第4話 Monster engine


 一瞬の出来事だった。

 タオの隙をついて一匹のヴィランが老人に飛びかかった。

 慌てて突き出したタオの槍は、そのヴィランには届かなかった。

 襲い来るヴィランも、焦るタオも意に介する様子はなく、老人は軽く手をかざした。

 そして一言呟いた瞬間――

 家と一行を取り囲んでいた無数のヴィランは、まるで波に洗われる砂城のようにさらさらと崩れ、その姿を忽然と消した。

 それで戦闘は終わった。

 その様子はシェインもはっきりと見ていた。まるで魔法のようだった。しかし派手さはなく、ただ静かに、ヴィランが勝手に消滅したようにしか見えなかった。

 何事もなかったかのように、あたりは静まり返っていた。

 老人の呟きは短く小さかったが、全員の耳にその声は届いていた。


「――灰は灰に、塵は塵に」


 もうヴィランは気配すらない。文字通り、跡形もなく片付いてしまった。

 呆気にとられるタオに向けて、老人はにこやかに笑いながら言った。

「タオ殿の言うとおり、わしでも勝てたのう」

 老人は、誰かとコネクトしていたわけでもない。自身が持つ力だけで戦況をひっくり返してしまった。

 ――冗談じゃねえ。

 タオはそう思う。

 これは憤りではない。ただ驚いた。気を抜けばその場に膝を付きかねないくらい驚かされた。

 同時に、いまの老人の力を理解する。これまでコネクトしてきたヒーローの中に、この老人のような存在を知るものは何人かいる。

 例えばジャンヌ・ダルク。あるいはジル・ド・レの記憶の中に、こんな力を――奇跡を可能にする存在が刻まれている。

「みんな無事?いったい何があったの?」

 裏手で戦っていたエクスとレイナが戻ってきた。老人と仲間の無事を確かめ安堵しながらも、やはり少し怪訝そうにしている。

「お嬢も坊主も無事だったか。何って…いや、俺も何が何だか…爺さんが何かやったみたいだが」

 一行は揃って老人を見る。その視線を受けながら、しかしさして気にした風でもなく、老人は入り口の横に積まれた薪に腰を下ろす。

 レイナは老人が何者なのか、薄々だが理解している。

 灰は灰に、塵は塵に。これはある文化、宗教圏ではよく耳にするフレーズだ。

 アダムとエバとも密接に繋がる。

 それは世界で最も読まれ、今もなお読み続けられている、創世の物語に通じる。

 しかし、ではこの老人が何者なのかと言えば、その答えに確証はない。

 その物語と桃太郎が結び付かない。

 この想区とこの老人が何なのか、今ひとつよく分からない。

「爺さん。あんた何者なんだ。ここはどういう想区で、爺さんはどういう運命を辿ってきたんだ?」

 レイナと同じく、よく分からなくなったのだろう。タオが率直にそう聞いた。

「何者って、ただのじじいじゃよ。どこにでもいる、ただのじじいじゃ」

「いろんなジジイを見てきたが、ヴィランを一瞬で消し去るジジイなんざどこにもいなかったぜ。あんたがいたら桃太郎も鬼退治する必要ねーだろ」

「いやあ。それはそれ、桃太郎に与えられた役割じゃからの。鬼ヶ島の鬼は、じじいではなく桃太郎が倒さねば、お話にならんじゃろ。わしかてわしの運命があるからのう」

 シェインが口を開く。

「ではお爺さんは、他の想区ではあくまでただのか弱いお爺さんとして振る舞っている、ということですか?」

「そうじゃよ。そういう運命じゃからの。まあ、想区によって与えられる役割は様々じゃがの。別に桃太郎の想区ばかり行ってるわけでもないしのう」

「ああ、外国の方が多いとか言ってましたっけ」

「そうじゃの。世界を創ってからと言うもの、あちらこちらで問題が絶えんからのう――まあそれもすべてストーリーテラーが書いた通りじゃから何も言えんがの」

「世界を創った――!」

 エクスが驚く。

「じゃあお爺さん、あなたはやっぱり、創世記の――」

「そうじゃよ」

 事も無げに老人は言う。

「わしの運命の書の第一章は創世記じゃ。光あれ、と言うのが最初の仕事じゃった」

 創世の神。光を作り、空と海と大地を作り、太陽や星々、生命すらも作り出した存在。その名をみだりに呼ぶことは禁じられ、神聖四字でのみ名を伝承されてきた唯一神。

 シェインが首を傾げた。

「ちょーっといいですかお爺さん」

 相手が神だと名乗ってもシェインは態度を変えない。

「ということはお爺さんは、世界を創る神としての運命をストーリーテラーさんに与えられている、と。」

「ああ、そうじゃよ」

「で、アダムさんやエバさんや、そのほか色んな生き物を生み出して、その行く末を見守っていると、そういうことですか?」

「そうじゃよ」

「なんで桃太郎さんが出てくるんですかね?」

「それは知らんよ。わしは書かれてることをやってるだけじゃ。世界を作って、生命を作ったら、今度はあっちこっちの国を創った。この地面もな、海じゃったところに槍を刺して雫を垂らしたら島になったんじゃ」

