plan.22
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オレが初めて女装をさせられてから、一週間が過ぎた。その間何もなかったかと言われたら一度女装したが、全校に対して盛大に謎をぶつけるための準備だと考えると面白くもある。
その為にはいっそう女らしさを研究しないといけないし、キャラの研究もしないといけない。
何よりオレはボーカルなのだから、歌の練習を最優先でやらないといけない。
やる事がはっきりしているというのは、こうも充実しているのかと一週間で改めて実感した。以前実感したのは受験勉強中だったので、さほど時間が経ったわけではないけれど。
そして今現在、人生三度目の女装の為に、朝がオレにメイクをしている。
隣で忠海先輩がサポートをしているとはいえ、前回よりもスムーズに事が運んでいることが男のオレでもわかった。
メイクの技術が向上したとみてもいいが、どちらかと言えば、照れに対する慣れの影響だろう。仲が良かったとはいえメイクをするような仲ではなかったし、こんなにも顔が近い状態が続くことも無かった。
慣れない距離にお互い照れてしまって、初回はメイクに時間がかかった。その時も忠海先輩はいたが、普通に笑われた。
先輩方のように、頭二つくらい飛びぬけて容姿が整っている人が相手なら男として緊張するだろうし、照れるのは仕方のない事だ。しかし朝のそれはちょっと違った感覚で、友達には無い距離感に変に意識していたのかもしれない。
「そう言えば、橙和ちゃんが来ている制服なんですけど」
「どうかしたんですか?」
メイク中、オレは基本的に話せないが、朝と先輩は普通に話す。
まあ、碧人であり橙和であるメイク途中に話すとなると、どちらで話せば良いのか分からなくなるからいいのだけれど。
ただ、朝の問いかけはちょっと危うい気がする。朝は今オレが着ている――メイク後に着替えると崩れる恐れがあるため先に着る――制服がユメ先輩のお下がりだと言う事は知らない。
またいつかみたいに、理不尽に責められるかもしれないが、メイク中のオレは碧人なのか橙和なのか分からないのだ。つまり止めるに止められない。
「これってどうしたんですか?」
「ユメ先輩のお下がりですよ」
「え?」
和やかに話していたはずなのに、朝が表情に驚きだけを残してフリーズしてしまった。
「制服って結構高いですから、誰かに貰うって言うのが、一番安価だと思いますよ。
現役生からもらえる事はほぼないですから、卒業生がメインになりますし、制服をくれそうで和気君と同じくらいの身長の人ってユメ先輩くらいですから。
ある意味必然ですね。ユメ先輩からも、ちゃんと男子が着る事への了承は得ていますよ。
男子って言うか、和気君になら良いよ、ってニュアンスでしたけど」
「碧君だからですか?」
やっと我に返った朝は、意外と落ち着いた様子で先輩に問いかける。
先輩は初めは「そうですね」と真面目に返そうとしていたが、何か重い白い事でも思いついたのか、声のトーンを一段上げて、やけに楽しそうに話し始めた。
「そもそも、その制服貸すの和気君が初めてじゃないですからね」
「えっ?」
朝がまた驚いた顔をするが、今度のそれはショックを受けた様子はなく、ともすれば忠海先輩のように面白がっているようにも見えた。
朝もまた女の子と言う事なのだろうけれど、オレとしては心穏やかではいられない。
まさか、オレ以外の男にもこの制服を貸したのだろうか。
オレはユメ先輩の何でもないのだけれど、ユメ先輩にしてみれば、ギリギリ後輩くらいのイメージしかないのだろうけれど、何だかもやもやする。それに過去に男に貸した経験があれば、見知らぬ後輩の為に制服を持ってきてくれるのも分からなくはない。
「当然相手は女性ですよ?」
「そうなんですか。いえ、そうなんですね」
「むしろ、何で男性だと思ったんでしょうね。まあ、目の前の和気君のせいだとは思いますが」
残念だったのか肩を落とした朝とは対照的に、オレの中には安堵があふれた。忠海先輩が言う通り、普通貸すなら同性にだ。
何故その可能性に行きつかなかったのか。
「そう言うわけで、その制服はユメ先輩とドリムさんが着た、かなり珍しいものです」
「碧君ズルい」
ズルいと言われても、今のオレは口をきけない。
喋ってはいけないことも無いとは思うが、話しながらもメイクを続けている朝の邪魔になるだから、今の状態でズルいと言われても、オレにはどうする事も出来ないのだ。だからと言って、オレの頬に八つ当たりするのは止めて欲しい。痛くはないが、くすぐったい。
というか、今のドリムってアイドルをやっているはずで、大勢のファンもいるはずで、この事が世に知れ渡ったらオレは干されるんじゃなかろうか。
ただ、そんな特別な服を着られるというのは、素直に嬉しい。
「きっと売ったらものすごい値段が付いたと思うんですけどね。誰かさんが着たせいで、その価値は下がってしまいました」
「でも碧君なら、その価値を取り戻してくれますよ」
「本当に朝さんは和気君が好きですね」
