王様と魔女
フィナと出会ったのは、まだカットが幼い頃だった。
病に臥せっていた母のヴィッツを慰めたくて、カットは城を抜け出し、教会の墓所へとブルーベリーの花をよく採りに行っていた。
そこで、泣いている女の子に出会った。
今でもカットはその時のことを思い出すことができる。
巨人たちの廃墟を眺めながら、フィナは眼に真珠のような涙を宿していた。背中に流れる黒髪に雪がかかり、儚い光を放っていた。
そんなフィナからカットは眼を離すことができなかったのだ。
眼を離したら、彼女が崖の向こうに姿を消してしまう気がして。そんなことを彼女にさせたくなくて、カットはフィナに声をかけていた。
「お花、好き?」
声をかけると、フィナは驚いた様子でカットへと振り向いてきた。そんなフィナに、カットは真っ白なブルーベリーの花を差し出したのだ。
真っ白なブルーベリーの花が壁一面を彩っている。ここは王城にある王妃の間だ。亡くなった母親の自室を見渡しながら、カットはフィナと出会った頃に思いを馳せていた。
部屋にある大きな丸窓の外では、雪が降っている。フィナに帽子をとられたあと、彼女を抱いたままカットは迎えの馬車へと移動した。
帰りの馬車の中で、自分の猫耳を眺めていたフィナを思い出してしまう。
赤い眼を潤ませ、彼女は悲しげな眼差しをカットに送り続けていた。
彼女は言った。
自分は魔女だと――
カットに生えた猫耳の呪いは、彼女がカットにかけたもの。そして自分は呪いを解くことが出来ない未熟な魔女であることも、彼女は話してくれた。
「フィナは冥府を治める女神ヘルの血を引いた魔女だ。そして、呪われた娘でもある」
室内に厳かな声が響き渡る。
カットは声を主へと顔を向けた。寝台の側に置かれた椅子にティーゲルが腰かけている。彼の前には猫足のテーブルがあり、その上に1枚のキャンパスが置かれていた。
キャンパスには、ティーゲルの部屋に飾ってある肖像画と同じヴィッツの姿が描かれている。肖像画はこのキャンパスに描かれた絵を拡大して描かれたものらしい。
アイスブルーの眼を細め、絵の中のヴィッツは笑っている。そんなヴィッツの頬を、ティーゲルは皺の寄った手で優しくなでていた。
「ヴィッツは儂の花嫁候補としてこの城に連れてこられたんだ。そしてもう1人儂の花嫁になるべく、連れてこられた女がいた。それがフィナの母親だ――」
ティーゲルの言葉に、カットは息を呑んでいた。
太古から魔女を妃に迎えることは王の役割とされている。魔女の血は呪いから王の血族を守ってくれるからだ。
王位継承者が婚期を迎えると魔女たる娘たちが集められ、王はその中から妃となる女性を探すのだ。
近々行われる舞踏会にやってくる娘たちも魔女だ。側室として、数人の女性が王に召し抱えられることもあるという。
「まさか、フィナは――」
「安心しろ。血は繋がっていない」
ティーゲルの苦笑をみて、カットは安堵を覚えていた。
「だが、お前と彼女には不思議な縁があるみたいだな……」
すっと、ティーゲルの顔が後方にあるベッドへと向けられる。白い天蓋がついた寝台には、かつて病に臥せったいたヴィッツが横たわっていた。
「なぁ、カット。ヴィッツはどうして死んだと思う?」
眼を伏せ、ティーゲルはカットを見つめる。父の真摯な言葉に、カットは彼を見つめ返していた。
「ヴィッツは魔女の呪いを受けて殺された。あの女は、お前の母さんより強力な力を持った魔女だったんだ……」
ティーゲルは言った。
結婚などしたくなかった彼は、花嫁候補として連れてこられた2人の魔女にこう命じたのだ。
『この国を、お前たちの力で豊かにしてみろ』
ヴィッツは豊穣の女神フレイヤの血を引く魔女である。彼女はその血に宿る力をもって、国を豊かにした。前年以上に小麦がたくさんの穂をつけ、国の特産品であるサーモンは価格が暴落するほど大量に捕れた。
そしてもう1人の魔女はムルケといった。彼女は冥府の女神ヘルの血を受け継いでいたのだ。
