熱血爺さんとロキ

第1景 洋食屋の気前のいい爺さん


 さっき乱闘騒ぎのあった大通りにはもう、たくさんの人々が行き来していた。

 コウスケ爺さんは、その通りで最近開店したという洋食屋に4人を誘った。

 甘く、またこってりした匂いの漂う店は喧騒に満ちていた。

 和服の、また洋服の老若男女が、ナイフとフォークを手に白い皿の上の料理をぱくついている。

 コウスケ爺さんの後につくどころか、かえって先導する形でテーブルについたレイナはもはや、哀れな亡国の姫君にはとても見えなかった。

 やがて、メニューの字が読めない4人のために老人が選んだ料理が運ばれてきた。

 老人は分厚いビフテキを頬張り、子供たちはオムレツやハッシュドビーフ、ソーセージ、海老や挽肉の入ったコロッケなどを争って皿に取り分けた。

 食後のデザートにコウスケ爺さんは、パオンデローと呼ばれるカステラに似た狐色のケーキを牛乳と共に頼んだ。

 思いがけず豪華な昼食にありついたレイナは満足げに深く一息つくと、爺さんに丁寧に礼を言った。

「お爺さんがあの場に居合わせてくださって、本当に幸運でした」

 それはエクスも同感のようだった。

「あのままでいたら、捕まったぼくたちはどうなっていたか」

「いや、俺がいればあんな」

 空気を読まないタオの足を、シェインは思い切り踏んづける。

 コウスケ爺さんは、その失礼を気にした様子もない。

 かっかと笑って答えた。

「喧嘩の仲裁は、ワシの趣味みたいなものよ」

 

 コウスケ爺さんは、元は貧しい百姓の生まれだったという。

 幼い頃に両親を失い、親類縁者のもとを転々として肩身の狭い思いをしてきた。

 一人前になる頃に、裸一貫でこの大阪オオサカに出てきて仕事に打ち込み、店を持って財を成すことができた。

 今では息子に店を譲って楽隠居の身だが、儲けた金を世のため人のために使いたくなり、街を歩いて喧嘩を見つけては仲直りをさせ、食事を奢っているのだということだった。

 4人はそれぞれ、ふんふんとコウスケ爺さんの半生に耳を傾けていたが、やがてタオひとりが感動の涙を流し始めた。

 エクスが心配げに声をかけた。

「タオ……」

「泣いてなんかいねえよ、目が汗をかきやがったんだ」

 呆れ顔に目を背けるレイナは、そもそもタオに冷たい。

 何かというと、この一行のリーダーの座を争っているからだ。

 やはり眉ひとつ動かさないシェインは、そっと自分のハンカチを差しだした。 

「鬼の目にも涙なのです」

 タオは鼻をグシグシいわせながら強がった。

「鬼はお前だろ」

 実はこのシェイン、タオが「桃太郎の想区」で出会った鬼ヶ島の娘である。

 わけあって「キビ団子の誓い」を交わして、義兄妹となっているが……。

 レイナは、そんなタオなど無視してコウスケ爺さんに話を振った。

「今日も他に仲裁をなさったんですか?」

 いや、と爺さんは重々しく答えた。

「今日はこれからだ」

 まるで喧嘩の予定が分かっているかのような言い方に、一同は怪訝そうに(タオは真剣に)老人の顔を見た。

 コウスケ爺さんは、声を潜めて語り出す。

「実はな、えらい話を聞いてしもうたんや」


 今朝、爺さんがある家の前を通りかかると、三味線シャミセンを教えている家があった。

 歌声に惹かれて中に入ってみると、師匠と弟子が、京都キョウトのある帯屋のトラブルについて噂をしていた。

 事情を詳しく知っているらしい客に聞いてみると、こんなことがあったということだった。


 京都柳馬場やなぎのばば押小路おしのこうじ虎石とらいし町西、帯屋の主の長右衛門の父が後妻「おとせ」をもらった。

 後妻「おとせ」は連れ子に店を継がせるべく、義理の息子の長右衛門の追放を企んでいたが、そんな折、長右衛門は仕事で止まった宿屋の「お半」という娘に想いを寄せられる。

 それを知った義母は、「お半」が送った恋文をつきつけて、長右衛門の追放を図る。

 長右衛門の妻、「お絹」は誤解だとして止めたが、「おとせ」は母親の権威を盾に妻をも責め立てているという。

 

