plan.14
ハッとして、せめて見送りだけでもと音楽室の方へ行ったのだけれど、残念ながら既に扉は閉まりかけていて、再び開かれた扉から朝と井原が入って来た。
ほどなく二人がオレを見つけて、気まずい雰囲気が場を満たす。
井原がすぐに罵倒してくるのではないかと思ったのだけれど、何故か苦虫をかみつぶしたような顔をするばかりで何も言わない。
朝に至っては、井原に隠れて泣きそうになっている。
理由は分からないが、今がチャンスかと思い膝と手をついて、地面に額をこすりつけた。
「地声で歌うって話だったが、オレは女声で歌いたい。頼むから好きに歌わせてくれ」
「土下座とか正直引くから、顔あげてくれないかしら」
「嫌だね。認めてくれるまでこのままここは動かない」
これで朝が折れてくれたら、井原もなあなあで引き下がってくれるだろう。
褒められた作戦ではないが、さっきの今で思いつく方法なんてこれくらいしかない。
今の状態だと二人の反応がまるで見えないのが、少し怖いけれど。
「アタシ達が悪かったから、顔をあげてくれないかしら」
「良いのか?」
予想外にも井原の方が先に折れてくれたので、驚いて立ち上がり、顔を上げる。
そっぽを向いていた井原はばつが悪そうな顔で、重々しく口を開いた。
「その事に関して言えば、アタシの方が悪かったわ」
「なんだよ。急に謝って」
「この前、校歌君が帰った後に藍さんに言われたのよ。
アタシ達は好きな楽器を使って演奏しているのに、校歌君だけ自分がやりたいことが出来ていないのは何故なのか。やりたいことが出来ない分フォローはしたのか。ってね。
悔しいけど何も言い返せなかったわ」
悔しいってところが何とも井原らしいが、どうやらオレの都合が良いように話は進みだしているらしい。
いや、都合が良いように道を整えてくれたのか。
嫌々話しているようだった井原の表情が、鋭く真剣なものに変わった。
「でも、アタシは何としても入部したいの。
校歌君が地声で歌いたくないって言う我儘と変わらないんじゃないかしら」
「そうだな。オレも我儘だと思う。だからオレが女声で歌ったせいで入部出来なかったら、何とかお前たちだけでも入部できるように頼み込むよ」
「……上手くいかなかったらどうするのかしら」
「上手くいくまで頼み込むさ。その為だったらいくらでも頭を下げるし、どんな恥も厭わない。
それにオレにもやりたいことがあるからな。絶対に入部してみせる」
井原に負けないように、目に力を込めて井原を見る。
井原は呆れたように大きくため息をついた。
「そこまで言うなら、今は信じておくわ。でもひとまず入部試験までよ?」
「入部試験後……じゃないんだな?」
「入部試験は突破するんでしょ? だったら構わないわ。あくまでアタシはだけど」
言い終わってから、井原が朝の方を見る。
ビクッと肩を震わせた朝は、井原に隠れて、泣きそうな顔をしていた。
朝がこういう態度をとる事は度々見てきたが、オレに向けてと言うのは初めてで、どう対応していいのか分からない。
しかし黙っているわけにもいかないので、声を掛けようかと思ったのだが、朝が「ごめんなさい」と大きな声を出した。
「朝、どうしたんだよ」
「わたし、知ってたのに。碧君が悩んでいる事。
分かってたのに、どうしても入部したくて、碧君が普通に歌う事になって安心してた。『良かったの?』って訊きながら、心の中ではせめて入部するまでは我慢してほしいなって思ってた。
ごめんね。酷い子だよね」
確かにオレに対して入部するまで普通に歌おうと、最終的に説得したのは朝だった。
だからと言って、今みたいに井原に隠て泣きそうな顔をする必要はない。
「我儘を言ったのは朝だけじゃない。オレも井原も我儘なんだ。そんな中、朝はなれない仕事を頑張ってくれたと思うよ」
「そんな事……」
「なあ、朝。オレは好きに歌ってもいいか?」
責任や罪の意識の潰されそうな朝に出来るだけ優しく尋ねる。
何かを感じ取ったのか、顔を上げた朝の目は赤くなり、涙が一筋流れていた。
「うん。いいよ。碧君が歌いたいように歌って。お願いします」
「だったら、もう泣かなくていいだろ?」