「友達ですから。碧君がいなかったらわたしはここに居ませんし、感謝してます」
「その気持ちは分からなくもないです」
忠海先輩が気持ちが分かると言っているのは、前に言っていた人に関係しているのだろう。それは良いとして、朝も本人を目の前にそんな事を堂々と言わないでほしい。
オレがどれだけ心の中でブツブツ言っても、二人に伝わるわけも無く、話は進んで行く。
「何で和気君だからって話でしたね。その辺は本人しかわからないと思いますが、実際に話したからでしょう。ユメ先輩がどこか抜けているとは言っても、見ず知らずの男性に自分が着ていた物を渡す事はないでしょうからね。
実際に話して、自分に近いものでも感じ取ったのかもしれませんね」
「ユメさんと碧君は似ても似つかないですよ?」
「そうですね。でも、朝さんも和気君が着る分には納得しているように見えますよ」
「碧君は凄いって思っていますから」
「まあ、ユメ先輩がお人好しって言うのが、一番の理由だと思います」
「ユメさん優しそうですもんね。
はい、橙和ちゃん。メイク終ったよ」
朝が急にオレの頭にかつらをかぶせて、終わりを告げた。
ようやく話せるようになったので、とりあえず言いたい事を言おうと思う。
「朝ちゃん。よく本人を前にいろいろ言えましたね」
「橙和ちゃんと碧君は同じだけど、違うもん」
「橙和さん駄目ですよ。遠回しに和気君に感謝を伝えようって言う、朝さんの粋なはからいなんですから」
「そそ、そんな事ないです」
朝が急に慌て出す。別に今さら恥ずかしがる仲でもないというのに。間に先輩が入ると変に意識してしまうのだろうか。
「わたしも朝ちゃんには、感謝していますけどね。わたしが此処に居るのは、朝ちゃんのお蔭ですし。でもそのせいで、今こうやって女装しているんですけどね」
「えー、可愛いのに」
「自分でも思った以上だと惚れ惚れしますけど、複雑な部分もあるんですよ?」
「本当にお二人は仲が良いですね」
忠海先輩が、微笑ましい物でも見るかのような顔でこちらを見るので、何だか照れくさい。
「桜先輩が前に言っていた同志さんとは、仲良くないんですか?」
「仲は良いと思いますが、和気君と朝さんの関係とはまた違った感じですよ。
男性ですけど先輩ですし、お二人のように常に一緒ってわけでもありませんでしたし」
「別にわたしたちもいつも一緒ってわけじゃないですよ。少なくとも教室では挨拶する程度ですし」
「橙和さんと朝さんは、教室で会った事ないはずですけどね。会っていたのであれば、それはそれで面白いですけど。そう言うのは良いとして、距離感の話です。
いつも一緒に居たかのように、お互いの事を普通の友達以上に理解していますよね。
残念ながら、そのポジションは埋まっていましたし、程よい距離感の仲間ってところです」
「どんな人なんですか?」
「和気君よりも慕われていて、和気君よりも背が高くて、和気君よりもお人好しで、和気君よりも歌が上手い、地味な人です」
本当の事を言っているのか、冗談を言っているのかはわからないが、少なくとも真面目には答えていないと、忠海先輩の表情が言っている。
比較対象がすべてオレである事でお察しか。オレは喧嘩を売られたのだろうか。それとも、触れてはいけない話だったのか。
ただ喧嘩を売られたにしても、その対象は橙和ではなく碧人。だから今すべき選択は。
「今の話、地味な要素有りませんでしたよね」
「流石和気君ですね。この辺りの切り替えや、演技力は今まで桜が見てきた中だと、本職に次ぐレベルです」
「それは褒めていますか? あと、今のわたしは橙和ですよ」
「橙和さんなのはわかっていますよ。いつかばらすとは言え、それまで周囲の評価は和気君ではなく、橙和さんに向けられます。だから、ばらす日までは、身内だけでも和気君を評価したいですからね。
ばらした後であれば、橙和さんへの評価は等しく和気君への評価になると思いますから、適当にしますけど」
忠海先輩のこういった心遣いには頭が上がらない。普段はちょっと意地悪な人なのに、こういうところを見せられると、先輩の器の大きさを思い知らされる。同じ高校生だとは思えない。
「褒めている証拠に“彼”について、もう少しだけ教えてあげましょう。
今のななゆめが生まれたのは彼のお蔭であり、今でもななゆめを続けることが出来るのもまた、彼がいるからこそです。でも彼が表舞台に立つことはないでしょう」
「さらに分からなくなったんですけど」
ユメ先輩はしばしば謎の存在として扱われることがあるのは知っているが、オレからしてみれば、忠海先輩の言う“彼”の方がよっぽど不思議な存在だ。
これの言葉に先輩は特に反応を見せることもなく、「井原さんが待っていますよ」とオレ達に背を向けた。
音楽室に戻って、忠海先輩が一年生を――と言っても後は井原くらいだが――集める。
入部試験終了後は大体こんな感じで集まって、基礎練習を行っている。オレだと軽い筋トレから発声までと言った所だろうか。
先輩に呼ばれ遣って来た井原は、何処か不満げに見えた。
「今日も基礎練習……何ですよね?」
「麗華ちゃん何か不満そうですね。基礎練習嫌なんですか?
