とある猫の回想録7

 異母兄だと思っていた者が、まったく別のものであったと知った。そのときオルムは、自分の父を人として見られなくなったのだ。

「また、ここに来てしまったな……」

 そっと顔をあげ、オルムは老木を見あげていた。

 王城のすみにあるそこは、自分と異母兄たちとの遊び場だった。

 義母兄であったドラーケが、ヒトでないと思い知らされた場所でもある。

 そして、レヴと出会った場所でもある――

「やっぱり、ここにいた……」

 リンと鈴の音がして、オルムは我に返る。老木の上に、レヴが腰かけている。赤い髪をなびかせる彼を見つめながら、オルムは微笑んでいた。

「君は本当に猫みたいだな」

「猫ですから……。でも、本当は猫ですらない……」

 リンとチョーカーの鈴を鳴らしながら、レヴは地面に降りたつ。粉雪がふわりと舞ってレヴを覆っていた。

「あの人も、そうなんですね……」

「あぁ、ドラーケは君と同じだ……」

 眼を伏せるレヴにオルムは静かに告げていた。

 そして、思い出す。

 ここで父とドラーケが口づけを交わしていた光景を。そんな自分を見て、嗤っていたドラーケを。

 ドラーケはレヴと同じ契約獣だ。

 だが彼は、人間でもある。

 どのような方法を要して、ヒトであった息子を父は契約獣へと作り替えたのかオルムには想像もつかない。その事実を知ったときオルムはドラーケを人として見ることができなくなった。

「軽蔑、しますか?」

 首のチョーカーを鳴らし、レヴはオルムを見あげてくる。レヴの首筋についた傷跡が、月明かりに黒く照らされていた。

 その傷跡の周囲に、赤黒い痣がいくつもつけられている。

 レヴは傷跡に手を当て、眼を逸らしてくる。気まずそうな彼の表情を見て、オルムは痣の正体に思い当たった。

 おそらくそれは、カットがつけたものだ。ドラーケがレヴに刻まれた契約印に何かをしたことは察しがつく。おそらくカットは、それを修正するためにレヴの体に触れた。

 ここで、父と異母兄がおこなっていたことと同じことを、カットとレヴは――

「俺たちはまだ子供です……。だから、契約を交わすときも……その……最後までは……。キスだけです……。それ以外も……少しは、するけど……」

 俯きながら、レヴが言葉を発する。オルムがレヴに視線をやると、彼は恥ずかしそうに顔を赤らめていた。

「レヴはカットが好きかい?」

 そっとオルムはレヴに語りかける。レヴは困惑した様子で潤んだ眼を見開いていた。

「分かり……ません。陛下は、俺のことが好きだっていってくれます……。でも、その好きと……俺の好きは、ちょっと違う気がするんです……。それに……陛下には、好きな女の子がいたって……」

「カットに、好きな子……」

 弱々しいレヴの言葉にオルムは眼を見開いていた。たしかにカットは早熟なところがある。だが、そんな話は初耳だ。

 カットの父であるティーゲルは、このことを知っているのだろうか。

「でも……その子の話を聞くと、凄く悲しくなるんです。陛下を、盗られたみたいな気がして……。おかしいんです。陛下は俺と同じ雄なのに……。番になんて、なれないのに……」