 その話なら――その神話なら、タオも自身の記憶として知っている。しかし。

「爺さん、それは古事記じゃねーか。旧約聖書じゃねえぞ」

 タオはいぶかしむが、老人は意にも介さない。

「そう言われてもの。わし、そうしろと書かれていたからそうしただけじゃし。古事記じゃろうが旧約聖書じゃろうが、わしにとってはおしなべてただ一冊のわしの運命の書じゃよ」

「あー、なるほどですね」

 シェインが得心したように頷いた。

「つまりこの想区では、創世も国生みもお爺さんがやったと。ヤハウェさんとイザナギさんは同一人物だったと。ついでに桃太郎さんやかぐや姫さんに出てくるおじいさん役もお爺さんが一人で担っていると。そういうことですね」

「そういうことじゃ。他にも色んな役をやらされとるのう。殿様だったり王様だったり総統だったり教祖だったり発明家だったりもした」

「なるほど。元々が神様だから、寿命とか時代とか時間軸なんかは無茶がきくんですかね。想区を行ったり来たりできるのも、神様設定だからなんですかね?」

「――たぶん、それは違うと思うわ」

 シェインの質問にレイナが割って入った。

「私たちが普段やってるような想区間の移動とは、少し意味合いが違うと思う。だってお爺さんは、自分の意志で想区を旅しているわけじゃないんでしょう?」

 老人は頷く。

「だったらお爺さんの想区間の移動は、お爺さんの運命の書に記された通りに起きている――いいえ、起こされているんだと思うの。つまり、お爺さんの運命を書いたストーリーテラーが、お爺さんが渡り歩く想区も予め用意してるんだと思う。だから、たぶん――」

 レイナは一度言葉を区切って思案する。そして落ちていた棒を拾い、地面にひとつ円を描く。

「――こう、大きな想区がひとつあって、その中に――」

 描いた縁の中に、小さな丸をいくつか描く。

「小さな想区がいくつもある。こういうイメージなんじゃないかしら。小さな想区の中にはそれぞれの運命があって、お爺さんはお爺さんの運命どおりそれぞれの想区に干渉できるようになっている、とか」

 描かれた図を見ながら、ほうほう、と老人は頷く。

 こんなの今まで見たことないけどね、とレイナは付け足す。

「なるほどな。湖にいくつも島があるような感じか。お嬢にしては冴えた仮説だと思うぜ」

 タオは誉めたが、しかしレイナの表情は明るくない。

「…レイナ、どうしたの?」

「あー…。姉御、心中お察しします」

「え、なんだ?シェインは何か分かったのか?お嬢、何か問題あるのか?」

 レイナは一つため息をついて、拾った棒を放り投げた。

「…こんなの、どうやってカオステラーを探せってのよ。小さい想区が全部でいくつあるかも分からないのに」

「…あ、そうか。お爺さんが行ってきただけでも3万はあるんだっけ…」

「下手したらカオステラーも一体じゃないかもですね。小さな想区それぞれにいたりいなかったりするかも…」

「いや、それどころか各想区に一体ずついたら…下手したらこの想区の調律だけで一生終わるぜ…」

 レイナが立てた恐ろしい仮説が、先ほどまでの戦闘の疲れを倍増させた。

 もちろん、仮説が間違っている可能性もある。実際にはカオステラーは一体だけで、すぐに出会って簡単に倒せる可能性もある。そもそも、悪い想像がすべて当たっていたとしても、この想区に見切りをつけて別の想区に旅立つことだってできる。もしかしたら空白の書の持ち主がいなくなればヴィランは現れなくなるかもしれない。

 ――でも。

 ――ここでカオステラーを見過ごすなら、今まで何のために旅をしてきたの?

