第2話:没個性
「ネット上のテクニックが使えないなんて、あるのかしら」
イオリは風呂から上がりベッドに横になりながら、スマートフォンの画面を眺めた。
恋愛テクニックのサイトを何件もブックマークに保存して、日々勉強してきたのだが、それを天狗のお面を被った変質者にバッサリと否定されてしまったことで、疑心暗鬼に陥っていた。
洗いたての髪は、まだ湿ったまま額に張り付いていた。
ドライヤーをかけないと、と思いつつも、天狗の変質者――自称、恋の配達人の「統計を取って調べられたものなのか?」と言う言葉が頭に引っかかって、髪の毛を乾かすモチベーションさえ湧いてこなかった。
「恋愛なんて、主観のかたまりじゃん、統計なんて役に立つのかしら?」
と、恋の配達人の言葉を否定したい気持ちに駆られるが、主観でまとめられたテキストだからこそ、嘘八百ではないかと疑ってしまう気持ちも湧いてきていた。
「恋を調査……どこかの大学とかで研究してそうな題材かもしれない」
イオリは、ぐるっと体を起こすとスマホで『恋 研究 大学』と検索を試みた。
その時である。
天井の隅から声が聞こえた。
「ワタシは恋の~、配達人♪ 恋を成功させる秘訣を知りたいと、きょーみを持ってくれたようだね~♪」
「ひあ!」
突然の来訪者に、イオリは悲鳴を上げベッドから転げ落ちた。
どしーんと大きく響き、母親が「イオリ! 夜にうるさいよ!!」と怒鳴り声が聞こえた。
「ごめーん! 部屋の中に虫がいて、もう大丈夫ー!!」
「虫って、ワタシのことかな~♪」
恋の配達人は、奇妙なアクセントで――本人は歌っているつもりなのかもしれないが非常に音を外している――イオリに話しかけた。
「どこから入ったの!?」
イオリは天井に、逆さまに張り付いている恋の配達人に言った。
重力がそこだけ空に向かって働いているのか、恋の配達人の髪や、コートは垂れ下がらずに元の形状を保っていた。
「言ったはずだよ。ワタシは恋の妖精だとね。ドアがあいていれば、どこにでも侵入できる力を持っているんだ」
「マジで、気持ち悪いけど、本当に妖精らしいね……」
イオリは、ウゲっと吐く素振りを見せた。
「ふむ、素直に納得してくれるとは、案外IQが高いのかな?」
「案外ってなによ!」
「素直でいい子だと言うことだよ。ハハハ~」
恋の配達人は、天井からふわりと床に着地した。起用に靴だけは脱いで懐にしまう。臭そうな靴下は、つま先の方がよれて伸びてしまっていた。
恋とは無縁の……、つまりファッションへの無頓着ぶりがよく現れていて、イオリは新手の貧乏神なのではないかと気味悪がった。
「安心してくれたまえ。貧乏神ではなく、恋の妖精だ。君が望まないなら、一瞬にして姿を消し、二度と現れることはない」
「目的はなに?」
「それはただ一つ、間違った恋愛を正し、世界平和に貢献すること♪」
「世界平和~……、なにそれ薄気味悪さ全開で、すっごいキモいんだけど」
「そう言うものだと割り切ってください。恋の配達人の使命は、恋を配達することただそれだけなのです。恋を配達することで、愛を生む。そして、愛を生むことでヒト・生物を進化させ、世界を良い環境にする。生物も植物も、全ては愛を機転にパラダイムシフトが起こる。ゆえにそのターニングポイントとして、正しい恋愛をヒト生命に伝授しなければいけないのです♪」
恋の配達人は、拳を握りしめ、小さい声で熱く語る。夜なのを配慮しているのだろう。
「この世は、恋に飢えている。愛を渇望している。しかし、その方法がわからなかったり、間違った方法を実践して傷ついてしまうことばかり。振り振られ、そして結婚した後も不倫不貞……、間違った恋さえしなければ、正しい恋をすれば、一生ツガイとなれる伴侶を見つけられるのに!」
「それ~、理想論じゃないの? 一生のツガイとか、現実的じゃないよ」
「理想論ではないのだよ。我々はヒトの文化の歴史を遡り、厳選に厳選を重ねた120組の成功した夫婦を対象に、その出会いから恋に至る過程~結婚~結婚生活~死別までを調査し、どういった出会いが成立すれば、最期まで仲睦まじくいられるのかを割り出した!」