でも、基礎練習は大事ですよ。基本は基礎の反復です。演技をする時には、演じる対象の観察は大事ですし、勉強だって基礎が出来ていないと先に勧めません」
「和気の考えか、トワ子のキャラか分からないけど、基礎だけって言うのも問題だと思うのよ」
「どちらの意見も分からなくはないですから、一旦落ち着きませんか?」
忠海先輩の言葉に、オレも井原も黙る。オレと井原が何も言わない事を察したのか、忠海先輩が続けた。
「基礎は大事ですが、基礎ばかりやっていても意味はありません。
橙和さんのように、素人であれば、基礎をきっちりやる必要が出て来るのは想像できるのではないでしょうか。
ですが、井原さんのレベルになると、一日つぶしてまで基本をやる意味はないでしょう。退屈すら感じていたかもしれません」
忠海先輩の説明には一理ある。オレと井原とでは、スタートラインが違うのだ。
すでに嫌というほど、繰り返してきたのかもしれない。
「今日からは、曲の練習をして貰おうと思うのですが、曲に関してはこちらで決めさせてもらいました。ところで、ライブまであと二か月程度なんですが、井原さんと朝さんはそれまでに二曲やれる自信はありますか?
二曲とも演奏したことはないと思いますが、こちらもある程度ならお手伝いしますよ」
忠海先輩の申し出に、朝と井原が顔を見合わせる。何故オレの名前は出てこないのだろうか。オレも二曲やる事になると思うのだけれど。
オレは問題ないレベルなのだと、高を括って、朝と井原の成り行きを見ていたのだけれど、どうやら不安が滲んでいた朝が、折れた形で収まったらしい。
井原が「やれます」と忠海先輩に返した所で、紙が配られた。どうやら楽譜らしく、歌詞も書いてはいるが、どういう曲かすらわからないけれど。
配られた楽譜は二曲分で、一曲は「二兎追うもの」もう一曲は初めて目にする曲。忠海先輩が新しい曲をくれると言っていたので、知らない方がそれにあたるのだろう。
それから、オレにだけ先輩が音楽プレイヤーを渡す。忠海先輩がきくようにジェスチャーするので、素直に従う事にした。
気になったのは二兎追うものの方。一瞬ユメ先輩が歌っているのかと思ったが、ちゃんと聴けば全然違う事に気が付く。
「誰が歌っているんですか?」
「ドリムさんですよ。ユメ先輩に歌って貰う事も考えましたが、多分橙和さん的にはドリムさんの方が良いかと思いまして。
何せ両声類である初代ドリムの歌い方を、真似ている人ですから。真似てと言っても、既にオリジナルの域に達していますけどね」
先輩はオレへの返答はこれで終わりだと、一度間をおいてから続けて話す。
それにしても、ドリムに歌って貰うってとんでもない手間だったのではないだろうか。
「とりあえずは、今回桜が作った方を練習してください。二兎追うものも個人で練習する分には構いませんが、当日どちらも演奏できませんとはできません。そのためまずは一曲に絞ろうって事ですね」
言い終わってから、先輩は朝と井原が見ている前で、オレの方に近づいてくる。
それから、オレだけに聞こえるように耳打ちをしてから、「頑張ってくださいね」と去って行った。
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