plan.19

     *



 楽しみで仕方がないはずだった。『VS A』も先輩方は演奏してくれて、自分に何が足りなかったのかも、素人ながらに考えられるようにはなったし、家に帰ってから歌詞をじっくりと読み直そうと意気込んでいた。

 しかし先輩達の演奏が全て終わってから、今日はまだ早いが解散しようとしていた所で、井原が「一年生だけ残っていいですか?」と先輩に問いかけたのだ。


 それが今から練習をしようという感じだったのなら、オレは全然問題はなかった。

 だが、井原の表情からはやる気ではなく、不安や焦りが見て取れた。


「一年生が残るなら、桜達ももう少し練習していきますよ。早く終わろうと思ったのは、一年生がここのところ頑張っていたからですし。

 桜達の事は気にせずに、適当に話し合ってください」


 たぶん忠海先輩はこのとき既に井原がどんなことを話すのか、予想が出来ていたのだと思う。

 結局何が言いたいのかと言えば、何故かオレは女子用の制服を持って、例の更衣室の中にいるのだ。

 何でこうなったのか、思い出しても良く分からない。

 とりあえず一年生で集まった後、井原から始まった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「今の先輩達の演奏を聴いて、二人は何か思わなかったかしら?」


「簡単には先輩には追い付けそうにないなくらいには。今からはイクラでも時間あるし、追いついて見せるけどな」


「えっと……」


 胸を張って応えるオレに対して、朝は何かを言い淀んでいる。よく見れば朝も井原と同じく不安そうにしていた。

 今すぐ追いつけと言われているわけでもないのだから、そこまで不安がらなくてもいいと思うのだけれど。


「そう校歌君の言う通りなのよ。アタシ達だとまだ先輩の足元にも及ばない。

 先輩達のVS Aを聞いて、より実感させられたわ」


「それがどうしたんだ?」


「お披露目ライブで、先輩達と比べられる……だよね」


 井原に向けた問いだったのだが、朝から答え、井原が同意する。


「来た人もオレ達が一年だってわかってくるんだから、先輩達よりも下手な事は織り込み済みだろ?」


「残念ながら、この学校だとそう楽天的にも考えられないのよ。『軽音楽部に新入部員が入ったらしい、きっとすごい人に違いない』と言った具合に噂になっているのを、この耳で聞いたわ」


 一昨年が現三年生の二人、去年が現二年生の二人と考えたら、確かに新入生であっても、それなりのレベルが求められそうだ。

 だがテストを挟んでの二か月程度だと、今のレベルから大きく変わることなく、本番がやってくるだろう。


 凄い先輩と比べられてプレッシャーに感じるのは分かるが、だから何だと言うのだろうか。


「凄かったらいいんだろ? だったらオレ一人いれば十分だ」


「貴方ならそう言うと思っていたわ。でもね、恐らくそれじゃ駄目なのよ」


「オレの歌が上手くないからか?」


 はっきりと物を言うイメージのある井原が言い淀んでいる姿は、こちらをもやもやさせる。その不機嫌さが声に現れていたのか、井原が一度肩を震わせてから、開き直るように身を乗り出した。


「はっきりと言うわね。校歌君が男なのが駄目なの。

 とだけ言っても反論されるだろうから、順番に話すわ。まず、今のままだと歌の上手さでは勝負できないと言うのは良いわよね? もしもユメさん……いえ、藍さんや優希さんくらい歌えれば、アタシは何も言わないわ」


