最終話 Pleasurble Life
エクスは即座に矢を放つ。ヤハウェはそれを盾で防ぐ。その刹那のやり取りの間にシェインとレイナはヤハウェを挟み込んで立つ。
ヤハウェは口の端を釣り上げて笑う。
「好戦的だな。口では戦いたくないとか言っていたが、武器を持っただけで即攻撃とはな。そんなに私が怖いか」
「はっきり言うと、武装した神とかめちゃくちゃ弱そうなのでちっとも怖くないです」
シェインの言葉にヤハウェは眉根を寄せる。
シェインは続ける。
「だって武器がなきゃ戦えないってことでしょう?しかもチート級の最強装備じゃないですかそれ。人間三人を相手するのに最強装備を引っ張り出してくる神とか、どう考えても雑魚確定ですよ。だからお爺さん自体はこれっぽっちも怖くありません」
「――ならばその雑魚に倒されて死ぬがよい」
ヤハウェがシェインに向けて槍を振りかぶる。その背中にレイナ斬りかかる。やむなくヤハウェはそれを盾で防ぐ。
レイナは追撃せず、即座に飛び退く。
「お爺さんは雑魚ですけども、その槍と盾はヤベーですからね。狙った相手を必ず貫く投擲槍グングニルと、ただでさえ強いのにメデゥーサの首を嵌め込んで石化の力を持たせた盾アイギス。チート級の最強装備です。だから速攻で片付けさせて貰います」
「――よく知っているな。そこまで知っていて逃げずに挑むというのは理解に苦しむが」
「知ってるから対処するんです。気付いてないのですか?グングニルは投げさせなければただの槍だし、アイギスはメデゥーサと目を合わせなければただの盾なんですよ?ちなみに盾はすでに姉御が無効化しましたのであしからず。帽子屋ハッタさん率いるマッド・ティー・クラブ謹製、コールタールティーを塗りたくりましたからね」
「何っ!?」
ヤハウェがアイギスを覗き込む。
瞬間、ヤハウェとメデゥーサの視線が交錯する。
「あ。しまっ――」
気付いたときには、すでに遅かった。メデゥーサの魔力によりヤハウェの身体が石化してゆく。
「うおおおおお!小娘、謀ったな!」
ヤハウェは石化に蝕まれながらも何とかグングニルを放とうとするが、それも背後からレイナに叩き落とされる。
「くっ――私が、人間ごときに――」
「そんな風にバカにしてるから、あんな嘘に騙されるのよ」
「まさかこんなにあっさり引っかかってくれるとは思いませんでしたよ。しかもその焦りよう、もしや対抗手段を持ってませんね?残念ですがゲームオーバーです。あなたは人間に負けたのです」
ヤハウェの身体は、もはや肩まで石化が進行していた。
「くっ――ぐおおああああ!!」
断末魔のごとき叫びが、平和な景色の想区に響き渡る。その声を聞くのは調律の巫女一行のみだった。
「――あ、あれ?みんな気をつけて!石化が止まってる!」
駆け寄ってきたエクスがヤハウェの顔を指しながら言う。
レイナもシェインも気付いていた。ヤハウェの石化は首まで進んだが、そこで止まっている。
止まりはしたが、しかしヤハウェの顔から余裕は感じられない。
「ほう。お爺さん、何かしましたね?これが神の力ってやつですか?」
言いながら、シェインはヤハウェの周りをぐるりと一周する。
反撃が来る気配はない。
「身体は動かせないみたいね。何をしたのかは分からないけど、話ができるなら都合がいいわ。ヤハウェ、タオをどこへやったの。今すぐここに戻しなさい」
レイナが険しい表情でヤハウェに詰め寄る。ヤハウェは観念したかのようにため息をついた。
「――かの青年なら家の中におる。眠っているだろうから起こしてやるがよい」
言葉の真偽を確かめることすらせず、シェインはまるで飛び込むような勢いで家の中に消えていった。
「ちょっとシェイン、待ちなさい!罠かもしれないでしょ!」
レイナは叫んだが、シェインはすでに家の中だった。追うか、しかし敵をこのままにしてはおけないしどうするか、と少しだけ迷っている間に、シェインはタオとともに家から出てきた。
罠ではなかったようだ。
「あれ、お嬢、終わっちまったのか?俺はどれくらい寝てたんだ?」
「大して時間は経ってないです。タオ兄こそ怪我はありませんか?」
「ああ、別に何ともないぜ」
あまりにもあっけなく生還したタオを見て、レイナは深く安堵する。
「っておいおい、いくらなんでもやりすぎだろこれは。爺さん石になってるじゃねえか。仲間とはいえちょっと引くぜ……」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ、私たちのせいじゃないわよ」
