plan.20

「目を開けてもいいですよ」


 忠美先輩に声を掛けられて目を開ける。顔中に違和感があり、自分の顔なのに触っちゃいけないような気がする。


「何て言ったらいいんですかね。お疲れ様でした?」


「とりあえず、どんな感じですか?」


「言い方は変かもしれませんが、肌が苦しいです。あと瞼の違和感が凄いです」


「メイクってそんなものですからね。これでも可能な限り抑えたんですよ?

 最後にかつら被ってください。髪は纏めていますからそのまま被っていいですよ」


 忠海先輩に手渡されたのは、茶色がかった女子にしては短いかつら。こういうのをボブカットと言うのだろうか。

 長髪の方が女性らしいとは思うのだけれど、何か考えがあるのかもしれない。

 とりあえず被ってみてから尋ねてみる事にした。


「何で短いかつらを選んだんですか?」


「長い方が女の子らしいとは思うんですが、和気君が慣れていないですよね。

 ライブ中、髪をどこかに引っ掛けてかつらが取れるよりも、まだ事故が起こらない長さにしていた方が良いかなと思ったんですよ」


「やっぱり先輩詳しいですよね」


「急に髪が伸びて苦戦している人を、見たことがありますからね。

 さて、優希さんは和気君をどう思いますか?」


 忠海先輩とは普通に話していて、忘れていたけれどオレは今女装しているんだっけか。

 優希先輩の反応は気になる所だが、忠海先輩の無反応っぷりは凄いと思う。似合っているにしろ、似合っていないにしろそれなりの何かがあると思うのだけれど。

 対して優希先輩はしかめっ面してオレを見ている。似合っていなかったのだろうか。


「可愛い顔して、男言葉だとすっごい違和感がありますね」


「そうですか? 結構男言葉話す女性っていると思うんですけど」


「声の高さの問題ですかね。稜子先輩を幼くしたような感じなのに、稜子先輩よりも声低いから違和感があるんだと思います」


「言われてみればそうですね」


「とりあえず、オレがどうなっているのか知りたいんですけど」


 先輩達が二人で盛り上がるので、口を挟む。何を言われても、実際に見てみないと信用できない。女子はたまにとんでもないものを可愛いと言うから。

 しかし、オレの要求に忠海先輩は、少し考えて首を振った。


「先に皆に見てもらいましょう」


「まあ、別にいいですけど」


「折角ですし話し方も変えてみましょうか。和気君は女声で話すのは問題ないんですよね?」


「大丈夫ですけど、両声類だったら普通会話できるんじゃないですか?」


 少なくともオレは話すところから練習した。むしろ歌の練習は殆どしていなかったから、下手くそだった部分もある。


「そうとも限らないそうですよ。歌に執心していたら、歌ばかりうまくなったって言って言いましたし」


「初代ドリムですか?」


「内緒です」


 からかうような声で、忠海先輩が唇に人差し指を当てる。諦めて目の前の問題に取り組むことにした。


「女声で話すのはいいんですが、細かい設定とかくれませんか?

 写真みせてもらうのが一番楽ですけど」


「そうですね……井原さんみたいな感じでしょうか」


「却下でお願いします」


 出来るかできないかはやってみないと分からないが、井原の真似をするのが純粋に嫌だ。

 忠海先輩もこの反応を分かっていたのか、「そうでしょうね」と頷く。


「とりあえずお人形さんになってもらいましょうか。話さなければ違和感も無いでしょう」


「分かりました」


 椅子から立ち上がり、先輩達に先導されて準備室を出る。

 自分の顔が分からないから、歩き方も女性に寄せる事はせずに、男性らしさを消すだけにしておく。とは言ったものの、ここまでやるのが久しぶりだから、ちゃんとできているか分からないが。


「お待たせしました」


 忠海先輩がそう言ってオレを前に押しやる。人形たるオレは、あまり表情を変えないように朝と藍先輩を含めた四人の前で手を身体の前で自然に組んで、静かに立った。

 四人の様子を窺っていたのだけれど、初春先輩以外ポカンとしていて反応が返ってこない。

 初春先輩も話そうとはしないし、何とも言えない空気の中、好評なのか不評なのか分からない反応に、オレとしては人形を続けるしかない。

 いち早く我を取り戻し、声を出したのは以外にも井原だった。


「この子が校歌君何ですか? これってどう見ても可愛い女の子なんじゃ……」


「間違いなく和気君ですよ。和気君何か話してあげてください」


「そう言えば、入部出来たら校歌君呼びは止めるんじゃなかったか?」


「……確かに校歌君みたいですね」


 オレの当然の主張は届かなかったらしく、井原は意に介さないどころか校歌君呼びを続ける。その態度が気に食わなくて、じっと睨み付けたら井原は何故か困ったように目を逸らして、「分かってるわよ」と呟くように言い捨てた。

