第6話:チャーリーの不在の中で

 チャーリーに会うためにイオリは校舎裏に向かった。

 そして、いつもと違うピリッとした緊張感に気づいた。張り詰めた空気が、ヒリヒリと肌に刺さる。自分の直感のままに、イオリは飛び出したりせず、校舎の角からそっと顔を覗かせて、裏手を確認した。


(喧嘩かぁ、ヤなタイミングで来ちゃったな)


 複数の男子がもみ合っている。既にふたりほど地面を悶絶していた。またひとり腹を抱えて地面に突っ伏す。そこを追い打ちをかけるように、金髪の男子がつま先で蹴り上げる。

 思わずイオリは顔を引っ込めた。


(これはヤバイ、先生呼んでこないと大事に――)


 自分が割って入って止めることはしない。と言うかできない。目をつけられても仕方ないため、関わり合いになりたくはなかったが、さすがにほうっておくこともできない。怪我人が増える前に先生を呼ぶくらいのことはしてもいいだろう。

 そっと走り出そうとしたイオリは、誰かに腕を掴まれてぐっと引き止められた。


「ひやっ」


 イオリは身を縮めて驚いた。

 振り返ると金髪の男子が、ギュッとイオリの手首を掴んでいた。その口の端から血が垂れ、制服は土に汚れていた。


「告げ口したら、お前も痛い目あわすぞ」

「……はい」


 ドスの利いたその口調にイオリは完全に萎縮してしまった。小さく頷いて、その男子の言うことを聞く。


「よし、このまま帰れ。誰にも言うなよ、いいな?」

「はい」


 その男子はイオリの手を離し、肩を強く押した。

 イオリはよろけながら、足早にその場を後にした。

 心臓はドキドキと激しく脈動している。チャーリーに会いたいという目的をすっかり忘れてしまったイオリは、そのまま教室まで帰り、荷物をさっさとまとめて校舎を出た。その間誰とも話さず、口も開かなかった。終始強張った表情で、もし先生とすれ違っていたら、すぐにその異変に気づくだろう。

 校門を出たところで、校舎を振り返り、人影がないことを確認し、ようやく息を吐いた。それまで息をしてこなかったかのように酸素が足りない。


「そんな偏差値低い学校じゃないのに」


 苦し紛れに出た言葉が、偏差値なんて普段イオリが使わない言葉だったことが少しおかしかった。受験勉強から解放されて、数カ月ぶりに発したようなきがする。その違和感に、イオリは乾いた笑いを浮かべた。そして、大きく深呼吸して、おかしくなった自分の挙動をどうにか抑えようとする。

 こういうときに親友の北原シズカがいると助かったのだが、チャーリーと話してからコミュニケーションを取るタイミングがなく、今どこにいるかさえ思い当たらなかった。メッセージを送って、話たいという気分にはならず、イオリはトボトボと歩き始めた。


「西野?」


 背後から声をかけられて、イオリは振り返った。


「長谷川くん」


 昼間、教室で話しかけてきた長谷川ナオキの姿を確認し、イオリはふっと息をついた。


「なに?」イオリは小走りに駆け寄ってくるナオキに尋ねた。

「元気なさそうだったから、声かけてみた」

「そう?」


 ナオキは頷いた。


「いつもだったら、ほら、北原とか東村とかと騒いでるイメージだけど今もひとりだし、どうしたのかなって。一応ほら、俺クラス委員もやってるからさ。夏休み明けから秋にかけて気をつけてろって先生にも言われてて」

「夏休み明け? クラス委員て大変だね、そんなことやってるんだ」

「小学生ほどひどくはないけど、高1の夏開けた後荒れるやつもいるからさ。ウチわりと生徒会の自治がしっかりしてるじゃん、生徒同士でマネジメントさせようとしてるから、クラス委員が声かけるようにしてるんだよ――って、俺も休み明けに聞いてやり始めてるんだけどね」