イオリはその話を聞いて、ますます胡散臭さを感じた。
「たった120組? 統計っていうのはね、何千とか、何万とかのアンケートを取って行うものでしょ!? 全然少なすぎ手話しにならないわ」
恋の配達人は、人差し指をピンと立てて、チッチッチッと左右に振った。
「ランダムに抽出する場合は、対象者を増やさなければいけない。しかし、我々は、出会いから死別まで仲睦まじく生きたヒトと言う、最高難易度の抽出条件を前提においている。つまり、はじめから厳選して被対象者を選んでいる場合は、母数を多くする必要はないのだよ。そもそも、数ある母数から被験者数を極小まで絞って厳選しているからね」
「屁理屈でしょ?」
「いや、統計とはランダム抽出と、抽出を厳選するパターンのどちらからでも行うことが出来るのだよ。ひとつ勉強になったかな?」
もう一度、恋の配達人は人差し指を左右に振った。
バカにされているようで、イオリはムッとしたが、数学は好きではなかったため、話題を変える。
「で、話を戻すと、『あなたはアタシに学校一の秀才の心を射止める方法を教えに来てくれた』ってことでしょ? 早く教えてよ?」
「うーん、それは誤解をしているようだ」
「できないの?」
「ワタシは、『正しく恋を成功させる方法を教えに来た』のであって、『秀才の心を射止めることが出来るかどうか』は、ワタシにもわからない」
イオリは、意味が理解できず首を傾げた。
恋の配達人も伝わってないことを認識して、言い直してきた。
「恋を成功させる秘訣は、媚薬のようにヒトを惑わせることではない。イオリくんが仮に秀才くんの心を射止めたからと言って、それはただ相手を惑わせて、一時的に好きと思わせているだけだ。好きという魔法が解ければ、ふたりの間に愛情は芽生えない。恋の成功は、自然に、そして、自分らしさを出すことで合う人と決定的に結ばれることなのだ。例えば、イオリくんがオラオラ系のやんちゃな人を好きになって、その人が好きなファッションや見た目に変えたとする。その時、イオリくんの個性はどこに消えた? イオリくんは自分という個性を殺して、相手の好みを被っただけの存在になっているだけではないのか? さて、個性を殺して、人の好みに合わせていたらどうなるだろう? 答えは見えている。無理をした個性が破綻し、二人の関係が消滅する」
「つまり、秀才が好きなタイプを演じてて、そのうちボロが出て、関係が壊れるっていいたいのね……、ちょっとそれは否定出来ないかも」
イオリは、流石に納得せざるを得なかった。
1週間だけなら変われるかもしれないが、数ヶ月、数年という月日をごまかし続けられるかというと、なかなか難しいだろう。
イオリが理解を示したことに、恋の配達人は嬉しそうに何度も頷いた。
「さて、ここで宿題だ――だいぶ夜も更けてきたころだし、続きはまた明日にしよう――イオリくんは、秀才に好かれるために、まとめサイトなどで勉強をした。そこで勉強したことをイオリくんが実践したことで、イオリくんの個性はどのように変容しただろう? そして、変容した結果、どうして秀才くんから好かれなかったのだろう?」
「宿題にする必要はないわよ。さっきのが答えでしょ? 好きなタイプを演じてるって気づかれたんでしょ?」
「さて~♪」
恋の配達人は、フフフと意味深に笑うと窓を開け放ち、ひらりと縁に飛び乗った。
「ヒントをあげよう♪ キミは、没個性に陥ったのだよ」
そう言い放ち、恋の配達人は窓から飛び降りた。ひらりと1階の屋根に足をかけ、そのまま路上に着地した。そしてそのまま、振り返りもしないで走り去ってしまった。
「不審者の何者でもないじゃん」
真っ黒なコートに身を包んだその姿を見送りながら、イオリは顔をしかめた。
「没個性……、だからなによ?」
ヒントが何を表しているのか、ピンときてないイオリは、腹立たしげに呟いた。
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