第8話:噂~シンプル
授業に戻ったイオリは、体調不良で保健室に言っていたと嘘をついた。
教鞭をとっていた先生は何も疑うことなく席に促したが、クラスメイトの好気な目は避けられなかった。
その授業が終わると、すぐに北原シズカが傍にやってきた。
「ねぇ、大丈夫だった?」
他の生徒が聞き耳を立てているようで、嫌な気持ちだったが、イオリは正直に何もなかったことを伝えた。
「もしかして付き合ってる? イオリの好きなタイプって、もう少しガリ勉ぽい将来お金稼ぎそうな人っぽかったのに、血迷っちゃった?」
「ないない、どっちもない」
「え~、信じられないなー。最近恋話にも食いつかないし、彼氏でもできたの?」
「だから……」
シズカの言葉を否定しようとしたところで、ふと見上げると、長谷川ナオキが見下ろしてきていた。
「荒木に呼び出されたって聞いたけど?」
「あ、あー! ナオキ!」
ナオキの損座に気づいたシズカが飛び上がった。
「さっきの授業でさ~」シズカは慌ててナオキに話しかける。
「ちょっと待ってて」しかし、ナオキはそれを制した。
シズカはしゅんと肩を落として、そのまましゃがみこんでイオリの机に寄りかかった。
話の相手にはされなかったが、話は聞き続けるようだ。
「で、呼び出されたって?」
「そんな大げさなことじゃないってば、ちょっと話しただけなのに。別に荒木くんそんな悪い人じゃないよ。ただちょっと子供なだけなんだって」
「子供っぽいのはわかるけど、昨日も手首掴まれて連れて行かれそうになってたじゃん」
ナオキの言葉に、クラスメイトは騒然とした。
シズカも元気を取り戻したのか、立ち上がって「えええええ!!」と大きな声を出した。
「イオリ、それマジ!? 先生に相談したほうがいいんじゃない?」
勢い込んで話してくるシズカにイオリは怒鳴った。
「だから、そんな悪い人じゃないっていってるじゃん! 少なっくともアタシは何もされてないの! 何かされたらちゃんと言いに行くから、イチイチおせっかい焼かないでよ!」
「心配してるのに、なにその言い方!? やっぱり付き合ってるんでしょ?」
「付き合ってるかどうかなんて、関係ないよ。ただ自分の目で評価したことを言ってるだけ」
話にならないと思ったイオリは、言うだけ言ってシズカを退けて教室を飛び出した。
好きとか嫌いとか、そう言う基準でユキヤのことを思ったことはなかった。凶暴な面を持っていることを理解した上で、一対一になると、とたんに自分の言葉を話せないコミュニケーションスキルの乏しい人だと評価しているだけなのだ。
1組の教室から出て、2組の教室を通り過ぎながら横目で中を見ると、窓ぎわの席で荒木ユキヤは頬杖をついて外を見ているのが見えた。
(授業に出てる!?)
