければならなかったのだよ。そうだね……、しいて言えば、妖精界界隈でも、キューピット系と配達人系、ハートフル系など派閥が別れていて、少し身を隠さなければいけない事情があったのだよ」

「キューピット系? な、なにを言ってるかさっぱりだけど、そうだった。たしかアナタ、自称妖精だったわね」

「さて、話を元に戻そうか。ワタシの講義の途中で、キミは『教科書どおりに恋をするのは不自然』と感じたね。しかし、一方で講義の中で学んだ『間違った恋の勉強をして、没個性=魅力を失った状態』になることは理解しできた」


 イオリは、揺れる電車の中で頷いた。


「そして、次のポイントである『自分らしく素直に生きることで、自分の魅力を引き出すこと』も、自らの力でその利点に気づいた。これは非常に素晴らしいことだ。高校1年生で、相手に惑わされずに、自分らしく生きることを新に理解できる人は稀だ。みんな――特に女子は好きな相手に合わせて自分を殺してしまう。相手に依存し、相手の求める姿を演じてしまうのだ。そうなる前に、自分らしく生きることの素晴らしさを理解できたということは、生涯、恋を成功させ続ける上でとても大切なことである。しかし――」


 次の駅に到着して、チャーリーは話を切った。そして、ホームに降りてイオリを、ホームのベンチに促す。


「しかし、その後どうすればいいか。ワタシはキミに伝えられていなかった」

「その結果、アタシはアタシの考えるままに行動して、不良と付き合っているとか、不良を更生させるとかよくわからない問題に巻き込まれてしまった……」

「ハハハ、そう。それはキミの良いところが現れた結果だから、気にすることはない」


 イオリが皮肉げに言うと、チャーリーは嬉しそうに話した。

 話の意図が読めず、イオリが首を傾げると、彼はひとつ咳払いをして講義を続けた。


「良いかい、二つ目のポイントを思い出して欲しい」

「『自分らしく素直に生きることで、自分の魅力を引き出すこと』?」

「そう。キミは自分の考えで行動することが出来るようになったため、キミ自身の魅力が外に表出し始めた。そして、その魅力に気づいた人――つまりユキヤくんと、ジュンくん――が、キミの魅力に引き付けられて集まってきたのだ。そして男子だけではない。モエくんという女の子も、キミの決断と行動の結果が作用して、キミに近づいてきた」

「ユキヤくんや丸山くんが、アタシに惹かれている? まさか?」

「彼らの中で恋心に発展しているかは、確証はない。しかし、魅力を感じたからこそ、キミに近づいてきているのは紛れもない事実である。関心を持たない人間と行動することはないだろう。単純な話だ。そして、これこそが、3つめのポイント『パブリッシュの法則』である」


 イオリは、チャーリーの言葉を繰り返した。


「『パブリッシュの法則』?」


 チャーリーは頷いた。


「つまり意思を体現することで、キミの魅力が表出する。そして、それはキミ自身の広告のように他者が気づき、徐々に徐々に引き寄せられていく」

「抽象的すぎてわからないわ」


 イオリは頭を抱えた。

 チャーリーは、一瞬考えるように口元に手を当ててまぶたを閉じる。そしてすぐに話始めた。


「ユキヤくんを例に上げるのが良いだろう。ユキヤくんは、夏休み前に暴力事件を起こし停学した。それによってユキヤくんの世間のイメージは『不良』であると定義づけられた。これこそが、魅力が表出し、『不良と言う広告』が付けられた状態だ。そして、不良というわかりやすい言葉とともに悪い噂が広まり、彼の評判は落ちていく。これを逆に捉えてみよう。そうすると、恋を成功させる3つめのポイントが見えてくるはずだ」

「逆に?」

「そう、逆に――良い方に言葉を置き換えて考えてみてご覧♪」


 チャーリーは、イオリに考えることを求めてきた。それに気づいたイオリは、チャーリーの言葉を頭の中で反芻しながら、ぽつぽつと言葉を発していった。


「暴力事件ではなく、慈善活動をした。それによって、世間のイメージは『真面目な子』になり、『真面目な子と言う広告』が付けられる。そして、真面目な子というわかり易い言葉から、いい噂が広がり、彼の評判は上がっていく……?」

「そう。要素を絞って、わかりやすくすると、キミが今喋ったことなんだよ。そして第1、第2の法則と合わせることで、キミの魅力が多くの人に伝わり、素のキミを好きになる人が現れる――これが、恋が始まるまでの3つの法則だ」

