とある猫の回想録6(ちょっと性描写アリ……)

「やはり……狼か……」

 王の間に厳かなティーゲルの声が響き渡る。椅子に座るオルムは、大机の向こう側にいる異母兄を見つめた。

「まさか、こんな形で護衛が役にたつとはな……」

 竜胆色の眼を鋭く細め、ティーゲルはため息をつく。

 あの直後、教会に多くの護衛隊が現れオルムたちを救ってくれた。ティーゲルが教会関係者の中に忍び込ませておいた護衛たちだ。カットの身に何かあってはいけないと、彼は王都のいたるところに護衛を忍ばせているという。

「カットとレヴは……」

「心配するな。2人とも無事だ……。ただ、今夜はもう会いに行かない方がいい……」

 顔を俯かせ、ティーゲルは机に手をつき椅子から立ちあがる。彼は机を通り越し、暖炉のもとへと歩んでいく。

 暖炉の上に掛けられた亡き妻の肖像画を見つめながら、ティーゲルは言葉を続ける。

「いや……あれには、関わらない方が賢明か。私は、そんなお前を巻き込んだ張本人だがな」

 振り向いた彼の眼は、暖炉の灯りに煌めいていた。その眼が悲しげに見えてしまうのは気のせいだろうか。

「ドラーケと同じでした。レヴは、あの子は猫ですらないのですね……」

 レヴの体を走っていた赤い文字を思い起こす。

 レヴは、同じだった。表向きは自分の異母兄となっているドラーケと。

「神々を失った神の御使い達は、その代わりとして神々の血を引く人の子にその役割を期待した。女神の血を引く者たちを王と称え、その者に力を与える見返りに自分たちを加護することを誓わせる。女神フレイヤの血を引くカットは猫の王。だが、ドラーケは――」

 ティーゲルは言葉を切り、オルムを見つめる。オルムは、彼の言葉を継いでいた。

「レヴと同じ、契約獣そのものです……。でも、あいつの主は私たちが始末した」

「あぁ、父は狼の王だったからな……」







 ――これから生まれ落ちてくる小さな子猫が、あなたを猫の王にしてくれる。その子は、寂しいときも辛いときも、あなたと一緒にいてくれるわ。だからね、カット。その子を大切にしなさい。



 母の言葉を思い出し、カットは顔をあげる。

 目の前にあるのは雪を被った母の墓石。その墓石に手を当てる。

 冷たい。

 それなのに、どうして自分は母のぬくもりを求めてここに来てしまうんだろうか。

「あの子も、来てくれない……」

 すっと眼を伏せ、カットは1人の少女に思いを馳せる。

 いつも寂しそうな表情を浮かべていた、黒髪の美しい少女。彼女は、自分に大嫌いと言葉を残していなくなってしまった。

 猫耳の呪いをかけたもの彼女だというが、カットはそれが信じられない。

 カットをいつも慰めてくれた彼女が、そんなことをするだろうか。

 彼女と会ったのは、ヴィッツが亡くなる前だ。

 病床のヴィッツを慰めたくて、カットはよくこの墓所に母の好きなブルーベリーの花を採りに来ていた。

 そこで、泣いている少女と出会った。

 慰めようと思って声をかけたら逃げてしまったけれど、彼女は次の日も墓地にいたのだ。

 その次の日も、また次の日も。

 カットはいつのまにか彼女と仲良くなっていた。そして、彼女はカットの話を何でも聴いてくれた。

 ヴィッツがいつ死ぬか分からない不安も、城での孤独な生活が嫌なことも。

 でも、彼女は何もカットに教えてくれなくて――

 母からこの猫耳が彼女によって生やされたものだと聞かされた。その事実を知ったカットは、驚きのあまりその場にへたり込んでしまったのだ。

 彼女が自分を不幸にした本人だと、信じたくなかった。

 猫耳が生えてから、カットの日常は一変した。

 近隣諸国を治める叔父たちが、自分を殺すべきだと声をあげたのだ。

 王となる者は、女神の血を引く魔女たちを妃に迎える。その魔女の血は、王族を呪いから守ってくれるのだ。その血の加護が強ければ強いほど、その者は神々に愛され王に相応しい人物だとされている。

