王様と挑戦状

 カットの自室、王の間の扉前でフィナは立ちつくしていた。寝る準備をしたカットがレヴを自室に招き入れたことに、警戒心を抱いたためだ。

 レヴ・クラスティ・オーブシャッティンサンは帽子王の恋人である。

 そんな噂が、王城の女性たちの間で密かに囁かれていたのだ。

 彼女たちは自分たちのことをこうも噂している。彼がカットの恋人だからこそ、先王は彼を解任し、花嫁候補であるフィナを護衛につかせた。

 彼がカットを誘拐したのは、フィナに嫉妬したためだとも。

 いきなりカットを誘拐し、初対面にも関わらず決闘を挑んできたレヴをフィナは快く思っていない。王城の女性たちのあいだで囁かれる噂が、それに拍車をかけていた。

 けれど、その思いが空しく崩れ去ろうとしている。

 カットがレヴの額にキスをした現場を、目撃してしまったからだ。そして、彼らの秘められた過去を立ち聞きしてしまった。

 フィナにとってレヴはカットを誘拐した不埒者だ。

だが、カットにとってレヴはかけがえのない従者であり、友人以上の存在なのだ。

 顔を赤くしたレヴが、寝台から降りて扉へと向かってくる。扉を開け部屋の様子を窺っていたフィナは、慌ててその場から離れた。

「たく……なに考えてるんだよ……。あの、天然ジゴロ……」

 扉を開け、レヴが暗い廊下へと歩を進める。彼に見つかりたくなくて、フィナは台座に鎮座する猫の彫像の後ろへと隠れた。

 その彫像の前をレヴが歩んでいく。フィナは物陰から顔を覗かせ、レヴを見つめた。

 額に手を当てながら、レヴは何かをぼやいている。

「たっく、すぐに戻って来て命令だよレヴって、何様のつもりだよ。一体、いつになったら俺抜きで眠れるようになるんだか……」

「同衾っ!?」

 レヴの言葉に、フィナは大声をあげ彫像の後ろから跳びだす。

 レヴの言葉を真に受けるのなら、彼は少なくともカットと寝起きを共にしていることになる。それはもう、友情の枠を軽く超えているのではないか。

「フィナちゃん……?」

 突然現れたフィナを、レヴは唖然と見つめていた。そんなレヴにフィナは声を荒げる。

「カット、じゃなくて陛下と一緒に寝ているとはどういうことですかっ!? レヴ殿っ!」

 びしっとレヴに人差し指を突きつけ、フィナは彼を睨みつけていた。

 この男のことだ。添い寝だけでは飽き足らず、カットに何かやましいことをしているかもしれない。カットの護衛として、そんな不埒なことを見逃すことはできない。

「いや……一緒には寝てるけど……。陛下の命令だし、断れないんだよね。うん……」

「カットの命令っ!?」

 後ろめたさそうなレヴの返答に、フィナは叫び声をあげていた。びくりとレヴが体を震わせ、フィナを見つめる。

「いや……その、痴女対策というか……。もう分かってると思うけど、あの人ヴィッツ様似の美形な上に、あの天然ジゴロでしょ。そこにあの可愛い猫耳がつくんだよ……。本人自覚してないけど、結構モテるのよ……。過去にも何度かティーゲル様が差し向けた女の子たちが陛下を夜這いしたことがあって、護衛の俺が陛下の貞操を守ってた訳……。陛下、そのせいで凄い女性不振になったことがあってさ、夜這いから身を守るために俺に添い寝を強要してたのよ……。独りじゃ女が恐くて眠れないなんて、猫耳震わせながら言うんだよ。断れる?」

 苦笑を浮かべながら、レヴは理由を話してくれる。その話を聞いて、フィナの背筋を冷汗が伝っていく。

 レヴの話は、物凄く身に覚えのあることだったからだ。

「もしかして……陛下がレヴ殿に一緒に寝るのを強制したのって……」

「あ……あの、言いにくいんだけど、フィナちゃんも陛下を夜這いしたそうで……。お互いの気持ちもはっきりしないうちに、そういうのは良くないっていうのが陛下の意見で、けっしてフィナちゃんを嫌がっている訳じゃないよ。うん……」

 レヴがすかさずフォローを入れてくれる。それでもフィナの心的ダメージは深刻だった。レヴがカットと寝ている理由が女の夜這い。しかも、自分もその夜這いを仕掛けた内の1人だ。

「いや……。あのときは、カットの側にいたい一心で……。そうじゃないと、国も傾いちゃうってティーゲル様に言われたし、呪いをかけた償いをするためには、彼の側にいるしかないってずっと思ってて……。その……」 