慰めるつもりで言ったのに、オレの言葉が引き金となって、堰を切ったように朝が泣き出した。安心したから、だったらいいのだけれど。
どうする事も出来ないので、朝の事は井原に任せて、泣き止むのを待つことした。
*
真っ赤に目をはらしながらも、朝が泣き止んだ頃、音楽室の扉が開いて「もう大丈夫かな?」と藍先輩が姿を見せた。
口ぶり通り、オレ達の話が終わるのを待ってくれていたのだろう。井原が「お待たせしてすいません」と恐縮している。
藍先輩は気にしていないという風なジェスチャーをしてから、オレを見た。
「上手くいったみたいだね」
「やっぱり先輩が動いていたんですね」
「和気君だいぶ悩んでいたみたいだったから。でも、出来るだけ私は傍観する様に、って言われていたし、回りくどかったかな?」
きっといつかの昼休みに先輩方が一年生をそれぞれ呼んだのも、今日ユメ先輩が居たのも、元をたどれば藍先輩に行きつくのだろう。
自分の気持ちに気づかせてくれたこと、そしてユメ先輩に会わせてくれたことにはとても感謝しているので、首を左右に振ってからお礼を返した。
「それにしても、ユメ先輩って凄い人ですね。朝が夢中になるのも分かる気がします」
「そうでしょ」
藍先輩がまるで自分の事のように誇らしげな顔をする。その表情は何処か子供っぽい。
大人っぽい先輩にしては珍しい表情だなと思っていたら、急に井原が「そうよ」と叫んだ。
「あんたユメさんと話したのよね? 一人だけ。ななゆめの凄さも分かっていないのに」
「ユメさんと話して、ななゆめの凄さはよくわかったよ」
「当然よ。それで、何を話したの?」
何でお前に話さないといけないんだ。と言いたいところだけれど、全国一を目指すためにはオレだけではどうしようもない。
我儘を重ねる事にはなるけれど、話してしまって良いだろう。
「ユメ先輩と約束したんだ。全国一になったら先輩が歌っていた曲を歌わせてくれるって。
だから……」
「もしかして校歌君。ユメ先輩に歌って貰ったのかしら?」
手伝って欲しいと頭を下げるようと思ったのだけれど、井原が低く静かな声で割り込んでくるので、思わず口を閉じてしまった。
今なら分かる。井原のこれは嫉妬だ。ユメさんを知った今、立場が逆なら同じ対応をする自信があるが、今のままではどう転んだとしても、理不尽に嫉妬の炎に燃やされてしまうだろう。
「ああ。歌ってくれたよ。はじめて歌で感動したし、はじめて人に憧れた。本物の歌と言うのを知った気がしたよ。衝撃だった」
「ユメさんの歌を生で聴いて、何も感じ取れなかったら音楽向いてないわ。
憧れるのはごく自然の事ね。で、ユメさんはなにを歌ってくれたのかしら?」
「結局曲名は教えてくれなかったんだけど、今日まで一回しか歌った事が無かった歌だ……って?」
根掘り葉掘り聞いてくるなと少し嫌気がさしていたのだけれど、話している途中であたりの空気が冷たくなっていくのを感じた。
言ってはならない事を言った時のような、やらかした時の感覚に似ている。
誰も何も言わないまま数秒経って、井原が「それって、卒業ソングみたいじゃなかったかしら?」と呟いた。
「言われてみるとそんな風にも取れるが、告白に対する返事って感じにも……」
「ズルい」
次に俺の言葉を遮ったのは、朝。短い言葉だったが、はっきりと強い感情が籠っているのが聞き取れる。
「それって、ななゆめの幻の一曲よね。ユメさん達が二年生の時の卒業ライブで、卒業生に向けて歌って以来一回も歌われていないって言う」
「碧君ズルいよ、自分ばっかり」
「お、おおう」
井原はともかく、朝にここまで責められるとは思っていなかった。
朝は全然怖くないけれど、勢いに押されてたじろぐ。
助けを求めようと藍先輩の方を見たけれど、先輩は二人を諌めるどころか、ツーンとそっぽを向いた。
ユメ先輩が二年と言う事は、藍先輩はまだ中学生。もしかしなくても、藍先輩も聴いたことがなかったのだろう。
助けは期待できないが、一年生組がやいのやいの言ってくるのは止まらない。
カチンと来たので「羨ましいだろう」と煽る事にした。
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