plan.11

     *



 その後の昼休みは案の定神原に捕まり、数分間ではあったが、忠海先輩の話を思いっきりされた。

 先輩がどういう人で、どこが凄くて、出会えたことがどれだけ幸運であるかを熱く語られたが、割と頻繁に顔を合わせているため、そのありがたみはよくわからない。

 もしも昼休みに教室に居たら休み丸々話を聞かされていただろうと思うと、初春先輩には感謝してもし足りないくらいだ


 放課後、今日の神原に捕まると厄介そうだから、見つからないうちに音楽室へ向かう。

 音楽室に行くのも、もう慣れたもので、すぐに教室にはたどり着いたのだけれど鍵がかかっている。

 そう言えば初春先輩が何か言っていたなと思い出していたら、藍先輩が階段から姿を見せた。


「あ、和気君ごめんね。急いできたつもりだったんだけど」


「今日は藍先輩が鍵担当なんですね」


「あれ? 今日は先輩達来ないって聞いてない?」


 初春先輩が言っていたのはこれか。

 鍵を開ける時に髪が落ちないように左手で押さえる藍先輩の横顔は、一学年しか違わないはずなのにとても大人っぽい。

 しかし、先輩の大人っぽさとは関係なく、一つ問いかけたくなった。


「先輩は後輩って欲しいですか?」


「私は和気君たち嫌いじゃないよ?」


 藍先輩の言葉はオレの質問の答えになっていなかったけれど、オレの求めている答えではあった。

 学校でも有数の美女たちに、悪しからず思われている。オレの求めるものはそれよりも先だけれど、入学して一か月もたっていない現状では、上々の成果に違いないのだ。

 こうやって二人だけで話せる場があるだけでも、神原あたりからは羨ましがられる事だろう。


 この部活に入部出来ればさらに親密になれる可能性は高まるし、入部出来なければ以降お近づきになれるかもわからない。

 それなのに、どうして受験の時のように打ち込めないのだろうか。

 全て揃っているはずなのに、何かが足りていないような感覚がする。


「入らないの?」


 藍先輩の声に我に返り「入ります」と慌てて音楽室の中に入る。

 あとから入って来たオレを見て、先輩は何気なく「考え事?」と尋ねてきた。

 あまり内容を知られたくはないのだけれど、今しがたボーっとしているところを見られたわけだから、違いますとも言い難い。


「そんな感じですね」


 結局こんな答えしか出てこなかったのだけれど、藍先輩は「そっか」とだけ応えてから音楽準備室の方に歩いていく。


「何か手伝える事ないですか?」


 もう少し先輩と話していたくて咄嗟に出た言葉に、藍先輩は「じゃあ、今日はドラムを出すから手伝ってくれる?」と小さく首を傾げた。




 先輩の頼みを断るわけも無く、ドラムを音楽室に持って行く手伝いをしている間に、朝も井原もやって来た。

 もうしばらく先輩と二人きりで良かったのにとは思うけれど、とくに朝は同じクラスだし、オレと大きく時間が変わる事はないのは仕方がない。

 全員の準備が終わったところで、いつもなら朝が話を進めるのだけれど、何故か今日は井原が急かすように話し出した。


「今日は一回目に今まで通り合わせてみて、二回目にボーカルを校歌君一人にしたいんだけどいいかしら」


「どうしたんだよ、井原。いきなりしゃしゃり出て来て」


「そろそろ校歌君一人で歌えてくれないと困るのよ。ずっと藍さんに頼りっきりって言うのも良くないじゃない?」


 確かに井原の言い分にも一理ある。半月以上時間も経ったわけだし、全く歌えないと言う事もないだろう。

 オレと井原はどう頑張ってももめる時にはもめるので、井原がどれだけ案を出したとしても、決めるのは朝の判断になる。


 朝が判断が得意かと言えば、苦手だとは思うけれど、朝が居ないとそもそも練習が始まらない。

 今も自分に尋ねられることが分かっていたのか、朝が「んー」と唸っている。


「一人一人が何処まで出来るか、試しにやってみようか。それで新しい問題点も出て来るかも知れないし」


「朝が言うなら仕方ないな」


 オレが朝の発言に乗っかって、井原が頷く。

 藍先輩はいつもと同じように、オレ達の事を観察するように眺めているだけで、何か意見をする事はない。

 朝が先輩に「よろしくお願いします」と合図を出して、先輩が「それじゃあ、行くね」と声を出す。


 歌い出しの合図はカッカと先輩が二度スティックを鳴らす事。考えてみたら一人で歌う場合にはオレが始まりの合図になるのか。

 好んで歌を歌う事が少なかったオレにとって、今までの人生で一番歌った歌になるのではないだろうか。

 中学の合唱コンクールの時よりも練習している自信がある。


 それなのに一人ではなかなか歌えないのは何故なのだろう。

 いや、合唱コンクールの時も、結局一人では歌えた事はないんだっけか。周りの皆に合わせて、何となく声を出しているだけ。


 そう考えると先輩の声に合わせて歌っているだけの現状は、その時の感覚に近いように思う。

 仕方なく歌わせられている感じ。ああ、なるほど。


 曲も終盤に差し掛かった頃、ようやく気が付いた。

 何故オレの中の自信がなくなったのか。やりたくない事をしていたからか。

 やりたい事が出来なかったから、の方が正しいかもしれない。


 曲が終わり、音楽室に静寂が訪れる。

「やっぱり、場所が変わると感覚も違うわね」と言う井原に朝が同意するのを、他人事のように見ていたら、藍先輩がオレの心でも覗いているのではないかというくらい、じっとこちらを見ている事に気が付いた。