 顔が熱を帯びる。恥ずかしくなってフィナは両手で顔を覆っていた。

 夜這いを仕掛けたあの日、フィナはたしかに追いつめられていた。自分の正体がバレたとたん、カットが口を聞いてくれなくなったのだ。

 帰りの馬車の中で、彼は思いつめた表情をしながら車窓を眺めるばかりだった。

 そして彼はフィナにこう告げた。

 ――君を、側に置くことはできないかもしれない……。

 その言葉を聞いたとたん、フィナの中で何かが弾けたのだ。

 彼の側にいられないかもしれない。そう想像しただけで胸が張り裂けそうになった。

 そんなフィナにティーゲルは言ったのだ。

 だったらカットを、お前のものにしてしまえばいいと。

 その言葉に突き動かされるように、フィナはカットの寝室に忍び込んでいた。

「そう言えばフィナちゃんて、家出少女だったらしいっていうけど、本当?」

 レヴが突然、話題を振ってくる。驚いてフィナは広げた指の間からレヴを見つめていた。レヴは気まずそうに視線を逸らしながら、長い赤髪を弄んでいる。

「その……フィナちゃんて経歴詐称されてるけど、ウル宰相の一人娘なんでしょ?  その気になれば、軍になんか入らなくても陛下の側にはいられると思うし……」

「私が、女にならなくていい場所だったからです……」

 そっと顔から両手を退かし、フィナは静かに答えていた。顔の熱が急速に引いていくのが分かる。

 ――お前は、嫁ぐことでしか王子の役に立つことが出来ない身だ。女なんだからな……。

 父に聞かされてきた言葉を脳裏で反芻させながら、フィナは自分の身の上に想いを馳せていた。

 王妃ヴィッツが死んでから、フィナの日常は一変した。カット本人に告げられることもなく、フィナは彼の花嫁候補となったのだ。

 それは先王ティーゲルの勅命でもあり、父の希望でもあった。

 もともとフィナはその出自から、周囲に存在を隠され育てられてきた娘だ。

 フィナの出征記録を辿っても、そこに父であるウルの名前を見出すことはできない。フィナの身を守るために、ウルは彼女を田舎貴族の娘と偽証し、手元に置くことはしなかった。

 幼少期のフィナは、自由奔放に育てられた。おらく母を先王に売り渡した負目からなのだろう。父のウルはフィナを溺愛していたように思う。

 養父母の家にときおりやって来る父はとても優しく、フィナのワガママを何でも聞いてくれた。

 そんな父が、態度を一変させた。

 彼はフィナを手元に呼び戻し、未来の妃となるべく教育を始めたのだ。それと同時に、フィナからは自由が奪われた。

 いつもフィナの周囲にはたくさんの侍女が控え、彼女の言動をすべて監視していたのだ。住んでいる城の敷地から出ることも許されず、着るものすら自由に選べない。

 そしてフィナは、誰よりも女性らしくなることを周囲に強要された。

 みんなが言った。

 これは償いなのだと。そして何よりカット自身がフィナに望んでいることなのだと。

 けれども、フィナはその言葉を信じることが出来なかった。

 優しかったカットがそんなことを自分に強要するだろうか。

 疑問は、ティーゲルがカットに妃候補となる女性を絶えず差し向けていることを知ってから確信となった。洗練された女性たちを相手にしながらも、カットはその女性たちに指一本触れることすらなかったのだから。

 カットに無性に会いたくなった。

 彼が自分に何を求めているのか、自分の眼で確かめてみたくなった。

 そしてフィナは出奔する。

 自分を育ててくれた養父母を頼り、士官学校に入隊しても父は何も言わなかった。それが、ティーゲルの思惑だと知ったのはつい最近のことだ。

 老獪な先王は、小娘であるフィナの思惑などお見通しだった。

 彼は、フィナが自分たちに反発して士官学校に入隊したことも十分承知していた。カットを守り、呪いをかけた償いをしたいというフィナの気持ちも見抜いていたのだ。

 士官学校を卒業し近衛隊に入ったフィナに、先王は自らの思惑を伝える。

 彼の言葉に、フィナは従うしかなかった。

  結局のところ、フィナに逃げ場はなかった。

 カットの側にいることでしか、自分は彼に償いをすることができない。そんな思いが、フィナを突き動かしていた。

「でも、私は女でなくてはカットの役にたてないんです。変ですね……。父が強要したせいで、女の子らしい服装もすっかり嫌いになってしまったのに……。軍にまで入って、カットを守れる力も身に着けたつもりなのに……。結局、私は女じゃなきゃいけないんです。そうじゃなきゃ、カットを守れない……」

 俯き、フィナは言葉を締めくくる。

 カットに押し倒されたときのことを思い出す。

 ――君は、俺に抱かれる覚悟があるのか?