 オレと井原のやり取りに決着がついたためか、忠海先輩が「藍さんや朝さんは何感想ないんですか?」と話を振る。


「和気君だと分かったうえで見ると面影がありますね。それでも、疑いたくはなりますけど」


 年上らしく(?)冷静に藍先輩が感想を言う隣で、朝が目をキラキラさせている事に気が付いた。朝がこうなる状況をオレは何度か見たことがある。

 こうなった朝は、語彙力が著しく低下して、相手をするのが面倒になるのだ。


「可愛いよ。碧君、可愛い」


「はいはい」


「碧君の声は可愛くないけど、碧君の見た目は可愛い」


 じりじりと朝が近づいてきたので、朝の肩を掴んで距離をとる。何だか懐かしい。

 朝は自分の琴線に触れるほど可愛いものを見つけると、こんな風に暴走することがある。その理屈で言うと、本当にオレは可愛いと言う事になるのだけれど、今はそれよりも朝をどうするかが問題だ。

 いつもだったら収まるまでにだいぶ時間がかかるから。


「へえ、朝さんってこんな風になるんですね」


「え……」


 しかし、新しいおもちゃを見つけた言わんばかりの、忠海先輩の不穏な声に朝の動きが止まった。

 力が弱まった朝の肩から、手を離す。自分の失態を憧れの先輩に見られた朝の頬から色が失われたかと思うと、見る見るうちに赤に染まっていく。


「朝って可愛いものを見ると暴走する事があるんですよ」


「碧君っ」


 あっさりばらしたためか、朝が非難するようにオレを見るが、オレが黙っていた所で手遅れではないだろうか。

 忠海先輩も「それは見たらわかりますよ」と言っているし。


「でも、今の和気君でこうなるんでしたら、つつみんでも十分じゃないですかね」


「そこであたしの名前を出されると困るんだけど。双子ちゃんも可愛いよ?」


「あまり自分よりも背が高い先輩に『可愛い』は使いにくいじゃないですか」


「単純に緊張が上回っただけだと思います」


 忠海先輩と初春先輩の話に訂正を加えて朝を見やると、未だにオレを睨みつけていた。たぶんもうオレに怒っているのではなく、感情のやり場が他にないからというだけだろうから、甘んじて受け入れて置く。

 朝が暴走するには、暴走しても大丈夫だと言う安心感が必要なのだ。つまりいつもは理性で押さえているのだが、今日は相手がオレだと分かっていた為、油断したのだろう。


「そう言えば、和気君は自分の姿を見てどう思ったのかな? 思った以上に可愛かった?」


 チラリと朝を見た初春先輩がオレに話を振ってくる。もう一人の三年生とは違い、こういった所気が利く先輩で本当に助かる。

 忠海先輩の場合、気を利かせようと思ったら初春先輩以上に気が利くのだろうけど。


「まだ自分の姿見ていないんですよ。人形になれって言われたので、頑張って人形にはなっていましたけど」


「うん、上手だったよね。何というか、生きている感じがしなかったと言うか、作り物みたいな危うさがあったから」


 歌ではないけれど、褒められるのは嬉しい。演技は最近ご無沙汰だったけれど、頑張ってよかった。

 それに今からのやる気も上がると言うものだ。


「忠海先輩、そろそろ鏡貸してくれませんか?」


「面白い物も見られましたし、良いですよ。でも、手鏡だと全身は見られないと思いますし、写真で撮っちゃいましょうか」


 そうやって朝を煽らないでほしいのだけれど、流石に今さらか。

 先輩が携帯を取り出して、確認を取る前にシャッターを切る。それから満足そうに頷き、オレに携帯を手渡した。

 そこに映っていたのは、紛れもなく女の子。流石に先輩方程のレベルではないが、結構かわいい部類に入るのではないかと思う。

 二重の目――普段は違う――は若干釣り上がっていて、髪が短く活発そうと言った感じか。話し方のイメージが井原みたいと言うのは分かる。


 だが、井原の真似はしたくない。他に誰か良い例があるとすれば、印象は大きく変わるが忠海先輩だろうか。ちょっぴり毒舌が入る、敬語後輩キャラ。

 何でもそつなくこなすように見せかけて、決定的に苦手なことが一つがあり、それを知られることを極端に恐れている、とこんな所か。もっと設定を練ってもいいが、設定は生えてくるものらしいし、これだけ決まれば情報としては充分だ。