「確かに反論はしたい。が、残念ながら今のオレでは上手さを売りに出来ないのは、否定できないな」


「四月よりも校歌君の歌が上手くなって、普通に聞く分には問題ないと言うのも言っておくわね」


「それはどうも」


「そうなると、貴方の歌を聴いた人の反応は、面白がるか、受け付けられないかのどちらかになると思うのよ。

 でも、それは男だった場合の話。もしも女子が男の声を出すのだとしたら、その評価は一気に甘くなるわよね?」


「美人だったらな。まあ、言いたいことはわかった」


 まず、女子と言うだけで男子の評価は甘くなるだろう。容姿のレベルが高ければ高いほど、そうだと言って良い。

 それからあくまで男であるオレのイメージでしかないが、女子が男っぽさを出した場合、同性からの評価は悪い物にはならない。

 感情論やプライドなんかを抜きにして、現実を見た場合、オレが男であるよりも、女であるほうが無難であることは事実だろう。


「だがオレは女にはなれないからな。結局、普通に歌うか、女声で歌うかという話になる。

 先にいっておくが、オレは女声で歌いたい」


「ええ。だから、一つ提案があるのよ」


「提案?」


「試しに女装してみないかしら?」


 真面目な顔して話す井原と、言葉のアンバランスさに思わず声を失う。

 何とかすぐに自分を取り戻して、笑い飛ばしてやろうかとも思ったが、井原の表情が真剣なままなので、こちらも応えるようにビシッと返すことにした。


「無理だな。まず、よほど完璧な女装をしないとバレるのが落ちだ。バレなかったとしても、以降オレは女装した姿で活動しないといけなくなる。

 女装癖があるとは思われたくないし、オレは和気碧人として活動したい。

 仮にこの辺がどうにかなったとして、服装はどうするんだ? 学校だし制服じゃないとまずいんじゃないか?」


「まあ……そうよね」


 井原も無茶なのは分かってくれたのか、口を噤む。とりあえず、この件に関しては一安心だが、朝や井原の不安がなくなったわけではない。

 何か策は考えないといけないなと思っていたら、心底面白そうな顔をした忠海先輩と優希先輩がやって来た。


「何やら面白そうな話をしていますね」


「女装とか聞こえたけど、和気君女装するの?」


「いえ、しませんけど」


「とりあえず事の経緯を話して貰って良いですか?」


 何だか嫌な予感がするのだけれど、律儀に井原が説明を始めた。




 一通り話し終えて、忠海先輩は考えるように腕を組み、優希先輩は同意するようにうんうんと頷いた。


「やっぱりプレッシャーってかかるものなんですね」


「それはかかりますよ。ユメ……さんの代わりにボーカルしないといけないって感じです」


「確かに嫌ですね。でも優希さん達は大丈夫そうでしたよね」


「あたし達は双子って売りがありましたからね。ななゆめ程でないにしても、ある程度演奏できる自信もありましたし。

 何にしても、差別化できないと不安って言うのは分かります」


「女装して上手くいけば、謎の美少女再びって事も出来なくはないですが、桜的に和気君の意見はちょっと蔑ろにできないんですよね」


 忠海先輩の性格的に、嬉々として女装させようとして来るのかと思ったけれど、これは意外な反応だ。優希先輩にしても、もっと面白がると思っていた。


「でも、面白そうな話ではあるんですよね」


「そうなんですよね」


 あ、思った通りだった。

 たっぷりと時間をかけて何かを考えていた忠海先輩が、考えるのを止めて「少し待っていてください」と音楽準備室に向かい、一分足らずで戻って来た。

 以前ユメ先輩が持って来た紙袋を持っている。何を思いついたのだろうか。


「どんな案を考えるにしても、和気君の女装がどうなるのか次第ですから、これに着替えてきてください」


「ちょっと待ってください。オレはまだ女装するとは……」


「これ、ユメ先輩のお下がりですけど、嫌ですか?」


 もしも近寄ってきてオレに耳打ちをする忠海先輩が持っていたこれが、ユメ先輩のモノではなかったとしたら、間違いなくオレは受け取らなかっただろう。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ユメ先輩の制服。勝手に着てもいいのだろうかと思ったけれど、忠海先輩に「良いよ」と言っていた理由は恐らくこの事なのだろう。

 このタイミングではなかったにしろ、忠海先輩はそのうちオレに女装させる気だったと考えて良いと思う。女声で歌っていくうえで、エンターテイメントとして求められる可能性はあったから、それを見越してかもしれないけれど。