 話しているうちに、コウスケ爺さんの顔は満面に朱を注いだようになった。

 レイナは、当然の結果として同情した。

「ひどい話ね……」

 熱く立ち上がったのはタオである。

「許せない、俺も行くぜ」

 エクスは目を閉じて、静かにうなずいた。

「僕も力になりたい」

 その手は、タオやコウスケ老と同じく、怒りに震えている。

 だが、シェインは呻いた。

「なんかこう、引っかかるのです」

 それは気にしないで、タオは老人に尋ねた。

 シェインはタオの考えることにああだこうだと文句をつけるが、結局はついてくるのである。

「でも、どうやって」

「せやなあ……」

 その時、遠くで汽笛の音がした。

 幼い顔だちの鬼娘は唐突に叫んだ。 

「シェインは汽車で行きたいのです」

 一同がぽかんとする中、タオは呆れて言った。

「お前、鉄ちゃんだったのか!」

 コウスケ爺さんは、ぽんと手を叩く。

「まあ、お嬢ちゃんが言うなら……」

 こうして、一同の京都行きは決まった。

 そこでただ一つ、爺さんが気にしたことがある。

 タオの大剣、エクスの剣、シェインの弓矢である。

「そないな物騒なもん、背負うてたらあかん。ワシがなんとでもしたるさかいに、預けてや」


第2景 陸蒸気と五平太

 

