plan.10

     *



 入学式から気が付けば半月が経過していた。

 何だかあっという間だったけれど、考えてみたら歌の練習をしているか、勉強をしているかしかしていない。

 その歌も急に上手くなることも無く、今は藍先輩に一緒に歌って貰って、何とか形になっていると言う段階だ。

 朝も苦戦しているようで、受験とは違い一緒に活動することが少なくなった。


 そうしている間にも、着々と高校生活は流れているようで、神原は放送部に入部したらしい。ある日の昼休みに暇だったオレのところまでやって来て、「碧人の情報は正しかったよ。先輩もなかなか優しい人が多くてね。百聞は一見に如かずとは良く言ったもんだね」と興奮しながら話していた。

 それに対して「『如かず』って分かっているじゃねえか」と返したけれど、内心楽しそうにしているのが羨ましくもあった。


 煮え切らないと言う言葉がぴったりの毎日を過ごしていたある日、昼休みに入って五分経たないうちに、出入り口のところに十人ほどの人だかりができていた。

 出来ているのは扉よりも内側、つまりクラスメイト達と言う事は誰か有名人でも来たのだろうか。

 よく見れば神原も人だかりに混ざっている。


「真庭朝さんを呼んでくれませんか?」


 人だかりの向こうから、聞き覚えのある声がして、誰かが朝を引っ張っていく。

 来た人物は忠海先輩で間違いないだろうけど、朝に何か用事でもあるのだろうか。

 気が付いたら人だかりが消えていて、「今の見た?」とか「生桜やべえ」とか様々な感想が聞こえる中、メッセージが届いた。


 初春先輩からのようで、短く『時間があれば音楽室に来てくれるかな?』とだけ書いている。暇ではあるし、ここに居たら興奮した神原がやってくる気がしたので、『今から行きます』と返してからこっそり教室を抜け出した。




