介護誘拐

ネロヴィア (Nero Bianco)

介護誘拐【短編】

 俺は貧乏な家に生まれた、いわゆる母子家庭ってヤツだ。ちっせぇ頃から他の奴らとは何か違うってのは薄々だけど感じてた。でも必死に夜中まで働いて帰ってくる姿を見てたからか、俺も「流行りのアレが欲しい」とか「ゲーム買ってくれ」なんてのは口が裂けても言えなかった。でもそのくせ勉強だけはうるさく口出ししてきやがった。友達の家にも遊びに行けない、ただひたすらすり減った鉛筆で裏紙に計算式だの文法だのを書き殴っては疲れて寝る生活。「いいとこに入れ、いいとこに就職しろ。」あのババアはいっつもいっつもそればかり言ってきやがった。だからその日から俺は決めたんだ、必ず大企業に就職して欲しいモン全部買って、失った時間を全部全部取り戻してやるってな。


 それからはもう何が何でものし上がってやるって必死だった。あんなクソババアみたいな一生なんて御免だってな。県一番の進学校に合格して、大学行って、気がついたら履歴書には院卒の肩書がポーンと乗っかってた。お陰で自分で選べるぐらい内定も勝ち取れた。最大手商社に入社して初任給を受け取ったその日、俺はそいつをぎっしりと握りしめて家に帰るなり怒鳴ったんだ。

 「お前の望みは叶っただろ?これからは俺だけで生きて抜いてやる、こんな惨めな思いを何十年もさせやがって…。金なら送るからよ…。金輪際俺に口聞くんじゃねよ…。死ねクソババア!いつか絶対ぶっ殺してやるからな!」ってさ。

 塗装のハゲかけたちゃぶ台に給料袋を思いっきり叩き付けると何十枚という万札が一気に部屋中に散らばった。その後はもう一瞬だった、ドア蹴り飛ばして行き先も告げずに真夜中の繁華街へと駆け出した。もちろん行き先なんて無かったが今の給与さえあれば大概の事はどうにでもなるだろうという試算だった。毎月8万づつの送金先以外は住所や電話番号、果ては生きているかどうかすらも知らないままだった。その日からだいたい40年経ったその日、俺のアパートに1通の封筒が届いた。


 「…は?脅迫状?」 

 出社前に覗いたポストに投函されていた茶封筒には妙に達筆な楷書でその3文字がデカデカと書き込まれていた。一瞬どこかのガキのいたずらかと思ったが、内容が内容なだけに流石に無視できず、その場で破るように封を開けると中からは1枚の便箋がパラリと地面に落ちた。

 『貴方のお母様が寝たきりになられましたので誘拐させて頂きました。当面の介護はこちらで行いますが、返して欲しくば身代金500万をお振り込み下さい。』


「…何だこれ、最近の誘拐犯はアホほど暇らしい…。別にあいつが何処で死のうが俺の知った事じゃねぇしなぁ…。」


 その後には小さく 『チュウオウギンコウ ヒガシクシテン 3470-500731』 と振込先らしい口座名があったが、こんなものに朝っぱらから絡まれている自分が滑稽に思えて仕方がなかった。


「はぁー、アホくせぇ…。」


全部纏めてグシャグシャに丸めてゴミ箱に放り込むと、何度か壁面にぶち当たってコンコンと小気味よい音を立てて底に沈んでいった。


「んおっ…。あー、電車が来ちまう…」


腕時計は始発電車の午前6時20分まであと5分足らずだとのろまな長針がカチリと示した。だがこの奇怪な文書はこの一回では終わる訳がなかった。

 一週間後にまた同じ手紙が投函されているのを見つけた。開いてみればもう一枚便箋が追加され、そこにはあのババアがレクレーションをしただの、他愛もないここでの生活の日記が綴られていた。4通目までは馬鹿正直に開いて確認していたが、とうとう5回目になると見る気なんてのはさらさら起きなかった。第一あの昔に縁を切ったババアからいまさら何を言われようとどうも思わないし、こっちはしっかりとこの40年ちょいの間欠かさずに十分すぎるほどの仕送りをしてきた訳だから、別に罪悪感なんざこれっぽっちも感じやしなかった。それどころか何処かしらん人間に毎週封書を送り、さらに介護費用まで持っているような人物とはどんな人間なのかとむしろそっちが気になるくらいだ。


