plan.9

 しかし先輩の前でいきなり喧嘩を始めてしまったのは事実。これは怒られるかもしれないと身構えたのだけれど、藍先輩はある方向を示しただけだった。

 何かと思ったら、朝が目に涙をためて、オレを見たり井原を見たりとオロオロしていた。

 オレが知る限り、朝が喧嘩をしているところは見た事はない。喧嘩はしないし、喧嘩がはじまると、今みたいに何かしようと思っても何もできずに感情のやり場を失くしてしまうのだ。


 言い争いが止まったからか、朝も少し落ち着いたらしく、消え入りそうな声で「あのね」と呟いた。


「わたしもせめて、碧君には曲を聴くくらいはして欲しかったなって思うよ。

 音楽に興味があるなら、先輩達の事を知った後でも、何か行動は起こしてほしかったかなって。プライドが邪魔して聴けなかったって言うのなら、わたしは良いかなって思うけど、碧君はたぶんそう言うわけでもないんだよね?

 それはちょっと残念だったかな。だから、井原さんが怒るのも分からなくはないの」


 井原が鼻を鳴らして、勝ち誇ったようにオレを見るが、朝の話は終わっていない。

 それに朝が喧嘩を前にして何もできないのには、気が弱いから以外にも理由がある。


「でもね、わたしも今日何をするか、って聞いてないの。

 わたしも考えが足りなかったかもしれないけど、教えてくれなかったって部分は、井原さんにも問題があるんじゃないかな。

 たぶん、先輩にも言っていなかったんだよね」


 勝ち誇った井原の表情が一転、ばつが悪そうに唇を噛んでいる。

 そんな井原を見てせいせいした、とは思えない。だって朝がここまで自分の意見を言うのは珍しいから。

 オレに対して言った事も、朝なりの想いがあったはずで、井原よりもそちらを汲み取る方が大事なのだ。


「悪かったな朝。先輩もいきなりこんな風になってすいませんでした」


「私はでこピンした時に、ちょっと指が痛かっただけだから、気にしないで」


 こちらに気を遣わせないためだろうか、年上らしいけれど、お茶目な藍先輩の表情に、頬を緩めてしまいそうになる。

 時間にして一秒に満たないような表情だったけれど、カメラがあれば撮影しておきたかったと思いつつ、緩みかけた頬を引き締めて井原の方を向いた。


「今回は謝らないからな?」


「そうね。謝ってもらわなくていいわ。その代わりアタシも謝らないって事でおあいこかしらね」


「じゃあ、一時休戦だな」


 ここらがオレと井原がそれぞれ譲歩できるラインだろう。きっと朝が望んだ結果ではないと思うが、妥協はしてくれると思う。

 冷静になった井原が朝と先輩に頭を下げるので、朝が身を縮めている。先ほど自分が言った言葉を思い出して、申し訳なく思っているのだろう。

 結局逃げるようにオレの後ろに回り込んできた。


「それで今日はどうしようか。和気君の準備は出来ていないみたいだから、合わせるのはまた別の日でも良いと思うんだけど」


 空気が膠着する前に、藍先輩から声がかかる。オレとしてはこのまま流れてしまった方が良いのだけれど、今の状況を作り出してしまった側の人間が意見を言うのは筋違いな気がして、後ろに隠れた朝を見る。