 レイナは自問する。そして答えはすぐに出た。

「やっぱり、いると分かってて放置はできないわ」

「ま、お嬢ならそう言うと思ったけどな」

 タオの言葉にエクスもシェインも頷く。

 カオステラーはすべて倒し、歪んだ想区は調律する。それが調律の巫女一行だ。

「じゃあよ、とりあえず手掛かりを探すとするか。と言っても――」

 タオは老人を見る。

 今のところ、手掛かりは老人から得る以外にない。

「爺さん。たびたびですまねえが、また話を聞かせてくれるか? 聞いての通り、俺たちはカオステラーを探さなきゃならねえんだ」

 老人は穏やかに微笑んだ。

「ああ、構わんとも。まあ、わしの知る限りじゃあそんな、カオステラーやら言うやつはおらんがのう。でもまあ、カオステラーを見つけるのがあんたらの望みなんじゃな?」

 老人の問いかけにレイナは「ええ」と力強く頷く。

「そうかそうか。ならそのようにしてやろうかの――」

 言って老人は立ち上がり、先ほどと同じように手を軽く前にかざした。

 ヴィランを消滅させた時と同じ。

 老人は再び呟く。


「求めよ。されば与えられん――」

 

 言い終わった瞬間、カオステラーの気配が爆発的に膨れ上がった。一行は危険を感じ、それぞれに老人から飛び退く。

「レイナ!これは…カオステラー!?」

「おっ――お爺さん!?何を…」

 老人は、そのままそこに立っていた。

 姿形が特に変わったわけではない。しかし、発せられる気配はこの上なく禍々しく変貌し、質量を持った殺気のようだった。

 好々爺然とした老人はすでにそこになく。

 人と同じ形をした、しかし人ではない何かがそこに在った。

「カオステラー…お爺さんがカオステラーだったなんて…」

 予想できなかった――わけでもない。

 この想区にはこの老人しかいないと聞いた時点で、全員それなりに警戒はしていた。正解と言えば正解だったのだ。

 しかし。

「レイナよ」

 彼が口を開く。

「私がカオステラーだった、わけではない。私はあなたの祈りを聞き、あなたの内なる涙を見た。迷い、悩み、苦しみ戸惑いながら、それでもカオステラーを倒すという強い使命感に触れた。その思いが私の奇跡を起こさせた」

 彼は厳かに語りながら、ゆっくりとその腕を広げる。

「さあ。あなたの敵を打ち倒しなさい。運命を持たぬ人の子らよ、存分に戦いなさい。私はすべて受け入れよう」

 エクスが、タオが、シェインが構える。レイナは――

「っ…ふざけないでよ!」

 レイナは歯噛みし、絞り出すような声でそう言った。

「私はべつに、戦いたいわけじゃない!カオステラーが生まれないならそれが一番いいに決まってるじゃない!私が望んだからカオステラーが生まれたなんて、そんなの冗談じゃないわよ!」

 ――私はそんなこと望んでない!

 レイナは叫んだ。

 悲痛ささえも含んだ訴え。

 しかし、彼はなおも穏やかな表情のままだ。

「レイナよ。心優しく、正しき魂を持つ人の子よ。そう怯えることはない。私はたしかに今、カオステラーになった。しかしこれは、遅かれ早かれ、そうなっていたことだろう」

 彼は空を見上げる。

 襲いかかってくる気配はない。

「私は生まれ、多くの人を救済し、多くの国を興してきた。いくつもの想区で何千何万の友を作り、妻を娶り子を成したこともあった。しかし一方で、多くの民草を殺し、多くの国を滅ぼしてもきた。友はみな私をおいて逝き、妻も子すらも共に生きてはくれなかった」

 彼は空を見上げたまま滔々と語る。

「それは仕方のないことだ。私は永き運命の中で創世と救世を担う役割を与えられたのだから。正しき人々を救うため、悪しき力を滅ぼすことは厭わなかった。ひとつでも多くの幸福のため、魂や生命の選別も行った。自らの手で数え切れぬほどの闘争や戦争も起こした。正しき人の子らが幸福に暮らせる、悪のない理想郷の完成を夢見ていた」

 しかし、と彼は続ける。

「人は為すべきことを為さず、為すべからざることばかりを為す。飢えた者たちに十分なパンを与えると、人より多くのパンを得ようと争いが起きる。正しき者を悪しき者から救うと、正しき者が悪しき行いをする。勤勉なる者に快適な境遇を与えると怠ける。人より優れたる者は驕り、己より優れたる者を妬む。弱き者はさらに弱き者を叩く。己の行いを省みもせず、他者の行いを糾弾する。色欲に溺れ淫蕩に耽る。人のものを欲しがり、ときにその命さえも奪う。奪われた者は怒り、奪った者からまた奪い去り、その連鎖は終わることなく悲劇を生み出し続ける――」

 語り口は変わらず厳かなのだが、しかしそれが諦観から来るものだと気付くのに、そう時間はかからなかった。

 一度は激昂したレイナも、彼の言葉を黙って聞いている。

「――私はそういった人の行いを、そういった歴史を見続けてきた。どこの国で、どのような教えを説いたところで、程度の差はあれど行く末はそうは変わらなかった。…分かるか」