 抱いてくれと懇願した自分に、カットは冷たく言葉を返してきた。少なくともカットはフィナに女を求めてはいない。

 彼は、フィナそのものをまっすぐに見つめてくれているのだ。

「まぁ、あの人はフィナちゃんが真っ黒なノルジャンでも溺愛するんだろうなぁ」

 レヴの苦笑が、フィナの回想を押しとどめる。レヴは優しげな微笑みをフィナに向けていた。

「はぐれ者だった俺だって、大切にしてくれた人だから……。あの人に限ってさ、君を女だの、政治の道具だのに使うとは到底思えない訳よ。だって俺たちの王様は、凄い天然でお人良しじゃない」

「たしかに……」

 レヴの言葉に、フィナは苦笑してしまう。

 あのカットが、自分を所有物のように扱うとは思えない。ましてや、フィナに女であることを強要するなんてもってのほかだ。

「だからさ、フィナちゃんには陛下と触れ合って変わってもらいたい。俺じゃ、あの人を幸せにできないから……」

 寂しげなレヴの言葉が耳に突き刺さる。フィナは、とっさにレヴに向き合っていた。

 レヴは真摯な眼で、じっとフィナを見つめるばかりだ。躊躇うフィナにかまうことなく、彼は片膝をつきフィナに頭を下げた。

「カット陛下の未来の妃たるフィナ・ムスティー・ガンプン様にお願いがあります。どうか、我が王カットを幸せにしていただませんか? このレヴ・クラスティ・オーブシャッティンサン、命に代えてお2人をお守りいたします」

「レヴ殿……」

「フィナちゃん、陛下を幸せにしてくれないかな? 陛下の友であり、従者である俺の一生のお願い。あの人を愛して欲しい……」

 顔をあげ、レヴは微笑んでみせる。どこか寂しそうな彼の眼から、フィナは視線を放すことができない。

 フィナの手を取り、彼はフィナの手の甲に唇を落としてみせた。

「レヴ殿っ!?」

「このキスは忠誠の証。今後、俺は陛下と同じく君のことも全速力で守ってみせる。君は、陛下の運命の人だから……」

 驚きに声を荒げるフィナに、レヴは笑ってみせる。無邪気なその笑みを見て、フィナも思わず顔を綻ばせていた。

 瞬間、レヴの表情が険しいものになる。

「フィナちゃんっ!」

 彼はフィナに抱きつき、廊下へと押し倒した。

「レヴ殿っ」

「ごめん。慌ててたからつい……」

 フィナの乱れた衣服を整え、彼は素早く体を起こす。フィナは上半身を起こすと、先ほどまでいた場所に何かが突き刺さっていることに気がついた。

 それは1本の矢だった。この矢からフィナを守るために、レヴはフィナを押し倒したのだ。

「私としたことが……」

 悔しさに奥歯を噛みしめ、フィナは立ちあがる。国王であるカットの護衛を任されておきながら、この程度の奇襲に気がつかない自分が情けない。

「フィナちゃん……。これって……」

 そっとレヴが片膝をつき、矢を抜いてみせる。フィナは、レヴの抜いた矢をまじまじと見つめた。弓矢の箆の部分に紙が括りつけられているではないか。

 レヴはその紙を解き、紙を広げてみせる。

 瞬間、彼の顔に苦笑が滲んだ。

「レヴ殿……」

「何、考えてるんだろうね……。あの老害……」

 レヴは手に持っていた紙をフィナに渡してくる。紙は、手紙のようだった。

 フィナは紙を広げ、書かれている文字を追っていく。それはティーゲルがフィナに宛てた挑戦状だった。

 手紙には下記のようなことが、書かれていた。



 猫退治人フィナ嬢。

 そなたに勝負を挑む。

 明日行われるフレイヤ祭の猫橇レースで、決闘をしないか。

 貴殿の大切なものを賭けて戦おう。

 どちらがアップルの飼い主になるのか、この猫橇レースで決めるは如何だろうか?

 もしそなたが負けたら、カットのコネを使って手に入れたアップルは、儂の飼い猫として可愛がってしんぜよう。

 その日の夜にカットと床を共にしてもらうことになるかもしれんので、覚悟しておいてほしい。

 かつて軍において活躍をみせたそなたが、この勝負を受けない道理はあるまい。 そのような場合においても、アップルは儂の権力を持ってそなたから没収させてもらうぞ!!


 そなたの未来の義父ティーゲルより

 PS 孫の顔が早く見たいです。カットとくれぐれも仲良くね!!