 朝は慌てたようにオレと井原を見た。


「アタシは真庭さんの指示に従うわ」


「同じく」


 井原から具体的な話が出たので、それに乗っかる。オレの意見を井原は聞かないだろうし、井原の意見をオレは聞かない。

 朝には悪いが、藍先輩が一年生に主導権を持たせたい以上、朝が決めるしかないのだ。

 朝は今の状況を忘れるように、目を閉じてゆっくり呼吸をしてから、重大な事を決めるかのように、朝にしては大きな声で話し始める。


「井原さんは自分のパートは弾けるんだよね?」


「弾けるわね。VS Aだけじゃなくて、ななゆめの曲なら大体は行けるわ」


「藍先輩も、大丈夫ですか?」


「うん、大丈夫だよ」


 この流れ的に次はオレに来るのかと思ったが、朝がオレの方を向く事はなく、申し訳なさそうに藍先輩を見ていた。

 オレは大丈夫じゃないからいいのだけれど。


「えっと、藍先輩にはドラムとボーカルをお願いしたいんですけど……碧君にどんな曲かだけは聞いて貰いたくて」


「分かってるよ。真庭さんと和気君も仲良しだもんね」


「えっと、はい」


 オレと朝「も」っていうところは否定したい。井原とオレは仲良くないのだから。

 最後に朝が「碧君は聴くだけになるけど、いいかな?」と確認を取る。

 オレが頷いたのを見て、三人がそれぞれ準備を始めた。



     *



「例えそれが 常識からかけ離れていようとも 大人のためにボクは生きていないのだから」


 藍先輩の歌が終わり、わずかにある後奏の後、無音のはずの準備しつを余韻がつつんだ。

 曲としてはカッコいいものだったと言って良い。自分勝手な大人に真っ向から立ち向かう若者を歌っていて、一種のロマンすら感じるものだった。

 藍先輩の歌声も普段の優しそうな感じから一転して、凛々しさが滲むものになっていて曲によく合っていたと思う。


 音楽を語れるほど興味があったわけではないが、ドラムがこんなにカッコいいものだとは知らなかった。というか、ここまでドラムを聴いた事が無かった。

 井原は大口叩いただけあって、ちゃんと弾けていたと思う。ドラム同様ベースに集中して聴いた事はなかったので、適当に弾いていたとしてもオレには分からないのだけれど。

 とりあえず、ずっと手は動いていた。


 そんなわけで、朝は時々手が止まっていた。止まったとしても、すぐに演奏に戻っていたけれど、素人目にも上手くはなかったなと思う。

 しばしの沈黙の後、最初に口を開いたのは藍先輩だった。


「最初はこんなものかな。井原さんは一通り弾く分には大丈夫そうだね。

 でも、ところどころ自信なさそうだったかな」


「そうですね。何か所か不安なところがあります」


「で、真庭さんは、もしかしてはじめて誰かと合わせたのかな?」


「は、はい」


 井原は落ち着いて先輩の言葉を受け止めていたが、朝は幾分自信を無くしたように俯く。

 確かに朝は表立ってギターを弾いていなかったから、誰とも合わせた事はないだろう。

 家で一人、練習していたに違いない。

 一通りフィードバックが終わったからか、藍先輩がオレの方を向いた。


「和気君、どうだった?」


「カッコいい曲でした。でも」


「でも?」


「藍先輩一人の方が良かったですね」


 朝には悪いが、これが正直な感想だ。オレでも藍先輩のレベルの高さが分かるのだから、本人たちはもっと自覚しているだろう。証拠に井原も何も言わない。

 そもそも全員が藍先輩くらいできたら、テストなんていらない訳で、落ち込む事ではないとは思うのだけれど。


「ねえ、真庭さん。一回一人で弾いて貰っていいかな?」


「え? あ、はい」


 落ち込んでいたところに、急に先輩から声を掛けられたからか、朝がワンテンポ遅れて動き出す。

 注目が集まる中、朝の指がスムーズに動き出した。




 ギターだけでの一曲が終わり、合わせた時とは違って、ホッとしたような顔で朝が小さく息をつく。

 別人とは言わないまでも、手が止まっていなかったし、ちゃんと弾けていた……と思う。

 藍先輩がうんうんと頷いているし、上手だったのかもしれない。


「やっぱり一人だったら結構弾けるみたいだね」


「何とか一通り弾けるだけですけど」


「入学したばかりだし、弾けるって事が大事だよ」


 藍先輩が朝をフォローしたところで、音楽室側からドアが叩かれた。


「そろそろ帰りますよ」


「わかりました」


 声からして、ドアを叩いていたのは忠海先輩だろう。藍先輩がいち早く返事をして、「今日はどうする?」とこちらに問いかける。

 次いでオレと井原が意見を求めるように朝の方を向いた。


「それじゃあ、今日はここまでにして、また明後日頑張りましょう」


 朝の言葉はたどたどしかったが、全員が肯定して初日の練習は終わった。

 その帰り道、オレンジ色に染まった道を朝と二人で歩いて帰る。


「まだ日が落ちるのが早いね」


「入学して何日かしかたってないからな。それにしても、朝って本当にギター弾けたんだな」


「練習してたからね。でも、思っていたよりも弾けていなくて、ちょっと落ち込んじゃったな。碧君はどうだった? 初めての部活って感じだったけど」


「どうも何も、何もしてないからな。でもオレは全国でも有名な歌い手になるわけだから、今日がどうだったからって変わらないさ」


「完璧計画ってやつ?」


「馬鹿にしてるだろ」


 首を傾げる朝がオレの事を馬鹿にしているとは思っていないのだけれど、何故か恥ずかしくなって拗ねたふりをして顔をそむける。

 この前までなら胸を張って頷けたのに、何故だろうか。

 横目で見た朝は大きく首を振って、「そんな事ないよ」と呟いた。


「どちらかというとね、碧君の事羨ましく思うよ。

 わたしも碧君くらい自信があれば、今日の事くらいで落ち込まないのかなって」


「オレも朝も無理って言われていた高校に入学できたんだから、やればできるんだよ。

 だから自信くらい持っていいんじゃないか?」


 言いながらあまり実感を持てなかった。

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