 ナオキは照れるように頭を掻いた。

 人懐っこい笑みに、一瞬イオリは惹かれるような感情の変化を感じた。そして、ナオキのような人当たりのいい人なら、クラス委員の仕事をうまくこなせそうだなとも思えた。


「で、なんかあった? 単刀直入に聞いちゃうけど……」

「うん……、いや、大丈夫!」


 先程の喧嘩のことは口止めされているし、チャーリーのことを話すわけにもいかず、少し悩んだ末イオリはナオキを安心させるように笑顔を返した。

 しかし、ナオキはそれに納得できない様子で、顔をしかめて首を傾げた。


「大丈夫だって、ほら~、女子には男子に言えないこととかあるでしょ~」

「それはそうだけど……」


 勘が良いのか、イオリの言葉にナオキは首をひねった。

 その時、横から影が割り込んできた。


「おい、何してんだ?」


 見上げると、先程の金髪の男子がイオリに不満げな目を向けていた。

 金髪の男子は、イオリとナオキの間に強引に割って入ってきたかと思うと、イオリに手を伸ばしてきた。


「すこし付き合えよ」


 そして、有無を言わずイオリの手を掴むとそのまま強引に引っ張る。

 その様子にすぐにナオキが止めに入った。


「ちょ、ちょっと、ごめんな。今話してたんだけど」

「アァ?」


 金髪の男子は、ナオキの胸ぐらをつかむと威圧するように唸った。

 ナオキはひるまずに、落ち着いた様子でその手を抑える。


「2組の荒木ユキヤくんだよね? 今日から学校?」

「テメーは何だよ?」

「1組の長谷川だよ。せっかく停学明けたんだから、一旦落ち着こうか。オレ何かするわけじゃないしさ」

「話しかけんな、テメーに用はねーんだよ」


 ユキヤはそう言ってナオキを突き飛ばす。

 よろけながらもナオキは言い返した。


「うちのクラスの西野をどこに連れてくか知らないけど、ヤバそうだからオレも一緒にいくよ」

「話聞いてねぇな」


 ユキヤはイオリの手を離して、ナオキににじり寄った。怒気を放ち、明らかに好戦的だ。学校の前で、喧嘩を始めようなど正気の沙汰ではないが、ユキヤにはその思考はないのか、拳をギュッと握り締め、ナオキに殴りかかった。

 ナオキは、さっと後ろに下がりつつ、「待て、落ち着け、話し合おう」と言いながら、ユキヤの攻撃を避けた。その口調がおどけるような調子だったため、余計にユキヤを煽りたてているように見えた。その鮮やかな回避能力は、さながら闘牛士と、闘牛のようである。

 喧嘩慣れしているのユキヤは、何度かパンチを繰り出した後、攻撃行動を止めてナオキから距離を取った。


「……」


 そして、ユキヤはナオキをじっと睨んだあと踵を返した。不満げではあるが、最初の怒気や、好戦的な感情はなくなっていた。

 ユキヤは、一部始終を見ていたイオリに近づき、そしてすれ違いざまに、


「余計なこと言うなよ」


 と釘を刺して去っていった。

 ナオキは、ユキヤの後ろ姿を見送りながら「いやー、ひやひやした」と手で顔を仰いだ。余裕で避けていたように見えたが、その額にはうっすら汗が滲んでいた。


「やばいやつに目つけられたなぁ……。アイツ、夏休み前に大きな喧嘩して停学してたって噂だったけど、戻ってきたんだなぁ」

「アタシも、ちらっと聞いたことあったかも2組で停学で立って話……。退学にはならなかったんだ」

「正当防衛って噂だけどね~。詳しくは2組のやつに聞かないとわからないかな。西野、今日ひとりで帰れる?」

「うん、ありがとう。大丈夫」


 イオリは、ユキヤの背中を見送りながら言った。

 後をつけて来るタイプには見えなかった。

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