 嫌がらせのようなあの茶封筒が初めて届いてから3年、相変わらずアレは毎回毎回ご丁寧に送られてくる。何度も郵便局に問い合わせて「配送を辞めてくれ」と頼んだが、その度に発送先や名前を変えて送ってきやがった。そのうちに俺はふと機転を利かせて、アパートの契約を残したまま別のホテルに寝泊まりすることにした。流石にあれが毎週届いてポストをパンパンにするのは大家に申し訳がなかったので


「何か嫌がらせの文章が隔週で届くんですが、溜まったら適当に処分しておいて下さい。特に重要な内容でも無いのでお気になさらず。」


と、予め伝えてから各地を転々とする生活が始まった。

思いの外これはうまく行ったようで、以降俺はあの厄介な手紙を気にせずに毎日を過ごすことが出来た。そればかりか毎日自由な生活を送っていたせいか心にもぐっと余裕が生まれ、今まで以上に仕事にも打ち込めた。


「…。そうだ、老後はどこか南の島でゆっくり過ごそう…。老人ホームで寝たきりになるよりかはよっぽど幸せだろうし…。」

会社で読んでいた雑誌に「終活」の文字を見つけて、そろそろ俺も貯金始めるかと一念発起しようとした時になぜだかあれほど忘れようと思った封筒の内容が頭を過ぎった。それは驚くほど鮮明で、まるでDVDで再生されたものを見ている気分だった。


「介護…あのババアそういや誘拐されてたんだっけか…。おっと、こんなこと考えたって意味ねぇやな。あんなのに払うぐらいだったら俺は旅行にでも行くわボケ。」


「…今頃何してんだろうなぁ…あのババア…。今じゃ顔もどうなったか知らねぇってのに、まだ俺の頭ン中に居座りやがって…。尽く面倒なヤツだなぁ…。」


「…課長…。課長!どうかなされましたか?」

 

「ん…あ…?」


後ろから俯き加減の俺を心配したのか、同じ課の部下が缶コーヒーをぐいっと差し出して来た。季節外れのホットコーヒーは手の中へとじわりと熱を伝導させた。


「いえ、課長がこんな所でお一人とは珍しいなと思いまして…。最近課長室に籠もりっぱなしだって、皆心配して居ましたよ。」


「あー、大丈夫だ、気にすんな!がはは!それよりあの企画ちゃんと進んでるんだろうな?あれはウチの次世代商品の先駆けとなる大事なモンだからな!」


「はい、予定通りに。しかし今日は念のため午前で仕事終わりにしてみてはいかがですか?部長も『彼は働きすぎだから1日ぐらい好きにさせてやれ』と。」


「そうかァ…なら今だけは甘えさせてもらうかなタイムカード切っといてくれ」


「はい、畏まりました。どうかお大事に。」


 久しぶりに日が上がっているうちにこのエントランスを出た気がする、あれからかなり忙しかったのは確かに認める。たまの休みをくれた部長には感謝しなきゃならんなぁ、なんて思いながら最近の寝床にしているビジネスホテルに到着した。部屋に入って思い切り四肢を投げ出してベッドに横たわると、急に眠気に襲われた。


