第5話 暇を持て余した神の遊び

 彼の名は、正しくは分からない。

 彼の名は、ただの四字でのみ記録され、伝承され、その字の正しい読み方は伝えられていない。

 長い歴史の中で、数々の研究者が、彼の名の発音を試みて、いくつかの候補に絞られた。しかし、どれが正解であるかなど、永遠に分からない。

 それでも敢えて、今は彼をヤハウェと呼ぼう。


 ヤハウェはヴィランを生み出し続けた。しかし調律の巫女一行は一瞬たりとも怯まない。戦線はしばらく停滞していたが、やがてじりじりとヤハウェ側に押し戻されてきていた。

 それぞれの表情を見ても、余裕こそ見られないが、苦戦している風ではない。

「なるほど、言うだけのことはある。カオステラーを退治してまわっているというのも伊達ではないようだ」

「あったりめぇよ!てめえもすぐにブチのめしてやるぜ!」

「威勢のいいことよ。どうもヴィランどもでは役者不足のようだな。では、これではどうだ?」

 ヤハウェが手をかざす。そこにヴィランとは違う、人の形をした存在が生み出される。

 一行は目を疑う。

「――桃太郎だと!?」

 ヤハウェは表情を変えない。

「これに驚くか。手を止めるなよ、まだまだ創るぞ」

 ヤハウェが手をかざす度に、次々と人型の存在が創り出される。それらの中には見知った顔もいた。

 桃太郎。ジャンヌ・ダルク。ジル・ド・レ。かぐや姫。赤ずきん。シンデレラ。牛若丸。アリス。アラジン。

「――やれやれ、もう何でもありですね。ご自分が知ってるヒーローさんなら創り出せるとか、そういうことでしょうか」

 シェインの問いかけに、ヤハウェは薄く笑う。

「すべて私が深く関わった人物たちよ。私は猟師や下男や兵隊、時には魔神の役だったこともある。知っているなら言うまでもなかろうが、彼らの能力は折り紙付きよ。さて、ヴィラン退治は手慣れているようだが、相手がヒーローとなったらどうかな?」

「ええーい!」

 レイナが放った攻撃魔法で、アリスとアラジンとかぐや姫が一度に吹き飛んで消えた。

 ヤハウェにしてみれば強い手駒を出して様子を見るつもりであった。その目論見を外されて、ヤハウェはわずかに眉根を寄せる。

「みんな!こいつら弱いわよ!」

 レイナがそう言った時には、見知った顔のヒーローはそれぞれにすでに撃破されていた。

「あれ?本当だ、強くない…」

 エクスは少し困惑する。しかしすぐに切り替えて、他の敵の殲滅を再開する。

「おいおい、こんなのが桃太郎か?俺の知ってる桃太郎はこれの100倍は強いぜ」

「見知らぬ人もいますから油断はできませんが、しかし知ってるヒーローさんたちはことごとく弱いですね。似ているのは姿形だけです」

「――なぜだ、どういうことだ?」

 ヤハウェはわずかにうろたえる。そしてもう一度、ヒーロー達を創り出して一行にけしかける。

 しかし、あっという間に駆逐される。一行がコネクトしているヒーローと、ヤハウェが創り出したヒーローには、圧倒的な力量差があることが明白だった。

 なぜだ、とヤハウェは呟く。

「はて、なぜそこまで力が違う。あなた達が知っているのと、想区は違えど同じ物語の同じ人物だろう」

「さあな。何でだか分からねえが、あんたが創り出したヒーロー達からはやる気を感じねえぜ。殴れって言われたから殴りました、って感じだ。こんな覇気のねえヒーローじゃ、誰も応援してくれねーだろうぜ」

