第9話:言葉の魔力

 イオリが帰宅の準備をしていると、教室の入口の方で男子が騒ぎ始めた。


「おい、ヤバイくらいかわいい美少女が校門のところ、うろついてるらしいぞ」

「うちの学校の?」

「違うみたい。グレーの制服、知ってる?」

「おい盗撮してんじゃねーよ。てか、やべーなこれ、画像転送してよ」


 女子の軽蔑の眼差しにも気づかずに、男子たちは、大きな輪を作って盛り上がり始めた。

 美少女なんて写真写りと、化粧でどうとでもなるのに、と表層しか見ない男子にイオリは半ば軽蔑の一瞥を送った。

 廊下に出ると、他のクラスの男子も窓から身を乗り出して――そう、それはまるで餌にありつこうと柵から鼻を出し、ブヒブヒなく養豚のようである――その美少女とやらを見ようとしていた。


「美少女がお前らみたいな盛ってる豚に恋するわけ無いじゃん」


 北原シズカはイオリのとなりに駆け寄ってきて言った。

 イオリは苦笑して、それ以上の批判は謹んだ。


「でも、芸能人とかかな。画像盗撮して回すくらいだし……」

「え~、盗撮? キモいなー」


 シズカは眉間にしわを寄せて、嫌悪感を示した。それから、ふと2組の教室に目をやり、ニヤリとしてイオリの方を向いた。


「彼、今日も真面目に授業受けてたみたいね」

「荒木くん? 良いんじゃないの」

「イオリの説得が利いたってすっごい噂になってるけど、どうなのよ、やっぱ付き合ってるんじゃないの?」

「だ~か~ら~、その話は何度もしてるでしょ?」


 イオリは、口をとがらせて歩くスピードを早めた。

 荒木ユキヤとイオリが屋上に行った日を境に、ふたりが付き合っているという噂が学校中に広まってしまった。当のふたりは、その日以降、ふたりっきりであったり学校内で話したりもしておらず、周りが囃し立てているだけというのが実情だった。ただ周りはそういう話には、尾ひれをつけて話したがるらしく、あらぬ噂を広められていた。


「シズカまでアタシと荒木くんのこと疑い始めたら、風評被害が止まらないでしょ! いい加減、親友の話を聞いてよ!」

「まぁまぁ、そんな怒らないでよ。ちょっとからかって遊んでるだけじゃん~」

「それが風評被害=愉快犯ていうことなの!」

「でも、荒木くん結構頭いいみたいよ。この際ほんとに付き合ってみたら?」


 イオリはシズカの言葉をフンと鼻で笑い飛ばして、歩くスピードをさらに上げた。

 付き合うかどうかは、本人の気持ち次第である。周りに言われて付き合うものではないのだ。そして、イオリは自然に惹かれあえれば、ユキヤと付き合うことは否定しないと言う思いを持つようになっていた。時期が来れば、付き合う可能性はゼロではない。それを周りがごちゃごちゃ言うことで、乱してほしくなかった。


「怒らないでよ~う」


 シズカの声に、イオリはちらりと後ろを一瞥した。そして後を追ってくることを確認しながら、無視して外履きに履き替え校舎を出た。

 玄関の外には、男子たちが何人もウロウロと所在なげに立ち並び、校門の方に視線を向けていた。振り返って校舎を見上げると、校門に面している窓という窓に落ち着きのない男子たちの姿が見えていた。


「これはすごいな……、芸能人でも来たみたい」


 イオリに追いついたシズカも振り返り「ひえ~~~~」と畏怖の声をあげた。

 男子が校門に注目している中を帰るのはあまり心地よい気分ではなかったが、イオリは構わず足を進めた。

 校門の石垣の影から、真っ青な車のボンネットが見えた。そしてそのボンネットに優雅に腰掛ける女子の姿を見届け、イオリはシズカと顔を見合わせた。シズカも気づいたようだった。


「あれ、モエじゃん」


 イオリはシズカの言葉に頷いた。

 中学生の頃、イオリ、シズカ、そこにいる美南モエ、そしてもうひとりの4人で四六時中つるんで遊んでいた。しかし、今はモエだけ別の学校に進学していた。私立のお嬢様学校――というよりも金持ちが行く品格の高い学校と言ったほうが的確かも知れない――で、中学卒業と同時に家族揃って引っ越して行ったのだ。それ以来あってない。