 一行は、誰も言葉を返せない。

 それは、彼の言うことが分からないからではない。

 むしろ、よく分かる。人間の愚かさはよく知っている。もしもその愚かさをずっと、恐らくは何万年もの間、見せ続けられるとしたら。

「私は絶望した。しかし私の思いとは無関係に運命の書は続く。それに、やはり良き者を救わないことはできぬ。しかしやはり、良き者を救ったところで、忌まわしき欲の連鎖は繰り返され、そのたびに私は絶望した。何度も、何度も――何度も」

 ふいに、彼はタオを見た。タオは少し身を堅くするが、彼の表情は変わらず穏やかだった。

「桃太郎の想区――あれは良い。善が悪を倒し、弱き者を救って終わる。愚かな者は一人もいない。良き人らによる良き世界だ。しかし」

 彼はタオから視線をはずして続ける。

「あのような綺麗な世界は稀だ。世界のおおよそ、歴史の大半において、人は欲望による闘争と戦争に明け暮れている。私が創った世界の上で、私が創った人の子らが、私を失望させ続ける。失望に失望を重ね、私は絶望した。私が創った世界と人と、それらを創った私自身と、すべての根源である運命そのものに絶望した。そんなとき、あなた達が現れた」

 彼は一行の顔を見渡す。

「あなた達と出会って、私はカオステラーという存在を知った。私の世界にはいなかったから、あなた達によって知ることができた。知ったから、それになった。しかし、別に知らなかったとしても、あなた達に出会わなかったとしても、私はいずれこうなっていただろう。運命に絶望し、運命を呪っていたのだから。だから、レイナよ。ここにカオステラーが生まれたのは、あなたのせいではない。あなたが感じたカオステラーの気配は、おそらく私の中にあった、腐りかけていた私の心だったのだろう。カオステラー発生の兆候を、あなたは察知したのだろう」

 言い終えて、彼はレイナに向けて両手を広げた。

「だから、気にすることはない。ここに生まれたカオステラーを、あなたの手で討つが良い」

 レイナは彼――カオステラーと視線を交わす。カオステラーらしからぬ穏やかな表情をしている。

 余りにも穏やかで、それはまるで安らかに眠る死人のようですらあった。

「――ずいぶんと話の分かるカオステラーね。それならいっそ、戦わないで調律させてくれないかしら。あなただって争いは嫌いなんでしょ?」

「いや、お嬢。どうやらそいつは無理な相談みたいだぜ」

 カオステラーの周りには、いつの間にか数体のヴィランが出現していた。

 カオステラーは笑う。

「戦わないという選択は、時にもっとも勇敢なものだろう。あなた達がそれを望むならそれで構わない。しかし調律は受けぬ。私は新たに手に入れたこの力で、私が望む世界を創ろう。そのために、今ある世界をすべて壊し、私に終わりなき運命を与えたストーリーテラーを滅ぼそう」

 ――産めよ、増えよ、地に満ちよ。

 彼の言葉に導かれるようにして、ヴィランは続々と発生し続ける。

 タオは構える。シェインも構える。それを見てエクスも戦闘準備に入る。

 レイナは――

「…そう。どうやら戦わないわけにはいかないみたいね」

 そう言って栞を手に取る。

 同情しないわけではない。しかし、同調はできない。

「お爺さんの気持ちは何となく分かるけど…でも、今も運命の書に従って一生懸命生きてる人達がいるはずだよね。その人達の世界もまとめて壊すっていうなら、僕は絶対許せない」

 エクスの言葉は、レイナの気持ちを代弁していた。

 シェインがため息をつく。

「だいたいワガママですよ。それってつまり、子供が思い通りに育たなかった、ということでしょう。子供なら間違ったこともします。それを許せないなら、お爺さんは子供と同レベルってことです。もっと大人になって子離れしましょう、お爺さん」

 タオが軽く笑う。

「創世の神に向かって、なかなか言うじゃねーか。さすが我が妹分だぜ」

「タオ兄も知ってるでしょう。シェインたちがいた想区には、神さんなんてそこらへんにごろごろいましたからね。別に珍しくもありません」

「八百万の神ってか。ま、そうだな――ってことだ、爺さん。一宿一飯、いや二飯の恩はあるが、カオステラーになっちまったからには倒させてもらうぜ!」

 己に向けられたタオの槍の切っ先を眺め、カオステラーは不敵に笑う。

「やってみなさい。先ほど程度のヴィランの軍勢に押し込まれていたあなた達が、どこまで耐えられるか見届けよう」

「ハン。言っとくが、さっきとは事情が違うぜ。今度は爺さんや家を守る必要もねーからな。タワーディフェンスじゃなくてオールアウトアタックだ。撫で斬りにしてやるぜ!」

 カオステラーを覆い隠さんばかりの数のヴィランたちが一行に襲いかかる。一行もそれぞれにヴィランの群れに飛び込んでいく。

 カオステラーを調律し、世界と人々を守るために。


第四話 完

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