自分の言葉が通じたというおこがましい気持ちはないが、その姿にイオリの気持ちは温かくなる。ユキヤはもともと教室に戻る予定でいたのかもしれない。それにほんの数回しか会話したことがなく、喧嘩で相手をボコボコにしているシーンを目撃し、十分に噂通りの――喧嘩で停学するような人だと認識できてきた。それなのに、相手を想って嬉しくなるのは変な思考だとイオリは自分の感情の可笑しさを笑った。
イオリは歩くスピードを止めないまま、学校の玄関まで行くと外履きに履き替えた。
そして一目散に校舎裏に向かった。
◆◆◆
授業開始のチャイムが鳴る中、イオリは校舎裏のクスノキの幹を蹴りつけた。
スネから膝までしびれるような痛みが走る。
「チャーリー出てきて! 話をしようよ!」
イオリは、クスノキの葉の茂みに向かって語りかけた。
その声はそよ風に吹かれ、葉っぱが相互に擦れ合う音に紛れて消えていった。
イオリが期待する結果にはならなかった。
「どうして出てきてくれないの? 私に恋の秘訣を教えてくれるんじゃないの?」
イオリは回答者のいない問いを何度も口にした。彼女自身が、なぜチャーリーに会いに来たのか、理由はもやもやの霧の中に隠れていてわからなかったのだ。
質問が堂々巡りする。
ユキヤと自分の行動について、ごちゃごちゃ周りが言ってきたことに腹が立って、その愚痴を聞いて欲しい気持ちもある。それから、現在のイオリが置かれている状況をきれいに整理・分析して、冷静な判断で助言をもらいたい気持ちもある。そして、噂しか信じられない人の言葉ではなく、人を正しく評価できる人に、ユキヤを評価してもらいたかった。
(ちゃんと授業出てるじゃん、荒木くん)
イオリは、クスノキの根本にへなへなとへたり込んでしまった。
授業に出る気はない。
今日は、このまま帰ってしまいたかった。別にユキヤとの噂が立つことは問題ではなく、その対応をするのが面倒で仕方ないのである。シズカの悪気のない言葉も、ありがたいが、静かにしてほしかった。
(あ~、こういう気持ちからグレるんだろうなぁ)
つい1時間ほど前に、自分がユキヤにごちゃごちゃ言ったことを思い出して、ふっと笑みがこぼれた。
その時、土を踏む音が聞こえて、イオリは緊張した。
「だれ、チャーリー?」
それか、先生? と言おうとしたところで、ユキヤの顔が校舎の影から現れた。
「おい、人に授業出ろって言って、自分はサボってんのかよ」
「ハハハ、サボってないよ。ちょっと外での授業に来ただけ」
「課外授業かよ。笑えないジョークだな」
恋の授業とは言えず、イオリは笑ってごまかした。
しかめっ面のユキヤは、ゆっくりとキョロキョロしながらイオリに近づいてきた。
「もしかして、オレのせいで迷惑かけた?」
ユキヤは、ボソボソと言った。
イオリは彼がそんなことを考えていたのかと驚くとともに、そのふてぶてしさがやはり成熟してない子供っぽさから来ているように思えて面白くなってきた。
(そうか、そうなんだ。シンプルになればなるほど、自分の飾ってる余計なものをなくせばなくすほど、その人の魅力が見えてくるんだよ。ユキヤは噂からじゃわからない、子供っぽいところがある。余計なものを取り払って、その人に注目すれば、その人の魅力が伝わってくるんだ! それはアタシにも言えること。チャーリーが言ってたことはやり方じゃないんだ。抽象的すぎてわからなかったけど、姿勢を正そうとしていたんだよ!)
急に笑みを浮かべ始めたイオリに、ユキヤは少したじろぎながら舌打ちをした。
「ゴメンゴメン、教室戻ろうか」
「なんだ、急に……」
まさか、ユキヤの行動を見ていて、チャーリーの言葉の真実に気付かされるとは思いもよらなかった。
そして、イオリが機械的に恋をしたくないと、チャーリーに言ったことは、完全勘違いだったのだ。もしかしたら、チャーリーの言い方は機械的だったかもしれない。でも伝えようとしたことは、シンプルに生きて恋を見つけることが、自分の魅力も、相手の魅力もわかった上で恋ができるということだったのだ。
イオリは笑顔を浮かべた。
「ワタシは恋の~配達人~♪」
そしてチャーリーの歌を口ずさみはじめた。
その様子にユキヤは少し引いたような表情を見せたが、イオリは構わずチャーリーのように歌った。
――ワタシは恋の~配達人~♪
遠くからイオリの声にハモるようにチャーリーの声がして、振り返ったが誰もいなかった。
しかし、イオリはチャーリーとまた会えそうな予感を感じ、気分が晴れやかになっていくのを感じた。
「さー、ガシガシ勉強しよう!」
手をかざして、心から湧き出る言葉を空に向かって投げた。
ユキヤは急に明るくなったイオリをジト目で見ながら、ボソリと呟いた。
「何なんだよコイツ」
雑な言葉の割に、その表情には笑みが浮かんでいた。
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