plan.16
*
「校歌君の声って違和感あるのよね。喉に何かつけているんじゃないの?」
「褒め言葉として受け取っていいんだよな?」
週が明けて部活が休みの火曜日、授業終了と共に朝と井原と一緒に、見慣れない道を歩いている。
藍先輩に頼んでおいた練習の件が上手くいったらしく、指定の場所に向かっているのだ。オレや朝の家とは全く別の方向だが、幸い学校から歩いて行ける距離にある。
井原の要領を得ない言葉に、自分の都合の良い解釈をしてみたのだけれど、井原からの反応は思わしくない。
ただ全否定でもないらしく、言葉に困っているようだった。
「驚き……という意味ではそうかもしれないわね。
でも慣れないと気持ち悪くもあるのよ。辛いと思って食べたカレーがチョコレートみたいに甘かったような違和感……かしら」
「そんなカレー食べた事あるんだな」
「そう言う話じゃないわよ」
「ああ。分かってるよ」
両声類の事を、違和感で持って感じ取っている人が居る事は、理解している。
それを気持ち悪いで片づけられることも、ありはするだろう。
じゃあ、どうすればいいのか。それは初代ドリムが証明している。突き抜けてしまえばいいのだ。
どれだけ違和感を持たれようと、それを塗り替えることが出来るだけの能力があればいい。
女性らしさという点ではかなり自信はあるが、流石に何度も聴けば、慣れて今度は歌の下手さに意識が向いてしまっているのだろう。
「だからと言って止める気はないからな」
「ええ、分かっているわ。むしろ、校歌君が上手って事は理解しているもの」
「どういうことだ?」
まさか井原から上手だと言われるとは思っていなかった。でも、言葉の意味は分からない。
オレの疑問に声を出したのは、井原ではなく朝だった。
「井原さんと両声類? って言うのを調べてみたんだけど、碧君って本当にすごいんだなってわかったの」
「どの世界でも、レベルって言うのは存在するのね。正直聞くに堪えない人も多かったわ。
それに比べて、校歌君が上手いのは分かったのよ。なんであそこまで豪語できたのかもよくわかったわ」
「ようやくオレの凄さが理解できたか……と言いたいが、歌に関してはまだまだだからな」
「そこなのよね。今のままだと、やっぱり歌である必要がないわ。
これで歌が上手かったらアタシは何も言わないんだけど……」
「だからこそ、こうやって個人レッスンを頼んだわけだけどな」
「そうね。今考えても仕方ないわね」
井原にしては歯切れが悪いが、納得はしてくれたらしい。
思う所はあるようだが、オレの歌が上手くなればいいだけの話だから、話は早い。今はもう迷いもないし、すぐにある程度歌えるようになる自信もある。
目下のところは、入部試験の為の急ごしらえになるとは思うが、ユメ先輩の歌を歌うためならいくらでも練習に打ち込む覚悟だ。
話をしながらも歩いていたのだが、何故だか住宅街に入り込んでいる。
車二台がギリギリ通れるほどの生活道路を歩くこと自体に不満はないが、何処かのスタジオか何かを借りるのかと思っていたのだ。
もしかしてこの中にスタジオでもあるのだろうかと思ったのだけれど、制服姿の藍先輩が居たのは何の変哲もない一軒の家の前だった。
「大丈夫? 迷わなかった?」
「住宅街であっているのかなって、不安ではありました」
オレの正直な感想に、井原が横腹を軽く殴る。別にこれくらいコミュニケーションの内だと思うのだけれど。
藍先輩はその辺分かってくれているらしく、「他に場所がなくてね」と軽く返した。
「ここは、先輩の家なんですか?」
「私の家ではないかな。近くではあるんだけどね。でも、先輩の家って話だと間違ってないよ」
「それって、どういう……」
「まあ、入ってみたらわかるよ。家の前で集まっていても邪魔になるしね」
藍先輩はそう言うと、家の門を開けて玄関の扉へと向かっていく。
一年生三人で後ろをついて行くのだけれど、それぞれに様子が違っていた。
オレは何だかわかっていない状態。井原は興奮を隠しきれていない様子で、朝はとても緊張しているらしい。
それだけで、何となくここが誰の家だか分かった。ななゆめのメンバーの誰かの家なのだろう。
井原が言うには、藍先輩はななゆめメンバーの誰かと幼馴染らしい。
