王様と回想
ブルーベリーの花が壁一面に咲いている。床には色とりどりのローズマリングが描かれ、部屋を彩っていた。
そして真っ白な寝台には、母であるヴィッツが横たわっている。まるで雪のような白銀の髪をシーツに流し、ヴィッツは安らかに眼を閉じていた。
長い睫毛に覆われた母の眼はぴくりとも動かない。
幼いカットは心配になって、ヴィッツの手に自分の小さな手を重ねていた。
「母様……」
小さくヴィッツを呼ぶ。だが、彼女は返事してくれない。
「母様っ……」
少し大きな声を出してみる。瞬間、ヴィッツは大きく眼を見開き、上半身を乱暴に起こしていた。母の突然の奇行に、カットは体を震わせる。そんな我が子を抱きしめ、ヴィッツは耳元で優しく囁いたのだ。
「どうしたの、カット。また、お父様に怒られた?」
「ううん」
母親の囁きに、カットは首を横に振って応えてみせる。ヴィッツの腕から、じんわりとぬくもりが伝わってくる。母の心地よい香りに、カットはとろんと眼を細めていた。
「あのね、女の子に会ったの……。その……」
「また、城を抜け出したのね……?」
母の声が固い。カットはその声に身を強張らせていた。
カットが城を抜け出すことをヴィッツは快く思っていない。それでも外に出られない母をカットは慰めたくて、城をよく抜け出していた。
でも、今日は母に渡すはずの花を見知らぬ少女にあげてしまった。
泣いている少女を慰めたかったから――
「ねぇ、その子はどんな子だったの?」
ヴィッツが顔を覗き込んでくる。カットは驚いて眼を丸くした。顔を綻ばせ、ヴィッツは言葉を続けた。
「私はここから離れられない。だからね、カットがその子とどんな風に遊んだのか教えてほしいの。そしたらお母さん、嬉しいな」
母の思わぬ言葉に、カットは笑みを浮かべていた。
墓地で出会った少女のことを思い出す。流れるような黒髪と、涙に濡れた眼が印象的な少女だった。
ブルーベリーの花を彼女は震えた手で受け取り、彼女は一瞬だけ微笑んでくれた。
でも――
「笑顔が可愛いねって言ったら、逃げちゃった……」
「まぁ、恥ずかしがり屋さんなのね」
俯くカットに、ヴィッツは優しく声をかけてくれる。
白い頬を赤く染め、駆けだした少女の姿を思い出す。待ってとカットが叫ぶと、彼女は潤んだ眼をこちらに向けてきた。
カットが彼女に近づくと、彼女は黒髪をゆらして走り去ってしまったのだ。追いかけたが、彼女を捕まえることはできなかった。
「ねぇカット、顔をあげて御覧なさい」
ヴィッツの言葉にカットは顔をあげる。彼女はカットの額にそっと唇を寄せた。
柔らかな感触が額に広がり、カットは眼を丸くする。
顔を離したヴィッツは、優しく微笑みながらカットに言った。
「女の子と仲良くなるおまじないよ。額は信頼の証。でも、カットがその子を好きになったら――」
ヴィッツは人差し指でそっと自分の唇に触れてみせる。母の唇を見て、カットはほんのりと頬が熱くなるのを感じていた。
黒衣を纏った人々の列が、フィナの前を取り過ぎていく。道路に積もった雪を踏みつけながら、人々は王都の外れにある丘へと向かっていた。
丘の上には、美しい樽板教会が建っている。
そこで今日、この国のお妃さまの葬儀が開かれるのだ。
フィナはお城に行ったことがないから、お妃さまに会ったことはない。
でも女神フレイアの血を引くお妃さまは、白銀の髪と、アイスブルーの美しい眼を持つ人だと父から聞いている。
「フィナ……」
父の声がする。
フィナが顔をあげると、父のウルが険しい顔をして前方の道を見つめていた。
王族を従えた葬列がこちらに向かってくる。
黒いヴェールを纏ったノルウェージャンフォレストキャットたちが葬列の前方を歩いていた。その後方に、大きな橇を引く猫たちが続く。橇の上には棺が横たわっており、その棺の中で1人の女性が眠っていた。
ブルーベリーの花が敷きつめられた棺の中で、女性は横たわっていた。ゆるやかなウェーブを描く白銀の髪が、彼女の体を包み込んでいる。
そんな彼女を見て、フィナは眼を見開いていた。
お妃さまの髪色は、喧嘩別れした友達のものとよく似ていた。大嫌いと言葉を投げつけて、そのまま別れてしまったカットのものと。
棺を乗せた橇は粛々とフィナの前を通り過ぎていく。その後ろに続く王と王子を見て、フィナは口に手を当てていた。
白い帽子を被った王子は、どうみてもカットだったからだ。彼は母親である妃の肖像画を両手に持ち俯いていた。
今にも泣きそうな眼を地面に向けながら、カットはフィナの横を通り過ぎていく。フィナはカットを見つめる。けれど、カットがフィナに気がつくことはなかった。
「どうして……?」
フィナの口から、声が漏れる。
お願いをしたお陰で、彼の母親は助かったはずだ。
それなのに、どうしてカットの大切なお母様は亡くなってしまっているのだろうか。
そのときだ。フィナは強く肩を引かれ、思わず顔をあげていた。
父のウルが険しい顔をフィナに向けている。
「あれは……お前がやったのか?」
威圧感のある声を発し、ウルはそっとカットの帽子を指さしていた。何のことだか分らず、フィナは父を見つめることしかできない。
「王子には呪いがかかっている。それはお前のせいかと聞いているんだ?」
父の言葉の意味を、フィナは葬儀の後に聞かされることになる。
回想を終えて、フィナは静かに眼を開けていた。
彼女の眼の前には、立派な寝台がある。欧州唐檜で作られ、ユグドラシルの透かし彫りが施された寝台には1人の男性が横たわっていた。
そっとフィナは寝台の中を覗き込む。
夜闇に慣れたフィナの眼には、美しい白銀の髪が映りこんでいた。そっと、整った彼の顔に手を伸ばす。頬に触れると、彼はかすかに声を漏らした。
大人になった彼は、それは美しい男性に成長していた。
亡き王妃ヴィッツの面影を引く王には、猫耳が生えている。
それはフィナの呪いによって生じたもの――
「カット……」
彼の名を呼ぶ。
カットの猫耳に、フィナはゆっくりと手をのばしていた。
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