王様と先王様

 ひょこひょこと、レヴは王城のすみにある庭を歩いていた。背中には、カットから預かった手紙を背負っている。立ちどまって横を振り返ると、燭台のように明るい王都の街並みが視界に入ってきた。

 紺色の夜空に、赤い王都の倉庫街がよく映えている。

 昼間、カットがフィナとデートをした場所だ。前夜祭に紛れ込んで、自分も2人の様子をこっそりと見にいった。ブーナットを纏って踊る2人は、レヴから見てもお似合いのカップルだった。

 ――恋って、苦しいんだな……レヴ。

 今はもう床に就いている主の言葉を思い出し、レヴは眼を曇らせる。フィナのことを話すカットは、とても楽しそうだ。そんなカットを見ているとこちらまで幸せな気分になってくる。

 でも、寂しい気持ちを抱いてしまう自分もいるのだ。

「何を見ていらっしゃるの? レヴ兄様」

 上空から声がふってくる。驚いて顔をあげると、自分の前方に立つ老木に1人の少女が腰掛けていた。

 自分と同じ翠色の眼を細め、少女はレヴに微笑みかけてみせる。

「よ、婚約者ちゃん。今日もよろしく頼むぜ……」

 背中に載った手紙の束をゆらし、レヴは弾んだ声をかける。少女は軽やかに木から跳び下り、レヴの眼の前でしゃがみ込んでみせた。

「また、陛下の悪だくみのお手伝いをさせられるの? お母様に怒られちゃう」

 癖のついた赤髪を弄びながら、少女は愛らしい眼を困ったように歪めてみせる。

「今、教会に勤めてるのはお前だろう? あ、首になったばっかりだっけ?」

「首じゃないっ! 転職したの!」

 レヴを怒鳴りつけ、彼女は背中にある手紙の束を奪い取る。

 彼女は以前、教会に勤めていた。今は訳があり、フィナの身の回りの世話をしている。

 彼女の知り合いを通じ、レヴは今までカットの密書を送り続けてきたのだ。

 そして今回も、レヴは彼女の世話になることにした。

「陛下、フィナ様のために王位を捨てられるつもりなの?」

「そうみたいだね。あの人、本気になると何言っても聞かないから……」

 手紙を見つめながら、少女は顔を曇らせる。そんな少女に、レヴは苦笑する顔を向けてみせた。

「恋って本当に、人を変えてしまうのね……」

 そっとレヴをなでながら、少女は眼を伏せる。レヴを見つめながら、少女は口を開いた。

「兄様は、恋をしていないの?」

「恋ねぇ……。陛下に寄ってきた女狐だったらあらかた食い散らかしてるけれど、本命はいないかなぁ……」

「私は、これでもレヴ兄様の婚約者よ」

 得意げに微笑む少女に、レヴは乾いた笑みを浮かべていた。

「それは義父さんが勝手に決めたことだろう? いくら毛色が似てて、俺と同じだからって、実の兄妹に手をだすほど俺は鬼畜じゃない。そりゃ、俺たちは近親婚も許されてるけど、お前を恋人にするとかないなぁ」

「私も、兄様だけはごめんだわ」

「ありゃ、気が合うね」

「だって、兄様は陛下の恋人でしょ? みんながそうに言ってる。兄様は、陛下に恋をしてるって」

「はいっ!?」

 楽しげな少女の言葉に、レヴは声をあげていた。少女はレヴを睨みつけ、人差し指を口に当てる。

「駄目よ、兄様。人が来てしまうわ。めっ!」

「いたっ!」

 レヴの額を少女が指弾する。ずきずきと額の痛みにたえながら、レヴは口を開いていた。

「何で俺が、あんな鬼畜猫耳王を好きになんなきゃいけないのかなぁ!?」

「あら、王に愛人はつきものよ。先々代の王デュール様なんて、小姓と肉体関係を持って――」

「お兄ちゃん、お前をそんな不埒な子に育てた覚えはありませんっ!」

 少女の言葉をレヴは大声で遮る。少女はびっくりした様子で眼を見開き、レヴを唖然と見つめていた。

「ないからっ! マジないからっ! やめて! 本当にやめてっ! 俺はあの人を敬愛しているだけであって、性愛云々みたいな感情はマジで抱いてないからっ!!」

 カットと不埒な関係にあるなんて、考えるだけで怖気が走る。レヴは、そんな感情を叫び声と共に吐き出していた。少女はきょとんとレヴを見つめるばかりだ。

「じゃあ、なんで兄様は陛下に近づく女の人を嫌うの? どうして、フィナ様と陛下が仲良くしていて、とても寂しそうなの?」

「それは……」

 不機嫌そうな表情を浮かべ、少女はレヴに問う。少女の言葉に、レヴは答えを返すことができない。

 カットに近づく女性たちを嫌悪し、片っ端から彼女たちを誘惑してカットから引き離していたことは事実だ。カットとフィナの仲に、嫉妬したことすらある。

 でも、それはカットがレヴの主だから起こる感情ではないのだろうか。

「ほら、答えられない。兄様は陛下を愛してるのよ。番にしたいと思っているのよ。陛下と結ばれたくて、たまらないのよ。陛下が欲しくて欲しくてたまらないのよ」

「違う……」

「じゃあどうして兄様は、陛下とフィナ様のことをいつも悲しげに見つめているの?」

 少女の発言に、レヴは言葉を失う。

 彼女の眼が恐くて、レヴは顔を逸らしていた。すべてを見透かしているような彼女の眼が恐い。

 彼女の、無邪気な言葉が恐い。

「手紙……。頼むわ……」

「兄様っ?」

 少女が自分を呼ぶ。

 その声にかまうことなく、レヴは駆けだしていた。

 ――兄様は陛下を愛してるのよ。

 否定したはずの少女の声が、頭の中で繰り返し聞こえる。そんなはずはないと何度も彼女の言葉を否定しながら、レヴは一心不乱に走っていた。

 途端、視界が暗転する。何かに躓き、転んでしまったと思ったときはもう遅かった。

 がしゃんと、背後で何かが閉まる音がする。レヴはとっさに後方へと顔を向けていた。

 細い鉄格子が、自分の眼の前にある。あたりに視線を配り、レヴは自分が檻の中に捕らわれていることに気がついた。

「くくくくっ! 間抜けなやつよのぉ~」

 老獪な笑い声があたりに響き渡る。嫌らしい笑みを浮かべたティーゲルが、檻を覗き込んでいた。

 