 先ほど朝が連れていかれていたし皆音楽室に居るのではないかと思っていたけれど、音楽室には初春先輩しかいなかった。

 音楽室にあるイスと机を出して、一人弁当を食べていた先輩はオレに気が付いて手招きをする。

 会釈をして近づくオレを向かい合うように並べてあった席に座らせた。


 座って条件が一緒になったからこそ、先輩の小ささがよく分かる。

 机の上の弁当箱も同じように小さく、よくギターが弾けるなと思わなくもない。


「こんな所で一人で昼ご飯って、初春先輩って友達いなかったんですね」


「居るには居るけど、今日はいないってことで良いかな」


 何故呼び出されたか分からなかったので、とりあえず軽口を叩いてこちらのペースに持ち込みたかったのだけれど、思いのほかに先輩はこういうやり取りに慣れているらしい。

 諦めて「朝やほかの先輩はいないんですね」と話を変える。


「それぞれ何処かで話してるんじゃないかな」


「えっと、何でオレは呼び出されたんですか?」


 先輩に変わった様子は見られないし、このままだと埒が明かないので、こちらから訊いてしまう。

 先輩は何かをごまかすように幼い笑顔を見せた。


「ちょっと和気君とお話がしたくてね」


「オレ、怒られたりするんですか?」


「何で? 怒らないよ?」


 あまりにもオレの出来が悪いから、とうとう先輩が釘をさしに来たのかとも思っていたけれど、そうではないらしい。

 正直なところ、初春先輩に怒られても怖くはなさそうだけれど。

 先輩は言葉を選ぶように、ゆっくりと話す。


「演奏は上手くいきそう?」


「全然ですね。オレはまだ一人じゃ歌えないですし、朝も苦戦しているみたいです」


「練習はどんな風にしてるの?」


「練習ですか? 最初に朝と井原、先輩とオレに分かれてから、後半で合わせてみるって感じですね」


 自分たちでやるようにと言ったけれど、もしかしてアドバイスか何かくれるのだろうか。

 期待はしたけれど、どうやら違うらしく、初春先輩はじっとこちらを見るだけで、何も言いそうにはない。

 その空気に耐えられなくて「先輩?」と声を掛ける。


「和気君は期限までに間に合うと思う?」


「それは……どうなんでしょうね。頑張ってはいますけど、出来るかって言われたら正直何とも……」


「絶対に大丈夫です。とは言わないんだね」


 初春先輩の声はオレを責めていないし、蔑んでもいない。

 何と言うか、憐れんでいると言うか、残念がっているような印象を受ける。

 それはたぶん、入学当時のオレなら大丈夫と言っていたから。


「和気君は入部したくなくなったのかな?」


「それは違います」


「だったらよかった」


 顔の前で両手を合わせて、小さな花が咲くように、先輩の表情が綻ぶ。

 だが良かったとは何が良いのだろうか。オレが入部を諦めていないことを? テストに合格しないと入部させて貰えないのに?

 急に自信がなくなった理由が自分でもよくわからないことに加えて、先輩のこの発言で頭がこんがらがってきた。


「先輩達はオレ達に入部してほしいんですか?」


「出来ればそうなってほしいなって、あたしは思ってるよ。

 下の学年の子が頑張っているのを見たら、あたし達も頑張らないとって思えるから。

 それに、和気君の自信たっぷりなところは、あたしもちょっと羨ましいなって思ってたんだよ。あたしは自信が持てなくて失敗したことがあるからね」


 初春先輩はそこまで言うと、視線をオレから外して窓の向こうを見て「思ってたのにな」と呟く。

 意図してなのかどうなのかは、オレには分からないけれど、言葉が意味する事は分かる。

 先ほどと同じく、残念に思っているのだろう。


 しかし初春先輩の期待に応えようにも、オレ自身オレが今何かに悩んでいるのだと言う事くらいしかわからない。

 オレの計画は有名になって、人気者になって、完璧な高校生活を送る事だ。

 その為に軽音楽部に入って、全国でもトップクラスになる。予定とは違っていたとは言え、この学校の軽音楽部は初めから注目度が高いようだから、むしろ入部さえできれば計画の完遂に大きく近づける。


 道筋は明確、迷う事なんてない。だから今は耐え忍んでいるのだ。

 有名になるための下積みの段階。受験だってそう思って乗り切った。

 だから今回も問題なくやっていけるはずなのだ。


「和気君は何で軽音楽部に入ろうと思ったの?」


 いつの間にかこちらに向き直っていた初春先輩からの問いに、何故か返すことが出来ない。

 たった今まで考えていた事を言えばいいはずなのに、突拍子もないからとか笑われるからとか、信じてもらえないからというのとはまた違った理由で言葉が出てこない。

 むしろ先輩の言葉が水面に投げた石のように、すでに波打っていたオレの心にさらに大きな波を立てる。


 こちらからの反応がないからか、先輩が「お話ありがとう」とオレを音楽室の外へと促す。

 導かれるままに、出入り口に近づいたオレに対して、先輩が思い出したように話し始めた。


「今日の練習、あたし達はいないから、鍵は藍ちゃんに頼んでね」


「あ、はい。分かりました」


 考える事に精一杯で、先輩の話は右から左へ流れて行ったけど、さほど重要な話でもなかったように思う。

 頭を下げて音楽室を出てから、一人になったのもあって、思考が勝手に進んで行く。

 先輩はオレ達に入部してほしいと思っているのに、テストなんてものを課す。


 入部してほしいのであれば、試験をしなくてもいいのではないだろうか。

 いや最低限試験に合格できるくらいの人が入部してほしいのか。

 オレ達にその希望を見出しているのであれば、何ら可笑しい事はない。


 ただ、先輩はオレ達に……いや、オレに合格してほしいと言っているようにも聞こえた。

 なぜオレでなければならないのか。話から察しようと思ったら、オレに自信があったからだろう。

 同じ入部するならやる気がある人が入ってきてくれた方が良い、と言うのはどこの部活でも変わらないに違いない。

 ではオレの自信は何処に行ったのか。分からないが、初春先輩の言葉の中に、ヒントが隠されているように思う。


 結局わからなかったけれど、そのうち分かるだろう。これ以上は考えても疲れるだけなので、自分の教室が目に入ったところで考えるのを止めた。

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