plan.13

「ごめんね 世界で いちばん 好きな人

 いつも いつも いつも わたし わがままで


 だけれど わたしは その想い その想い 応えない 応えられない

 近い 遠い 曖 昧 好きだから」


 可愛らしさの中に、悲しさのような、嘆きのような、はたまた決意のような複雑な感情が入り混じった不思議な歌。

 先輩の声は無垢な少女のように透明で、先ほどまでの声とはどこか違っているのに、とてもしっくりくる。


「君がくれたもの 歌と名前

 それから たくさんの時間とこの気持ち

 君から もらった 世界

 それが わたしの 全て


 また今日もわがまま言わせて

 ねえ 君の気持ちに 応えてあげられないけど わたしここに居ても良い?

 わがまま言わせて

 約束だけは守るから もとの曖昧な関係 また戻れないのかな どうなのかな」


 先輩の声だからだろうか、歌詞が耳にしっかりと入ってくる。

 歌詞がダイレクトに伝わってくる。

 想像できる。辛い選択をしながらも、前を向いているそんな少女の姿が。


「出会いから 今まで ずっと君といて 

 いろ いろ いろ いろ あったよね


 わがままを

 許して 許して 許して 許して なんて言わないよ

 だけど 決めた わたし ずっと 君といる


 君と過ごしてきた 短くて長い時間

 いっぱいの経験 消せない程の思い

 君もね きっとね 知ってる

 もとに戻るのは 無理と」


 決して長くない歌詞なのに、その裏にあったであろう出来事が思い浮かぶ。

 まるで物語を追体験しているような感覚。

 先輩の声に引き込まれていく。


「今日だけは わがまま聞いていて

 もとには きっと 戻れない

 だけど 形は似せられるから

 その関係で 騙されて


 わがまま聞いていて

 君のシャイな唇から わがままわたしにも聞かせて

 わたしは君も幸せにしたいから


 君との時間 それは消せない消させない

 例え君でも それだけは許さないから

 ねえ 進んだ時は

 ねえ 戻るなんて事はない

 時計の針を 回してもダメ


 わがまま言わせて 君の事 一番好きだよ」


 VS Aのように、大人に対する不満を吐き出すような、激しい曲ではない。

 むしろ落ち着いた曲なのに、感情が揺さぶられているのが分かる。

 何で歌の中の少女は「一番好き」と言えるのだろうか。そんなのやるせなさ過ぎるではないか。


 これが『本物』の歌なのだろうか。曲自体は難しくないと思うのだけれど、オレ程度ではこの曲は歌えない。


「今日から 新しく 始まる物語

 だけど それは 変わ らない ようでいて

 本当は 全然 全然 全然 全然 違う日々で

 わた しの 願い 許して くれるかな」


 歌い終わったのか、先輩が反応を待つようにオレを見た。

 しかし余韻に浸るオレにはすぐに反応することが出来なくて、ボーっとしていたら、フフッ大人びた笑みを見せた先輩が「ありがとう」とお礼を言う。

 一瞬何のことか分からなかったのだけれど、すぐに自分の頬を涙が伝っている事に気が付いた。


「なんで先輩がお礼を言うんですか」


「この歌を聴いて泣いてくれたのが和気君で二人目だからかな。わたしの知る範囲では、だけどね」


 二人目も何も、今まで一回しか歌っていなかったのではなかっただろうか。だから今のところ百パーセント誰かを泣かせていることになる。

 そんな益体のない事よりも、どうしても先輩に尋ねたいことが頭を埋め尽くした。


「先輩は本当に楽しいからという理由だけで、歌っているんですか?」


 今の先輩の歌からは、楽しさ以外の何かがあるような気がしたのだ。

 歌うためにはその『何か』が必要なのではないだろうか。


「楽しいのは本当だよ。わたしは歌うために生まれたようなものだからね。

 でも、もう一つ理由をあげるなら、約束したからだよ」


「約束……ですか?」


 確認のために繰り返したオレの言葉に、先輩が「うん」と頷いて応える。


「話してもいいかな?」


「話してくれるなら聞きたいです」


 ここまで話されたら、最後まで聞きたい。だから、願ったり叶ったりではあるのだけれど、やはり先輩はオレに話しかけている感じはしなかった。


「和気君は初代ドリムがどうして歌わなくなったのか、知ってる?」


「声変わりしたって言うのが、公式ですよね」


「でも、和気君は初代ドリムが両声類だったって、気づいているんだよね」


「はい。だから、何で歌わなくなったのかは、分からないです」


 考えてみれば、忠海先輩からは表立って活動しない方便だとしか聞かされていない。

 オレにちゃんと伝える義理も無かったからだろうけど、ユメ先輩は教えてくれるのだろうか。


「簡単に言うとね、初代ドリムは女声が出せなくなったから歌うのを止めたんだよ」


「ちょっと待ってください。出せなくなるって、声変わりは関係ないんですよね?」


 自然にそうなったのか、病気でそうなったのか、理由はさておき、オレも女声が出せなくなる可能性があると言う事ではないだろうか。

 オレの焦りの理由に気が付いたのか、ユメ先輩は落ち着かせるような柔らかい声で「大丈夫」と制した。


「彼は事故にあったの。しかも、普通じゃ考えられないような事故。

 だから、急に和気君が女声出せなくなるってわけじゃないよ。あんまり使わないと出しにくくはなるけどね」