「オレ、何か変でしたか?」


「ううん。何でもないよ」


 先輩は首を左右に振るけれど、何もないと言う顔はしていない。

 何か思うところがあるのに、あえて口にしていないと言った様子だ。


「まあ、そこそこ形になっていたし、通しの二回目やるわよ、校歌君」


「何でオレなんだ?」


 井原が急に話しかけて来るので、いつものように食って掛かる。


「何でって、二回目は校歌君一人で打たんだから、当然じゃない。そんな事も分からないの?」


 言い方には甚だ納得できないが、言っている事は間違っていない。

 というか忘れていた。自分が合図になるのかと、ついさっき考えていたばかりじゃないか。


「そう言えばそうだな」


「分かったらさっさとする」


「急かすなよ」


 いちいち癪に障る井原に背を向けて、壁を見る。ライブだったら目の前には壁じゃなくて観客がいるのだろうけれど。

 VS Aの本当の合図は、冒頭のシャウトにも似た短いフレーズ。


 それなりの声量が必要なことはわかっているから、吐いて吸っての深呼吸。空気を吸い終わって、もう一度吐き出すタイミングで歌い出せばいい。

 それだけのはずなのに、それだけが出来なかった。

 普通になんて歌いたくなかった。


 だってオレは普通に歌うために、軽音楽部に入部しようとしているのではないのだから。

 オレの自信は両声類であると言う自信なのだ。両声類として、最高のエンターテイメントを提供できると言う自信であり、皆を驚かせることが出来る自信だ。

 それを封印するのだから、自信がなくなるのは当然。こんな簡単な事に気が付くのにだいぶ時間がかかってしまった。


 理屈では、少なくとも今は普通に歌った方が良い事くらい、分かっている。

 でも理屈ではないのだ。我儘かもしれないが、譲れないものもある。

 気づかないうちは、知らず知らずのうちに自分をごまかしていたけれど、それにいま気が付いてしまった。


「早くしなさいよ」と不機嫌そうな井原の声が聞こえる。

「碧君どうしたの?」と心配している朝の声が聞こえる。


「悪い、帰る」


 二人の方を見る事なく、呟くように言ってから、鞄を持って音楽室を後にする。

「碧君、待って」と朝が俺を引き留める声が聞こえてきた後で、井原の罵詈雑言が飛んできたけど、歩いて階段を下っている間も誰もやってこなかったと言う事は、藍先輩が二人を制してくれたのだろう。


 何故藍先輩がオレを追いかける事よりも、二人を止める事を選んだのかはわからない。

 分からないと言えば、昼休みに初春先輩に急に呼び出された理由もよくわかっていない。

 話がしたいとは言っていたけれど大事なのは話の内容で、今考えてみると先輩は、オレの中に何かもやもやしたものがある事を分かっていたように思う。


 どうして初春先輩が、と思ったけれど、藍先輩から聞いていたのだろう。と、言う事は藍先輩もオレの事を何となくでも分かっていて、たぶんいつか今日みたいなことになる事は予想していたのかもしれない。

 だとしたら何で今まで黙っていたのか、という話になるけれど、藍先輩はあくまで数合わせでしかなく、一年生が主体になってやらないといけないからか。


 けど先輩が動かないといけないくらいに、オレ達一年生は上手くやれていなかった。

 朝も井原もそれぞれ先輩と話しただろうし、井原がしゃしゃり出てきたのは、先輩に忠告されたと感じたからかもしれない。

 だからと言って、好き放題言われる筋合いはないが。


 色々考えながら歩いているうちに下駄箱についていて、靴を履きかえて外に出る。

 夕暮れの空を見ながら、朝は一人で帰れるのかとか、次の部活どうしようかとか考えていたら、ポーンとメッセージが届いた音がする。

 携帯を取り出して確認してみたら、藍先輩からで『他の二人は呼ばないので、次の部活はいつもより早く来てください』と表示されている。


 次の部活は土曜日で休日。確か開始時間は十時からだから、平日に学校に行く感じでいけなくもない。

 このまま逃げ続けると言う選択肢もあるが、一年生が居ないのであれば行ってみてもいいだろう。

 オレは女声で歌いたい。その事を先輩に伝えて、反応を見るだけでもいい。反応次第では軽音楽部を諦めるのもいいだろう。


 先輩に対して『何時ごろに行けばいいですか?』とだけ返して、帰路に着いた。

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