ムルケは近隣諸国の跡継ぎたちを次々と呪い殺していった。これにはティーゲルも驚いた。ティーゲルは彼女にこの行為をやめるよう迫ったが、ムルケは笑いながら答えたのだ。
――どうしてですか陛下? 国を豊かにしたいのなら、邪魔者を殺して奪ってしまえばよろしいのに。
彼女の力は強力であり、対抗できるのは女神フレイヤの血を引くヴィッツだけだった。ヴィッツは戦いの末にムルケを封印するが、体に呪いを受けてしまう。
そして、ムルケには娘がいた。彼女には夫がいたのだ。
宰相のウルだ。
ウルは国のために自らの妻をティーゲルに差し出した。
生まれたばかりの娘フィナと引き離され、彼女は王の妻となるべく王城に連れてこられたのだ。
父との会話を思い出し、カットは大きく息を吐いていた。自室にある机に片手を置き、カットは後方の窓を見つめる。
月が明るい。
蒼く照らされる雪景色の向こうには、丘の上に佇む樽板教会がある。その教会の外れには崖が続き、海が広がっていた。
浅瀬に浮かぶ巨人族の遺跡が、月明かりに紺青の影を浮かび上がらせている。
切なげに遺跡を見ていたフィナのことを思い出し、カットは窓辺に手をついていた。窓を開けると、身を切るような冷たい風が頬にあたってくる。
あの崖の上に、母が眠っている。
そして、海にはフィナの母親が封印されているのだ。
幼いフィナは、けっして名前を教えてはくれなかった。しつこく聞くたびに、彼女はカットにこう言ったのだ。
――本当は私、いちゃいけない存在なんだって……。だから誰にも名前を教えるなって、お父様が……。
彼女が見せた悲しげな眼差しを、カットは忘れることができない。
「それでもあなたは、フィナを政治の道具にしろと言うのですか? 父上――」
カットの言葉は、夜闇に溶ける。
ティーゲルは言った。
フィナを妻に迎えることこそが、この国のためだと――
彼女はヴィッツすらも呪い殺した魔女の娘なのだ。
そしてフィナ本人も、ヴィッツを凌ぐ力を持っている。
冷たい風にカットは猫耳を震わせていた。女神フレイヤの血の守護さえも破ったフィナの呪い。この猫耳こそ、フィナが強力な魔女である証なのだ。
もしフィナが妃となれば、この国はこの上ない安定を手に入れるだろう。
フィナは近隣諸国の王位継承者たちを呪い殺した魔女の娘だ。強力とされるフレイヤの血の守護さえも、彼女の呪いは破った。
フィナがカットの意のままになると知ったら、近隣諸国の王たちはハールファグルに忠誠を誓うようになろうだろう。
空を仰いで、ティーゲルとのやり取りを思い出す。
――フィナを政治の道具にするつもりかっ!
父の言葉にカットは叫んでいた。そんなカットに父は静かに言ったのだ。
それでもお前は、一国の王かと。
自分を照らす月が眩しくて、カットは眼を細めていた。鋭い月光は、ティーゲルの眼差しを思い出させる。
射貫くような、彼の眼差しを。
カットは顔の前に手を翳し、月の光を遮る。
「フィナと同じだ……」
太陽の光を手で遮っていたフィナを思い出し、カットは苦笑していた。
ティーゲルに何も言い返せなかった自分が情けない。
たしかに自分はこの国の王だ。
この国を護り、この国の礎である国民に尽くす義務がある。
だが、いまだにその実感がカットにはないのだ。
そんな男を、フィナは愛してくれるだろうか。ましてや、この国のために彼女は身を捧げてくれるのだろうか。
「今のフィナなら、やりかねない……」
――ごめんなさい。ごめんなさい。
帰りの馬車の中で、顔を覆いながら謝罪を繰り返していた彼女の姿を思い出す。
――ごめんなさい。カット……。
何度も謝るフィナの言葉を反芻しながら、カットは口を開いていた。
「君を傷つけたのは、俺なのに……」
その言葉は誰にも聞かれることなく、夜闇に溶けていく。
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