 美南モエは、優雅に首を傾げる。そして、視界の端にイオリとシズカを見つけると、ぱっと明るい表情を見せた。どこかふわふわ浮いたような軽やかな身のこなしは、まさにイオリたちの知る親友だった。


「イオリ~、シズカ~」


 モエは手をピンと伸ばしてふたりを呼ぶ。その甘い声に、イオリもシズカも後ろの男子がトロトロに溶かされるのを、振り返るまでもなく手に取るように分かった。しかし、本人はまったく気に留める様子もなくふたりが来るのを待っていた。


「騒ぎになってたよ」シズカは言った。

「それよりも、どうしてここに?」イオリはシズカを制して尋ねた。


 モエは、ふっと笑みをこぼし、イオリを指差した。


「そ~れ~は~、イオリに悪い恋人ができたって聞いて、ね♪」

「えええ……。なんでモエにまでその話が」


 イオリはシズカを横目でみた。

 シズカは首を横に振り、否定する。


「ニナから聞いたのです。ひとり抜け駆けして、彼氏を作ったとね。そ~し~て~、その彼氏がとっても悪いそうで、わたくし心配と好奇心で飛んできたのです」

「まさかニナから? 噂話するタイプじゃないのに!」


 東村ニナは、イオリやシズカ、モエと一緒に遊んでいたひとりだった。イオリやシズカは1組で一緒になれたが、ニナだけは3組に飛ばされ、部活の忙しさからあまり話す機会が取れずにいた。


「ニナめ~。広める前に聞きに来れば良いものを……」


 おそらく弓道場で的を射ている親友の顔を思い出し、イオリは歯を噛み締めた。

 そんなイオリにモエは詰め寄った。


「い~ま~は、ニナのことはどうでもいいのです。イオリの付き合っている彼氏とは、どの方ですか? 一目合わせていただきます!」

「ちょっと声がでかいよッ。アタシは誰とも付き合ってないって、勝手にそういうふうに広められただけで――」

「そうやって誤魔化そうとしても無駄ですよ~。何人も告白してフラれた事実は、伝わって来てますからね。確率論で言えば、数打てば必ずヒットするものです。あなたがまともな人に見向きもされず、ワルに手を出すのも想定の内。さぁ、観念してご紹介ください♪」


(ダメだ……。全然話を聞いてくれない)


 イオリは、暴走気味の親友に気圧されて半ば説得を諦めた。とは言え、彼氏がいるとも言えず、一旦モエが落ち着くまで何処かでゆっくり時間を潰さなければと考えた。

 その時、横でニヤついていたシズカが何かに気づいて目を見開いた。

 振り向くと、長谷川ナオキが小走りに近づいて来ていた。


「おーい、西野に北原~」

「ナオキくん!」


 シズカは頬を赤くして満面の笑みをナオキに向けた。


「二人の知り合い? 生徒会からの指示で悪いんだけど、場所変えて話してもらえないかな。他の生徒の迷惑になっちゃっててさ」


 そう言ってナオキが校舎に視線を向けた。

 イオリたち3人も促されるように校舎を見ると、未だに男子生徒がこちらの様子をうかがっているではないか。ナオキが走ってやってくる気持ちもわかる。

 好奇な視線に気づいたモエは、穏やかな表情を崩さずに、「では一度退散いたしましょう」と車の助手席にさっと乗り込んでしまった。鮮やかな引き際である。

 助手席のウィンドウを下げ、モエはイオリに言った。


「次は、場所を決めてお会いしましょう。できることなら、イオリのワルと噂の彼氏にもご同席いただき、面談させていただけますとうれしいですね」

「面談て、保護者か……」イオリはがっくり来た。

「それでは、また」


 そう言い残すと、モエはウィンドウをあげた。

 真っ青な車はエンジンを軽くふかした後、急発進して爆音を轟かせて言ってしまった。専用の運転手付きのスポーツカーを乗り回す女子高生がいるだろうか。お嬢様の退散に、イオリはシズカにため息をついた。

 そして顔をあげたイオリは、荒木ユキヤが校門の側でこちらを見ているのに気づく。ユキヤはイオリが気づいたのを確認するとくるりと踵を返して何も言わずに去っていった。

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