「何を言っておるのかよく分からんな」

 言いながら、ヤハウェはさらにヒーローを創り出す。同時にメガ・ヴィランも創り出す。

「やれやれ、懲りないお爺さんですね…ヴィランとヒーローさんを創ることしか能がないなら、そろそろ終わりにしましょうか。お爺さん、もうシェインの矢の射程内ですし」

「人間を創り出す能力って、かなりすごいと思うんだけど…」

 エクスの言葉には聞く耳も持たず、シェインはヤハウェ目掛けて矢を射る。しかしその矢はヤハウェのすぐ傍にいたジャンヌによって防がれた。

 シェインは短く舌打ちをする。

「ジャンヌさん、こんな神様でもまだ信じて従うんですね。見上げた信仰心です」

 ジャンヌは、しかし槍を構えることもせず、別に、とめんどくさそうに答えた。

「だってそうしろって運命の書に書かれてるからそうするだけだし…みんなそうじゃん」

 ジャンヌは、見るからに気怠そうだった。タオが指摘したとおり、やる気も覇気も信仰心さえも感じない。矢を射られたのに反撃してくる様子もない。

「ご自分の意志はないんですか?」

「は?意志?ないよ。必要ないもん。何もしなくても民衆の支持を得て戦争して火炙りになるんだもん、何も考える必要なくない?」

「なるほど…そういうことですか。あなたに、というかヒーローさんにそういうこと言われると、ちょっとイラッときますね」

 シェインはコネクトするヒーローを切り替え、攻撃魔法で広範囲を薙ぎ払う。ジャンヌもろとも多くのヴィランやヒーローが巻き込まれて消えた。

 その結果、シェインからヤハウェまで一直線に道ができた。

「お爺さんの物言いが、少ーし気になってはいたんですよ。運命の書に書かれてたからやっただけ、みたいな。いまジャンヌさんも同じようなことを言ってましたし、ひょっとしてこの想区の人はみなさんそういう意識で人生過ごしていらっしゃるんですかね?だとしたら、そりゃヒーローさんたちが弱いのも当たり前ですね。努力してないんでしょうから」

「努力――?」

 ヤハウェは不思議そうな顔で首を傾げる。

「努力とはなんだ?」

「あっ。ひょっとして、努力っていう言葉を知らない系ですか。まあ、神様ですもんね。そもそも努力なんてしないでしょうから、知らなくても仕方ないです。恥ずかしくないですよ」

「小馬鹿にしたような物言いに聞こえるが許そう。この想区では言葉や文化を創ったのも私だ、言葉を知らないわけはない。しかし、努力など存在しないだろうと言っているのだ。成功や失敗、勝利や敗北、すべての結果がすでに決められたこの世界で、いったい何を、何のために努力するというのだ?」

「結末が分かってるお芝居だって、演じる役者さんによって感動が全然違うってことです。この想区の皆さんは、あらすじだけなぞってあとはテキトーに演じてるだけだったんでしょう。それじゃあ弱いに決まってます。恐らくは負ける運命の人たちも、運命だからってわざと負けたりもしたんでしょうね、ま、だからといってシェインたちがそれを責める筋合いはありませんし、そのつもりもありません」

 シェインとヤハウェが話している間に、ヤハウェの創り出したヴィランたちはあらかた倒されていた。

 散り散りに戦っていた一行が、シェインを中心に集まる。

「シェインたちは運命の書が空白ですから、頑張ってないとすぐ死んじゃいます。でも、死なないためにどうしたらいいのかも決められてないので、自分たちで考えながら生きてます。他の想区のヒーローさんたちも、もちろん与えられた運命はあったんですが、それでも皆さんそれぞれに頑張ってましたね。決められた運命の中で、より幸せに暮らせるように。あるいは、決められた運命から抜け出そうと頑張ってる人もいました」

 ほう、と言いながらヤハウェはまた首を傾げる。

「あなたたちが努力しなければならないのは分かる。しかし運命の書を持つ者が努力する意味が分からない。結末は変わらないし、変えられない。それなのになぜ?それもまた人の子らの愚かさか。悩ましいものよ」