 



 

 









 どうもハールファグルの王族には、緊縛を好む趣向があるらしい。カットに手枷をされたことを思い出しながら、レヴはつくづくそう思った。

 そんな自分は今、背もたれのついた椅子に座らされ、手を後ろ手に縛られている。

「あの、ティーゲル様……。縄、解いてもらえませんか?」

 顔に無理やり笑みを浮かべ、レヴは出来るだけにこやかな声をだしてみる。そんなレヴを嘲笑うかの如く、老獪な笑い声が暗い室内に響き渡った。

「くっくっくっくっ、せっかく手に入れたそなたをみすみす手放す訳がなかろうっ!!」

 笑い声をあげながら、ティーゲルは暗闇から姿を現す。嫌らしい微笑みをたたえる彼の眼は、月光に鈍く光り輝いていた。

「陛下のドSなところは本当にティーゲル様とそっくりですよ。でも俺、愛してるのは陛下だけなんでこういうことは……」

「ずっとお前を奪いたいと思っていたといったら、どうするんじゃ……?」

 ティーゲルがレヴの言葉を遮る。彼は笑みを引き、真摯な眼でレヴを見つめてきた。どこかカットと似た鋭い眼光に、レヴは思わず息を呑む。

「レヴ、お前は本当に美しい。カットが儂の差し向けた女たちを差し置いて、お前に夢中になっていたのがよくわかる……」

 ティーゲルがそっとレヴに近づき、耳元で囁く。耳に息を吹きかけられ、レヴは体を震わせていた。

「おや、眼が潤んでおるぞ。お前は本当に感じやすいな……」

 そっとレヴの赤髪を梳きながら、ティーゲルはレヴの顎を掬っていた。

「やめてくださいティーゲル様。ぶっちゃけ気色悪いです……」

 自分の体にふれてくる、皺の寄った手が不快だ。レヴはティーゲルに不敵な笑みを浮かべていた。

「くく……。それでこそ堕とすのが楽しみという訳だ。今夜はカットとではなく、儂と寝てもらうぞ……。お前をこの手に抱く日を、どれほど心待ちにしておったことか……」

「ちょ、親子そろって何なんですかあなたたちはっ!? 嫌ですよっ! たまには独りで寝させてくださいっ!」

「いやじゃ! 儂もレヴと寝たい。毎日、毎日、あったかいレヴと寝たいっ!」

 駄々をこねながらティーゲルはひしっとレヴに抱きついてくる。眼に涙を浮かべる老人を、レヴは心底呆れた様子で眺めていた。

「でも、俺に手を出したら陛下が――」

「なに、お前はもうすぐ儂のものになる。いや、儂のものにしてみせるぞっ!」

 にやりと口元に嫌らしい笑みを浮かべ、ティーゲルは得意げに言い放つ。

「カットの奴め、息子の分際で儂をのけ者にしてフィナとイチャイチャしおってっ! パパは寂しいぞカット!! だから、お前を奪ってカットに復讐してやるのじゃっ! 孫もお前も儂のものじゃっ! カットには渡さんっ!!」

「やめてください! うっとうしいっ! つーか、なんですかその逆恨みっ!? あなたが陛下にフィナちゃんをけしかけた張本人でしょっ!? 息子に相手にされなくなったからって、俺を巻き込むのはやめて下さいっ!!」

 すりすりとレヴに頬ずりをしながら、ティーゲルは叫ぶ。そんな彼にレヴは怒声を浴びせていた。

「ふふ……。囚われの分際で、態度のでかい奴じゃのぅ。カットが負ければ、お前は儂のものになるというのに」

「陛下が負けたらの話でしょ?」

 得意げに笑うティーゲルにレヴは嘲笑を浮かべていた。

 ティーゲルの顔が曇る。

「はて、またカットは護衛のおぬしらを使って悪さをしておるのか?」

「まぁ、そんなところですよ」

 ティーゲルの問いにレヴは笑みを深めていた。

 王族警護隊が解散させられた理由の1つに、カットが彼らを自身の手足として使っていたという事実がある。現にレヴを中心とした警護隊のメンバーは、カット直属のスパイのようなことをさせられていた。

 今回もレヴはカットが叔父たちに宛てた手紙を密かに送った。

 といっても、レヴが得意げに笑う理由は他にある。

 ――はい、カット仲直りしたら、少しだけ操れるようになりました。

 猫耳を生やしながらにっこりと笑うフィナのことをレヴは思い出す。

 カットの思い人である彼女は、どうやって眼の前にいるウザい老害を退治してくれるのだろうか。

「なんじゃ、ニヤつきおって……。気色悪いのぉ」

「いえ、明日の猫橇レースが楽しみでつい……」

「儂のモノになるのが、そんなに楽しみか?」

「いえ、陛下とフィナちゃんにあなたがぶっ飛ばされるところを想像したら、楽しくなっちゃいまして」

 ティーゲルに、レヴはにこやかな声で答えてみせた。


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