 理想はユメ先輩だったけれど、それは求め過ぎか。


「びっくりするぐらい、わたし女の子になってますね。

 でも、まだ問題が全部解決したわけじゃないですよ?」


 携帯を忠海先輩に返しながら、早速設定の女の子を演じてみたのだけれど、携帯を受け取った忠海先輩と優希先輩が笑いを耐えているほか、井原は信じられないと言う目でこちらを見ているし、朝に至っては状況が理解できていない節すらある。

 初春先輩と藍先輩は驚いているようだけれど、これらの反応が肯定的なのか否定的なのかの判断は出来ない。


「いやはや、話には知っていましたが、流石の演技力ですね。

 恐らく今の和気君が男子だと気が付く人は、ほとんどいないんじゃないですか」


「わたしなんだから、当たり前じゃないですか」


 忠海先輩に太鼓判を貰ったので胸を張る。よく冗談を言う先輩だけれど、言うべきところははっきり言う先輩だから、全員の反応は思った以上に女に見えたから驚いたと言う事で間違いないだろう。


「言い出したアタシが言うのもなんだけど、まさか校歌君がここまでとは思ってなかったわ。

 違和感がないのが怖いもの。高い声が出せるとここまで違和感がなくなるのね」


「確かに今の和気君は可愛らしいですけど、高い声が出せるからってわけじゃないですよ。

 女装して意外と可愛い男子はそこそこいても、違和感なく女の子をやれる男子になると数は結構減るはずです」


「どういうことですか?」


「演技力……と言った所でしょうか」


 若干蚊帳の外になってしまった気分だけれど、忠海先輩の説明は的を射ているので別に口を挟む必要も無いだろう。

 食いつくように忠海先輩と話している井原は、オレ相手だと話半分しか聞かないと思うし。


「男女の違いって、声が高い低いとか身体の作りが違うってだけじゃないんですよ。

 桜も詳しくないですから、結局は作りの違いに行きつくかもしれませんが。

 和気君が良く言っている女声って言うのも、高さと同じくらい女の子らしい話し方が大事になるってわけです。仕草に関しても同様ですね」


「だから、井原さんと見た動画は何か変な感じがしたんですね」


 朝が言う通り、女声に違和感があったと言うのであれば、女性を演じ切れていなかったのだろう。そこで演じ切れるかどうかが、両声類になれるかどうかの壁だとも言える。

 セオリー的には女性キャラクターの真似から入るのだけれど、適当に高い声を出して、中途半端に演技をして自己満足している人も結構いるのは確かだ。


「どうですか。わたしの凄さが分かったでしょう。というか、麗華ちゃん。いつまで校歌君って呼ぶんですか」


「麗華ちゃん……」


 井原が絶句している。でも、今のキャラで井原と言うのは変な感じがするし、井原さんって感じでもない。

 見た目に惑わされてくれているのか、井原の中で何か葛藤が生まれているようなので、黙って眺めている事にしよう。井原が悩んでいる姿を見るのは、愉快だから。


「元の姿でちゃん付けしたら蹴り倒すわよ?」


「分かってます。むしろ演技していない時に、ちゃん付けとか反吐が出ます。

 演じている時のわたしと、和気碧人は別人です。いわばドラマの登場人物です」


「それならいいわ。それから、確かにその格好の時に校歌君って呼ぶのは変よね。

 元が碧人だから『あおい』かしら」


「このキャラの名前じゃないです。元のわたしの呼び方です。次校歌君って呼んだら、麗華ちゃんって呼びますから」


「はいはい。和気って呼ぶわよ」


 何だろうようやく校歌君と呼ばれなくなったと言うのに、こんなに雑に約束されると虚しいものがある。ここで変な事を言って、校歌君呼びが継続されるのも嫌だから、ムッとするだけで我慢するか。何だか弄られキャラ設定が生えてきた気がする。

 井原の関心が既に「わたし」の呼び方に移っているため、まったくこちらを見てくれない。

 代わりに目があった朝は、朝にしては珍しくだらしない笑顔になって、何故かオレの背筋を震え上がらせた。

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