 ヤハウェは頬に手を当てて首を傾げる。理解できないようだ。

「なあ爺さん。どうでも良いが、ヴィランを出す手が止まってるぜ。俺らの勝ちでいいのか?」

「ヴィランとかいつでもいくらでも出せるから待て。それよりもう少しその話を聞かせたまえ。運命の書を持つ者が努力する理由は何なのだ?」

 ヤハウェ――カオステラーは相変わらず禍々しい気配を発してはいるのだが、敵意や攻撃性は感じない。

 いや。それを言うなら初めから、ヤハウェ自身から敵意を感じたことはなかった。彼はヴィランを生み出し続けていただけで、彼自身が攻撃してきたことは一度もない。

「爺さん、あんた何がしたいんだ。戦う気がないなら調律させてくれよ」

「何って、言ったであろ。神の言葉をちゃんと聞くがよい。調律を受ける気はない。私はこの新しい力で世界を創り直すのだから」

「どうやって?」

 エクスの問いに、ヤハウェは少し言葉を詰まらせた。

「どう、って――とりあえず手近な想区を滅ぼしていれば、そのうちストーリーテラーが出てくるだろうから、それをこの神の力で――こう、なんとかする」

「計画に具体性がないわね…」

「仕方なかろう。今さっきカオステラーになったばかりなのだ、計画はこれから立てる」

「――それを努力っていうんじゃないのかな」

 再び、エクスの言葉にヤハウェが反応する。

「これが……努力だと?いやいや、ないない。神だし私、努力とかしない。ただ有り余る神の力で恐怖と滅びをくれてやるだけよ」

 モルテ卿のようなことを言いながら、しかしヤハウェの動揺は明らかだった。

「はあ……だったら爺さん、まずは俺らを倒せよ。今のところ恐怖も滅びもねーぞ。有り余る神の力とやらを見せてみろや」

「いや、そういうのいいから。神の話を逸らすでない。定められた運命があるにも関わらず努力をするというのがどういうことなのかを言うがよい」

 さあ、とヤハウェは手で煽る。もはやヴィランは残っていない。それすら気に留めず、ヤハウェは一行の返事を待っている。

 しかしそう言われても、明確な答えは持ち合わせていない。一行は運命の書を持っていないのだから、運命が決められている者の気持ちなど完全には分からない。

 だから、その答えは運命の書を持っている者こそが知っているのだ。

 タオはいらだちを隠さず言い放つ。

「だから、いま自分でやってるじゃねえかよ、決められた運命を変えようとしてるじゃねえかよ。何のために努力するのかなんざテメェの胸に聞けってんだよ。自分の望む世界を創るんだろ?そのために運命から外れようとしてんだろうが。あのな、運命から外れたら、そこから先は全部自分で考えて行動しなきゃならねえって理解してるか?言わせてもらうが、今までただ運命通りにだらだら生きてきた奴にゃ厳しいと思うぜ。爺さんあんた、考えるの苦手だろ。俺もそうだから分かるぜ。考えるのが苦手だから、今あるものでどうにかしようなんて思いもしねえ。一回全部ぶっ壊そうとか言い始めるわけだ。まあ、そりゃそうだよな。何でも生み出す力を持ってんだ、そうなるのも分かるぜ。でもな、人間はそうはいかねえ。何かを作るのも一苦労だ。だから人間は考えるし努力するんだよ。そうやって生きてんだ。それをろくに考えもなしに、壊すとか作るとか簡単に言ってんじゃねえぞ。人間なめんな、恐らくあんた、今のまま他の想区を壊しに行っても返り討ちに遭うぜ。俺ら4人すら倒しきれねえ奴が人間全員に喧嘩売って勝てるわけねえだろ!」

「煩い」

 黙ってタオの話を聞いていたヤハウェが、すい、と手を払った。

 その瞬間、タオは消えた。

「――!?」

 一行の誰もが目を疑った。例えようもないほど忽然と、一瞬にして消えてしまった。

 落とし穴など罠の類ではない。爆発や圧殺でもない。一切の痕跡を残さず、魔法よりも鮮やかに、まるで初めからそこにいなかったかのように、タオは消えた。全員がその目で見ていたというのに、誰の目にも、どうやって消えたのか分からなかった。

 ヤハウェはさらりと言う。

「――神隠し。生意気な小僧を一人、供物として貰い受けたぞ」

「た――タオ?ウソでしょ?」

 レイナは辺りを見回す。エクスも必死にタオの姿を探す。しかし、どこにもいない。

「ヤハウェ――!タオに何をした!」

「私の質問に答える気が無いようだから消したまでよ。さあ答えろ。誰でもいい。運命が変わらないのに努力をする理由は何なのだ?」

「――タオ兄の言ったことが理解できませんでしたか」

 シェインは平坦な、感情を伺わせない口調でヤハウェに言う。

「あれで理解できないのなら、残念ながらもうシェインたちが何をどう言ったところで理解はできませんね。理解してもらおうとも思わないです」

 シェインはヒーローにコネクトし、剣の切っ先をヤハウェに向ける。

「タオ兄を返して貰いますよ。お爺さんが神で、今のが神隠しなら、生きているはずですからね」

 レイナも剣を、エクスは二人を援護するように弓をそれぞれ構える。

 しかしヤハウェは不思議そうな顔をしていた。

「怒ったのか。しかし、私の問いに答えず私を罵倒したのはあの男だぞ。消されて当然だとは思わんか?」

「ふざけないで。あんたが理解できなかっただけでしょ。今すぐタオを返しなさい。さもないと――」

「さもないと、暴力か。やれやれ、やはり貴様等も所詮は人の子、私を絶望させるだけの存在か。私の子ではない貴様等ならば、よもや希望を与えてくれるかと期待もしたが残念だ。やはりすべてを滅ぼそう」

 ヤハウェの両手に武具が現れる。それはあまりにも有名な、絶対の力を誇る軍神の槍と女神の盾だった。

 ヤハウェは高らかに言う。

「では参れ、愚かなる人の子らよ。神に楯突く悪魔どもよ。私はそのすべてを打ち倒し、あらゆる争いに終止符を打とう。邪悪な者たちは地から断ち滅ぼし、不実な者たちは地から引き抜こう。廉直な者たちが地に住み、とがめない者たちが地に残される、理想の世界を創造しよう――!」

 

 

第五話 完

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