「意外と普通のことなんだね」

「そう見えるのは、あらゆるタイプの人間に公式として利用してもらうために作られているからだろう。わかりやすく仮定しよう。まじめな人がこの法則を使えば、同じ価値観のまじめな人があつまる。反対に不良な人がこの法則を使えば、同じく不良な人が集まる。合理的な人も同じ、優しい人も同じ……。そして、その集まってきた人と会話し、自分とより合う人を見つける事ができれば、それは永遠の愛へと変わっていくだろう」


 イオリは話を聞いて、すぐに反論した。彼の言っていることは現実に即して内容に思えたからだ。


「そんなに上手く行く? 世の中の付き合ってるカップルを見てよ。真面目な人とそうでない人が付き合ってるのなんて、いっぱいあるじゃん。それをどう説明つけるわけ? 離婚率の統計を取ったの?」

「イオリくんの指摘は、間違っていない。人は折り合いをつけて生きれる生物だから、自分と違う人間を受け入れる度量を持っている。しかし、度量を持てない人が入れば、不幸になるか、別れてしまう。これは生涯愛し合い一緒にいた人たちの統計の反証で表せられる」

「でも、そんなにうまくいくかしら」


 チャーリーは懐疑的なイオリに、優しげな眼差しを向けた。


「うまくいかないからという理由で、公式を使わない理由はないよ。そして教科書どおりに恋をするということは、短い人生の中で時間を無駄にしないために非常に重要だ。キミは……数学の公式を思い出してほしい。問題を読んで答えを出すとき、公式を知っているかどうかによって回答までの時間が変わるだろう。仮に説いている最中に公式が間違っていたら、軌道修正できる。なにも知らなければ、軌道修正もできなければ、先に進む際の道筋を見つけることも難しい。絵を描くのだって同じだ、身体の骨格を知っているかどうかで表現できるものが変わってくる」

「抽象画は?」

「抽象画を描くためには、具象を理解しなければ、どういうふうに抽象的に描けばいいか、基準が持てないだろう。もう少しわかりやすい話をすると、将棋には定跡という最善手の差し方が存在する。定石通りに指すことで、攻めと守りが盤石になり勝負に勝ちやすくなる。もし知らなければ、余計な手数が増えて、相手よりも不利になる――おそらく将棋をプレイしたことがないだろうから補足すると、交互に将棋の駒を進めるため、悪手を指し続けて余計な手数が増えると、攻めも守りも行動が遅くなり、相手に容易に価値を渡してしまうのだ――もし、定跡を知っていれば、仮に定跡で打っている最中に相手が予測外の行動を取ったとしても、それに対処するための行動を取りやすい」。それに負けたとしても、なにが問題だったか見つけやすいだろう」


 チャーリーの話が熱を帯びてきてあため、イオリは一旦話を切るために「そうだね」と言ってベンチから立ち上がった。


「もし……、ユキヤくんがその3つの法則を使ったら、みんなの目も変わるかな?」

「一度ついたパブリックイメージは変えにくいが、一貫性を持って取り組むことで変わる」

「そっか――」


 イオリは、チャーリーの話を思い返しながら、ユキヤにどう話そうか考えている自分に気づいた。

 夕日は沈んで、空は夜の色を帯び始めていた。

 通り過ぎていく電車の窓からは、明るい蛍光灯の光が漏れる。


「アタシの魅力に引き付けられて、ユキヤくんと丸山くんが近づいてきたって言ったけど」

「もし、ユキヤくんが変わって、他の人がユキヤくんに近づいてきたら、そのときどうなるのかな?」


 イオリの質問にチャーリーは少し考えるように沈黙した。


「それは……、誰にもわからない。人の心を操るための法則じゃないからね。イオリくんはユキヤくんと付き合いたいのかな?」

「ううん、わからないの」

「わからないなら、今のキミの気持ちのまま行動するのが良いんじゃないのかな」

「更生?」

「更生という言い方をするから、混乱するんじゃないのかな?」


 チャーリーは、イオリに考えさせるように質問で返してきた。


「考える時間はあるよ。ひとつ言えることは――」


 チャーリーがイオリにまっすぐ視線を向ける。


「それがキミの魅力だってことだよ」


 そして、白い歯を見せて笑みを浮かべた。

 イオリはその言葉に、救われるような感覚を覚えた。なぜ、行動するのか、言葉に表す必要はない。その自然な無意識の行動が自分の魅力なら、それで良いんだ。わざわざ説明する必要はない。


「ありがとう。アタシ、ユキヤくんと話してみる」


 チャーリーは、イオリの言葉にうなずき返した。

 そして、電車がホームに滑り込んでくると同時に、彼の姿は風のように消え、庵の前からいなくなった。

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