はたして誰だっただろうか。
藍先輩が呼び鈴を鳴らすと、インターホンから『はい、どちら様でしょうか』と女の人の声がした。
その声色から、物腰が柔らかそうな人が想像できる。恐らく藍先輩と似たようなタイプの人なのだろう。
「こんにちは、藍です。例の後輩たちを連れてきました」
『こんにちは、藍ちゃん。ちょっと待っててね』
インターホンがガチャッと音をたてて切れ、代わりに中の見えない硝子がはめ込まれたお洒落なドアの向こうで、何かが近づいてくる音がする。
鍵が開いた音がして、ドアノブがひとりでに――正確には内側からドアノブが――回った。
ゆっくりと開いたドアから顔を覗かせたのは、声通り物腰柔らかそうな大人の女性で、淡い青のカーディガンを羽織っている。
「綺歩さん。お世話になります」
「ううん。気にしないで。立ち話って言うのもなんだから、遠慮せずに入って」
確かに綺歩先輩の名前には聞き覚えがあった。井原辺りが言っていただろうか。
とても女性らしい人で、動作一つ一つに惹きつける。二、三年の先輩方やユメ先輩にも引けを取らない魅力があり、軽音楽部で誰が好きかで盛り上がる男子の姿が目に浮かぶ。
このレベルになると、あとはもうただの好みになるだろうから、話は平行線をたどる事になるに違いないが。
オレは憧れの意味も込めて、心の中でユメ先輩に一票を投じて置く。
思っていたよりも広い家の一番奥の扉が開かれたと思ったら、別世界が広がっていた。
何と言うか、レコーディングスタジオのような感じだろうか。イメージでしかないが。
広さとしては音楽準備室よりも少し広い位で、大きなドラムセットが置かれてはいるけれど、五人いても狭くはない。あとなぜか地面に琴がおいてある。
壁も床も明るい色の木で作られていて、ワックスが掛けられているのか、てかてか光っている。それから、空気が重たい。
耳の奥に違和感があり、普通の部屋でないことはわかった。
「綺歩さん箏弾いていたんですね」
「今日はね。藍ちゃんも弾いてみる?」
「それはまたいつかって事で、今日は一年生の事を任せてもいいですか?」
藍先輩に促されて、綺歩先輩がオレ達の方を見る。何でも包み込んでくれそうな柔らかな瞳に、オレ達は馬鹿のように先輩を視界に収める事しか出来なかった。
先輩の桜色の唇が、ゆっくりと開かれる。
「初めまして。一応、私の後輩って事になるのかな。
私は志原綺歩。ななゆめで主にキーボードを担当しています」
「オレは和気碧人と言います。オレの頼みで押しかけてすいません」
「貴方が和気君何だね。話は聞いてるよ。歌が上手くなりたいんだよね」
「取り急ぎ、入部試験を突破できるくらいには」
「入部試験って、桜ちゃんか鼓ちゃんが内容を決めたんだよね?」
志原先輩はオレにではなく、藍先輩に確認を取る。藍先輩は「そうですよ」と言ってから、「それでもです」と付け加えた。
それに何の意味があるのかオレには分からないけれど、尋ねる事はせずに動向を窺う事にした。
「そっか。それじゃあ、よろしくね」
「よろしくお願いします」
「他の二人も名前を聞いて良いかな?」
「井原麗華と言います。ベースを担当しています。綺歩さんとこうやってお話しできるなんて、光栄です」
「井原さん……麗華ちゃんでいいかな?」
「はい!」
井原が見た事ないくらい明るい表情で、普段よりもツートーンは高い声で返事をする。
これが先輩達の前でなければ、気持ち悪いと言えるのだけれど、まあいつか言ってやろう。井原の自己紹介が終わったので、次は朝。相変わらずガチガチに緊張していたが「ぎ、ギターをしてます。真庭朝です」と言ってぺこりと頭を下げる事には成功した。
その朝の姿を見て、フフッと志原先輩が笑ったのだけれどすぐに申し訳なさそうに「ごめんね」と謝った。
「入部当初の鼓ちゃんを見ているみたいで、懐かしくって。
朝ちゃん、でいいかな?」
「お願いしますっ」
会話になっていないから、多分朝自身何を言っているのか、理解できていないだろう。
自己紹介が一通り終わったところで、気になっていた事を尋ねる。
「志原先輩って、キーボードが担当なんですよね?」
言ってから、別に志原先輩が教えてくれると言う話では無い事に気が付いた。
