動乱のコウスケ

兵藤晴佳

文明開化とレイナ姫

第1景 和洋折衷の不思議な想区


 深い「沈黙の霧」を抜けると、そこはまた別の世界だった。

「レイナ、ここはどこ?」

 尋ねたのは、優しい顔だちをした黒髪の少年である。

 プラチナブロンドの少女が小首をかしげた。

「……さあ、どこかしらね、エクス」

 他人事のように答える。

 頭一つ背の高い、灰色の髪の青年が肩をがっくりと落とした。

「こっちだって言っといて、どこだか分かんねえのかよ」

「タオ兄」

 長い黒髪を高く結った小柄な少女が、微かに首を振ってたしなめた。

「いつものことなのです」

 レイナと呼ばれた少女が謝った。

「ごめんね、シェイン」

 シェインは答えないで目を閉じた。

 兄と呼ばれた若者……タオは代わりにぼやいて天を仰ぐ。

「……このポンコツ姫」

「そう言うなよ、タオ」

 黒髪のエクスは、若者の逞しい背中を叩いた。

「レイナがいないと、僕たちはどこへ行けばいいのかも分からないんだから」

「だから、これか」

 タオが開いてみせた一冊の本がある。

 そこには、何も書かれていない。

「空白の書」

 エクスがつぶやいて、レイナを見やる。

 何も答えが返ってこないで、話のケリは自分でつけるしかないようだった。

「それでいいよ。だから、僕たちは物語から自由でいられる」

 レイナがじっと見渡しているのは、瓦屋根の並ぶ大通りである。

 タオがつぶやいた。

「変わった『想区』だな」

「おとぎ話の世界は、なんでもありなのです」

 眉ひとつ動かさずに、シェインが答えた。


 彼らが「沈黙の霧」を抜けて旅するのは、おとぎ話の世界。

 それが、彼らの言う「想区」であった。

 レイナも、もともとはその「想区」の姫君だったという。

 「想区」の物語は、「ストーリーテラー」と呼ばれる語り手の意思に支えらえれている。

 そこに住む人々は、物語の中で背負うべき役割が記された「運命の書」の下で生かされているのだった。

 何も書かれていない「空白の書」を持たされた彼らを除いて。


「こんな屋根は、今まで見てきたけど」

 レイナの言うのは、瓦屋根のことだ。

 日本や中国、朝鮮半島なら、珍しくない。

 エクスも、道行く人の姿を見渡して囁いた。

「何だろう、ここは」

 どこ、ではなく「何」と聞くのには理由がある。

 この4人をじろじろ見て歩く人たちの姿は、どうも座りが悪かった。 

 ほとんどの人が和服を着ているが、その中には洋風のステッキを持つ人もいる。

 そうかと思えば、鳥打帽に尻をまくった和服。

 洋服の人もいるにはいるが、着こなしが今一つ垢抜けない。

 この人たちに比べれば、この4人のほうがよほど板についた服装をしている。

 チュニックに、スカート。

 確かに、目立つといえば目立つ洋装だが。

「だけどよ」

 ときどき道の真ん中を通る洋風の馬車を目で追いながらタオがつぶやいた。

「どこだろうと、こればっかりは変わらねえ」

 山高帽をかぶった和服姿の老人が、手にしたステッキを横に薙いだ。

 銀光一閃。

 タオが背負った大剣が唸り、老人の仕込み杖を弾き飛ばした。


第2景 カオステラーの影


 大通りのあちこちで悲鳴が上がる。

「ダメだ、タオ!」

 言葉で制するエクスも、背後から迫った鎌をかわして、背中の剣を抜いていた。

 鳥打帽をかぶった尻端折りの男が、燐光を放つ眼で隙を伺っている。

 唐竹割りに叩き斬ると、服だけ残して消えた。

「これは……」

 エクスの問いは意味がない。

 答えは聞くまでもなかった。

 それでも、レイナは杖を構えて答えた。

「ヴィランよ」

 それは、心優しい少年を落ち着かせるためなのだろう。

 タオが倒した老人は、服だけ残して消えていた。


 ヴィラン。

 それは、物語を支えるストーリーテラーが心を狂わせ、「カオステラー」と呼ばれる存在になったときに放つ下僕である。 


 ストーリーテラーが物語を動かすときには、蝶の羽を持つ「妖精」を使役する。

 だが、カオステラーにはそれができない。

 だから、代わりに「想区」に住む人々をヴィランとして操るしかないのだ。

 レイナの「想区」もまた、そうやってカオステラーに滅ぼされた世界のひとつであった。


 シェインが、背中から下ろした弓に矢をつがえて大通りの向こうに放つ。

 シルクハットの洋行紳士が射抜かれた腕を高々と上げる。

 これもヴィランだった。

 手にした拳銃を天に向けて発射するや、モーニングだけを残して消滅する。

 白昼の乱闘に、罪もない多くの人々は逃げ惑った。

 その中で、各々の武器を手にした少年と少女は、背中合わせにフォーメーションを組む。

 誰が人で、誰がヴィランか分からない。

 襲って来た相手と戦うしかないのだ。

 遠くから、ピリピリという笛の音が聞こえてきた。

 1人ではない。 

 シェインが唸った。

「10人……いや、もっといるのです」

 