 文章を読み終わったフィナは、容赦なく手紙を握りつぶす。先王のあまりに横暴かつ挑発的な挑戦状に、フィナの怒りは沸点に達していた。

「アップルさんを奪うつもりですかっ! あの老害はっ!!」

「怒るとこ、そこっ!?」

 怒りに震えるフィナに、レヴが突っ込みを入れる。フィナはレヴを睨みつけ、彼に叫んでみせた。

「アップルさんはもはや私の一部っ! それを先王様とはいえ勝負をけしかけ奪おうとするとは許せませんっ! 成敗してくれますっ!!」

「いや……。成敗っていっても……」

 フィナの言葉に、レヴは口ごもる。彼は、気まずそうにフィナから顔を逸らした。レヴの言葉にフィナは思わず俯いてしまう。

「分かっています……。ティーゲル様は老害ですが、若かりし日は剣豪と称えられ、猫退治屋を組織した愛猫家でもある。それゆえに猫橇の腕も天下一品です」

 ティーゲルの老獪な笑みがフィナの脳裏を掠める。

 ティーゲルは一筋縄ではいかない相手だ。正攻法で勝てるとは思えない。けれど、フィナには秘策があった。

「勝てるの、あの老害に……?」

「大丈夫、秘策はあります。アップルさんは誰にも渡しませんっ!」

 心配そうなレヴに、フィナは笑顔を向けてみせる。

 瞬間、レヴの眼が驚愕に見開かれた。

「フィナちゃん……その耳」

「はい、カット仲直りしたら、少しだけ操れるようになりました」

 驚くレヴにフィナは弾んだ言葉を返していた。

 フィナの耳は、いつの間にかカットと同じ猫耳になっていたのだ。




「ほぅ、フィナの奴、いつの間にか魔法が使えるようになったみたいだのぅ……」

 老獪な笑い声が、暗い部屋に木霊する。

 フィナとレヴがいる対面の棟を窓から眺めていたティーゲルは、フィナの猫耳を夢中になって見つめていた。

 今日は満月で、月光が周囲を照らしてくれている。そのためティーゲルは、向かいの棟にいるフィナたちをよく観察することができた。

「あの子が魔法を操るとは……」

 驚いた男性の声が聞こえる。ティーゲルは後方へと顔を向けていた。そこにいる人物に、ティーゲルは得意げな笑みを浮かべてみせる。

「フィナの奴、カットを好いておる。儂らに反発して、軍に入ったはのじゃじゃ馬娘がだ。本当に、これだから人は面白い」

「えぇ、本当に私も驚いています……」

 ティーゲルの視線の先には、片眼鏡をかけた初老の男性がいた。若い頃はさぞかし美しかったであろう細長の顔を、彼は綻ばせる。

「あの子は、国のために自分を売った男が自分の幸福を望んでいると知ったら、もっと驚くのでしょうね……」

 宰相ウルは悲しげに微笑んでみせる。その微笑みを見て、ティーゲルは顔を歪めていた。

 娘がカットに呪いをかけたと分かった瞬間から、ウルはフィナの身を国に売り渡すことを決意していた。

 その決意を口にしたときの彼の表情を、嫌でも思い出してしまう。

 今にも泣きそうな顔をした、ウルの姿を。

「お前は優し過ぎる……。それがフィナにとって最善と思ったから、そうしただけだろう?」

 皺の寄った眼を細め、ティーゲルは忠臣に笑みを送っていた。ウルは軽く眼を見開き、自嘲を浮かべてみせる。

「そう思って、私は自分の妻さえあなたに差し出した。彼女の気持ちなど考えもせずに……」

 窓辺に立つティーゲルの横に並び、ウルは向かいの棟にいる娘を見つめる。彼女は弓矢についていた手紙を丁寧に畳み、懐に入れている最中だった。

 レヴと話をする彼女は、どこか楽しそうだ。

「ムルケは本当にフィナを愛してくれていました。それを私は……」

「フィナは幸せになる」

 ティーゲルは凛とした口調でウルに告げていた。隣にいる彼を見ると、驚いた様子で彼はティーゲルに顔を向けてくる。

「儂の息子が、意地でも幸せにしてみせるよ」

 向かいの棟へとティーゲルは視線を戻す。猫耳をゆらしながら、寝間着姿のカットが廊下を歩いている。彼は2人と合流し、何やら話を聞いているようだった。

 アイスブルーの眼が、鋭くこちらを睨みつけてくる。

「おぉ、息子が恐いのぉ」

 顔に笑みを浮かべながら、ティーゲルはこちらを睨みつけてくる息子を眺めていた。


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