レイナが語った戦いの内容を聞いて、タオは驚いたような感心したような声を出した。
「神様をペテンにかけるたぁ、我が妹分ながら恐ろしいなおい」
「いえ、あんな手に引っかかるほうがどうかと思いますけどね」
言いながらシェインはヤハウェを見る。ヤハウェは大きくため息をつく。
「まったくだ。やれやれ、情けない。数々の権謀術数を時に仕掛け、時にはくぐり抜けてきた私があんな手に引っかかるなど、本当に情けない」
「その権謀術数とやらも、どうせ運命の書に書かれていたことをそのままやってただけでしょうに」
シェインに言われ、ヤハウェは薄く笑う。
「それもそうだな。思えば、台本通りに生きてきただけであった。筋書きがなければ、私はこんなものなのだな。神の力も所詮は与えられたものに過ぎぬというわけだ」
ヤハウェは完全に戦意を喪失しうなだれてしまった。その姿はもはやただの衰えた老人だった。
「調律するがいい。そうすれば元に戻るのだろう?いったいどこまで戻るのか分からんが、恐らくは私が人間に失望する前まで戻るのだろうな。であれば私はまた再び失望と絶望を味わうのだろう。苦痛でしかないが、それが運命であり、抗えないのならば、仕方のないことなのだろうな」
「抗えばいいじゃねーか」
タオは檄を飛ばすように言う。それを受けて、レイナが言葉を続ける。
「運命の書は絶対じゃないわ。もし絶対なら私達に会うこともなかったし、カオステラーになることもできなかったはずよ。だから、やってみればいいじゃない。運命の書に書かれていないことを何でも。さっきまでやってたみたいにね」
「ふ――今更、できるかのう。人の愚かさを知り、人への絶望を知ってしまった私が、今更――」
できるよ、とエクスが言う。その声の力強さにヤハウェは顔を上げる。
「お爺さんなら、絶対できると思う。そりゃ、同じ運命の書のやり直しになるから簡単じゃないし、また悲しい気持ちになるかもしれないけど、人間が大好きなお爺さんなら大丈夫だよ」
ヤハウェは不思議そうな顔をする。
「人間が大好き、だと?何言うのやら。私は人間に絶望し、貴様等をも殺そうとしたのだぞ?」
「でも言ってたよ。絶望したけど、良い人を救わないわけにはいかないって。それにタオを傷付けなかった。お爺さんはカオステラーになったけど、まだ心の中では人間のことが好きなんだよ。そうじゃなきゃタオだって僕たちだって殺されていたと思う」
そうですね、とシェインが続ける。
「神様って本気になったらえげつないですからね。シェインたちを本気で殺すつもりなら、地割れでも大洪水でも起こせばよかったはずです。今だってその気になれば首だけで飛べるんじゃないですか?確かそんな戦国武将さんもいませんでしたっけ」
ヤハウェは、無理を言うな、と少し呆れる。
「あれは後付けの伝承だ。私は神だが妖怪ではない」
「まあそれは冗談としてもです。そもそも本当にシェインたちを殺す気はあったんですか?」
ヤハウェは少し考え、目を閉じて言う。
「そう改めて問われると分からんな。私は確かに私の想区の全てを滅ぼそうとした。しかし貴様等は想区の外から来た人間だ。私の子ではない。貴様等の言うとおり、殺そうと思えば殺すのは簡単だがな」
「そんなフワッとした気持ちで殺されたらたまったもんじゃないですね。でもまあ、タオ兄が無傷で戻って来てますし、やっぱり殺意はなかったように思います。調律すれば人間への絶望も忘れますし、ここはひとつやり直したらいいんじゃないですか?」
「簡単に言ってくれるな。人間ごときにこの私の絶望が分かるものか」
「あ。申し遅れましたがシェインは人の子ではありません。鬼の子です」
ヤハウェはバッと顔を上げてシェインを見た。
「鬼だと?小娘、またつまらん嘘を」
「今度は嘘じゃありませんよ。ツノもないし小柄で女だから分からないかもしれませんがシェインは鬼です。桃太郎さんの想区で産まれた、鬼かわいい鬼の子です」
「バカな。鬼が人間と共に旅をしていると言うのか?それもこんな命懸けの旅を」
「鬼にも人にもいろいろいるんですよ。シェインはこんなですから鬼からもいじめられて、鬼ですから人からもいじめられていました。それが今はこうして神をいじめてるんですから分からないものです」
いじめてたのかよ、とタオが呆れた。
「ま、人間とカカシとブリキとライオンが仲良くしてる想区もあるくらいだしな。鬼だとか人だとか、そんなことは関係ねえってことよ。仲間は仲間だ」