 悲しげにレヴの眼が細められる。その眼には、うっすらと涙が滲んでいた。

 まるで吸い寄せられるように、オルムはその眼を覗き込んでいた。レヴの眼が瞬く。翠色の中に生じる金の輝きが、なんとも美しい。

「私もレヴのことが好きだよ……」

 微笑んで自分の気持ちを伝える。レヴは大きく眼を見開き、顔を赤らめた。

「あの……それは……」

「でも、レヴを傷つけたいとは思わない。レヴもそうじゃないのかい?」

 そっとオルムはレヴの首筋に手を伸ばしていた。首の傷跡に触れると、怯えたようにチョーカーの鈴が鳴る。

「俺は……陛下を守りたい。でも、弱いから無理なんです……。だから、あの人に奪われそうになって……」

 そっとレヴが、手を重ねてくる。オルムの手を握りしめながら、レヴは震える声を発した。

「言われました。君は私と同じ存在だ。だから、君を自由にしたいって。俺を、契約獣じゃなくて普通の猫に戻したいって……」

 レヴの眼がオルムに向けられる。困惑した様子で眼を震わせながら、レヴは言葉を続けた。

「俺を、愛してるって……」

 レヴは顔を俯かせる。そんなレヴにオルムは声をかけていた。

「レヴはどう思っているんだ?」

 オルムの質問にレヴはぴくりと肩を動かす。地面を見つめながら、レヴは静かに答えた。

「恐い……。でも、あの人はとても悲しそうな眼をしていた。俺には陛下がいるけれど、たぶん、あの人は独りぼっちなんです……」

 レヴがオルムの手を強く握りしめる。

「レヴも出会ったときは寂しそうな顔していたよ」

 そんなレヴに、オルムは優しく声をかけていた。弾かれたようにレヴは顔をあげ、オルムを見つめる。

「俺がドラーケ様に襲われてから、陛下は変わりました……。ティーゲル様が陛下から俺を引き離そうとしたせいかもしれません。陛下は、俺たち猫意外に心を開かなくなってしまったんです。でも、オルム様だけは違った……」

「この国の国王は、どういう訳か私に大切なものを守らせたいらしい。だから私は、レヴに出会った。私の異母兄は何を考えているのかな?」

 オルムは苦笑を顔に浮かべていた。

 ティーゲルと他の兄弟たちの仲は険悪ではない。だが、なぜか優秀な異母兄は、血が繋がっていることすら伏せられていた自分を頼りたがる。

 自分が、異母兄弟と分かる前からティーゲルを護衛として守っていたせいかもしれない。

「だって、オルム様は強いから……」

 ぽつりと、レヴが言葉を発する。

「少なくとも、敵の思い通りになる方ではないから、ティーゲル様はオルム様を信頼なさるんだと思います」

「レヴ……?」

 自分の顔を見あげ、レヴは真摯な眼をオルムに向けてくる。鋭い金色の眼からオルムは眼を離すことが出来なかった。

 まるで、何かを訴えるかのようにレヴはオルムを見つめ続ける。

「強く、なりたいかい?」

「俺に、戦い方を教えてください」

 凛とした声で、レヴはオルムに答える。彼はしばしためらった後、こう言葉を切り出した。

「お願いします。俺を、あなたの息子にしてください」

 




 


 ――ねぇ、カット。君のお父上は君を亡くなった妻の代わりにするつもりなんだよ。だからあの男は、君に異常なほど執着するんだ……。

 

 森で嗤っていたあの男の言葉を、カットは今でも忘れることができない。その手で人の姿をしたレヴを弄びながら、あの男はカットを手にかけようとした。

 自分を手にかけようとしたあの男の言葉を、カットは信じていない。

 いや、信じたくない。

 けれど、どうしてもその言葉を忘れることができない自分もいるのだ。





「愛するってどういうことなんですか、父上……?」

 優しく髪をなでられ、カットは顔をあげていた。自分を抱きしめてくれるティーゲルのぬくもりが愛おしい。そっとカットは父の背中に両手をのばし、父を抱き寄せていた。

「どうした、カット……。久しぶりに私の部屋にやって来たと思ったら、急に泣き出して……。レヴと、何かあったのか?」

 自分の泣き顔が父の眼に映っている。カットは急に恥ずかしくなり、俯いていた。

「ありません、何も……。あっちゃ、いけない……。でも、あの人が言いました。父上は、俺を母さんの代わりにしたいんだって……。だから、レヴとその、あれをしていると……変な気分になって……」