「たまには昼寝しようが構わんよな…。」


まぶたがぐっと重くなり、体が快楽に埋まっていくような感覚が全身を包む。だがその時だった、ドアノックの音で潰えかけた意識はまた現実に引き戻されてしまう。


「あーい、今行きますわ。」


ガチャリとドアを開けると目の前には全身黒スーツの男がまっすぐに立っていた。


「…どちら様で?」


「はい、私は誘拐犯の忍野と申します。本日は最後の身代金要求に参りました。」


「あー、バカ言っちゃいけねぇよ。世界の何処に自分から誘拐犯って名乗るヤツが居るんだ?冷やかしは結構。さ、帰ってくれ。」


「そうですか…ですがこれだけはお伝えしようと思いましてね。貴方のお母様が先日お亡くなりになられました。」


「…あ?そりゃいったいどういう…。」


「どういうも何もその通りですよ。そしてこれがお母様からあなたにと預かったビデオメッセージです。」


 忍野と名乗った男は左手に抱えていたタブレット端末の画面をこちらに向けると一本の動画を再生した。写っていたのは一人の老婆、だが俺にはそれが何十年と顔を合わせなかったあのババアの姿だとすぐに気づくことが出来た。遠い昔の面影がそのシワや白髪の何処かに残っていたからだと思う。表情は非常に柔らかく、それを見ていると心の片隅に今までずっと無理やりしまいこんでいた暖かさのような感情がふつふつと湧き上がってくるのを感じた。


《ようちゃん、ひさしぶりね。ちゃんと元気にしていましたか?しっかりご飯は食べていますか?疲れたらちゃんとたくさん寝てくださいね?》


ずっと置き去りにしていた懐かしい声、どんな時もずっと誰よりも側に居てくれた母の声が年老いた今になってやっと聞こえてきた。


《私のせいでずっと辛い思いをさせてしまって本当にごめんなさいね。私さえしっかりしていればあなたはもっともっと幸せに生きていることが出来たろうにって何度も何度も考えていました。こんなに伝えるのが遅くなってごめんなさい。》


「んなことねぇよ…。俺…。誰よりも勝ち組になれたんだよ…。母さんのお陰でこんな生活…あの時ああ言ってくれなかったら…俺ここにいねぇかも知れなかったのに」


目の前の画面の向こうに今も母がそこに居るような気がして、伝わらないと解っていても心が声帯を震わせる。ぼたりぼたりと涙が画面を伝い、所々ぼやけ始めた。


《最後にゆうちゃんに使えたいことがあって、これをお願いしました。それは―――


バチっと音がしてそこで目の前が暗転する。


「う…あ゛…?」


「お忘れですか?私は誘拐犯、そしてこれが最後の身代金要求だと言いましたよね?これ以上は身代金500万をお支払頂かないと…。」


「汚ねぇぞゴラ!こっちは最期も看取れなかったんだ…ぞ…?」


「そうは言われましても、さんざん脅迫状をお送りしたではありませんか?」


「…っ…。クソが!クソが!持ってけ…持ってけよおおおおおおお!」


カバンに入った自分の通帳、いつか旅行に行こうと貯めた金額は今年で丁度500万に達していた。力いっぱいそれを握りしめてカードと共に男へ投げつけた


「身代金だ!俺のおふくろの身代金だ!だからさっさと続きを見せろよぉぉぉ!!」


男から半ば強引にタブレットを引ったくると、電源を付け再生ボタンをタップする


《…ゆうちゃん、あなたがあの時家を出た時の最後のお願い、今やっと叶えられそうです。この80年と少し、もう未練はどこにもありません。ただ…どうせならいっその事ゆうちゃんの手で、終わりにして欲しかったなと思います…。先に行っています、ゆうちゃんはゆっくりきて下さいね。こんなひどい親きっと地獄行きでしょうけど、きっとあなたなら天国のお父さんに会いに行けますよ。それでは、愛しています》


最後に老婆はにこりと笑うと、そこで映像はピタリと終わってしまった。


「母さん…。頼むよ…死なないでくれよ…。俺が悪かったんだよ…。全部全部…。なんで母さんが謝るんだよ…。最後ぐらい謝らせてくれよ…なんで…なんで…。」


 良い年をしたおっさんがホテルの廊下で大泣きしている姿ほど滑稽なものは無いだろう。もう一度顔を上げると誘拐犯の男は投げつけた通帳と共にどこかへ消えてしまった後だった。誰も居なくなった廊下に、残された一人の慟哭が何十にも反響した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

介護誘拐 ネロヴィア (Nero Bianco) @yasou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