ヤハウェは感心したようにため息をもらした。
「人にもいろいろいる、か。まあそれはそうなのだろうな。私もいろいろ見てきたよ。運命の書に、次々と新しい名前が出てくるからな」
レイナがヤハウェの前に歩み出る。両者とも、その顔にもはや敵意はなかった。
「見てるだけじゃダメよ。ちゃんと触れ合って向き合って、もっと相手を知ろうとした方がいいわ。あなたが創った世界かもしれないけど、世の中はあなたの知らないことだらけだと思う。絶望したくないなら、もっと人間を知って、どうすれば相手を笑顔にできるか考えてみたらいいんじゃないかしら。そうすれば相手もきっと応えてくれる。あなたが頑張れば、頑張って応えてくれる人は必ずいるわ。その人たちと手を取り合って、あなたが人間を幸せにして、人間があなたを笑顔にする、そんな世界が創れるはずよ」
「……私にそれができるだろうか」
「神様にできないことなんかないわ。あなたみたいに、思い通りにいかないからってイラついて全部放り投げようとする人間くさい神様なら尚更よ。絶対に人間と分かり合って、幸せな世界を創ることができるわ」
私たちを信じなさい。
レイナは力強くそう言った。
ヤハウェははにかむように笑った。
「神であるこの私に向かって、なんと尊大なことよ。いいだろう、此度は貴様等を、そして人間を信じよう」
「それだけじゃダメよ。それじゃ単なる人任せじゃない。誰よりもまず、自分を信じなさい。出来ると信じてやらなきゃ、出来るものも出来ないわよ」
ヤハウェは笑った。カオステラーになっているせいか、その笑顔は邪悪なものに見えもしたが、しかしあきらめや自嘲とは異なる種類の笑顔だった。
「いいだろう。私は私を信じよう。今度は貴様等にも負けない、正しく強いヒーローたちと幸福な世界を創りあげてみせよう」
レイナは頷き、瞳を閉じて調律を開始する。
「混沌の渦に呑まれし語り部よ。我の言の葉によりて、ここに調律を開始せし――」
――――――――
「……ここ、同じ想区よね?私たち、別の想区に移動してないわよね?」
この想区を初めて訪れた時と変わらない、のどかで穏やかな世界の中に一行はいた。
調律を行ったあと、まだかの老人と対面してはいない。
しかし、逢わなくてもいいと一行は感じていた。
なぜなら、世界は変わらなくとも景色には大きな変化が見て取れたからだ。
川沿いではあるのだが、老人の住んでいた小屋が見当たらない。というよりも、整然と並んだ背の高い植物に覆われて見つけることが出来ない。
「これ何?トウモロコシ?」
「いえ姉御、サトウキビです」
背の高いサトウキビの林をかき分けて進むと、やがて細い道に出た。
畑はまだまだ続いている。サトウキビだけでなく、様々な植物が生えているようだ。
いや、育てられているのだ。
「さっきまでは小さな畑にキュウリとトマトくらいしか無かったのに、こりゃあ凄いな。同じ想区とは思えないぜ」
「お爺さんが頑張ってみた、っていうことなのかな」
「少なくとも悪い方向には転がってないみたいだけど…やりすぎじゃない?」
やがて、一軒の小屋が見えてきた。家屋の佇まいには変化がない。ただ、小屋の周りは無数の花が咲き乱れていた。そのせいか、同じ木造平屋も少し瀟洒な印象を受ける。
小屋の前の切り株に老人が腰掛けていた。カオステラーになる前のにこやかな老人の風体そのままではあったが、やや疲れているようにも見えた。
老人が一行に気付いて顔を上げる。
「おや?こんな所に人が来るとは珍しい。迷い込んだかの?」
「まあそんなところだ。それより爺さん、大丈夫か?なんか疲れてるみたいだが」
老人は軽く手を振る。
「なーに、ちょっと休憩しとっただけじゃよ。どれ、お前さんたちも疲れとるじゃろ、寄っていくか?茶くらい出すぞ」
入れ入れと老人に手招きされ、遠慮がちながら一行は家の戸をくぐった。
家の中は変わらず質素だった。
しかし出されたお茶はすごく美味しくなっていた。
「美味っしい――!」
思わず零れたレイナの感嘆を聞き、老人は本当に嬉しそうに笑った。
「じゃろ?新芽を日光に当てずに育てて、ぬるめの湯で淹れるとコクと旨味が出るんじゃ」
「お爺さんは農家さんなのですか?」
「まあ農業もやるが、農家というより百姓じゃの。何でもやるし何でも作る。狩りもするし漁にも出るからの。最近はサトウキビ作りに手を出しておる」
「サトウキビは農家だろ」
「いや、サトウキビからバイオエタノールを作っとる」
「バイ……何?」