 ヴィッツは女神フレイヤの血を引く魔女だった。

 そんな彼女の血の祝福が破られ、カットは呪いをその身に受けたのだ。

 カットに優しかったオルムですら、カットが王位を継ぐことに難色を示した。

 そして――

「また、僕のせいで人が死んだんだ。母さん」

 静かな声で、カットは母に告げる。

 今日、カットの毒見係がまた死んだ。これで2人目だ。

「僕、死んだ方がいいの?」

 俯き、カットは震える声を発していた。顔をあげ、墓石を見つめる。

 雪を被った墓石は、ただそこにあるだけ。

「母さん……。連れてってよ……。僕も……。連れてって……」

 カットの猫耳が弱々しく伏せられる。雪に膝をつき、カットは両手で顔を覆っていた。

 小さな泣き声が、墓所に響き渡る。

「にゃぁ……」

 その泣き声に混ざって、猫の声が聞こえた。

「えっ……」

「なぁ……」

 顔からそっと両手をとり、カットは涙に濡れた眼を見開く。周囲を見回しても、雪景色がどこまでも広がっているだけだ。

「あ……」

 ふと、古い墓石の前に何かが落ちていることに気がつく。黒いそれは、もぞもぞと動いているではないか。

 カットは、とっさに黒いものへと駆け寄っていた。両膝を地面につけ、黒いものを覗き込む。それは顔をあげ、カットを見あげてきた。

 翠色の眼が、金色に輝いている。その美しい眼を見つめながら、カットは口を開いていた。

「猫だ。ゴミじゃなくて、猫だ……」

 雪を掻き分け、カットは猫を取り囲む雪を退かしていく。両手でそっと抱きしめてやると、猫は嬉しそうに眼を細めた。

「にゃあ!」

「やだっ、くすぐったいよ……」

 嬉しそうに鳴きながら、猫はカットの頬を舐めてくる。くすぐったくて、カットは思わず笑みを浮かべていた。

「お前も、独り?」

「にゃあ……」

 カットが問いかけると、猫は悲しげに眼を伏せる。カットはそんな猫を抱き寄せ、優しく囁いていた。

「僕の、猫になるか?」

「にゃあ……」

 ぐるぐると猫の喉が鳴る。その音が心地よくて、カットは猫耳をたらしていた。





「終わったよ、レヴ。全部元に戻した……」

 荒い息を吐くレヴの耳元で、カットは囁く。そっと耳たぶを舐めてやると、びくりとレヴは体を震わせた。

「陛下……」

 顔を覗き込むと、潤んだレヴの眼が視界に入ってくる。金色に輝くその眼に、カットは顔を近づけていた。

「あ……」

 頬を濡らす、レヴの涙を舐めとってやる。すると、レヴの裸体に走る赤文字が、妖しい輝きを放ち始めた。

「陛下……」

 ぎゅっとレヴが自分を抱き寄せてくる。震える彼の体を、カットは優しく抱きしめ返していた。

「レヴ……出来る……?」

 そっとレヴに囁きかける。

 レヴは恥ずかしそうに頬を染め、カットから顔を逸らした。そんなレヴの顔を両手で覆い、カットは彼の唇を奪う。舌を入れると、レヴが大きく眼を見開く。舌を絡み合わせると、頭蓋に卑猥な音が響き渡った。

 契約獣と契約を結ぶ際、その媒介としてお互いの体液を触媒にする。体液の交わりを通じて、カットはレヴと契約を結ぶことができた。

 拾った猫が、行方不明になっていた自分の契約獣だと知ったときは驚いた。

 それを告げたのはレヴ本人。

 そして、カットに契約を迫ったのも――

 そっとレヴの唇を開放し、カットは苦笑を浮かべていた。

「飼い猫が、初めてのキスの相手なんて笑えないよね……」

「陛下……」

 荒いレヴの息が頬にかかる。

 そっとレヴに唇を奪われたときのことを思い出し、カットはレヴの頬をなでていた。

 森でドラーケの手下である狼に襲われそうになったカットを、レヴが救った。襲いかかる狼の前にレヴが現れ、狼に嚙みつかれたのだ。

 その瞬間、レヴは人の姿からもとに戻らなくなった。

 駆けつけた護衛隊に救助され、城に戻った後のことだ。

 レヴがいきなり自分を押し倒してきて――

「俺は、陛下を失いたくなかった……。だから、あのとき夢中になって……」

「いいよ……。レヴは僕のものだもの。誰にも渡さない。狼になんて、渡さない……」

 そっとレヴを抱き寄せて、カットは優しくレヴの髪を梳いてやる。

「陛下……」

 レヴはうっとりと眼を細め、カットの背に両腕を回していた。

 体の下で、レヴの体が煌めく。赤い文字がレヴの体を流れていく。

 そっと、カットはその文字にふれていた。

 ドラーケは、レヴに刻まれた契約書を書き換え、レヴを己のものにしようとした。その書き換えられた部分をやっと直すことが出来た。

 けれど、レヴが猫に戻ることはない。

 猫たちに相談したところ、レヴが猫に戻るのを拒んでいるかもしれないというのだ。

「お前は、人間になりたいの?」

 そっとカットはレヴに問う。レヴは困った様子で眼をゆらし、カットから顔を逸らした。

「分かりません……。でも僕は、陛下のお側にずっといたいんです……」

 レヴが笑顔を向けてくれる。

「レヴ……」

 細められたレヴの眼が、優しく煌めいている。その煌めきに惹きつけられるように、カットはレヴの唇に口づけを落としていた。

 

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