 使わないと衰える事は既に何度か経験したので知っているけれど、少なくともよっぽどの事がない限り大丈夫だと分かり胸を撫で下ろす。


「説明が難しいから、ふわっとした説明になっちゃうけど、わたしも一緒に事故に巻き込まれて、わたしが居たせいで彼は両声類じゃなくなった。って感じかな」


 ユメ先輩を守ったせいで、喉にダメージを与えてしまった、と言う事だろうか。

 それで女声だけ出せなくなるのかはわからないけれど、先輩の言っていた『約束』が何となく分かって来た。


「だからわたしは歌えなくなった彼と約束したの。

 彼では見る事の出来ない景色を見せてあげるってね」


「見るはずだった景色、ではないんですか?」


「それじゃあ、感謝にならないからね」


「感謝……ですか?」


 贖罪ではないのだろうか。先ほどから、先輩はオレの想像とは少し違う事を話す。

 でも穏やかな表情の先輩からは、確かに贖罪の念は感じ取れない。


「うん。感謝だよ。わたしは彼に感謝しているの。憧れてもいるし、尊敬もしているかな」


「だから凄い歌が歌えるんですね」


 ボーカルをやる上での心構えと言うのだろうか。先輩のように強い気持ちがないと歌えないと言うのであれば、はたしてオレはボーカルとしてやっていけるのだろうか。

 とにかく目立ちたい、全国一になりたいなんて、中身がなさすぎるのではないだろうか。


「ううん。歌うのにこんな仰々しい理由なんていらないと思うよ。

 初代ドリムはただ好きで歌っていただけだし、彼を真似して、彼を目指して歌っていた子はいまではアイドルをやっているから。

 だから、誰かを驚かせたくて歌うのも立派な理由なんじゃないかな。


 でもね。わたしは、どんな理由でも例え歌から離れる事になっても、歌は楽しいものだっていうのは知っていてほしいし、覚えていてほしいなって思うの」


「だから歌ってくれたんですか?」


「和気君って、歌う事が楽しいって思ったことなさそうだったから。

 どう? 楽しかった?」


 ユメ先輩が目を細める姿が、何処か悪戯っぽい。

 先輩が歌ってくれた歌は、明るいものではなかった。だから楽しいとは違うような気もする。

 でも小説を一冊味わいつくしたような余韻と満足感がある。


「楽しかったです」


 きっとその満足感を飾らずに、素直に表現するなら、この言葉が一番いいだろう。

 先輩は嬉しそうにフフッと声を出してから、続けて話す。


「じゃあきっと、歌う事も楽しくなるよ。

 それまでは和気君が歌いたいように歌った方が、わたしは良いと思うな」


 上手くなるよりも楽しめるようになることが先、と言う事だろうか。

 今考えてみると、朝との受験勉強は、勉強ではあったが楽しかったようにも思う。


「でも上手くなろうと思ったら、女声だけでってわけにはいかなくなるかな。

 普通は地声の方が女声の方が上手だと思うし、地声があっての女声って感じのはずだから。

 地声の方が下手って言うのは、珍しいからね」


「先輩、詳しいですね」


「ちょっとあってね」


 誤魔化されてしまったが、その仕草と声に魅せられて、反応できない。

 おそらく初代ドリムにでも、聞いていたのだろう。


「あと上達するには目標はあった方が良いかもしれないね。漠然としたものではなくて、具体的な目標が。

 例えば、この曲を歌えるようになりたいとかかな」


「だったら、先輩が歌った曲を歌えるようになりたいです」


「今の曲かぁ……」


 先輩が困ったように頭を垂れる。オレの為に歌ってくれたとは言え、本来は一回しか歌うつもりはなかったものだと言う事は何となく分かる。

 だから当然自分以外の人が歌いたいと言うのには賛成しないだろう。


「オレたちが全国一になったら、今の曲を教えてくれませんか?」


「なれる自信はあるの?」


「あります」


 先輩の目を真っ直ぐに見て、堂々と答える。

 先輩はすぐには応えずに、一度頷いてから「分かった」と言った。


「じゃあ、約束ね。でも、和気君におすすめなのは『二兎追うもの』かな」


「二兎追うもの……ですか?」


「うん。たぶん桜ちゃんが教えてくれるよ。

 それじゃあ、わたしは帰るね。これ桜ちゃんに渡してくれないかな?」


 立ち上がった先輩は椅子を片付けると、持っていた紙袋をオレに差し出す。


「オレからで良いんですか」


「大丈夫じゃないかな。それから渡す時に、わたしが『良いよ』って言っていたみたいに伝えてくれる?」


「別にそれは構いませんけど」


 中身は何かを訊こうかと思ったのだけれど、先輩に「それじゃあ」と先手を打たれてしまった。

 準備室の扉に手を掛けた先輩が思い出したように足を止める。


「説得頑張ってね」


 そう言って手を振る先輩に、オレは「ありがとうございました」と言う事しか出来なかった。

 説得っていったい何のことかと思ったが、朝と井原に女声で歌いたいと説得しないといけないのか。

 朝はともかく、井原に頭を下げるのは癪だが、ここで意地を張って結局地声で歌う事になったら先輩に会わせる顔がなくなる。また会えるのかは分からないが。


 前回の練習の件もあるし、下手したら喧嘩してオレが立ち去る事になるかもしれないけれど、そうなったとしても歌は続けようと思う。

 ユメ先輩が歌ってくれた歌。いまはどうしてもそれを歌いたいから。

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