老人は一行の想像よりはるかに先の時代を生きているようだった。もはや百姓ですらない。
「なんか凄いですね、お爺さん。一人でやってるんですか?」
「そうじゃよ。他に誰もおらんからの。一人であれこれ、いろいろ創ってみたり世話してみたりして暮らしとるんじゃ」
「僕たちサトウキビ畑の方から来たんですけど、すごく広いのに大変じゃないですか?」
「ああ、大変だとも。もう毎日しんどいしんどい」
言いながら、言葉とは裏腹に、老人はとても楽しそうだった。
「毎日毎日、やることが多すぎて、いくらやっても終わりが見えんわ。大変じゃよ」
その余りに楽しそうな語り口に、タオは思わず苦笑する。
「大変ってわりには楽しそうじゃねえか?」
「そりゃあ楽しいとも。あれもしたいこれもしたい、やりたいことが尽きんのじゃ。毎日毎日やりたいことだけやって生きてるんじゃもの、楽しいに決まってるじゃろ。上手くいったらみんな喜んでくれるし、失敗したらまたやりたいことが増えるだけじゃし、楽しいぞ」
カオステラーだった面影すら今はもう無い。そこにいるのは生き生きと人生を謳歌する快活な老人だった。
ところで、と老人が話を切り出す。
「お前さんらは何者じゃ?わしの世界の住人ではあるまい」
タオはレイナに視線を送った。どう話したらいいか、レイナは少し考えながら、しかし結局は初めて老人と話をしたのと同じ内容を話した。ただし、この想区にカオステラーはいないと断言して。
老人は様々な相槌を挟みながら、興味深そうに真剣に、そして楽しそうに話を聞いていた。
「ほおー。空白の書か、そんなものがあるんじゃのう。いや、わしは実は神なんじゃけども、長いこと生きておるが、お前さんらみたいなのは初めて会ったわい。想区の外か。今まで考えたこともなかったが、世界は広いんじゃのう――あれ、神と聞いても驚かんか。さすがじゃのう」
一行が驚かないのはすでに知っているからなのだが、調律された老人がそれを知る由もない。いろいろな想区を見てきた経験があるから驚かないのだろう、と理解したようだった。
「そういうわけだから、お爺さん、私たちはそろそろ次の想区に向かうわね。お茶ありがとう、とても美味しかったわ」
「おお、そうか?大したもてなしも出来ずすまんかったな。まあ、またおいで。なにか旨いもん食わせてやろう。その時はもっと色んな話を聞かせておくれ。わしも自分なりに人類に愛と平和をもたらしとるつもりじゃが、もっと多くの幸せをばらまきたいと思っとるからの。参考にさせてくれ」
花に囲まれた玄関先で笑顔の老人に別れを告げる。
「月並みじゃし、わしが言うことでもないがの。神の御加護があらんことを。汝らの前途に光りあれ。あときびだんご持って行きなさい」
「ありがとう。お爺さんも元気でね」
手を振りながら老人と別れ、一行は次の想区に向かう。
時刻はすでに夕暮れ時で、遠く山の上にオレンジ色の太陽が沈み掛かっていた。一行4人の影が地面に長く伸びる。
「お爺さん、すごく楽しそうだったね」
エクスが言う。レイナは頷く。
「そうね。あれなら心配なさそうね。旅が一段落したらまた遊びに来ましょ」
タオが笑う。
「だな。神様が用意してくれる『旨いもん』ってのも気になるしなぁ、お嬢」
「べっ、別にそういうつもりで言ったワケじゃないわよ!?」
「そんなこと言って姉御、もむもむ、本当は気になっているでしょう」
「ちょっとシェイン、きびだんごひとりで全部食べないでよ?みんなに分けなさいよ」
「もむもむ、すごく美味しいです。まるで吸い込まれるようです」
「ちょっとー!袋をこっちによこしなさい!」
はしゃぐように歩を進めるシェイン、レイナ、タオ。一行にとって束の間の、次のカオステラーに出会うまでの短い休息の時間。
一歩遅れて三人の背中を見ながら、エクスは考えていた。
カオステラーになったお爺さんはストーリーテラーを倒すと言っていたけど、ならお爺さんに神様としての役割を与えたのは誰だったんだろう――。
この想区で光が生まれるよりも前に、お爺さんに運命の書を与えた、神よりも前に存在していた誰か。
他の想区でも似たような疑問が浮かんだことはある。しかし今のところ考えたところで答えは出ない。
いつか答えに辿り着くかもしれない。
その日まで、調律の巫女一行の旅は続く。
Perfect Life 完
Perfect Life @nekogamari
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