世界が終わるときの話。
――世界の終わりってどこの終わりを言うのだろう。
僕の頭の中に、ぽわんと浮かんだ疑問は、長い時間居座った。
世界――考えることが馬鹿らしく思えるほど広い宇宙のこと、それとも、唯一、生命体が存在する青い星<地球>のことなのか……それとも、人間がはびこる社会のことなのか。
8月30日の夜10時を過ぎた頃、2階にある自室の窓を開けて、夜風に吹かれながらアイスをかじりぼんやりと思考を巡らせる。
冷たいアイスが、お風呂上りに火照った体の体温をじんわりと下げていく。
ガリッ……うん、おいしい。
「新学期もだるいし……世界が終わらないかな」
僕は、思い切り目を閉じてつぶやいた。
もし、この目を開けたら、世界は灼熱の炎に包まれて、辺りからは悲鳴が連鎖的に流れ出し、街を覆っていく。
逃げ惑う人々が縋りつく場所もなく、地位も名誉もお金も権力も……すべてが無へと変わる。
「なんてな」
やっぱり、目を開けても何も変わらない夜空が窓枠に収まっていて、外からは夏虫の音が、リリリリ、と聞こえてくるだけだった。
僕は、1口分だけ残ったアイスをがりっとかじり、部屋の電気を消した。
――世界の終了が、明日であるということも知らずに。
***
8月31日は、何も変わることなく、蝉の声と蒸し暑い気温が僕を叩き起こした。
扇風機は、深夜のうちにタイマーで仕事を終え休止状態、自室にへばりつく空気が充満する。
「あっつ……」
とりあえず、クーラーを23度で設定して、地獄のような室内を快適な天国へと変換していく。
僕は、ばたりと布団へ倒れこみ目を閉じた。
ごぉぉぉぉ、とクーラーの唸り声、それに蝉の声が入り混じる。
やけに大きな蝉時雨だ――あれ。
僕は、妙に引っかかる違和感で叩かれて体を起こした、鮮明でない意識は、部屋の中で何かを探して、その答えを外だと導く。
遮光カーテンは、しっかりと光を遮断していて室内は、ぼんやりと明るいだけ。
でも、その光りは淡く赤色だった。
目の前の光景を染め上げているのは、夏終わりの枯れてしまった朝顔を切なげに照らす夕暮れのような感情は持っていなかった。
ただただ、無感情に人へ<終わり>を告げる――赤だった。
「なにこれ?」
僕の理解は、追い付かない。
子供が塗りつぶしたような赤は、僕の中の漠然とした恐怖を煽っていく。
心臓が、はち切れそうなほど脈を打つ。耳のすぐ横に、心臓があるのではないかと思ってしまうくらい大きかった。
焦る鼓動を落ち着けるために手のひらを胸に当てる。
嫌というほど聞こえていた蝉時雨が、耳に届いて、それだけが現実味を帯びていて心地よかった。
――世界の終わりは、意外とみんなが望んでいるんだよ。
忘れかけていた記憶の奥底で、そんなつぶやきが、クスリといやらし気に微笑んで、消えていく。
「はは……マジかよ」
耳を塞ぎたい――僕は、脳が出した危険視号を行動化して耳を塞ぐ。
依然として、聞こえてくるのだ。
わんわんとなり続ける蝉時雨――鼓膜を揺さぶる音の正体――人間の叫び声が。
人間の叫び声と理解した時には、もう、僕は、家の中にはいなかった。
周りと同様、家の外へと飛び出して、どこからか聞こえてくるサイレンに耳を傾けていた。
これが、数千年に一度の宇宙の神秘、なんて、聞こえのいいものだったらよかったのに……僕は、いつまでも思い続けるだろう。
『世界は、終わります――ザザッ――世界――終わり――ます』
ノイズ交じりに聞こえてきた2度の声明は、誰の物かわからない。
何の回りくどさもなく、老若男女すべての人類が理解できる声は、それだけ告げるとぱたりと止んだ。
簡単で、分かりやすいことはいいことだ。だが、それは、全ての人類を狂わせる簡単な引き金になるのだ。
サイレンが鳴り止むと同時に、人々の声が、世界を連鎖的に覆っていった。
ある者は、訳の分からない声明に怒号を投げつけ。
ある者は、居もしない神へと祈りをささげる。
ある者は、泣け叫びながら地面へ涙を落とす。
世界から、全てが消えたのだ。
金も、地位も、権力も――全てが、ただのゴミへと変わったのだ。
僕は、いつだか問われた質問を思い出していた。
――世界が滅亡する5分前、あなたは、何をしているの?
「僕は――」
地球という鳥籠の中で、とらわれた人々は、逃げることなど叶うはずがないのに走り出した。
陽炎が揺らめく中で、呆然と立ち尽くしている僕の肩に他人の肩が何度も当たる。
音が変わっていった――逃げ惑う人々から出る恐怖心の音は、僕には、歓喜の音にも聞こえる。
サーカスで空中ブランコが綺麗に決まった時のような、鳴りやまない拍手と歓声のような――
――世界の終わりは、意外とみんなが望んでいるんだよ。
僕のどこかで、また、つぶやかれた。
「君は、望んでいるのか?」
湧き上がる疑問は、自然と声に出されて、気づいたら走り出していた。
熱い地面をサンダルでかける。靴擦れがひどく痛かった。
だけども、僕は、あの初夏の日――一緒に授業をサボった11時頃の声を探して、走り出した。
***
声明からどのくらいの時間が経ったのだろうか。
僕を取り巻く世界は、賑わいと平和を見せる日常から、廃れ汚れた最悪な世界へと変わってしまっていた。
まるで、ハリウッドが手掛けたSF映画のワンシーンのようだ。
有名ハリウッド俳優が、銃を手にして火薬を壮大に使った演出がなされる――酷い逃避だ。
変わり果てた世界の中心で、赤い空に見下されながら僕は、歩く。
片足のサンダルはどこかで脱げてしまって、その足からは流血していた。
目の前で陽炎が揺らめいているような気がした……それとも、疲労からくる眩暈なのか……どうでもいい。
僕は、長い時間歩いているが、初夏に聞いた声を見つけることはできない。
声の影すら見つからないのだ。
僕の奥から何かが溢れ出そうとする。
泣いてはいけないんだ。泣いては……
そう思うたびに、歩みがゆっくりとなっていく――そして、止まってしまった。
このまま、地面に伏せて涙を流したかった。気が済むまで泣いて、泣いて、泣きわめいていたかった。
それで、誰かに見つけてもらって手を差し伸べて欲しい。
僕は、耐えきれない精神を理性で拘束して、空を見た。
鮮血のような空は、今では、どす黒い赤へと変わっていた。
「みんな、死ぬのか……」
僕は、ぼそりとつぶやいた。
言葉は、随分とその場を浮遊しているような気がした。答えを求めるように、そのつぶやきを聞いてくれる相手を探すように。
「死なないよ」
僕の正面から返事が返ってきた。
その声には、ものすごく聞き覚えがあって、一番、聞きたかった声だった。
空に移していた視線を、正面へと向ける。
そこには、都会の道路に咲く1輪の名もない花のように美しい彼女がいた。
彼女は、いつも通り少しだけ微笑んで、その背景を陽炎が染めている。
「誰も死なないけど、世界は、あと5分で終わるの。 ケイタは、どうする?」
いつだか聞いた覚えのある質問だ。
僕は、ひねくれている。だけど、今日くらいは、きちんと答えよう。
大粒の涙を溢しながら、か細く答えた。
「どうもしない……かな」
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