だがオレは藍先輩に教えてもらえばいいが、朝と井原はそう言うわけにはいかないだろう。やはり志原先輩が教えてくれるのではないだろうか。
どちらにしても、質問してしまったものは仕方がない。出来れば志原先輩から答えが返ってきてほしかったが、残念ながら答えは後ろから、呆れ半分怒り半分くらいの井原が行う。
「綺歩さんはどの楽器も弾けるのよ。だから、校歌君の心配は無意味よ」
「弾けるって言っても、ギターは稜子や鼓ちゃんのようには弾けないし、ベースは桜ちゃん程じゃない、ドラムは御崎君には負けるから、買い被りすぎだよ。でも一応、それなりには弾けるかな」
と言いつつ、藍先輩や優希先輩よりは上手なのだろう。
ななゆめの一員なのだから、器用貧乏という言葉をせせら笑うほどに、全ての能力が高いと見て間違いない。
加えて「私と優は綺歩さんに歌のレッスンをして貰ったんだよ」と藍先輩から、援護射撃が来たので、予想は確信に変わった。
「とりあえず、時間はあまりないけど一回演奏して貰っていいかな? それからどうするかを考えるから」
志原先輩に言われて、各々準備を始める。一年生の二人は自分で持って来た楽器をケースからだし、藍先輩は志原先輩に一言確認を取って軽くドラムを叩いているが、やる事のないオレは適当に部屋を見回す。
その時に志原先輩と目が合い、そのまま微笑む先輩から、目を離すことが出来なくなってしまった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
演奏はいつも通りに終了した。通すと言う意味では心配はなくなったけれど、細かく見るとまだまだ拙い。
楽器に関してはからきしだから、感覚でしか言えないが、少なくともオレの歌はまだまだだと言える。きっと、去年までの審査基準だったら、何とかするために魔法でも使わないといけないのだろう。
余韻が消え、静寂が訪れたかと思うと、すぐに志原先輩がパチパチパチと手を叩いた。
「お疲れ様」
「どうでしたか?」
表情からはどう思っているのかを窺う事の出来ない志原先輩に、真っ直ぐ尋ねる。
背中を小突かれ後ろを見ると、余計な事を言うなと言わんばかりに、井原がこちらを見ていた。
だが訊かないわけにはいかないだろう。ななゆめの一員から意見を貰える貴重なチャンスなのだから。いや、三年生の先輩もななゆめの一員だけれど。
「話に聞いていたよりは演奏出来ている……かな。
まだまだ未熟な部分も多いから、まずは基礎をしっかりするところから始めてみようか。
私が教えている間、他の子は各自で基礎練習をしていても良いし、休憩していてもいいから。藍ちゃんは私を手伝ってくれる?」
「分かりました」
てきぱきと指示を飛ばした志原先輩は、藍先輩を引き連れて、まずオレのところにやって来た。
志原先輩との練習は特に変わった事はしなかった。発声をして、キーボードに合わせて音を確認して、上手く歌えていなかったところを反復してと言った感じ。
でも女声に対しての理解があるようで、何も言われなかったのは良かったし、教え方が上手いのか今日一日で、だいぶうまくなったような気がする。
今後試験が終わるまで、学校の練習が無い日は志原先輩のところで練習をすることが決まった帰り道、何で井原が練習に参加したがっていたのかが分かったので、からかう事にした。
「井原は志原先輩に会いたくてついて来たんだな」
「そうよ。悪い? 校歌君だけユメさんと話したって言うのに、また別の人にも会うなんて耐えられないもの」
「いや、悪くないが……よく、ななゆめのメンバーの所に行くってわかったな」
開き直って話す井原の迫力に負けて、慌てて話を逸らす。
井原は不機嫌そうに話を続けた。
「ユメさんは藍さんが呼んだみたいだったじゃない。だとしたら、次に来るのもユメさんか他のななゆめのメンバーって可能性が高いもの」
「私はそんなに考えてなかったから、びっくりしちゃった」
「朝が驚いているのは分かってた」
朝ほど分かりやすい人物も居まい。しかし朝は「えー」と不満そうな声を出して、唇を尖らせた。
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