 大通りから人の姿が残らず消え、代わりに4人を包囲したのは黒い制服の一団だった。

 てっぺんの平たい帽子に、腰に提げたサーベル。

 豊かなヒゲを蓄えたリーダーらしき男が命じた。

「武器を捨てろ。逮捕する」

 警官隊のようだった。

 エクスとタオが顔を見合わせた。

 お互いの顔には、「どうする?」と書いてある。

 弓に矢をつがえたシェインの顔からは、気持ちは読めない。

 もともと、表情が乏しい娘である。

 だが、レイナだけは冷静に話をすることができた。

「理由を聞かせてください」

 警官隊長は、腰を落としてサーベルの柄に手をかけた。

「廃刀令違反だ」

 応じなければ剣に訴えると言わんばかりの剣幕に、タオがぶつぶつ繰り返した。

「ハイトウ? ハイ・トウ・レイ……」

 シェインが面倒くさそうに説明した。

「察するに、刀剣を持ち歩いちゃいけないという法律なのです」

 隊長はすかさず言った。

「弓矢ならよいというわけではない」

 レイナが、捨てろとも言われていない杖を手放した。

 エクスもタオも、剣を捨てた。

 シェインも、大事そうに弓矢を地面に置いた。

 道行く人がじろじろ見ていたのは、この武器だったのだ。

 あらかじめ通報されていたとしても、不思議はない。

 隊長が重々しく告げた。

「子供とはいえ、これだけのことをしでかしてタダで済ませるわけにはいかん」

 警官たちが、縄を手に詰め寄った。

 まず、いちばん身体の大きいタオが腕を掴まれる。

「触んな……」

 今にも暴れ出しそうな形相で警官を睨みつけるタオを、レイナが目で制した。

 もちろん、そんなものに気付くタオではない。

 気付いても従うわけはなかった。


第3景 不思議な老人


 その時だった。

 威勢のいいドラ声が、警官隊と4人の他には誰もいなくなった大通りに響き渡った。

「ああ、悪いな、古道具こないに重いのに……ああ、えらいすんまへん、うちの丁稚がご迷惑おかけしまして」

 警官隊のリーダーが振り向いた相手は、でっぷりと肥えた、赤ら顔の老人だった。

「ああ、コウスケさんでしたか、いやいや、それでしたらもう」 

 コウスケと呼ばれた老人は、満面の笑顔で警官一人一人の手を取って頭を下げた。

「いつもいつもお騒がせ」

 警官隊長が帽子を脱いで頭を下げた。

「いえ、いつも喧嘩の仲裁、恐れ入ります。おかげさまで本官たちも」

 警官たちが一斉に一礼した。

「いやいやそんな……この子たちが何か」

 コウスケ老は、エクスたちの顔を見渡して隊長に尋ねた。

 隊長は帽子をかぶり直して、辺りをぐるりと指さした。

「ご覧ください……あれ?」

「何か?」

 コウスケ老に問われても、答えるべき何物もなかった。

 あるのは、地面にまき散らされた和服と洋服ばかりである。

 隊長は咳払い一つして、居住まいを正した。

「いかに子供とはいえ、このような騒ぎを起こしては放っておけません。署でたっぷりお話をさせていただきます」


 警察署でこってり油をしぼられた4人は、それぞれの持ち物を返された上で解放された。

 全て、このコウスケ老が丁稚に売却を任せた古道具、という名目である。

 署内の応接に4人を引き取りに来たコウスケ老は、その「古道具」を改めてため息をついたものである。

「こないな子供がまあ、偉い物騒なもん……なんや、異人さんかいな」

 やっと気付いたという風に驚く老人に、プラチナブロンドの姫君は微笑んだ。

「はい、レイナと申します。この者どもは私の使用人でございます」

 まず食ってかかったのはタオである。

「おい」

 シェインがたしなめる。

「タオ兄」

 兄は不満そうである。

「シェイン」

 妹が低い声で叱った。

「ここは合わせてなのです」

 兄と妹の静かな言い争いに、恰幅のいい老人は割って入った。

「なんや、大陸の若いもんか、ええ体格しとる。おお、妹さんかいな、大きゅうなったらえらい別嬪になるやろ」

 ひとり影の薄いエクスは、不安になったのか、自分から声を上げた。

「あの、僕は……」

 老人は、エクスの顔を皮の厚い手で挟んだ。

「よう分かってる、お付きの人やろ、色男やなあ、いや、珍しゅうない、明治のご一新以来、異人さんも大陸のもんも日本人も、仲良くしたらええのや、どや、昼飯でも」

 異国の姫君が、その出自にふさわしくない返事をした。

「喜んで!」

 その嬌声に、エクスは呆然とした。

「レイナ……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る