 剣と弓矢は、それぞれ大きな袋にしまい込まれて持ち主の背中にかつがれた。

「去年、廃刀令が出たときはな、お侍はこないして意地を張ったもんや」

 そんなこんなで、老人と少年少女がやってきたのは大阪駅である。

 爺さんが陸蒸気オカジョウキと呼ぶ機関車を見てシェインは大はしゃぎだったが、ここで問題が起こった。 

「ワシ、やっぱり船で」

 コウスケ爺さんは、赤ら顔を青くして待合室のベンチに倒れ込んだ。

「シェインは汽車がいいです」

 冷静な鬼娘も、大好きな機械や珍しいものが目の前にあると人……いや、鬼が変わるものらしい。

 さっきまでの勢いはどこへやら、コウスケ爺さんは泣き言を垂れる。

「五平太の臭いがどうもあかんのや」

 ところがゴヘイタの意味することが分かる者は誰もおらず、4人は皆、首をかしげた。

 やがて、レイナが鼻をくんくんさせて言った。

「石炭……ですか」

 コウスケ爺さんは涙目で頷いた。

 エクスはタオの顔を見る。

 タオはシェインに向かって首を横に振った。

 シェインは、無言で首を縦に振る。

 それを見ていたコウスケ爺さんは、苦し気に身体を起こした。

「じゃあお兄さん、京都までの切符はワシが買うたる。ああ、船では一晩かかるさかいに、宿賃も持ったる。妹さんの面倒あんじょうみたってや」

 やがて、汽車の窓から顔を出して、コウスケ爺さんに手を振るシェインの姿があった。

 その傍らには、タオがゆったりと座っている。

 義兄妹たちを見送ってから、レイナとエクスはコウスケ爺さんに従って八軒屋ハッケンヤの船着き場へ向かった。


第3景 船着き場の宿敵


 船着き場までは、それほど遠くなかった。

 大きな船がいくつも係留されている川岸を、コウスケ爺さんは客船を探して歩いた。

 日はまだ高く、船から荷物を積み下ろす男たちが忙しく行き来している。

 その男たちにとっても、エクスやレイナの姿は珍しいようだった。

 中には、レイナに声をかけてくる者もある。

「姐ちゃん、別嬪やなあ、ワイと今晩遊ばへんか」

 エクスがぴったりとレイナの側に付くと、コウスケ爺さんは一喝する。

「アホかいな、おのれの顔見てモノ言いさらさんかい!」

 そのたびに、男たちは身をすくめて逃げ去るのだった。

 しばらくして、コウスケ爺さんは空のまま船頭が客を待つ船を見つけた。

 歩み寄って値段の交渉に入るのを、レイナもエクスも黙って見ているしかない。

 だが、できることはあった。 

 足音もなく、静かに忍び寄る者があったのである。

「どうする? レイナ」

「剣なしじゃどうにもなんないもんね、エクスは」 

 囁き合う2人の背後から、鳶口が振り下ろされる。

 レイナの杖が、その1本を受け止めた。

 エクスが、剣の入った袋でもう1本を弾き返す。

 手に手に棒や銛などの得物を持って2人とコウスケ爺さんを取り囲む男たちは、空が晴れているのに蓑笠をまとっている。

 それらの奥には、鈍く光る眼があった。

 ヴィランだ。

 だが、カオステラーの下僕のことなど、コウスケ爺さんが知るはずもない。

 顔をしかめて、吐き捨てるように言った。

「どないもならんヤクザどもや」

 川岸を離れて、ゆらりゆらりとヴィランどもの前に歩み出る。

「危ない、お爺さん!」

 エクスの叫びなど、コウスケ老は聞いてはいない。

 大音声で一喝した。

「こんな子供に、大の大人が恥ずかしいと思わんのかい!」

 人間の言葉など、ヴィランには伝わらない。

 だが、その群れは一瞬だけ怯んだように見えた。

「何で……」

 だが、レイナがつぶやいた疑問はすぐに解けた。

 

「おやおや、これは失礼」

 ヴィラン達がばらばらと散ると、その背後から着流し姿の青年が現れた。

 よほど荒れた人生を送ってきたのだろう、左目が白く濁っている。

 コウスケ爺さんは、それを見てニヤリと笑った。

「あんさんの若い衆かいな、よおしつけてや」

 一方で、エクスは息を呑んだ。

「……ロキ!」

 カオステラーたちを、陰で操っている勢力がある。

 そのひとりが、ロキだった。

 レイナが低い声でつぶやく。

「こんなところで、何を……」

 祖国を滅ぼした張本人が、粋な着流し姿で堂々と目の前に立っている。

 その怒りを知るはずもない爺さんは、きょとんとした顔で振り向いた。

「何や、知りあいかいな」

 事情を語っても仕方がない。

 理解されるはずもない。

 レイナは曖昧に笑うしかなかった。

「ええ、外国でちょっと」

 相好を崩したコウスケ爺さんは、かっかと笑ってロキを誘った。

「日本にまできて斬った張ったの喧嘩はないで、どや、ワシと一杯」

 カオステラーの黒幕が呉越同舟などあり得ない。

 ましてや、行動を共にする相手と飲み交わすなど……。

 さすがに、レイナも慌てた。

「コウスケさん、帯屋は」

 本来の目的を思い出させようとしても、コウスケ爺さんは頑固だった。

「汽車で行かんかったんや、遅れるんはしゃあないやろ」

 困り果てて顔を見合わせるレイナとエクスだったが、そこで助け舟を出したのは、意外にもロキ自身だった。

「それはよろしくない」

「ワシの勝手やがな、あないな臭いもん」

 爺さんが嫌がっているのは、汽車に積む石炭の臭いである。

 ロキにとって、それは関係ないことだ。

 それでも、説得は丁寧だった。

「事情は存じませんが、時は金なりと申します」

「ワシはもう、金は充分持ってる」

 意地でも汽車で行くまいとするコウスケ爺さんに、ロキは冷たく微笑んだ。

「では、よしなに。私はこれから汽車で京都へ参ります」

 船着き場を立ち去るロキに、蓑笠姿のヴィランどもが付き従う。

 レイナが、不安げにそれを見つめていた。 

「エクス……」

 エクスも同じ気持ちのようだった。

「タオとシェインが……」

 仲間を二手に分けるということの危険を、2人はいやというほど思い知ることになったのである。

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