 ユメ先輩とオレの身長を比べてみた感じ、着られないと言う事はないだろうし、女声で話せる身として、どれだけ女性になりきれるのかというのに興味がないわけではない。

 似合わなければ部内の遊びで済むわけだ。開き直りにも似た気持ちで着替えようと思ったのだけれど、どう着て良いのか分からない事に気が付き、少し考えて朝に声を掛けた。




「えっと、そんな感じかな」


「女子の制服ってめんどうだな」


 朝に手伝って貰って、ようやく正しく制服を着ることが出来た。ユメ先輩が少し大きめの制服を買っていた為か、皮肉にもオレにはピッタリだが、自分の目から見下ろす自分の服装に違和感しかない。

 周りの反応も気になるが、朝は困った顔をしている。それは似合っていないと言う事なのか、それとも似合っていて困ると言う事だろうか。


「えっと、碧君……大丈夫?」


「大丈夫かどうかで言ったら、あんまり大丈夫じゃない」


 似合っている、似合っていないはオレには分からないが、少なくとも女性ものの服を普通に着ることが出来た自分の小ささは、大丈夫だと思えない。

 軽音楽部の中で下から数えた方が早い身長なのを、意識しないようにしていたのに。

 落ち込むオレに、朝は「じゃあ先輩呼んで来るね」と言って、簡易更衣室から出て行った。


 入れ替わるように入って来たのは、忠海先輩と優希先輩。二人とも面白い物を見つけたような表情で、寄って来た。


「その状態でもそこそこ似合うとは、桜の見立て以上でしたね」


「かつら被せるだけでもいいじゃないですか?」


「それって褒めてます? というか、似合ってるんですか?」


 朝とは違う分かりやすい反応に面食らいつつ、先輩方に真意を尋ねる。似合っていないモノを、似合っていると言って笑う姿は想像に難くないし。

 せめて鏡があれば良かったんだけど、ここには無いので確認のしようがない。


「そうですね。全部終わったら、手鏡貸してあげますよ。

 先に軽くメイクしますけど大丈夫ですか?」


「ここまで来たら、ガッツリやってほしいですね。こういったノリで中途半端なのが、一番いたたまれないですから」


「そうしてあげたいのは山々ですが、やりすぎると学校側からNGが出るんですよ。

 部活動だって言い張れば、ある程度は誤魔化せますが、桜達は演劇部ではないですからね」


「あとメイクの仕方ですが」


「男性らしさを消すようにしたらいいんですよね。ある程度は勉強していますよ。

 こんなに早くやる事になるとは思っていませんでしたから、多少試行錯誤になりますが。

 椅子に座って軽く目を閉じておいてください」


 そこまで言われたら、黙って言う通りにしていよう。目を閉じると、ひんやりとしたものが頬にあてがわれ、それが先輩の手だと気が付いた。

 女の人にこんな風にされた事がないためか、頬に熱が帯びていく。


「痛かったら言ってくださいね。流石に桜も男の子にするのは初めてですから」


「分かりました」


「優希さんはお手伝いお願いします」


「了解です」


 メイクが始まる前に髪が邪魔なのか、前髪をあげて何かで留められた。後ろ髪までつつまれているので、帽子か何かだろうか。

 メイクが始まってからは、具体的に自分が何をされているのかはさっぱりわからなかった。ただ熱を帯びた頬に忠海先輩の手が添えられると気持ちが良く、離れると少し勿体ないような気はしていた。

 途中目を開けてくれと言われたので従ったのだけれど、すぐ近くに先輩の顔があって、目を逸らしそうになった。しかし、顔を動かすなと言われたので、目を逸らすにとどまる。

 忘れていたが忠海先輩もななゆめの一員と言うだけあって、見目は麗しいのだ。


 長いまつげに大きな瞳、鼻はすうっと通っていて、雪のように肌が白い。でも、冷たい印象ではなく、ほんのりと赤く温かい。

 綺麗と可愛いをバランスよく混ぜたようなイメージだろうか。

 具体的な時間は分からないが、数十分はかかったのではないかと思うメイクが終わる頃には、自分が疲れている事に気が付いた。

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