 レヴの喘ぎ声が、猫耳をくすぐる。彼の潤んだ眼を思い出し、カットは思わずティーゲルの胸元に顔を埋めていた。

 レヴのことは好きだ。

 飼い猫として、自分の忠実なる従者として――

 だからそれ以上の感情を彼に抱いてはいけない。いけないのに、あの行為はカットに背徳的な思いを抱かせる。

 ドラーケの忌まわしい笑い声が、脳裏にこびりついて離れない。

「私が、お前をそんな眼で見ていると思うか?」

 父の鋭い言葉が、猫耳に響く。カットは思わず顔をあげていた。ティーゲルの眼がじっとカットに向けられている。どこか冷たいその眼差しに、カットは眼を見開いていた。

 ティーゲルは怒っている。カットを睨みつけながら、ティーゲルは力ず良くカットの体を引き寄せていた。

「あっ……」

 突然、父が自分を抱き上げてくる。唖然とするカットを他所に、ティーゲルは寝台へと歩を進めていた。

「ちょ、父上!?」

 寝台が視界に跳び込んできて、カットは声を荒げていた。

 先ほどまでレヴとしていた行為が、嫌でも頭を過ってしまう。レヴとは口づけ以外真似事のようなことしかしたことがない。

 でも、ティーゲルは大人の男だ。父がその気になれば、真似事ではすまされない。

「父上っ!」

 叫ぶカットを無視して、ティーゲルは息子を寝台に押し倒していた。カットの両手を押さえつけながら、ティーゲルは顔を近づけてくる。

「やだっ……父上」

「カット……」

「こんなの、嫌だっ」

 いつのまにかカットは悲鳴をあげていた。涙が溢れて、眼の前の父の顔が歪む。震えるカットの頭をティーゲルは優しくなでていた。

「あ……」

「こんなに恐がっているお前に、どうしてそんなことができる? たしかに私はお前にヴィッツの面影を見ることがある。でもそれは、お前が大切な私の息子だからだよ、カット。大切な息子を、どうして私は恐がらせないといけないんだ?」

「父上……」

 ティーゲルは寝台に横になり、カットを抱きしめてくる。カットは思わず身を固くしていた。

「カット、たしかにドラーケのように歪んだ愛情を持った人間もこの世にはいる。でも、その愛情にさらされたレヴはどうしていた? お前はそれを見てどう思った?」

 父の言葉にカットは猫耳を立ちあげていた。ティーゲルを見あげると、彼は優しい竜胆の眼を向けてくれる。父の眼を見て、恐怖が引いていく。

「レヴは恐がっていました……。だから僕は、レヴを守りたくて、レヴを誰にも会わせたくなかったし、城に閉じ込めていたんです……。それに――」

「レヴを誰にも盗られたくないか?」

 あやすようにティーゲルが言葉をかけてくる。カットは顔を赤らめ、小さく頷いていた。

「でも、僕がレヴの側にずっといるようになったら、レヴはどんどん元気がなくなっていきました。僕は、レヴと一緒にいたいだけなのに、レヴを守りたいだけなのに、レヴはいつも悲しそうにしている。でも、オルム叔父様が来てから、レヴは変わりました……」

「レヴが変わった?」

「オルム叔父様といるレヴは、何だか楽しそうなんです。僕といるより、ずっと、ずっと……」

 オルムに抱きしめられていたレヴのことを思い出す。ちくりと胸が痛んで、カットはティーゲルの胸元に顔を埋める。そんなカットの頭を父は優しくなでてくれた。

「レヴはずっと側にいるって言ってくれます。でも、レヴは心の底から笑ってくれない。僕に悲しい笑顔ばかり見せてくる。それが、凄く嫌で、辛いんです……」

 涙声になっている自分が情けなくて、カットは父に抱きついていた。

「私は、レヴとお前を引き離そうとしたこともあった。でも、それはしてはいけないと母さんに夢の中で怒られたよ……。お前とレヴを引き離してはいけないと」

「母さんが……」

「カットは本当に泣き虫だな。そんなのでレヴを守れるのか?」

 父の言葉に顔をあげる。ティーゲルは苦笑しながら、眦になまったカットの涙を拭っていく。

「僕は、父上の、剣豪ティーゲルの息子ですっ! 泣き虫なんかじゃありませんっ!」

 父の言葉に、カットは声を荒げていた。

 ただでさえ母のヴィッツに似て女の子のようだと周囲から言われるのが嫌なのに、泣き虫だなんて言われたくない。

 自分が弱い人間のように感じられてしまう。

「そうか、カットは泣き虫じゃないか」

 ティーゲルの顔に意地の悪い笑みが浮かぶ。何だか嫌な予感がして、カットは猫耳の毛を逆立てていた。

「では勇敢なカット王子にこの国の王である私が1つ命令を下そう。明日1日、お前は母さんの代わりに私の妃になるんだ」

 結わえられたカットの髪を弄びながら、ティーゲルは笑みを深める。彼は愛しげに、カットの髪に唇を落としていた。

「父上……」

「カット、明日は前夜祭だ。この国の王に伴侶がいなければ、国民に示しがつかないだろう。命令だよカット、お前は明日1日、母さんの代わりをするんだ」

 唖然とするカットに、ティーゲルは得意げに言葉を返してくる。狡猾な笑みを浮かべる父を、カットは見つめることしかできなかった。




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